8.あれはまるで屠殺場だった

 キルシェトルテとルールーは緩やかな丘を滑るようにして駆け降りて、すり鉢状になっている空間の底にたどり着いた。

 右手に棚田のような百枚皿、左手に静かな地底湖。

 足元はどこからか滲み出てきた水のせいで、ずっと滑り易いままだった。

「ルールー、何体くらいいけそうっすか? オードリー・フーは素手で二〇体以上に立ち回ったらしいっすけど。あれはあれで普通の兵隊じゃないっすからね」

「魔法戦闘が許可されているからな。二〇やそこらはなんとかなる」

「それは頼もしいっす」

 キルシェトルテは担いでいたショットガンをポンプアクションしつつ、ゆっくりと地底湖に足を進めた。

 コバルトブルーに輝く湖面は波ひとつなく、生き物の気配がまるでない。

「出てこないっすね。何発かぶち込んだほうがいいっすか?」

「いや」

 ショットガンを構えたキルシェトルテを、ルールーがそっと制した。

 すらりと腰のサーベルを抜き放つ。

 わずかに反りの入った細身の片刃が、冷たく鈍色に輝いた。

「ひひ。伝説の武器」

「それは私が刀剣商に言われた出まかせだ」

 ルールーがかつて所属していた部隊には、新兵は官給品とは別に私費で予備の武器を購入する慣習があり、このサーベルもそれに従って手に入れたものだった。

 ジェヴォーダン王国の王都旧市街の隅っこにある寂れた刀剣専門店だった。

 盲目の店主は彼女を見るなり――実際には見えていないのだが――店の奥から埃を被って錆びついたこのサーベルを出してきて、タダ同然の金額で譲り渡した。

 そのときに聞かされたのが、「ジェヴォーダン王国を建国した剣聖王が、黒い獣の首を刎ねた剣」というガルー人なら誰でも知っている物語だった。

 なにせジェヴォーダンという人喰いの獣を人狼の騎士団が退治し、その地に自分たちの王国を築いたというのがガルー人たちの国の始まりとされている。

「でも刃毀れひとつしないじゃないっすか。実際、ちょっと怖いくらいっす」

「そうだな。無銘だが、とにかく斬れる」

 錆びついていたサーベルは研ぎに出すと、ぞっとするほどに美しい姿になって帰ってきた。以来、官給品のサーベルが何本も使いものにならなくなっても、このサーベルは妖艶な美しさを保ったままだ。

 ルールーは右手のサーベルを軽く振り、

「くるぞ、キルシェ」

 そう言ってピンと立てた狼の耳を忙しなく動かした。

 湖面がざわめく。


 瞬間。


 派手な水飛沫が次々とあがり、水中から何体ものリザードマンが飛び出してきた。

 巨大な二足歩行の蜥蜴戦士。

 つるりとした頭部に暗褐色の体躯。

 左手に無骨な剣、右手には丸い盾。

 地底湖から飛び出して空中へと身を躍らせたリザードマンは、ぱっと見てわからないほどの数だった。

 キルシェトルテとルールーに向かって殺到する。

「いやいや、飛びあがったらダメっすよ」

 キルシェトルテは陰気な笑みを浮かべたまま、ショットガンの銃口を頭上に向けた。

 すかさず発泡。

 重たい銃声。

 リザードマンの頭部が吹き飛んだ。

 ガラスが砕けるような硬質な音を残して、粉々になって消滅する。

「鴨撃ちになるんだから」

 ポンプアクション。

「煮るなり焼くなり好きにしろってことっす」

 ショットシェルが吐き出されるなり、すかさず発砲。

 ろくに狙いを定めなくとも、数が多いせいでとにかく命中する。

 神がかった速度で、装填されていた七発が撃ち尽くされた。

 何体かのリザードマンは砕け散ったが、それだけだった。

 地底湖から飛び出してきたリザードマンたちが次々に着地する。

 どすん、という鈍い音がそこいらで響いた。

「ひひ。数の暴力」

 目の前に降り立ったリザードマンを仰ぎ見て、キルシェトルテは口元を引き攣らせた。

 二メートル近い、暗褐色のごつい体躯。

 湖のなかにいたせいで全身が濡れており、ぬらりと光っていた。

 爬虫類独特の無感情な目が彼女を見据え、赤い舌が細かい牙のついた口から覗いていた。

「シィィッ」

 という空気を細く吐き出すような音を発し、左手の剣が容赦なく振るわれる。

「キモキモのキモっす!」

 だが、キルシェトルテは動じなかった。

 身体を左手側に投げ出して前転の要領で回避する。

 彼女の頭上を刃毀れのある分厚い刃が擦過した。

 空気が裂けるぞっとする音が、すぐそこで聞こえる。

 時間が間延びしたような感覚を味わいながら、キルシェトルテは腰のマガジンポーチから予備のショットシェルを取り出して器用に装填をした。

 トレンチコートの裾を翻し、膝立ちになってショットガンの銃口をリザードマンの脇腹に向ける。

 発砲。

 鼓膜を震わせる重い銃声と腕に伝わる鈍い衝撃が、いつだって彼女に生きている実感を与えてくれる。

 ゼロ距離から散弾を喰らったリザードマンの巨体が、くの字に曲がって吹き飛んだ。

「塹壕非処女は接近戦がお好きなんすよ」

 チューブマガジンに次々にショットシェルを装填しながら、キルシェトルテは陰気な笑みはそのままに舌なめずりをした。

「あー……シャベルもってくればよかったっす。ひひ。イキそう。子宮疼く」



 連続するショットガンの派手な銃声を耳にしながら、ルールーは地底湖から飛び出してきて次々と着地するリザードマンを銀灰色の瞳に映していた。

 ざっと見ても二〇体以上はいる。

 彼女はサーベルを肩に担ぐようにして構え、半身になって腰を落とした。

「蜥蜴風情が剣と盾を構えるとは、度し難い」

 その言葉を理解したわけではないだろうが、リザードマンはルールーの四方を取り囲んで「シィィッ」という音を発した。

「教育してやるぞ。剣の使い方というものをな」

 周囲を一瞥するなり、ルールーは正面のリザードマンに向けて一歩を踏み出した。

 強烈な踏み込みの音を残して、一瞬で距離が詰まる。

 リザードマンが左手の剣を振りあげるが、なにもかもが遅かった。

 ルールーはサーベルを横薙ぎに一閃した。

 がら空きになったリザードマンの左脇腹に、白刃がすっと入る。

 そのまま両断。

 胴の半分を抜かれたリザードマンは、左手の剣を振りおろす途中で砕け散った。

 すかさず右に視線を送る。

 別のリザードマンからの一撃が迫っていた。

「――ッ!」

 鋭い息を吐き、ルールーは腰を落として正面から無骨な剣を受けとめた。

 サーベルの白刃が、分厚い剣とぶつかり合う。

 耳障りな金属音。

 カッと火花。

 リザードマンの体重が乗せられた重たい一撃にも、彼女のサーベルはびくともしなかった。

 力任せに押し込んでくる相手に、ルールーは低くうなった。

 鼻の頭に皺を寄せ、犬歯を剥き出しにする。

「ガルーの力を舐めるなよ」

 サーベルを握る右腕に力を込めて、強引に押し返す。

 金属が擦れ合う音を残して、リザードマンの左腕がはねあげられた。

 ルールーはサーベルをもつ右腕を引き絞るようにして構えると、片刃の刀身を横に寝かした。

 強烈な踏み込みと同時に、突きを繰り出す。

 リザードマンの腹に突き刺さった白刃が、背中から生えた。

 彼女は余韻に浸ることもなく、サーベルを引き抜く。

 冷徹な機械のように、次の獲物を求めて走り出す。

 袈裟懸けの一閃が、リザードマンの肩口から腹までを両断し。

 横薙ぎの一閃が、リザードマンの腕を落とし。

 連続する刺突は確実に急所を突いた。

 煌めく白刃が中空を疾駆する度に、二足歩行の蜥蜴の戦士たちは藁人形のように次々と斬り伏せられた。

 逆袈裟で何体目かもわからないリザードマンの首を刎ね飛ばしたルールーは、それでも数が減らないことに舌打ちした。

「鬱陶しいやつらだ」

 見れば、地底湖からはまだリザードマンが這い出してきていた。

「キルシェ!」

 ショットガンでリザードマンを吹き飛ばしている黒エルフの名前を呼ぶなり、ルールーは腰のマガジンポーチから魔法図書の複製本を取り出した。

「魔法戦闘用意! 〈ユピテル・ヴァイパー〉!」

 その声を聞いたキルシェトルテが、ぎょっとした顔になる。

 どこの国の軍隊であるかを問わず、第七次図書塔紛争の従軍経験者の多くは、部隊行動中に複製本を使う際には魔法の種類を伝達するように訓練されている。

 理由は二つ。

 一つは部隊で複製本を運用している場合に、タイミングを揃えて使用することで火力をあげるため。

 もう一つは味方にこれから使用する魔法を伝え、その効果範囲からの退避を促すためだ。

 今回の場合は後者だった。

 ルールーは〈D&D魔法通商〉のロゴが入った複製本の帯封を噛みちぎった。

 左手にある複製本のページが勢いよく捲れあがる。

 すべてのページの〈世界干渉言語〉――ワーズワーズが水に濡れたかのように滲み、浮きあがり、消えていく。

 白紙になった複製本を投げ捨て、ルールーはサーベルを逆手にもち代えた。

 周囲のリザードマンどもをぐるりと睨み据える。

 これから発動する魔法の効果範囲から慌てて逃げ出したキルシェトルテが、足を滑らせて強かに腰を打ちつけていた。

「ちょっ! ルールー、まってまって! わたしも死んじゃうっす!」

「問題ない。そこならぎりぎり大丈夫だ」

「ぎりぎりは問題あるっすよ!?」

 キルシェトルテの悲鳴じみた声を無視して、ルールーはサーベルを足元に突き立てた。


 瞬間。


 ばしり、というなにかが爆ぜる音がした。

 まるで雷がすぐそこに落ちたかのような轟音だった。

 電光が瞬き、鍾乳洞を照らす。

 突き立てられたサーベルから、放電する光の白刃が蛇行しながら一気に駆け抜けた。

 さながら白い大蛇のようだった。

 電光に触れたリザードマンは身体の内外を一瞬で焼き尽くされて、なす術もなく即死した。

 電光がとおりすぎたあとには高威力の電流が形成され、その範囲にいる者すべてが感電してばたばたと倒れた。

 滲み出た水のせいで足元が濡れているにもかかわらず、〈ユピテル・ヴァイパー〉はルールーを扇の要にしてきっちりと定められた範囲にしか電流をばら撒かなかった。

〈世界干渉言語〉によってコントロールされている魔法という現象は、ある種の数式やプログラムのように決められた結果に忠実だった。

「ちょっと、ルールー。お尻がピリピリするんすけど」

「ぎりぎり大丈夫だと言っただろう」

「これは大丈夫とは言わないっす」

「蜥蜴よりはましだと思うが」

「それはそうなんすけど」

 キルシェトルテがゆっくりと立ちあがり、お尻をぱんぱんと叩いた。

 魔法が直撃したリザードマンはとっくの昔に砕け散っており、あとには感電して動けなくなったリザードマンがごろごろと転がっている。

 まさに死屍累々という有様だった。

 さらに電光は地底湖にまで達しており、感電して浮いてきたリザードマンが湖面を埋め尽くしている。

「〈ユピテル・ヴァイパー〉を喰らったら、たとえ直撃を避けてもまず助からん」

「よくよく知ってるっすよ。なにせ地雷原ごとこの魔法で吹き飛ばされて、生き残った連中も感電しているところを一人ひとり銃剣で刺し殺されていった部隊があったっすからね」

 キルシェトルテは陰気な笑みを浮かべ、ショットガンに銃剣を装着した。

「ひひ。あれはまるで屠殺場だった」

 そう言って感電しているリザードマンに足を進めていく。

「キルシェ、せめて嬲らずに殺してやれ」

 ルールーは少し呆れたように言った。

「いやいや、わたしにはそんな趣味ないっすから」

 黒エルフは感電しているリザードマンに、嬉々として銃剣を突き立てた。

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