7.準備はよろしくて?

〈蜥蜴城塞〉に新しく出現したエリアは鍾乳洞になっており、元よりあった洞窟とはまったく異なる雰囲気だった。

 頭上には無数の鍾乳石、足元には無数の石筍。

 光源などないはずなのに、地形が見て取れるほどには明るい。

 それが一体どういう原理によるものなのか、イオは考えることをやめた。

〈魔法図書塔〉というのは、そういうものだと思うしかない。

 鍾乳洞は起伏のある地形と大小の地底湖がいく手を阻み、どこからか滲み出てきている水のせいでひどく滑り易かった。 

 なによりも気温が低く、イオは肌寒さに身震いした。

「んっふふ。それにしても珍妙なパーティになった」

 彼女の後ろを歩くデシーカが、そう言っておかしそうに笑う。

 オードリーとイオを先頭に、ロレッタとデシーカが中団、キルシェトルテとルールーが後方という布陣である。

「まったくですわ」

 デシーカの言葉に反応したロレッタが、肩から提げた自動小銃もち直した。

〈ティンパ商会〉が採用しているブルパップ型のものではなく、デシーカたちがもち込んだものだった。

「ドラクル人に、白エルフに黒エルフ、ハーフエルフ、ガルー人。こんな取り合わせ、民間軍事会社だってないでしょう」

「こうやってみんな仲良くできればさ、世界は平和なんだろうね」

「まったくですわ」

 心にもないことを言うデシーカに、そこにいる誰もが苦笑した。

 利害の一致だけで協力している関係は、それがなくなれば即座に瓦解する。

 この世界はそうやって回っている。

 国家に真の友情など存在しないが、なんらかの勢力に与している個人でも同じことだ。

 今日の友は明日の敵になるし、その逆もある。

 イオは黙々と前を歩くオードリーの背中を見つめた。

 少なくともいまは彼女が味方であることにほっとする。

 二〇体のリザードマンを相手に大立ち回りを演じた末に力尽きた女は、少なくとも肋骨は折れているし、ほかにも大小の怪我を負っているはずなのだが、その影響をまったく感じさせずに歩を進めていた。

 ドラクル人は個人差が激しいものの、人狼と呼ばれるガルー人に匹敵する屈強さをもつ者もいる。身体にある竜鱗――と彼らは言う――の数が多ければ多いほど、その力は始祖たる九頭竜に近づくとされる。

 もっとも、オードリー・フーには竜鱗はもうありはしないが。

「フー師姐シージェ

 そっと呼びかける。

「またこうして、フー師姐と肩を並べることができるとは思いませんでした」

「……お互い……生きてさえいれば不意に再会するものですよ。それが蜥蜴退治とは……私も予想外でしたが」

 暗く掠れたその声は、イオにとっては聞き馴染みのある声だ。

「……イオ」

「はい」

「……デシーカ・デグランチーヌはどうですか」

「どうと言われても」

 イオは少しばかり視線を泳がせ、黙考した。

 新しい飼い主のことは、そう多く知っているわけではない。

 世間から〈エルフの魔法商人〉と呼ばれる彼女は、どんなときでも飄々として掴みどころのない仮面をつけている。誰にでも親しげに振る舞うくせに、本音を見せず、琴線に触れることを許さない。

「よくはわかりません。ただ――」

「……ただ?」

 わたしの目を好きだなんて言った人は初めてです。

 そう言おうとして、イオは口をつぐんだ。

 改めて思えば、彼女がいままで生きてきたなかで、〈火薬庭園〉で身につけた殺しの技術以外をほめられることなどなかった。

 だからというわけではないが。

 デシーカのあの言葉は、自分の心のなかにだけ置いておくほうがいい。

 不意にそんなことを思った自分自身に驚きながら、イオは代わりの言葉を口にした。

「――変な人です」

「……それはそうです。デグランチーヌは変な人ですよ」

 目をぱちくりさせて、オードリーがわずかに笑う。

「なにかおかしいですか?」

「……彼女のことを……イオが案外と気に入っていそうなので」

「そうでしょうか?」

 イオはむっつりとした表情で小首を傾げた。

「……飼い主との相性が悪いと……犬は不幸になりますから。逆に相性がよければ……友人にだってなれますよ」

「大小姐とフー師姐のようにですか」

 イオの言葉に、返答はなかった。

 オードリーは無言で右手を挙げると、音もなく歩みをとめる。

 延々と続くかと思われた鍾乳洞だったが、眼前が大きく開けていた。

 イオたちは緩やかな丘のうえから顔を出した格好で、眼前は巨大なホールのようになっている。

 右手側には棚田のような光景が広がっていた。

 水が溜まった巨大な皿が、何百枚も段々に重ねられているかのようだった。

「おー、百枚皿じゃんかよー」

 壮観な眺めに、デシーカは気楽な声をあげた。

 左手側には水面がコバルトブルーに輝く地底湖がずっと続いている。

 静かで幻想的な光景だったが、それが却って不気味だった。

「ひひ。リザードマンいないっすね」

 後方から追いついてきたキルシェトルテが、眼下を見下ろしながら言った。

 その言葉のとおり、広大な空間にはなんの気配もない。

 まるで無人のコロシアムだ。

「そんなことはないぞ。湖のなかにいるな」

 続けて追いついてきたルールーが、狼の耳をピンと立てて鋭い視線を地底湖にやる。

「マジっすか。相変わらず、ルールーの感知力ドン引きっす」 

「ふむ。数まではわからないが。あまりいい感じではないな」

「いやいや、なんすかそれ。ふわっとしてるにも程がある」

 キルシェトルテはわざとらしく肩をすくめ、

「ここは経験者の意見が欲しいっす。ロレッタちゃん、これ降りていったらどうなる感じなんすか?」

「その呼び方やめてくださいます?」

「いいじゃないっすか。知らない仲でもないし」

「トレンチエルフと馴れ合うのは好きではありませんの」

「わたしは悪いトレンチエルフじゃないっすよー。友達になろうよ」

「トレンチエルフに善いも悪いもありません。トレンチエルフではないエルフ人だけが善良なエルフ人ですわ」

 ロレッタは冷たい視線を黒エルフに投げかけた。

「キルシェトルテ・ルクス。オーベイロン王国の第一◯三旅団戦闘団第四〇一偵察大隊といえば、ガウロン神聖帝国ではそれはそれは悪名高いですのよ。黒エルフの虐殺部隊」

「ひひ。だからみんな、ろくな死に方しなかったっすよ」

 古巣の名前を出されて、キルシェトルテは陰気な笑みを浮かべた。

「それにしてもガルー人の直感には驚きますわね。確かに湖に潜んでいますわ」

「そんな気がするだけで、なにか明確な根拠があるわけではないが。昔から、私は不思議とそういう勘はいいほうなんだ」

 ルールーは顎に手をやり、苦笑じみた表情になる。

「小隊で一人だけ生き残ったことだってある」

「あなたはどこの戦線に?」

「いろいろだ」

 人狼の女は、それ以上は答えるつもりはないようだった。

 地獄のような戦場を経験した者は、多くを語りたがらない。

 武勇伝を進んで話す兵隊ほど、実際には戦友の死体に隠れて震えていただけの腰抜けだったりするものだ。

「ルールーはジェヴォーダン王国の突撃浸透大隊出身の塹壕非処女だぜー? 危険を察知する野生の勘がないと、第七次図書塔紛争の最前線で何年も生き残れやしない」

 そう言ったデシーカが火をつけていない煙草を咥えて、ロレッタとルールーの間に割って入った。

 肩を組むようにして、ロレッタに密着する。

「で、どうなるのさ?」

「進路は見てのとおり、地底湖を背後に百枚皿をのぼっていくしかないんですの。それで迂闊に踏み込むと、地底湖からリザードマンの群れに背後を突かれますわ」

「なるほどなるほど。それでそいつらに対応していたら、今度は〈タイトルホルダー〉が百枚皿のほうから現れて挟撃されるパターンか」

 率いていたチームが壊滅したときの状況を思い出したのか、ロレッタはわずかに眉間に皺を寄せてうなずくだけだった。

「キルシェとルールーで地底湖のほう抑えられる?」

「お任せあれっす」

「問題ない」

 デシーカの言葉に、二人は短く答えた。

「そしたら、ロレッタ。面子を立たせてあげるよ。イオを貸すから、オードリーとで本命を殺るんだね」

「感謝はしませんわよ」

 ロレッタは眼鏡を押しあげ、自動小銃の薬室に初弾が装填されていることを確認した。

「オードリー、準備はよろしくて?」

「……いつでも……大丈夫ですよ……大小姐ダーシャオチェ

 デシーカは煙草に火をつけ、イオを手招きした。

「イオイオ、二人に協力してあげるんだ。ロレッタはあたしの数少ない友達だし、面子のために死なれるのは寂しいからね」

「はい」

 イオはそれだけを言って、うなずいた。

 飼い主からの命令に従い、達成することに喜びを覚える。

 それは彼女の本能のようなものだった。

 だが、それとは別にロレッタとオードリーには恩がある。

 たとえデシーカから命じられることがなくとも、自分は二人を助けたに違いない。

 やっぱりわたしは欠陥品かもしれないな、とイオは思った。

 自分の意思でなにかをしようと思うなんてことは、〈火薬庭園〉の商品には必要ないことなのに。たとえ恩人だろうと、殺せと言われれば表情を変えずに殺すのがあるべき姿だ。

 だというのに。

 イオは二人にはそうできない気がした。

 そういうところが、最低品質の四頭級で、買い手がつかず、本来なら廃棄処分という評価の理由なのかもしれなかった。

「んっふふ。そしたら者ども、状況開始じゃ」

 デシーカはそう言って両手を叩くと、

「あたしはここで煙草吸ってるからね」

 咥えている煙草と半分しかない耳をひこひこと揺らした。

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