6.面子を立てさせてもらいたい
温泉湖のほとりに停められた四輪駆動車を中心に設営された野営地には、簡素なテントが張られ、折り畳み式のテーブルとイスが並べられていた。
一見すると気楽なキャンプのようにも見えるが、テントは敵襲に備えて死角ができないように巧みに配置されており、温泉湖を背にするようにして簡易的な塹壕が掘られて軽機関銃が設置されている。
実に物騒だった。
「まさか、こんなところで会うだなんて。とんだ腐れ縁ですわね」
折り畳みイスに座ったロレッタは、チタン製の無骨なマグカップに入ったインスタントコーヒーに口をつけ、ため息混じりにそう言った。
「んっふふ。それはこっちのセリフだよ。〈ティンパ商会〉の
「ええ、ええ。そうでしょうとも。ぐうの音も出ませんわ」
「お、珍しく殊勝な態度じゃんかよー」
「うるせえですわよ。調子に乗らないでくれるかしら」
「怖いよー」
ロレッタに鋭く睨まれて、デシーカはにやにやと笑った。
四輪駆動車から助け出したロレッタとオードリーは、有体に言ってボロボロだった。
命に別状はないものの身体のいたるところに怪我があり、手持ちの武器弾薬は底を尽き、まるで敗残兵のようだった。
温泉に突っ込んできたのも、ロレッタが言うには疲労のせいでアクセルを踏んだまま力尽きたということらしい。
本当に敗残兵のようだな、とイオは思った。
ロレッタ・イェンが自分でハンドルを握っているところなど、イオは〈第九〉で仕事をしていた短い期間とはいえ見たことがない。少なくとも〈ティンパ商会〉に移籍してきてから、彼女はそんな立場ではないことは容易に想像できた。
イオはキャンプ用のガスバーナーで沸かしたお湯で、デシーカのコーヒーもつくった。
それを渡してやる。
「デシーカ、大小姐と親しいのですか」
「あたしとロレッタは友達だよ」
「誰が友達ですか」
「えー、じゃあ親友?」
「断固、違いますわ」
「そうかー。そうだよね」
デシーカはうんうんとうなずき、受け取ったコーヒーに口をつけた。
早口でまくし立てる。
「普通は親友の大切な商品を横取りしたうえ、それを法外な値段で売りつけようとしたりしないよね。それを断ったら、その商品を使って友達が開拓しようとしていたルートを丸ごと横取りしたりしようとしないよね」
イオがシーガー・ウォンと共に強奪して〈ティンパ商会〉に流した、魔法図書の複製本のことだ。
それなりに根にもっていたらしい。
だが、ロレッタは平然としたものだった。
「その仕事は社内でも高く評価されましたの。とてもいい仕事をしたと自負していますわ」
「ロレッタ、面の皮が厚すぎだよ」
「あら、あなたほどではないと思いますけど?」
「ぐぬぬー」
デシーカはわざとらしく地団駄を踏むと、こちらに視線を向ける。
「イオイオもなにか言ってよ」
「大小姐、なにか口にされますか? 缶詰しかありませんが」
「ありがとう。でも結構ですわ。胃が受けつけそうにありませんの」
「イオイオがこの女に優しい。ショックだ」
わざとらしく肩を落とし、デシーカは唇を尖らせた。
実に不満そうな顔だ。
「デシーカ、わたしは大小姐には恩があるのです。犬は恩を忘れはしません」
「元気そうでなによりですわ、イオ」
血と泥で汚れた野戦服には似つかわしくない優雅な仕草で、ロレッタはマグカップをテーブルに置いた。
「けれど、シーガー・ウォンが死んで、この女が新しい飼い主なんて」
「わたしは野良犬には向いていないのです、大小姐」
「それはそうでしょうけど。もう少し早くあなたが生きていることを知ったなら、呼び戻すことだってできましたのに。オードリーだって――」
ロレッタがちらりとテントのひとつを見やる。
オードリー・フーは意識を失ったままで、いまはテントのなかで寝かされていた。
「――あなたが戻ってくるなら喜んだでしょう」
「そうでしょうか? 飼い主を守れず、相対した敵は殺せず、フー
「そんなこと。親の心子知らずとはよく言ったものですわね」
ロレッタが少し呆れたような微苦笑を浮かべるので、イオはむっつりした表情のままで小首を傾げた。
すると、背後から思い切り抱きつかれる。
「おいおいー、ロレッタ。うちの可愛い従業員を引き抜こうとするなよー」
「デシーカ、苦しいです」
身長差があるせいで、イオの頭のうえにデシーカの顎が乗せられている。
デシーカからは煙草の匂いがしたが、不思議といやではなかった。
「そんなつもりはありませんわ。イオがあなたを選んだのなら、仕方ないことですもの。ですから、デグランチーヌ。あなたが死んだときに呼び戻すことにします」
「エルフ人は長寿だからね。ロレッタがババアになっても、あたしはピンピンしてると思うけど」
「あなたは世界中から嫌われているのですから、寝首をかかれないようにすることですわね」
「嫌われ具合からしたら、どっこいどっこいだよ。ロレッタだって、内も外も敵だらけじゃんかよー」
「あらあら……このクソエルフが」
「んっふふ。そのクソエルフに助けてもらったんだから、靴でも舐めたら?」
二人はまったく目が笑っていないつくり笑顔で睨み合った。
だというのに。
ほんの少し楽しそうだな、とイオは思った。
かつてシーガー・ウォンと立ち寄った古書店の店主は、二人の関係を友情と打算の副産物だと言っていたが、そういうものなのかも知れない。
「それにしても大小姐――」
イオはしばらくの間、二人が言い争う声を聞いていたが、永遠に続きそうだったので口を開いた。
「一体なにがあったのですか。フー師姐があれほどの手傷を負うなんて」
「おっと。それはあたしも聞きたいな」
イオに抱きついたままで、デシーカがそう言った。
声のトーンを落とし、薄く笑う。
「〈ティンパ商会〉の塔探索チームなら、最小でも一二名編成。全員が自動小銃と魔法図書の複製本で武装して、分隊支援火器の電ノコ要員まで抱える精鋭部隊だ。それが一〇階レベルの〈蜥蜴城塞〉で壊滅するなんて信じられないよ」
「それは――」
ロレッタはわずかにうつむき、言い淀んだ。
言うべきかどうかを計算している。
損失に見合う利益を〈ティンパ商会〉にもち帰ることができると判断したからこそ、彼女はこうして逃げてきた。
新しい魔法図書の原本でなければ、恐らくは情報だろう。
おいそれとは話せない。
「とはいえ、大よその検討はつく」
抱きついていたイオからゆっくりと離れ、デシーカは続けた。
「キャリアのある塔探索チームが壊滅するような状況は、大きくは三つしかない」
人差し指を立てる。
「一つ目はまったく新しいフィールドに遭遇するパターン。なにもかもわからずに、一番やばい」
続けて中指を立て、Vサインをつくった。
「二つ目は既知のフィールドだが、新しいダンジョンを発見するパターン。構造や遭遇するモンスターが不明で、撤退ラインを間違うとやばい」
最後に薬指を立てる。
「三つ目は既知のフィールドとダンジョンだが、新種のモンスターに遭遇するパターン。今回はこれだね、ロレッタ。〈ティンパ商会〉の探索チームは、〈蜥蜴城塞〉で新種と交戦したんだ。違う?」
「――さすがにお見通しというところですわね」
観念したように、ロレッタは肩をすくめた。
「転送ゲートを目指して〈蜥蜴城塞〉を進んでいる最中、いままではなかった通路が洞窟内にできていましたの。わたくしたちはマップの情報を更新するために、そこを進むことにした」
「それは当然だ。ダンジョンマップの更新情報は高く売れるからね」
デシーカはうなずき、ジャケットから取り出した煙草を咥えた。
彼女だけは〈魔法図書塔〉の探索であれ、いつもの格好だった。まるで自分だけは、探索をするほかの人間とは違うのだと言っているかのように。
「イオイオ、塔のダンジョンはたまに変化するんだ。前になかった通路や部屋ができたりね、その逆だってある。まったく、おかしなところだよ」
煙草に火をつけ、彼女はそう言って笑った。
イオはそんなものなのか、と思うしかなかった。
この〈魔法図書塔〉の現実離れした姿に、いまさら文句を言ったところではじまらない。
「それで新規マップの先に、運悪く新種もいたというわけか。けど、ここは一〇階だ。いくら新種といっても、それほど強力なモンスターに遭遇するなんてね。ましてやリザードマンしかいない〈蜥蜴城塞〉で」
「リザードマンはリザードマンですわ」
「へー、リザードマンの新種なんて珍しい。あいつらバリエーション少ないからね。ずいぶん前に寒冷地仕様のやつが見つかって以来じゃないかな? フロスト・リザードマン。生意気にも隊伍を組んで弓で攻撃してくるから難儀したよ」
「今回のやつは比ではないくらいにやべえですわよ」
言葉にするまでもなく、ロレッタ自身の有様がそれを雄弁に物語っていた。
〈魔法図書塔〉の探索を行う〈ティンパ商会〉のチームはいくつかのマネジメントラインに別れているが、ロレッタ・イェンが指揮する〈第九〉の探索チームは手練れのはずだ。
新種のモンスターだろうと、ある程度は対応できる。
「んっふふ。そいつは〈タイトルホルダー〉だな?」
紫煙と一緒に吐き出されたデシーカの言葉に、ロレッタは嘆息しただけだった。
魔法図書の原本が、〈魔法図書塔〉でどのようなかたちで封印されているのか。
その答えは簡単だ。
宝箱から回収できる。
ウソみたいな話だが。
勇者と魔王が登場するファンタジー世界を描いた冒険小説やゲームのように。
〈魔法図書塔〉を探索し、ダンジョンの奥深くにある宝箱に納められている原本を発見した者は、そのシュールな光景に笑ってしまうかもしれない。
だが、現実としてダンジョンには魔法図書が納められている宝箱があった。
ともあれ。
そういった宝箱はここ数百年で狩り尽くされてしまった。
新しい階層にたどり着かない限り、もう発見されることはないのではないかと言われている。
そして、もうひとつの答えは原本を所持しているモンスターからの回収だ。
業界では便宜上〈タイトルホルダー〉と呼ばれる特別で強力なモンスターは、倒すと魔法図書の原本を残して消滅する。一度殺せば二度と現れることはなく、発見の報告があれば様々な国、企業、あるいは物好きな冒険者どもの探索チームが殺到することになる。
もっとも、情報がない初期に交戦するリスクは甚大で、大抵の場合は数多くの探索チームが壊滅する。
「なんとまあ。初見殺しの〈タイトルホルダー〉相手に生還するとは、さすがにロレッタ・イェンとオードリー・フーだよ」
「お世辞は結構ですわ」
「確かにこの情報をもって帰ればアンソニー・ラウも満足しただろうね」
「ええ。けれど、デグランチーヌ。まさかあなたも塔に登っていたなんて。情報をもち帰ったところで、あなたに先を越されてはなんの意味もありませんわ」
「あたしを高く買ってくれているみたいで嬉しいじゃんかよー、ロレッタ」
ロレッタの言葉からは、デシーカなら初見の〈タイトルホルダー〉を殺して新しい魔法図書の原本を回収するだろうという確信が感じられた。
「なにが望みだ?」
煙草の灰を足元に落とし、デシーカは美しい碧眼に怪しい光を灯した。
まるで契約をもちかける悪魔のように、ドラクル人の女を見つめる。
「ドロップする原本はくれてやりますわ」
ロレッタは静かに腕を組み、デシーカを見据えた。
「その代わり、面子を立てさせてもらいたい」
「出たよー。ドラクル人のこだわりはわからん」
呆れた声をもらしたデシーカが、わざとらしく両腕をあげて万歳をする。
彼女から視線を向けられたイオは、
「わかる話です」
と、いつものむっつり顔で言った。
ドラクル人はときに利益よりも、面子を優先する。
家族的で強固な結束がある組織は特にそうだ。
だが、イオが知るロレッタ・イェンは情と理のバランス感覚に優れていて、必要によっては面子なんてものは犬に食わせることができる女だ。
この商売は命あっての物種だ、と彼女は言う。
だが、理によって感情を制御してもち帰る予定だった情報の価値がなくなるのだとしたら、一〇人の部下が死んだことへの報復を果たそうとするのは当然のことだった。
そうしなければ、ロレッタ・イェンは組織の誰にも顔向けできない。
「あー、うん。あたしだってなにを言いたいのかはわかるよー。ただ、理解はできないって話さ。せっかく生きて帰れそうなのに」
「エルフ人に理解してもらおうなんて思いませんわ。ですが――」
ロレッタがゆっくりと立ちあがる。
「――互いに利益があればそれで結構ではなくて?」
身体の痛みに顔をしかめ、それでも彼女は上品に笑ってずれた眼鏡を押しあげた。
「あのクソ蜥蜴をぶっ殺すのに、協力していただけるかしら、デグランチーヌ」
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