5.人の美しさなんてものはさ

「あたしの身体でよければ、好きなだけ見ていいよー」

 デシーカはにやにや笑うと、艶やかなブロンドを器用にシニヨンにして見せた。

 両腕をあげて頭の後ろに回すような姿になり、なんとも扇情的だ。

 本人もその自覚はあるようで、わざとらしく身体をくねらせる。

 半分に切り落とされた耳をひこひこと動かして、彼女は言った。

「なんなら可愛いハーフエルフちゃんと見せ合いしてもいいぜー?」

「そんな公開処刑はお断りですね」

 イオは口元までをお湯に沈め、ぶくぶくと言った。

 デシーカと自分が並んでいる場面を想像する。

 それこそ美術館に飾られている絵画と、トイレの落書きくらいの差がある。

「イオは自己評価が低すぎだよ」

「デシーカと比べれば、誰だってそうなると思いますよ」

「んっふふ。そんなことはない。人の美しさなんてものはさ、生き様だよ、イオ」

 デシーカが温泉に浸かり、こちらに肩を並べてきた。

「見てくれだけよくたってなんになる? それなら耳を切り落とされたあたしなんて、森の奥深くに引きこもっている白エルフどもからすれば醜悪そのものだよ」

 エルフ人たちの差別意識は、イオだってよく知っている。

 なにせ戦争雑種のハーフエルフは、彼らがこの世界で一番嫌っている存在のひとつだ。

 だが、そんなエルフ人たちですら、デシーカは魅了してしまうのではないかと思った。

 イオが知っているどんなエルフ人よりも、デシーカ・デグランチーヌには惹き込まれそうになる魅力がある。

「それでもあたしが美しいというのなら、それは魂の問題さ」

「……よくわかりません」

「必死に生きてきたかどうかってことだよ」

 デシーカは薄く笑うと、両手ですくったお湯に自分の顔を映した。

「魂を燃やして生きてきた人間はね、イオ。どんな見てくれだって、人を惹きつける。イオだってそうだ」

「わたしはそんな大層なものではありません」

「自分の魅力なんてものは、大体は自分自身では気がつかないものだよ。ふひひー」

「ちょっ……抱きつかないでください」

「いいじゃんかよー」

 デシーカが後ろに回り込んで、ぐいぐいと胸を押しつけてくる。

 背中越しに感じるすべすべの肌と柔らかい二つの感触。

 さらに脇の下から腕を回されて、遠慮なくむにむにと胸を揉まれる。

「おー、イオはキルシェよりおっぱいあるね。着痩せするタイプ?」

「はあ、もう。知らないですよ」

 イオは観念したかのように嘆息した。

「そんなに揉みたいなら、立派な自分のものを揉めばいいと思いますけど」

「自家発電は虚しいんだよー、イオイオ」

「誰がイオイオですか……んっ……」

 吐息とともに、思わず甘い声がもれた。

 デシーカの手つきは優しいくせに、絶妙にいやらしい。

 イオはお湯のなかで無意識に内股になり、もじもじと身体を動かした。

「キミの身体は生き様そのものだね、イオ」

「褒めてもなにも出ませんよ」

「どうやって生きてきたのか、手に取るようにわかるよ」

 イオ・フレシェットの身体は傷痕だらけた。

〈火薬庭園〉でついたものもあれば、その前の悲惨な生活でついたものもある。

「それに〈火薬庭園〉の品質保証。実物を見るのはあたしもはじめてだ」

 ようやくデシーカが胸を揉むのをやめてくれたので、イオは内心ほっとした。

 危うく本当に変な気持ちになるところだった。

「わたしのものは四頭級保証です。〈火薬庭園〉の商品としては最低品質ですよ」

 どうにかしてデシーカから離れようとしつつ、イオは自分の背中にあるタトゥーを思い浮かべた。

 四つの頭をもつ竜とバーコード。

 最高品質を保証するものであれば、竜の頭の数は九つになる。

 それは〈竜の精霊人〉――ドラクル人たちが、自分たちの始祖だと考える九つの頭をもつ竜に由来しており、九頭級の商品ともなればどれくらいの値段がつくのかイオには想像もできなかった。

「〈火薬庭園〉の最低品質なら、どこに出したって恥ずかしくない」

 ほっとしたのも束の間、デシーカが左の耳たぶを甘噛みしながらささやいてくる。

「あたしがオークションに参加していたなら、三億ロンガンなんて惜しくもないよ」

「あっ……んっ……ほかの、商品と比べれば目移りしますよ」

「そうかなー? あたしはけっこう長く生きているけど、イオの目は好きな色だ。こういう目には、なかなか巡り合えない」

 宝石よりも価値がありそうな澄んだ輝きをしているデシーカの碧眼とは違う、濁った碧眼。不純物が混ざって宝石になり損なった石のような色。

 それのどこがいいのだろう。

「イオの目には、生への執念があるよ。あたしはどんな地獄だろうと、生きることを諦めない人間が好きだ。犬ともいえ畜生ともいえ、生きなければなにもはじまらない。主人のために命を捨てるなんてものは、思考停止もいいところだ」

「あなたが、わたしのなにを知っているというのです」

 イオはエルフ人どもからどれだけひどい扱いを受けようと、〈火薬庭園〉の教官たちからどれだけ厳しく躾けられようと、死にたいと思ったことは不思議となかった。

 死んだほうがましだと思えるような人生が自分の運命なのだとしたら、意地でも生きてやろうと思ってきた。

 運命を笑ってやることが、彼女にできる唯一の生き方だった。

 その執念みたいなものが、彼女を世界で二番目に不幸な子どもにしてくれた。

 野垂れ死ぬ前に、〈火薬庭園〉のリクルーターがやってきた。

 落第寸前で踏みとどまり、〈火薬庭園〉を卒業できた。

「んっふふ。まだ全然知らないから、もっと教えてほしいんだよー。はむはむ」

「ちょっ……耳を噛まないでください。んっ……ふ」

 イオの口から変な声が出る。

「とりあえず耳が弱いことはわかった」

 このままだと本当になにか一線を越えてしまいそうな気がする。

 人を呼ぼうかと思い――哨戒に出ているキルシェトルテとルールーを思い浮かべた。

(はあ、もう……)

 呼んだところで意味はなさそうだ。

「デシーカ、いい加減に――」

 力ずくで振り解こうと、イオは拳を握った。

 だが、遠くから聞こえてくる音に言葉をとめる。

 中途半端な長さの尖った耳をひこひこさせて、彼女はいきなり立ちあがった。

「おー、イオイオって毛がな――」

「なにかきます」

 裸を見られることなどお構いなしに、イオは警戒態勢になった。

 自動車のエンジン音と、木々を薙ぎ倒す音がどんどん近づいてくる。

 さすがにデシーカも気がつき、それでも彼女は薄く笑っていた。

「なんだ同業者かよー。いいところだったのに、許さん」

「デシーカは動かないでください」

 自動拳銃は脱いだ服と一緒に置いてある。

 取りにいくべきかどうか。

「すぐにルールーかキルシェがくるよ」

「はい」

 イオは拳を握り、素手でどうにかすることに決めた。

 デシーカから離れるべきではない。

 と――茂みを突き破るようにして、カーキ色に塗装されたごつい四輪駆動車が飛び出してきた。

 ガウロン神聖帝国陸軍の払い下げと思わしきその車両は、イオたちの目の前を猛スピードでとおりすぎ、そのまま温泉に突入する。

 お湯が無数の飛沫となって舞いあがり、雨のようにして降り注いだ。

 まるで派手な噴水だった。

 イオはお湯を浴びながら、その光景を呆然と眺めることしかできなった。

 遠浅の温泉に突っ込んだ四輪駆動車は、そこからうんともすんとも言わない。

 イオとデシーカは顔を見合わせた。

「……なんでしょうか?」

「さあねー。いってみればわかるよ」

「まってください。わたしが先にいきますから」

「んっふふ。イオは飼い主思いで優秀であーる」

「デシーカが無謀なのですよ」

 ざふざぶとお湯をかき分けて、イオは慎重に四輪駆動車に近づいた。

 湯煙のなかに佇む、ごつい軍用車両。

 実にシュールな光景だ。

 さながら戦争と平和を表現した難解な現代アートのような取り合わせだな、とイオは思った。

 車体の死角から接近し、ゆっくりと運転席の様子を覗き込む。

 そこにはよく見知った顔が、ハンドルを握ったまま突っ伏していた。

 突入の衝撃で、意識が朦朧としているらしいことがわかる。

「ロレッタ・イェンじゃんかよー」

 イオに続いてやってきたデシーカが、運転席に突っ伏している女の名前を呼んだ。

 そう、確かに彼女は〈ティンパ商会〉のロレッタ・イェンだった。〈第九〉の課長であり、大小姐ダーシャオチェと呼ばれている女。

 そして、同じく助手席でぐったりしている女を見て、イオはぎょっとした。

「フー師姐シージェ!」

 思わず声が出る。

 そこにいたのは間違いなくオードリー・フーであり、もう少しまともな再会の仕方はなかったのだろうか、とイオは思った。

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