3.丸焼きになりやがれっ!

〈蜥蜴城塞〉は草原フィールドの東端、湿地帯に存在する頑強な洞窟城だった。

 切り立った崖から顔を覗かせる洞窟の巨大な入り口に埋め込まれるかのように、漆喰で白く塗られた石造りの城が鎮座し、内部は洞窟と一体化して複雑なものになっている。

「くそったれ! くそ! 絶対にぶっ殺してやるからな!」

 ロレッタ・イェンはぜえぜえと肩で息をして走りながら、それでも罵らずにはいられなかった。

 長く伸ばしたストレートの黒髪は緩い三つ編みにして、かつてかけていたフレームレスの四角い眼鏡は丸いレンズに変わっていた。

 数年前と比べて普段なら幾分か神経質そうな印象が和らいでいるであろう彼女は、だがいまは鬼の形相だった。

「くそ爬虫類どもが!」

 薄暗い洞窟は頭上まで何十メートルもあり、声が反響して大きく響く。

〈蜥蜴城塞〉は白塗りの城を抜けると、全長数キロにもなる起伏の激しい洞窟が枝分かれしながら続いている。

 多くは自然の地形そのままだったが、一部は根城にしている蜥蜴どもによって石畳やレンガで補強されたり、橋がかけられたりしていた。

 レンガの壁は外の城と同じく総じて漆喰で白く塗られており、蜥蜴のくせに湿気対策なんざ笑わせやがる、と彼女は思った。

「こんなところで、死ねるかよおっ!」

 ロレッタは追われていた。

 正確には、彼女が率いる〈ティンパ商会〉の〈魔法図書塔〉の探索チームがだ。

 ちらりと背後に視線をやる。

 体長二メートルはあろうかという、二足歩行の蜥蜴――リザードマンどもが重たい足音を響かせて迫ってきていた。

 つるりとした丸い頭に爬虫類独特の長く赤い舌。

 暗褐色の身体と青いラインが入った尻尾。

 全員が揃いのプレートアーマーで武装して、右手に丸い盾、左手に刃幅の広い鉈のような剣を構えている。

 数は五体。

 いや、増えてきている。

 本来ならなんということはない相手だが、すでに潰走している際に出会う相手としては最悪だった。連中は複数で活動し、獲物を見つければ次々に応援を呼ぶ。数にものを言わせての狩りはお手のものだったからだ。

大小姐ダーシャオチェ、助け――!」

 背後で部下の叫び声がした。

 続けて肉が切れ、骨が砕ける音。

 振り返ることはしない。

 これで生き残りはあと何人だ?

 丁字路に差しかかり、ロレッタは滑り込むようにして右に曲がった。

 何人かの部下が続く。

「魔法戦闘用意! 〈ムスペル・ジャベリン〉!」

 ロレッタは叫ぶなり、自分でもタクティカルベストの胸元から魔法図書の複製本を引き抜いた。

 帯封を引きちぎる。

 複製本のページが風もないのに勢いよく捲れ出し、記されている〈世界干渉言語〉――ワーズワースが使い捨ての魔法を発動させる。

 理解できない文字が滲み、浮きあがり、消えていく。

 すべてのページが白紙になった複製本を投げ捨てて、ロレッタは右手を握った。

 炎の槍が現れる。

「丸焼きになりやがれっ!」

 丁字路の角から身を踊り出し、力の限り投擲する。


 爆発。


 洞窟内に凄まじい音が反響し、赤黒い炎が燃えあがった。

 爆風と熱波が吹き荒れるなか、ロレッタは続け様に自動拳銃を抜き放ち、狙いを定めることなく連射する。

 一瞬で全弾を撃ち尽くし、スライドが開き切った。

「電ノコもってこい!」

 それは第七次図書塔紛争において猛威を振るった機関銃のことで、連続する銃声が電動ノコギリのようだったことから、敵味方関係なくそう呼ばれている。

 だが、反応はない。

「電ノコだよ!」

 振り返り、彼女は愕然とした。

 何人かの部下がついてきていると思っていたが、そこには一人しかしなかった。

「……大小姐」

 暗く掠れた声でそう呼ばれて、ロレッタはかえって冷静になった。

 目の前の女は恐怖に震えているのではなく、いつもと同じ調子だったからだ。

「んんっ」

 わざとらしく咳払いし、息を吐く。

「オードリー……生き残ったのは、あなただけですの」

「……はい。撤退の途中ではぐれた者もいますが……恐らく助からないかと」

「これは、始末書ではすみそうにありませんわね」

 ロレッタはずれていた眼鏡を押しあげ、品のある声音に戻った。

 いつもと変わらない様子のオードリー・フーを見やる。

 黒い髪を伸ばし放題にして、長い前髪で顔の左半分が隠れてしまっている。

 ひょろりとした体格のせいもあって、どことなく亡霊じみた雰囲気をまとっている女だった。

「塔の探索に犠牲はつきものとはいえ。一〇階で探索チームの一二名が、わたくしたちを残して全滅なんて」

「……大丈夫ですよ。情報をもって帰れば……面子も立ちます。ラウ大人ダーレンも寛大な心でお許しになられるかと」

「そうだといいですけれど」

 かつての特務機関における彼女の上官であり、〈ティンパ商会〉に籍を移してからの上司である男の名前を出され、ロレッタは渋い顔になった。

「……なんにせよ……始末書のことは生還してから考えるべきかと」

「それもそうですわね。この商売、命あっての物種ですし」

 追ってきていたリザードマンは全滅したわけではなく、こちらが反撃したことで少し慎重になっているだけだ。

 恐らく仲間をまっているのだろう。

 ロレッタは自動拳銃の弾倉を入れ替えて、初弾を薬室に送り込んだ。

「わたくしのほうは、もう拳銃だけよ。オードリー、そっちはどうですの?」

「……残弾……一五です。あとは〈ムスペル・カッツバルゲル〉が」

 オードリーはブルパップ式の自動小銃の残弾を確認し、腰のマガジンポーチから魔法図書の複製本を取り出した。

「……一冊」

「こんなことならさっさと撤退すべきでしたわね。複製本を無駄に使いすぎましたわ。ああも通用しないとは」

「……あの状況ではやむを得ないかと。それに……普通のリザードマン相手なら……素手でも二〇体くらいなら殺れますから。大小姐が逃げる時間くらいは稼げます」

「バカを言わないで、曹長」

 ロレッタは、あえてかつての階級で彼女を呼んだ。

 前線豚として野戦砲と魔法図書の複製本による準備攻撃に怯えながら、塹壕にこもって戦場を這いずり回っていたころからの仲だ。特務機関に引っ張られて非正規任務と工作活動に明け暮れることになっても、彼女はずっと側にいた。

 有体に言ってオードリー・フーは血よりも濃い絆で結ばれた戦友であり、いまとなっては唯一の家族のようなものだった。

「こんなところで死ぬことは許しませんよ。わたくしはあなたを助けるし、あなたはわたくしを助ける。なにがあっても」

「……そうでしたね……中尉」

 オードリーが長い前髪を両手で後ろに流し、隠れていた顔の左半分が露わになる。

 少し影がある女優のように整っている顔立ちの右半分とは違い、ひどく爛れた傷跡が広がっている。

 そこにはかつて、ドラクル人の特徴である暗緑色の鱗があった。

 それが剥がされた痕だ。

「……私が捕虜になって……エルフ人どもに尋問されたときも……中尉は助けにきてくれましたらからね。上官の命令を無視して」

「あんなものは尋問ではないでしょう」

 ロレッタは吐き捨てた。

 いやなものを思い出して、この話は終わりだとばかりに小さく頭を振る。

「オードリー、この丁字路で連中に可能な限り損害を与えてから退きますわよ。それで追いかけてくる速度に個体差が出るはず」

 五体満足な個体とそうでない個体とで追撃速度に差が出ると、逃げている側は突出した相手を攻撃しては撤退することを繰り返すことができる。それで数的不利を緩和するのだ。

「……私が敵に突っ込みます。大小姐は援護を」

「退き際を間違えないでね」

「……はい。お任せください」

 オードリーが自動小銃を差し出し、拳を握って見せる。

「……私は銃よりこちらのほうが得意ですから」

「よく知っていますわよ。あなたは銃を捨てて、真っ先に敵の塹壕に突入していきましたものね」

 受け取った自動小銃を構え、ロレッタはリザードマンの様子を窺った。

 案の定、仲間が集まってきているがまだ二〇体には及ばないようだった。

「……では……大小姐……幸運を」

「あなたもね」

 二人は目を合わせ、小さく笑った。

 かつて敵陣の塹壕に突撃するときにそうしていたように。

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