2.説明したって理解できない

「んっふふ。さすが我が社の従業員は頼りになるぜー」

 停車していた四輪駆動車の後部座席のドアが開き、咥え煙草のまま姿を現したデシーカが適当に拍手しながら近づいてくる。

「どうだい、イオ。〈魔法図書塔〉初体験は?」

「どうと言われても……わけがわからないです。一体全体、なんなのです、ここは」

 イオは正直な感想を言った。

 ここはそもそも〈魔法図書塔〉の一〇階だ。

 それが地平線が見えるほどの広大な草原地帯とは。

「あたしだって、こんなところ何百回こようと慣れやしない」

 短くなった煙草を足元に捨てて、デシーカは言葉を続けた。

「〈魔法図書塔〉をつくった神サマだかなんだかは、本当にイカれてるよ。特にこの一〇階以降はね。あたしたちがいた世界とは、別の世界だと思ったほうがいい」

「別の世界……」

「そう。九階まではただの迷宮にすぎないけど、この一〇階からは不定期に変化する広大なフィールド、あんな蜂なんて可愛いと思えるようなモンスターども、そういったあれこれがまち構えているからね」

 まさか〈魔法図書塔〉がこんな代物だったとは。

 イオは勝手に、単なる巨大迷宮だと思っていた。

 実際、デシーカの言うとおり九階まではそうだった。

 この数百年で探索され尽くした九階までの各階はほとんど観光地化されており、入場料を払えば誰でも決まったコースを見学できる。モンスターも出現しないし、ここ数百年、魔法図書の原本が発見されたという報告もない。

「草原はまだ楽かなー。砂漠とか海とかは最悪だったよね、ルールー」

「雪原も大概だったぞ。野営したとき、寒くて死ぬかと思った」

「あー、そこも最悪だったね。キルシェがペンギン可愛いとか言って見にいったら、超凶暴で死にかけたよね」

「あれはデシーカちゃんが見にいかせたんじゃないっすか。話を盛らないで欲しいっす」

「え、そうだっけ?」

「そうっすよ!」

 まるで街中のカフェでお茶をしているような雰囲気で、三人は朗らかに笑っていた。

 イオだけはまったく笑う気になれずに、こめかみの辺りを押さえていた。

 頭が痛くなってきた。

「だから言ったじゃんかよー。〈魔法図書塔〉は説明したって理解できない。体験するのが一番だって」

「確かにそうですが」

 イオは探索の前に、デシーカから〈魔法図書塔〉がどういうものかについては、基礎的なレクチャーを受けてはいた。

 人間たちの絶え間ない欲望によって、迷宮階層と呼ばれている〈魔法図書塔〉の九階までは丸裸にされている。

 一〇階以降は業界では異世界階層と呼ばれており、明らかに塔の直径よりも広大なフィールドになっている。

 そして、様々なパターンが存在し、不定期に入れ替わる。

 いま、一〇階は草原になっているが、次に訪れたときにはどうなっているかわからない。

「この一〇階からが本番だよ、イオ」

 その言葉のとおり、一〇階以降を探索するには図書塔紛争の当事国の代表者によって構成されている〈図書塔都市〉の管理委員会に高額のエントリー料金を支払う必要があった。

 無謀な探索をさせないため、というのが管理委員会の言い分だが。

 規定の金額さえ払えば素人でもエントリーできるため、単なる金儲けだと言われ続けている。

「とはいえ、草原フィールドはクルマでの移動ができるからラッキーだよ」

 デシーカが薄く笑い、折り畳んだ地図を四輪駆動車のボンネットに広げた。

 それは彼女が草原フィールドと勝手に命名している自作の地図である。

 驚くべきことに、デシーカは不定期に切り替わるフィールドのパターンにあわせて地図をつくっていた。どれだけ〈魔法図書塔〉を探索すればそんな知見が貯まるのか、想像もできない。

「はいはい。みんな集合」

 デシーカの周りに集まり、地図を見る。

 イオは素朴な疑問を口にした。

「電子媒体にすればいいのでは?」

「データ自体はもちろんあるよー。でも、塔にもち込んで端末が壊れたら最悪なんだよ。ここはネットも携帯電話もつうじないし、充電もできない未開の地だからね。結局は紙媒体がいいんだよ」

 煙草売ってるコンビニもないしね、とデシーカはつけ加えた。

「さて。転送ゲートを出て速攻で蜂に見つかるという不運はあったけど」

「ひひ。縁起悪いっす」

「デシーカ、さしあたり上階への転送ゲートがある〈蜥蜴城塞〉を目指すか?」

 サーベルを鞘に納めたルールーが、地図に記されている〈蜥蜴城塞〉とやらを指差す。

 草原フィールドの地図には、ほかにもいくつかの地名らしきものが記されていた。

 イオは探索の前に受けたレクチャーの内容を思い出した。

〈魔法図書塔〉の一〇階以降は広大なフィールドにいくつかのダンジョンが点在している、というのが基本的な構造になっている。

〈蜥蜴城塞〉というのも、そういったダンジョンのひとつなのだろう。

 運がよければそのダンジョンに魔法図書の原本が封印されている、というのが業界での共通認識だった。

 各フィールドのダンジョンも大抵は探索され尽くしているが、階が変わると同じフィールドでもダンジョンの位置や構造、モンスターが変化し、新しい魔法図書の原本が見つかる場合がある。

 あるいは、発見されていないダンジョン、まったく新しいフィールドが現れる。

 ゆえに探索者たちは〈魔法図書塔〉の上階へと登り続ける。

 未知のフィールド、未踏のダンジョン、新しい魔法図書を目指して。

 そして――大半は家畜のように死ぬ。

「一気に二〇階にいくのですか?」

「そうだよー。あたしの最高記録はなんと二五階だからね。二〇階までは転送ゲートでいける」

 この一〇階にも、イオたちは一階にある転送ゲートを四輪駆動車に乗ったまま潜ってやってきた。

〈魔法図書塔〉には階段が存在せずに、転送ゲートと呼ばれている門を潜ることで各階の移動が可能になる。

 通常は一階ごとに順番に移動するのだが、訪れた階層が一〇を数えるごとに、ショートカットが可能な親切設計なのだとデシーカは言っていた。

 一階→一〇階→二〇階、という具合である。

「ひひ。〈蜥蜴城塞〉か。あいつら集団になると、ちょっと手強いからいやなんすよね」

「あいつら?」

 キルシェトルテの何気ない言葉に、イオは眉をひそめた。

「リザードマンっす」

「は? リザードマン……!?」

「うむ。左利きなのが厄介だな」

「え? そういう反応なの?」

 生真面目な顔で同意するルールーに、イオは肩を落とした。

 ダメだ。

 自分の常識はここでの非常識。

 会話でさらりとリザードマンとかいう単語が出てきたところで、誰も疑問を抱かない。

「リザードマンは見た目が気持ち悪いから、あたしもあんまり好きじゃないなー」

 デシーカは地図を見ながら、新しい煙草を咥えて火をつけた。

「〈蜥蜴城塞〉までは距離があるから、途中で野営しよう。温泉湖がある」

「賛成っす。デシーカちゃん、一緒に入ろう。ひひ」

「えー、どうしようかな。イオと一緒に入ろうかなー」

「え、わたしですか?」

「新入社員とスキンシップ取りたいじゃんかよー」

 デシーカが腕を組んでくる。

 振り払うこともできずに困惑していると、

「じゃあ三人でいいっす! ってか、イオちゃんともぜひ入りたい。うひ」

 キルシェトルテも反対の腕を組んでくる。

「エロい顔してるなよー、キルシェ」

「いやいや、後輩とのスキンシップじゃないっすか」

 白エルフと黒エルフに挟まれて、イオはただ嘆息した。

「わたしにはそういう趣味ないから」

「イオさえよければさ、男より超気持ちよくしてあげるよ」

 デシーカが耳元で甘くささやいてくる。

「マジで半端ないっすよ」

 キルシェトルテも反対側からささやいてくる。

「はあ、まったく……」

 ルールーと目が合って、イオは肩をすくめるような仕草をした。

「こういうとき、どうしたらいいわけ?」

「む」

 すると彼女は数瞬だけ考え、生真面目な顔で言った。

「私は男でも女でもいけるぞ」

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