6.トレンチエルフ
「黒い森の奥深く♪ 耳長王の足元で♪」
高級ホテルの一室に、音程の外れた歌声が響いていた。
「僕らはまた会えるだろうか♪ 君の歌声を忘れないでおこうと♪」
それはキルシェトルテが第七次図書塔紛争で塹壕にこもっていたころ、ラジオからよく流れてきていた歌謡曲で、戦友たちは誰も彼もが歌ったものだった。
「心に決めて旅立ったのはいつだろう♪ 砲声のなかにも歌声が聞こえる♪」
血溜まりを踏んでしまったブーツの靴底が、彼女が歩く度にギチギチと音を立てて床に赤い靴跡を残していく。
「けれどいつか忘れてしまいそうだから♪ 手紙と一緒に届けておくれよ♪」
いつものトレンチコートを着て、手にしているのは銃身を切り詰めたポンプアクション式のショットガン。
眼前にはドラクル人の男の死体が、二人分転がっていた。
「耳長王の足元で♪ 勲章をつけてきっと会おう♪」
この部屋からセントラルブリッヂを狙っていた、スナイパーとスポッターだ。
腹部に散弾をぶち込まれて、悶絶しながら死んだ。
「ああ、アールヴ♪ 愛しいアールヴ♪」
突撃した塹壕で、無数に転がっていた死体を思い出す。
「ひひ」
地獄のような塹壕戦で、戦友の多くは勲章をつけることもなく死んだ。
何日間も続く野戦砲と魔法図書の複製本による攻撃、戦闘ヘリによる歩兵狩り、電動ノコギリのような機関銃の掃射音、投げ込まれた手榴弾を投げ返して味方の死体を盾に突撃する。
なにもかもが懐かしく、二度と思い出したくもない。
それでもなぜか、この曲を歌ってしまう。
あの戦争は一人の兵隊には勝利も名誉もなかったが、塹壕戦を生き残ったことだけは誇らねばならなかった。戦友たちのためにも。
この歌はその経験の証明のようなものだ、とキルシェトルテは思った。
ご機嫌な様子で携帯電話を取り出すと、馴染みの情報屋の番号を呼び出す。
ワンコールで相手が出た。
少し低い女の声で、独特の訛りがある。
『もう! ええ加減にせえよ。うちの情報は、ホンマはものごっつ高いねんぞ!』
「うるさいっすよ、ロクサーナ。お前はデシーカちゃんに恩があるんだから、永久無料ポイントで料金はタダっす。デシーカちゃんに奉仕する幸福な人生」
『勝手なサービスをつくんなや! あと、うちの人生返せ!』
情報屋はぶつぶつと愚痴をこぼしていたが、電話を切らないあたりは自分の立場をよくわかっている。
黒エルフ独立派に納品する魔法図書の複製本が狙われているという情報を寄越したのも彼女だったし、スナイパーの配置を街中の監視カメラをハッキングして割り出すのだってお手のものだ。
キルシェトルテは彼女の情報をもとに新市街を回り、すでに二組のスナイパーとスポッターを排除していた。
情報屋を信じるなら、あとは一組。
「残りは見つかったんすか?」
『メールで送る。あとな、あんたを妨害するためにホテルの一階から五人向かっとんで』
「ひひ、時間優先で派手にやったっすからねえ」
『ロハで教える情報は、もうホンマにこれで最後やからな。二度と呼び出さんといて』
「それは呼び出してくれっていうフリっすか?」
『なんでやねん! 言葉のとおりや、アホ!』
こちらの返事をまつことなく、電話は切れた。
同時にメールが着信する。
住所だけが書かれている簡素な内容だった。
キルシェトルテは携帯電話をトレンチコートのポケットに放り込むと、そっと唇を湿らせた。
「五人か……五人ねえ。どれくらいやれるんすかねえ」
どんよりとした碧眼に鈍い光を灯し、陰気な笑みを浮かべる。
敵はエレベーターと階段の二手に別れてここを目指してくるはずだ。
迂闊に動くと挟撃されるが、分散しているうちに各個撃破するという手もある。
「さて」
数瞬だけ熟考し、キルシェトルテはこの部屋で迎撃することにした。
五人いるとしても、ひとつのドアから同時にエントリーすることはできない。
鍵をかけ、室内のソファやテーブルをドアの前に移動させてバリケードをつくる。
「なんて高級家具。デシーカちゃんが泊まってたホテルとは大違いっす」
ショットガンのチューブマガジンに、手慣れた様子でショットシェルを装填していく。
対人用のダブル・オー・バック。
塹壕でこいつを使われた日には、逃げ場もなく難儀したものだった。
目を閉じて、微動だにせずにまつ。
ドアの前に人の気配がした。
瞬間。
猛烈な銃声が響いた。
ドアに無数の穴が開き、バリケードにしているテーブルやソファがぐちゃぐちゃに削り取られた。だが、短機関銃の弾丸ではキルシェトルテまでは届かない。
同時にドアが蹴破られるが、バリケードが邪魔をして開き切らなかった。
こちらが準備万端でまち構えているのは予想外だったのだろう。
なにかを罵る複数の声が聞こえた。
「今度はわたしの番っすね」
キルシェトルテはショットガンを構えるなり、すかさず引き金を絞った。
腹の底に、重たい銃声が響く。
散弾がバリケードとドアをぶち抜いた。
ポンプアクションを繰り返し、続け様に発砲する。
空になったショットシェルがリズムよく吐き出されていく。
部屋に突入されないように敵を釘づけにしつつ、キルシェトルテは七発を撃ち切ったところでトレンチコートのポケットから文庫本を取り出した。
魔法図書の複製本。
〈D&D魔法通商〉のロゴが入った帯封を切る。
「ひひ」
風もないのにページが勢いよく捲れ出す。
原本からコピーされた解読不能の〈世界干渉言語〉――ワーズワースが、水に濡れたかのように滲み、浮きあがり、消える。
すべてのページが白紙になり、一回使い捨ての魔法が現実のものになる。
キルシェトルテは用済みになった複製本を投げ捨て、右腕を突き出した。
彼女の右腕を取り囲むように、短剣ほどの長さの炎の杭が六本現れる。
続け様――猛烈な勢いで次々に六本が撃ち出された。
散弾でズタボロになったバリケードやドアどころか、廊下を挟んだ向かいの部屋も――炎の杭は着弾するなり容赦無く爆砕した。
ずずん、という地響きにも似た振動。
ホテルのフロア全体が揺れる。
炎が渦巻き、猛烈な熱風が吹き荒れ、窓という窓のガラスが砕け散った。
火災警報がけたたましく鳴り響き、作動したスプリンクラーが天井から猛烈な勢いで水を撒き散らした。
「いやはや、〈ソラス・リボルヴァ〉の威力は半端ないっす。もっと売れればいいのに。やっぱり射程が短いのがネックっすよね」
スプリンクラーのせいでずぶ濡れになった髪をかきあげて、キルシェトルテはすっかり風通しのよくなった前方へと視線をやった。
あらゆるものが爆砕されて黒焦げになり、大穴の空いた向かいの部屋の壁からは青い空が見えている。
新しいショットシェルをチューブマガジンに装填しながら廊下へと歩を進めると、三人の男が転がっていた。
二人は黒焦げになっており、完全にこと切れている。
死体がない二人はドアの正面にいたのだろう。〈ソラス・リボルヴァ〉で跡形もなく吹き飛んだに違いない。
辛うじて息のある男が、こちらの姿を見て掠れた声をもらした。
「トレンチエルフ……」
「おや、ひひ。その呼び方を知ってるなんて、おじさんは塹壕童貞じゃないんすね。感激っす」
この男はどこかの戦場で、同じトレンチコートを着たエルフ人と戦ったことがあるのだろう。
ひょっとしたら、自分がいた部隊だったのかも知れない。
「殺し殺されは戦場の流儀。恨みっこなしっすよ」
男は口をパクパクと動かして喘ぎながら、祖国の言葉を吐いた。
『くたばれ、淫売のクソエルフが』
「ドラクル語じゃあ、なに言ってるかわからないっすよ」
キルシェトルテはその男に、容赦なく散弾を撃ち込んだ。
広がっていく血溜まりを踏み締めて、彼女は再び歌いはじめた。
音程は、相変わらず外れている。
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