5.おじさんとのお喋りは趣味じゃないかな

 セントラルブリッヂは片道二車線の自動車道と、橋の左右に設けられた歩行者用の遊歩道からなる巨大なコンクリート橋で、風情とは無縁で頑強で無骨そのものだった。

〈魔法図書塔〉を中心に広がった混沌とした旧市街と、川を挟んで高層ビル群が広がる新市街を結ぶ橋としては、実用性一辺倒で十分だからだ。

 現にいまも、様々な国でつくられた自動車がいき交っている。

 それはこの世界の縮図である〈図書塔都市〉ならではの光景と言えた。

「きましたね」

 そう言ったイオは、橋の中央付近の遊歩道でシーガーと二人、欄干に背をあずけていた。

 黒塗りの車が近くに停車する。

 助手席側のドアが開いて、女が颯爽と姿を現した。

 その女が、名前だけは誰でも知っている〈エルフの魔法商人〉だとすぐにわかる。

 ぞっとするほどに美しいな、とイオは思った。

 雑種の自分とはなにもかもが違う、本物のエルフ人。

 ただ、噂のとおり両方の耳は切り落とされて半分になっている。

 ちょうどイオの耳と同じくらいの長さだ。

 それがデシーカ・デグランチーヌの近寄り難い完璧な美貌を台無しにしている代わりに、どこか親近感をもたせるものになっている。

 人は誰しも、他人の欠点を見つけて安心したい生き物だからだ。

 もし彼女の耳が長いままだったなら、誰もが無意識に敬遠してしまうだろう。ときに胸襟を開き、ときに腹を探り合う商売には不向きだったに違いない。

「見ろ、ガルー人だぜ」

 そう言ったシーガーは、視線だけを運転席に向けていた。

 人狼の女が運転席側のドアを開けて姿を見せる。

 一見すると秘書のような格好をしたその女は、勢いよくドアを閉めるなりデシーカ・デグランチーヌを追いかけるようにして後ろについた。

 銀灰色の髪に獣耳。

 なにより目につくのは、腰から提げているサーベルだった。

「普通の秘書なわけねえよな?」

「ジェヴォーダン王国の突撃浸透大隊あがりかも知れませんね。サーベルは突撃兵の象徴です」

「よく知ってるさ。塹壕戦の申し子ども。おっそろしいねえ、くそったれが」

 シーガーは髪を撫でつけて、低く笑った。

 ガルー人の特徴は強靭な身体能力と凄まじいタフさで、機関銃の掃射ですらものともしない。

 彼らの国家であるジェヴォーダン王国の突撃浸透大隊と言えば、とりわけ屈強なガルー人の兵士によって編成されたエリート部隊だ。

 過去の図書塔紛争において、何重もの分厚い塹壕線をそのタフさと機動力による抜剣突撃、魔法図書の火力でもって錐状の穴を開けるようにして同時多発的に突破する役目を担った。

 無数の小さな穴を穿たれた戦線はズタズタに引き裂かれ、後続の部隊がそこに殺到するに至り崩壊する。

 彼らに遭遇した兵士たちは、ドラクル人であれ、エルフ人であれ、群狼戦術と呼んで恐れたものだった。

『はじめまして、ウォン先生シンサン。デシーカ・デグランチーヌと申します』

 こちらに近づいてきたデシーカが、飛び切りのつくり笑顔で名刺を差し出してくる。

 流暢なドラクル語だった。

『ドラクル語がお上手ですな、小姐シャオチェ。ただ、共通語で結構。私も発音が随分と錆びついてましてね』

「んっふふ。そうですか。助かります。ドラクル語は難しいので」

 シーガーは受け取った名刺を、しげしげと眺めた。

「住所も連絡先もないんですなあ」

「あたしに会いたいという人間は、放っておいても勝手に連絡してきます。あなたのように」

「それは失敬。確かにこうして会うには随分と骨が折れましたよ、ミス・デグランチーヌ。おっと、生憎と私の方は名刺を切らしてましてね」

 受け取った名刺をスーツの内ポケットに差し込むと、シーガーは暗緑色の鱗が見え隠れする右手を差し出した。

「シーガー・ウォンです。ご存じでしょうがね」

「もちろん。知りたいことは知っています」

 貼りついたような笑顔のまま、デシーカがその手を取る。

「幽霊ではないようで安心しました」

「足がないとでも思っておられましたかな?」

 シーガーがそう言ってからこちらを見てくるので、イオは小さく嘆息すると前に進み出てもっていた紙袋を軽く掲げた。

「手土産です」

「おー! マギーカフェのエッグタルト!」

 紙袋に印字されているロゴを見て、デシーカが嬉しそうに笑う。

「これなかなか買えないんだよね。ありがとう、ハーフエルフちゃん」

「ハーフエルフちゃん……」

 イオは自分に向けられる視線に少し戸惑った。

 どちらかというと好意的なものだったからだ。

「ハーフエルフちゃん、あたしとお仲間だね」

「は?」

「耳の長さ。一緒じゃん」

 デシーカは半分の長さしかない耳をひこひこ動かした。

「半分耳仲間」

「……」

 純血のエルフ人がハーフエルフに向ける視線は、普通は二種類しかない。

 軽蔑か、あるいは無関心かだ。

 だから、イオはどう返していいのかわからずに沈黙した。

「無視するなよー」

 デシーカは言葉とは裏腹に特に気にした様子もなく、紙袋を受け取るなり人狼の女にはしゃいだ様子で捲し立てた。

「ルールー、エッグタルトもらっちゃった。旧市街のドラクル人街にあるマギーカフェ。行列で、ちっとも買えない店のやつ」

「この前、キルシェが買いに行かされて売り切れていたやつだろう」

「そうそう。あとでみんなで食べよう。すげー美味しいんだから」

 半分しかない耳をひこひこと動かして、彼女は明るく笑った。

「実にいいものをもらっちゃってなんですけど、ミスタ・ウォン。ついでに頭を狙っているスナイパーを撤退させてくれたりしません?」

「さすがにお見通しですか。だが、そりゃあ無理な話ですなあ。脅しておかないと、話を聞いてくれそうにない」

「そうですよねー。参ったな」

 そう言った彼女は、ちっとも参っていなさそうだった。

 まるで掴みどころがないな、とイオは思った。

 ころころと変化する表情は、どれも本物ではない気がした。

 次の瞬間には頭を吹き飛ばされるかも知れないという状況を自覚していながら、エッグタルトにはしゃげる神経が理解できない。

「なら仕方ない。あなたのペースで話をするとしましょうか」

 微苦笑を浮かべ、デシーカは声のトーンを低くした。

「弊社の大切な商品を拾ってくれたそうで感謝します。いくらで買い取ることをお望みですか。三億ロンガン?」

「俺の借金もお見通しとは。まったく恐れ入るぜ」

「んっふふ。なんなら倍額出してもいい」

「おっと、そいつはなんとも魅力的な話ですなあ」

「落としものがきちんとクライアントに届かないと、弊社の信頼に傷がついてしまう。信頼を金で買えるなら安いものです」

 嘘だな、とイオは思った。

 デシーカ・デグランチーヌはスナイパーを排除したら力づくで取り返しにくる。

 そういう女だ。

 シーガーも同じことを思ったらしく、彼は声を押し殺して笑っていた。

「いやはや。〈エルフの魔法商人〉は、そんな甘い女じゃねえだろう。だが、残念だったな。俺はあんたの顔を拝んで話を聞いてみたかっただけさ。だからもう、ブツはねえ。売った」

「は?」

 その言葉はさすがに予想外だったのか、デシーカがきょとんとした表情を浮かべる。

「売った? 商品を別の誰かに? なに、もう手元にないってこと?」

「ないね」

「はーっ!? バッカじゃないの! 信じられない! ウソでしょ!? これでもう取引がパーじゃんかよー」

 デシーカは両手で頭を抱えて、怨嗟のこもったうめき声をもらした。

「もー、ここ最近で一番無駄な時間だよ。ルールー、帰ろう」

「そうはいかねえのよ」

 本当に帰ろうとするデシーカの足元で、コンクリートが派手に爆ぜた。

「っ……!」

「あんたのお仲間は、スナイパーをまだ排除し切れていない。次は頭を吹き飛ばすぜ? モノがあろうとなかろうと、あんたはしばらく俺とお喋りするんだよ」

「うーん、おじさんとのお喋りは趣味じゃないかな」

 そう言ってこちらに向き直ったデシーカは、薄く笑っていた。

 腕を組み、別人のように冷え冷えとした雰囲気になる。

 吸い込まれるような碧眼に、イオは魅入られてしまった気がした。

「そう言うなって。俺が配置したスナイパーが排除されるまでの時間さ」

「あたしは強引なやり方も嫌いじゃないんだ」

 デシーカはちらりと人狼に視線をやり、

「ルールー」

 と、彼女の名前を呼んだ。

 それを合図にして、背後に控えていた人狼が前に出る。

「イオ、ガルー人と遊んでろ」

「了解です」

 シーガーに促され、長身の人狼を見やる。

 彼女はこちらを値踏みするかのように、銀灰色の瞳に鈍い光を灯していた。

 サーベルを抜く気配はない。

 ガルー人の膂力をもってすれば、ハーフエルフの首をへし折ることくらい造作もないことだ。

(せいぜい私を甘く見て欲しいものだけれど)

 イオは胸中で独りごちた。

 人狼とまともに殴り合うのは自殺行為だ。

 だから、先に仕掛ける。

 彼我の距離を一完歩で詰められるな、とイオは思った。

 思った瞬間――相手が先に動いていた。

(はや……!)

 舌打ちする暇もない。

 眼前には姿勢を低くして遊歩道の石畳を蹴った人狼の姿がある。

 獲物を狩る獣のように、鋭い眼光がこちらを捉えている。

 右手が腰のサーベルの柄を握っていた。

 相手はどんな雑魚だろうと、全力で叩き潰しにくる生真面目なタイプのようだった。

 イオは退くのではなく、反射的に踏み込んだ。

 左肩から衝突するようにして、身体をぶつけにいく。

 ごっ、という生々しい衝撃音。

 全身の骨が軋むのを、イオは感じた。

 お互いが吹っ飛ばされるところをこらえ、ほとんど密着するような距離になる。

 抜剣を封じられた人狼は、すかさず左足を大きく引いて重心をずらした。

 右腕を振り抜けるわずかな距離をつくるなり、帯剣ベルトの留め具を外し、サーベルを鞘ごと横薙ぎにしてくる。

 殴打されたら骨くらい簡単に砕ける。

「しっ!」

 イオは鋭い息を吐き、鞘を受けるのではなく右手の掌底でかちあげた。

 サーベルごと右腕をはねあげられて、人狼の懐ががら空きになる。

 同時に腰を低く沈め、右足を滑らせるようにして踏み込んだ。

 半身になり、左拳を握る。

 つま先から連動して動く、精密機械のような全身の筋肉の動き。

 それを無意識のうちに意識する。

 身体のなかで発生して大きくなっていく運動エネルギーを、一点に導き作用させる。

 全身を流れる水銀のようなものが細い道をとおって収束し、解き放たれるイメージ。

 イオは密着した状態から、左拳を人狼の腹部に打ち込んだ。

 ずどん、という鈍い衝撃音。

「っ!?」

 ぎょっとした表情を浮かべた人狼の身体が宙に浮き、派手に吹き飛ぶ。

 そのまま停車している高級車――デシーカたちが乗ってきたものだ――のボンネットに激突し、金属がひしゃげる耳障りな悲鳴が響いた。

 フロントガラスに蜘蛛の巣状のひびが走り、一瞬にして台無しになる。

「ちっ」

 イオは思わず舌打ちした。

 分厚いゴムを殴ったような感覚が左手に残っている。

 大して効いてなさそうだ。

 その予感のとおり、人狼が平然と身を起こした。

「ドラクル人の拳法か。ハーフエルフのくせに奇妙な技を使うものだ」

「人狼のタフさには呆れるわ」

 イオは深々と嘆息し、視線だけをシーガーに向けた。

 彼は肩をすくめただけだった。

 一方で、デシーカは愉快そうに笑っていた。

「へー。三億ロンガンで買ったのは、一個小隊ではなくてハーフエルフちゃんだったか。うちのルールーとどこまでやれるかな」

「まったく……」

 小さく頭を振る。

 人狼と遊ぶのは骨が折れそうだ、とイオは思った。

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