4.アットホームな職場だからね

〈図書塔都市〉の中央にそびえ立つ〈魔法図書塔〉は、文字どおり天まで届く威容だった。

 円錐形の構造をした巨大な建造物は、近年の計測では地上部分の直径は一四八〇メートル、高さは四九八〇メートル。

 現在のところ二七階までは確認されているが、最上階が何階になるのかはまったく不明だ。

 厄介なのは塔のなかは計測された直径よりも明らかに広大な空間が広がっているし、一〇階以上になると不定期に内部構造が変化するということだ。

 そのうえ魔法図書の原本は必ず各階にあるとは限らないし、伝説やおとぎ話の類でしか名前を聞かないようなモンスターがうようよと徘徊しているときた。

 まさに人々から魔法の力を取りあげたという神――だかなんだか――は実在したのだと、そう信じるよりほかはない代物だった。

「二五階でドラゴンに遭遇したときは焦ったなあ。マジのマジで死ぬかと思ったよ」

 ガラス張りの高層オフィスビルが建ち並ぶ新市街の中心地。

 最上階に居を構える〈D&D魔法通商〉の事務所からは、〈魔法図書塔〉がよく見えた。今日もどこの誰とも知らない連中が無謀な挑戦をし、容赦なく死んでいるのだろう。

 デシーカは火のついた煙草を咥えて、社長室の窓から塔を眺めていた。

 さすがに下着姿ではなく、寝ぐせも直っている。

 丈の短いプリーツスカートにジャケットというシンプルな格好は、彼女の素材そのもののよさを引き立てているかのようだった。

「ひひ。あれはエグかったす。ってか、デシーカちゃんがわたしを囮にして見殺しにしようとしたの、いまでも忘れてないっすからね」

 応接用のソファに座っていたキルシェトルテが唇を尖らせて言ってくる。

 デシーカは視線を窓の外から室内へと移し、咥えている煙草をひこひこさせた。

「だからー、それは謝ったじゃん」

「いやいや、謝ってすむ問題じゃない。わたし、ドラゴンのエサになりかけたんすよ」

「そんなこと言ったら、社員は社長のために犠牲になるのが世の理ってものよ」

「パワハラのなかのパワハラみたいな発言っす!」

「えー、なに、給料減らすよ?」

「ひどい!」

 それで話は終わりだとばかりに、デシーカはデスクにある灰皿に煙草を押しつける。

 キルシェトルテは半眼になってパワハラ上司を睨むと、室内にいる同僚に助けを求めた。

「ルールーもこの理不尽な扱いになにか言ってほしいっす」

「相変わらず二人は仲がいいな」

「その目は節穴っすか?」

「む。視力は五・〇ある」

 ルールーと呼ばれた女は、生真面目な声でそう答えた。

 少し癖のある銀灰色の髪をポニーテールにし、同じ色の瞳は鋼鉄の輝きだった。

 デシーカよりも頭ひとつ分は高い身長に、抜群のスタイル。

 なによりも特徴的なのは、頭のうえにひょっこりとある犬のような耳だった。

 彼女――ルールー・ヴィスクレバレに言わせれば、それは狼の耳である。

〈灰色狼の精霊人〉――ガルー人。

 あるいは人狼と呼ばれる人々。

 ルールーはタイトなパンツスーツをきっちりと着こなしており、一見すると秘書のようにも見えた。だが、腰にある帯剣ベルトからは細身のサーベルが提げられていたし、鍛えられた筋肉質な身体と隠しようもない剣呑な眼光は、軍人か警察官のそれだった。

「んっふふ。うちはアットホームな職場だからね」

「私もデシーカと同意見だ」

「それ、ブラック企業がよく言うやつっす!」

 キルシェトルテは立ちあがって地団駄を踏んだ。

「あのときはさ、ルールーがドラゴンを追い払ってくれなかったら本当に危なかったよ」

「造作もない、と言いたいところだが。正直、二度とごめんだ。できれば人員を増やしてほしい」

「塔の調査要員はさ、一応ずっと募集はしてるんだけどね。求人雑誌や求人サイトに高いお金払ってさ。でも、採用してもすぐに辞めちゃうし。まー、ドラゴンに再会したときは、キルシェの尊い犠牲で助かる予定だから大丈夫だよ」

「もうそれ以上言ったら泣くっす。本当に泣く」

「ウソウソ。ごめんて」

 デシーカは本当に泣きそうになっているキルシェトルテに近づいていくと、彼女をがばっと抱きしめた。

 お互いの頬をくっつけると、耳元でささやく。

「あたしが親友のキルシェを見捨てるわけないじゃん」

「うひ。デシーカちゃんの肌すべすべ」

 甘い声に、キルシェトルテが恍惚とした表情を浮かべた。

 デシーカは服のうえからルシェトルテの小ぶりな胸に触れ、ゆっくり、優しく、手を動かす。

「あ、ちょ、デシーカちゃん」

「また時間つくるから、久しぶりにデートして、気持ち良いことしようね」

「ヤバ、想像しただけでイキそうっす」

 キルシェトルテはへたり込むようにして、ソファに座った。

「ちょろ〜」

 くすくすと笑い、デシーカは茶目っ気たっぷりにウインクする。

「それで、ルールー。奪われたあたしの商品を拾ってくれたっていう、ありがたい御仁はどこのどいつなの?」

「この男だ」

 クリップボードに挟んだ資料を、ルールーが差し出してくる。

 そこにはシーガー・ウォンなる男の素性や経歴が簡潔にまとめられていた。

「ドラクル人か」

 資料に目をとおしたデシーカは、小首を傾げた。

 この男は競合である武器商人の類でもなければ、ときに利害が対立する犯罪組織の構成員というわけでもない。

 一方的な正義感や都合で彼女の身柄を拘束したり、利用したりしようとするどこかの国の工作員でもない。

 あまりにも接点がなさすぎて、こんなことをする意味がわからなかった。

「フリーのジャーナリスト? 胡散臭いなー」

「三流紙にしか寄稿していない。だが、デシーカ、お前のことを調べていたようだ。取材と称して、いろいろと聞き回っていた形跡はある」

「会いたいからって商品強奪する? 普通にアポ取ってよ」

「お前は基本的に口利き以外は会わないだろう。名刺に連絡先はないし、この事務所にいることだって珍しいのだからな」

「まー、そうなんだけれども」

 眉間に皺を寄せて、デシーカは低くうなった。

 ジャケットのポケットから新しい煙草を取り出して火をつける。

 肺を紫煙で満たし、大きく息を吐いた。

 シーガー・ウォンの資料について気になることがあるとすれば。

「ジャーリストを名乗る前の経歴がない?」

「正確には、死人の経歴ならある」

「へー、ますます胡散臭い」

 デシーカは資料をめくった。

 そこにはルールーが言うところの死人の経歴が並んでいた。

「第七次図書塔紛争に従軍……最後の所属はガウロン神聖帝国陸軍の領域横断特別任務作戦部隊。狐の隊旗と赤ベレーの精鋭部隊じゃんかよー」

「そして見てのとおり、停戦の半年前に戦死している」

「じゃあ、うちの商品を拾った男は幽霊ってことかな」

「幽霊か。もしそうなら、どう対処すればいいのか検討もつかない」

「ふひ。真面目か」

 ルールーの反応に思わず吹き出し、デシーカはくすくすと笑った。

 現実的には、なんらかの理由で書類上は戦死したことにされているのだろう。

 だが、普通はそういった場合は別の名前と経歴を与えられるはずだ。

 それが死人の名前をそのまま名乗っているというあたり、むしろ自分は生きているのだと主張しているようにも思えた。

「それにさー、一ヶ月前に〈ティンパ商会〉から三億ロンガン借金してる。こんな額、なにに使うわけ?」

 ロンガンはガウロン神聖帝国の通貨であり、世界の基軸通貨だ。

 三億などという金額は、世界で最も物価が高い〈図書塔都市〉で働く会社員の生涯賃金に等しい。普通に暮らしていれば、一生お目にかることのない数字だ。

「武力を買ったのだろう。この男が幽霊ではないとして。いくら腕に覚えがあるとしても、一人で輸送車の護衛を皆殺しにしたうえ、複製本を奪取できるとは思えない」

「三億ロンガンあればフル装備の一個小隊だって雇えるし」

 デシーカは苦笑した。

〈ティンパ商会〉はガウロン神聖帝国を代表する世界的な総合商社であり、同時に黒い噂が絶えない企業でもある。

 体裁は民間企業だが、その実はガウロン神聖帝国の陸軍情報部と深いつながりがあるとか、犯罪組織まがいのことをしているとか、そういう噂だ。

 そして、それは概ね正しいことをデシーカは知っている。

 ドラクル人の気質もあって同胞には寛大で、コネがあれば色々と面倒を見てくれる企業でもある。もっとも、決して無償の善意ではなかったが。

「要求は落としものを買い取ってほしいって?」

「直接会って交渉したいと。指定場所はセントラルブリッヂ。時刻は正午」

「お昼じゃん。ランチ食べろよー」

 デシーカは腕時計を見た。

 あと三時間くらいしかない。

 セントラルブリッヂは〈図書塔都市〉の新市街と旧市街をつなぐ全長三〇〇メートルの道路橋で、日中は交通量もかなりある。

 お互いに荒事は仕掛けにくい環境には違いないが。

「さすがに真昼間に一個小隊がまち構えているなんてことはないと思うけど、スナイパー配置してそうじゃない?」

 真っ直ぐに伸びる橋のうえにいれば、新市街の高層ビルから簡単に狙いをつけられそうだった。

 ルールーが無言でうなずくので、デシーカはうなった。

 彼女の立場からすれば指定された場所にいくしかないが、スナイパーに頭を吹き飛ばされるという無言の脅しを受け続けるというのは、気持ちがいいものではない。

「ぐぬぬー」

 目を閉じて、こめかみに両手を当てる。

 煙草がフィルターまで短くなって、彼女は慌てて火を消した。

 正面切っての殴り合いのほうが話は早いが、相手にその気がないのなら獲物を見つける狩りをするまでだ。

「キルシェ、先行して地均しをお願い」

 デシーカはソファに座っている黒エルフに視線を向けると、手刀を自分の首に当てる仕草をした。

「ひひ。らじゃーっす」

 キルシェトルテが軽く敬礼をする。

「ルールーはあたしの護衛ね」

「了解だ」

「さて、と」

 デシーカは場を仕切りなおすように、手をぱんぱんと叩いた。

「お昼は狐狩りといきますか」

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