3.愛嬌ってものが足りねえ

「俺は勘違いなんかしてねえさ」

 隣を歩くスーツ姿の男はポケットに両手を突っ込んで、肩がぶつかることも気にせずに雑踏のなかを進んでいた。

 整髪料で無造作に撫でつけた黒髪、一重瞼の眼光は鋭く、あごには無精髭。

 口元には咥え煙草が揺れている。

 決して品があるとは言えないが、それでも野性味のある精悍な顔つきは、苦味走ったいい男といった雰囲気だった。

 ただし、およそ堅気ではない。

「あの女は気が短いんだ」

「デシーカ・デグランチーヌですか。出し抜けると?」

「まさか。売られた喧嘩は十倍にして返そうとする女だ。だから、この話には乗ってくる」

「それをわかっていてこんなことをするなんて、蛮勇というものですね」

 イオは小さく嘆息した。

 呆れているようだったが、表情や声音から感情は読み取れない。

 いまは野戦服ではなくカーキ色のカーゴパンツに無地のTシャツという、色気もなにもない格好だった。小柄ではあるが鍛えあげられた身体のラインがよくわかる。

「シーガー、あなたに死なれると私は無職になってしまうのですが」

「そいつは返す言葉もねえよ」

 彼女の主人であるところのシーガー・ウォンは、声を押し殺して笑った。

「俺はあの女に喧嘩を売って顔を拝むために、お前を借金してまで買ったんだ。俺だけが死んで、お前が生き残るパターンなんて考えてなかったぜ。退職金なんて用意できねえぞ?」

「期待はしていませんので」

「そんな辛辣な目で俺を睨むなよ。飯でも奢ってやるから」

「エサを与えれば不満を言わなくなるとでも?」

「飼い犬ってのは、そういうもんだろうさ」

 主人の言葉を肯定するかのように、イオのお腹が鳴る。

「はあ……まあ、確かに、食事は大事です」

 中途半端に長い耳をひこひこさせ、彼女は周囲を見渡した。

 二人が歩いているのは、〈図書塔都市〉の旧市街にある屋台街だった。

 広くはない道路の中央にぎゅうぎゅうと屋台が並び、その両脇を路面店が挟むという構造になっている。路面店からは原色のネオンに彩られた様々な言語の看板が突き出ており、空を覆い尽くすかのようだった。

 とにかく四方八方から喧騒が聞こえ、食欲を刺激する食べ物の香りがする。

 気がつけばシーガーが手慣れた様子で人混みを掻き分け、屋台でなにかを買っていた。

「〈図書塔都市〉はこの世界の縮図だが、ここはドラクル人が多い区画さ。連中は神聖帝国の外に出ても自分たちの縄張りをつくるからな。ほら、胡椒餅」

「あなたもそのドラクル人ではないですか」

 シーガーが渡してきた胡椒餅なる謎の食べ物を受け取る。

 彼の右腕は甲から肘にかけて暗緑色の鱗に覆われていた。

 それは〈竜の精霊人〉――ドラクル人に見られる特徴で、エルフ人たちの長い耳のようなものだった。

 彼らは身体のどこかに必ず鱗がある。

 故にドラクル人は、自分たちを九つの頭をもつ偉大なる竜の末裔であると称する。

 ドラクル人たちの国家であるガウロン神聖帝国は、この世界で最も強大な力をもつ国のひとつであり、〈魔法図書塔〉の管理権限を巡って繰り返されている紛争の当事国のひとつでもある。

「俺は群れるのは嫌いでね」

「そういうセリフは、実際に群れることができる人が言うものですよ」

「またもや返す言葉もねえよ」

「デシーカ・デグランチーヌに喧嘩を売るなんて、頭がおかしいと思われますよ。そんな人と好き好んで群れるのは酔狂というものです」

 その名前は有名で、イオだって知っている。

 公式に記録されているだけでも〈魔法図書塔〉の探索に一〇〇回以上挑戦し、何冊かの魔法図書の原本をもち帰ったという女。

 この〈図書塔都市〉における成功者の象徴。

 血と暴力があふれるこの世界で最も頼りになる、〈エルフの魔法商人〉。

 あるいは〈デグランチーヌの蛇〉と呼ばれ、蛇蝎のごとく嫌われている女。

「まあ、いざとなれば殺せないこともないでしょう。エルフ人は長寿ですが、別に不死身でも無敵でもありませんし――あ、結構美味しいですね」

 胡椒餅は小麦粉の生地で豚のひき肉などの具を包み、窯で焼いたものらしい。皮の表面はパリッとしており、内側はモッチリ。名前のとおり具はスパイシーな味つけになっており食が進む。

「はっはっ、頼もしいじゃねえかよ」

「私は誰かを殺すために躾けられていますから」

 命令がどんなものであれ自らの力を使い、主人に忠実に従うのは彼女にしてみれば美徳だった。

 それによって日々の糧を得る。

 シーガーの言うとおり、飼い犬となにも変わらない。

 黙々と胡椒餅を食べながら、イオはそんなことを思っていた。

「お前の実力についてはなにも心配してねえよ。だが、お前は愛嬌ってものが足りねえ」

「なんです?」

 眉間に皺を寄せて、怪訝な顔になる。

 シーガーの言っている言葉の意味がわからない。

「愛嬌だよ、愛嬌。たまには笑え。いつもむっつり顔じゃあ気が滅入る」

「生憎とそういう躾は受けていません」

「そういうところだよ」

 シーガーの手が伸びてくる。

「やめてください。頬を引っ張らないでください」

 イオはぐいぐいと両頬を引っ張られて、無理矢理に笑顔らしきものになった。

 目は座ったままだったが。

 そんなやりとりをしながら雑踏のなかを二人してしばらく歩き、目的の店が見えてくる。

 古書店だった。

 シーガーは咥えていた煙草を店の前で投げ捨てると、踵で踏み躙って火を消した。

 建てつけの悪いドアを開けて店内に足を踏み入れる。

 様々な本が積みあげられた店内はカビ臭く、昼間だというのに薄暗い。

 古びたレジとデスクトップ型端末が無造作に置かれている奥のカウンターには、店主らしき初老のドラクル人が座っていた。

 老眼鏡をずらして、ちらりとこちらを見てくる。

「チャンさん、景気はどうだい?」

 シーガーが声をかけても、店主は肩をすくめるだけだった。

「いい話があるぜ。魔法図書の複製本、数は五〇〇〇冊。モノは〈ムスペル・ジャベリン〉。大小姐ダーシャオチェに伝えろ。これで借金はチャラだ」

「……本当にあのエルフ人から分捕るとは。命知らずだな、ウォン」

「俺はあの女の顔を拝んで話を聞いてみたいのさ」

「保管場所は?」

「そう急かすなよ」

 シーガーはスーツの内ポケットから万年筆を取り出すと、自分の名刺の裏側に暗記していた文字列を澱みなく書いていく。

 それはインターネット上の統一資源位置指定子――URLだった。

「ここにアクセスしたら、いつものパスワードで圧縮しているデータを落とせ。解凍もいつものパスワード。それで保管場所の位置情報がわかる」

 店主は黙って名刺を受け取ると、奥から一冊の魔法図書の複製本を出してきた。

 厳重な帯封がされている。

大小姐ダーシャオチェから餞別だ。デシーカ・デグランチーヌによろしくだとさ」

「俺が聞いた話じゃあ、二人は友人だって話だが」

「二人の関係は友情と打算の副産物みたいなものだ。誰にもわからん」

「そうかい。ま、ありがたくもらっておくさ」

 シーガーは複製本を手に取ると、それを尻ポケットに突っ込んだ。

 カウンターに身を乗り出して言葉を続ける。

「そうだ、チャンさんよ。ちょっと聞きたいことがあるんだが」

 店主が煩わしそうに嘆息をするが、シーガーはそれを無視した。

「手土産はなにがいいと思う?」

 イオは店の入り口付近でその様子を眺めていたが、店主と同じように嘆息をした。

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