39 桜田門
尸遠は車で四〇分余り離れた都内の建物に連れて行かれた。どうやら警察署のようで、オフィスのような内観の中、スーツ姿や制服警官と何度もすれ違った。
手錠こそされなかったものの、肩を抑えられて通されたのは応接室のような所だった。外向きの窓があり、ソファと低いテーブル、卓上にはスチールの灰皿の据えられている。
ソファは黒革だが合皮だ。尸遠には触らずともわかった。だが仮に本皮だったとしても何かしようという気もなかった。
そこに一人座らされて、すぐにここまで連行して来た人とは違う、チノパンにネクタイなしのワイシャツという姿の男が三人、書類やタブレット端末等を手に入ってくる。履き物は合皮のサンダルとスニーカーだった。ズボンにはベルトを通しておらず、手首には腕時計を外したばかりというような跡がある。服にも羊毛は使われていない。
尸遠の能力を見越した上で、その影響が及ぶ物質を極力排除した装いだった。
(警戒されてるなあ)
尸遠はぼんやりとそんなことを思った。
一人は戸口に立ち、あとの二人は尸遠の向かいに座る。
「巻島尸遠さんで間違いありませんね」
「はい」
尸遠は素直にそう返事をすると、座った片方が紙コップを尸遠の前に置いてくれる。中身は水か白湯と思しき透明な液体だった。
それと併せて、尸遠の目の前に、最上段に日付を書く欄と『並行世界来訪者保護誓約書(乙種)』と書かれた書類とボールペン、そして印鑑用の朱肉が差し出される。それとは別に透明のパックから、尸遠の携帯と財布を出して、尸遠の手の届くところに置いた。
尸遠が携帯にふれると、画面が点灯し、ロック画面に現在の時刻が表示される。午後一時一五分、事件発生から二時間しか経っていなかった。そして圏外である。
「あなたは日本国籍を有しており、我々の規定の上では例外的な立場にあります。ほかの来訪者の方のように我々に出せる交換条件はありませんし、強制することもできません」
そう言われて、尸遠は目の前に置かれた紙を指差した。
「じゃあ、別に署名しなくてもいい書類なんですね?」
「一般的な来訪者の場合、署名を拒否すれば拘束の手続きに入ることになります」
「僕の場合は?」
「署名を拒否されても行動の制限をこちらから取ることはできません。ただ……現時点では仮定の話になりますが、現在審議されている異世界性能力保持者の扱いに関する立法、その内容次第では、この書類を根拠としてあなたを保護することはできなくなります」
それを聞いて、少し考えた。
「読ませてもらっていいですか」
「はい、どうぞ」
手に取り、ぱらりとめくる。誓約書の内容は三枚に渡っていた。
一通り目を通して、尸遠は頭を抱えた。
「あの、祖父は、この内容でサインしたんですか?」
「ターゲンさんは能力の性質上、甲種ですから、この内容での署名はしていません」
それをきいて、ため息交じりにうなずいた。
「ターゲン……祖父はあなた方からは本名で呼ばれてるんですね」
「ええ、書類上ではそうなっていますから」
「そうですか……すみません。僕も、これにはサインできません」
これに、男たちは顔を見合わせた。ひとりが身を乗り出してくる。
「本当にいいんですか? もう一度よく読んで」
そう迫ってくるのを、もうひとりが肩を抑えて止める。
「これは、あなたを守るための書類です。今回の事件にあなたが関わったのは、ターゲンさんのご指示ですよね? 自分の家族の身の危険よりも、事態解決を優先した」
尸遠は少し気まずそうに唇を軽く噛んで、うなずいた。
「僕が手を出さないと、警察が乗り込んできて死人が出るだろうって」
これに抑えた方の男はカウンセラーのようにゆったりとうなずいた。
「もしまた、同じように自ら危険に身をさらす行動を求められたら、また応じる気ですか? これは、そういう事態からもあなたを守る力のある書類です」
そう問われて、尸遠はにわかに呼吸が短く浅くなった。
「無理に応えなくて結構です。ただ、差し支えなければ、署名をしない理由だけでもお聞かせいただけますか?」
そう問われて、尸遠はうつむいた。
「今回みたいなことがあった時、いちいち許可を取らないと力を使えなくなるのは……」
これに、二人は頷く。
「そうですか。わかりました。……学校での状況やあなたの行動についてはこちらも監視カメラなどで把握していました。本件での公共の場における異世界性能力の使用は、拘束を必要とする事態とは考えていません。今回のあなたの立ち振舞については、後日担当のものが聴取を求めることもあるでしょうが、それは我々とは別件になります。……今日は、ご足労いただきありがとうございました」
尸遠は拍子抜けした顔でこくりとうなずき、財布と携帯を手にゆらりと立ち上がる。
「正面口までご案内します。電車代はお持ちですか? それともタクシーをお呼びしましょうか?」
「ここ、一応都内ですよね?」
「あ、はい。もちろん」
「じゃあ、どっちも大丈夫です。ひとりで帰れます」
そう返事をして、尸遠は戸口で終始無言だった男に導かれる形で部屋を出た。廊下は電話や人の話す声で騒がしく感じた。
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