37 戦闘(※暴力描写有り)
竜巻のようになった革靴が数足ずつ、鳥のように飛んで行く。
靴達は一人また一人と現れる鉄パイプや金属バットを手にした部外者に接敵し、牽制のように透明人間の足蹴にも似た一撃を背後や視線の外などを突いて見舞う。しかし所詮はただの履き潰されかけた革靴であり、一撃の重量感に欠けていた。
それを埋め合わせるように、航真が近い者から順に片っ端から飛び込むような体当たりやら視覚外から腕や襟を掴んでの投げ倒し、足払いといった攻撃をかまして、拘束していく。ほとんど校外でサラダチキンでやっていたことと同じ戦法であった。
だが、違いが二点あった。一つは拘束した端から、火花の輪に飲み込まれて姿を消すことである。まるでゲームの斃された敵が自然消滅するような絵面に、最初は戸惑った。
だがすぐにそれどころではなくなった。もう一つの違い、犯人グループの中にいわゆるマジカル系事件として十分なだけの不思議な力の使い手が紛れていたことだ。
絶叫がかまいたちのように目に見えない刃となって四方八方へ斬撃を見舞う毛根の地黒が長くなった茶髪の二十代ほどの男。尸遠の革靴のように、黒曜石かなにかと思しき無数の暗褐色の鋭利なさざれ石を浮遊させて武器として扱う四十前後の女などである。
それと相対するうちに、拘束した連中がひとりでに消えるのは余計な被害の心配をせずに済むと感じるほどだった。
絶叫を武器とするものについては、航真は滑り込んで背後を取った。
この拍子、絶叫の目に見えない一太刀が航真の肩をかすめて真っ赤な血しぶきを上げ、靴達を引き裂いた。
航真は痛みを堪えて、男の後腰に抱きすがるようにして持ち上げ、そのままブリッジをするように背後に投げ飛ばした。いわゆる投げっぱなしのジャーマン・スープレックスだ。
投げられて床に滑って行く茶髪男の口にサラダチキンが身を挺するようにねじ込まれ、航真は這うように追ってその口にガムテープを当て、手足を拘束した。
切り裂かれた肩のジャージをつまんで傷を見たが、既に血は止まっていた。
戦いの中で、航真の前世の力も覚醒しつつあるようだった。人間離れした自然治癒だ。
(傷が深手にならないなら、思いきって行ける)
航真はそう判断し、黒曜石の欠片を吹雪の雪粒のように飛ばしてくる女に、目鼻だけを両手で覆って真正面から向かっていった。全身にサメの歯のように食い込むガラスの切片状のさざれ石を受けながら、お辞儀のように前傾し、そのまま女の腰元めがけて肩から突っ込んだ。アメフトの体当たりのような突撃、プロレスでいうスピアータックルである。
どん、と腰から突き倒された瞬間、黒い雪風のようだったさざれ石は、ざらざらとその場に落ち、航真の体に刺さった欠片もぽろぽろと魚の鱗のように剥がれて落ちた。
……前世の特殊能力を獲得しても、体は基本的にはなんの訓練もしてない地球の人間である。航真のように自身の身体に影響を及ぼす能力でもない限り、経験したことのない打突の衝撃や痛みを食らえば、能力を継続する集中力は断たれる。
(よし! この調子で尸遠さえ守れれば、勝てる!)
そう確信して振り向いた瞬間、紫衣の四つ目の老人と視線があった。
老人は口から白煙のような呪文を吐いていた。
次の瞬間、ドンという爆発に似た音とともに、航真の体はびたんと床に打ち伏せられた。
航真自身は、天井が落されたのだと一瞬錯覚した。
しかし周囲に瓦礫はなく、床材のタイルが割れている。自分の回りを回遊していた靴達もまとめて地面に落ちている。
老人は杖を突きながらこつこつと革靴を響かせてこちらへと向かってくる。
航真が見上げようにも、肩も首も見えない力に押し付けられて眼球しか動かせない。
その視野の中に、老人は覗き込むように顔を見せてきた。
「勇ましいことだ。学友を救わんとしてここまでやってきたか」
そういうと、老人は航真の頭を撫でるように触れた。途端、航真は眠るように昏倒した。
その頭の中、航真の脳裏に無数のイメージが流れ込んでいた。
……老人の幻術、『制伏』だった。
その内容はユメ動画のような得体のしれないビデオドラッグめいたものとは程遠い。それは洗脳でも支配でもなく、その内容は熱心な説得、話の筋道の通った理詰めの交渉のようであった。
自分たちが『双龍の輪』での深刻な環境問題に対処すべく活動していること。現地ではどのような事態が生じ、それが将来的にあちらの人間界にどれほど深刻な影響を及ぼすか。
それを解決するために、決定的に必要な人材を探している。
見つけ出すために、地球人としての自分に何ができるか。代償としてこの老人は何を自分に与えてくれるか。
……それを一切の猜疑心のない心の深部、人間性の善意の中核のような部分めがけて直接投げかけてくるのである。
航真はそのイメージの奔流の中で戸惑った。これならば協力してやろうという気持ちが、胸の奥からふつふつと湧いてくるのである。
航真はぱちりと目を開くと、そこには老人が立っていた。
「ともに来てくれるか」
老人にそう問われて、航真は一瞬言葉に詰まった。
何かが胸の奥でさざめいていた。それが引き潮から押し寄せる津波のように頭の奥一面に広がった。強烈な怒りである。
……航真にはこの幻術には、決定的に届かない要素があった。腑に落ちないのだ。
それは航真自身が、この老人の一連の行動の原点、魔物と人間の均衡が失われた原因たる『斃された魔王の転生者』である点である。
それが小さな棘のように違和感として残り続け、説得には至らなかった。むしろ説得は一面的な綺麗事として認識が裏返り、怒りに塗り替わったのだ。
航真はほとんど反射的に、老人の、フォン・ラヌイ=ヴィトレイの首を掴んで持ち上げていた。そしてそのままその体を担ぎ上げ、喉輪落としのように床に叩きつけた。
(ふざけんな!)
反射的に思念でそう叫んでいた。
残った取り巻きが一斉に武器を携えてこちらを向く。航真は怒りを……構内に充満した魔力粒子を魔物の転生者として再吸収したがゆえの……白い息として、吐きながら、立ち上がり、持て余した憤怒を叩きつけるべく、集団へと歩み寄った。
得物を振り下ろした最初の一人、中肉中背の男の角材をまともに頭から喰らい、流血する。航真の赤みがかった髪の生え際はうっすら白髪のように白んでいた。
航真はデスマッチレスラーのように痛みの中で興奮の絶叫をし、角材を掴んだ手を掴んだ。そのまま手首を固めるようにねじりあげ、老人の傍らまで引きずった。
そして見せしめのように彼の目の前で、連れ回した男の膝上のあたりをスパンと音が立つほど強く蹴った。
ほどなく痛打に呻きながら男はうち伏せられた老人の傍らに転がった。
流れて眉にかかる血を汗のように拭うと、既に傷口はふさがっている。
「
二人目が背後から金槌を横薙ぎに振ってくる、女だが体のさばきは素早い。航真は横目に見て、半身引きつつしゃがんで金槌を交わす。そのまま低い回し蹴りで女の足を払う。
女が頭から床に倒れる格好になるのを見て、航真はとっさにその髪を掴んで頭の落下の勢いを抑える。だが女は髪を引っ張られた痛みで悲鳴をあげる。
「前世の親は、お前の作った『勇者』に殺された! 『双龍の輪』の人類がどうなるかなんて、知ったことか! お前らが乱した秩序だろうが!」
三人目と四人目は相次いでかかってきた。航真は三人目の振り下ろしを転がって交わし、ついでにその懐に入って脚の付け根を掴んで高く抱える。
突然に足をとられてバランスを崩した体を、四人目に投げるように叩きつける。
航真はとっさにあたりを見回すが、その二人でひとまず終いのようだった。
二人まとまって床に転がったところに、それぞれの手にした武器をまとめて蹴飛ばし、廊下の彼方にやる。
その鉄パイプや角材が飛んでいった先は学食の方だった。
そしてその廊下には遥歩が立っていた。すぐ後ろから、自分の前世が殺したはずの顔がひょっこりと現れる。
それを見て、航真は荒く息をつきながらそちらへ歩み寄った。
「ちょっと待て、この人は」
そういう遥歩を押しのけて、航真はまっすぐにディエリの首を掴んだ。
「桜塚! この人は、俺の弟だ!」
航真はぎょっと目を剥き、手を離した。途端に、膝をついて咳き込む青衣のディエリ。
背丈も顔も同じだが、その体は前世で殺した若者よりもずいぶん華奢に感じた。
「どういうことだ」
「双子の弟、前世のだけど……」
そう言われて、航真は目頭を抑えた。感情が抑えきれず、目は赤らんで涙を貯めている。
「……どこから聞いてた」
「勇者に、前世の親が殺されたって……桜塚、たぶん俺が」
「言うな。お前が勇者とやらだって言うなら、そこの四つ目のジジイから色々見せられた」
航真は黙って遥歩の肩に手を回した。そのまま固く抱擁を交わす。体を離した。
「世間は、狭いな」
息をつくように赤毛の彼はそういった。
よろよろと起き上がる老人、投げ飛ばされた四人は既に火花の輪の中に包まれて、消えかけている。
「元廣、あのジジイは警察に突き出すぞ。いいな」
「その前に、一つだけ聞かせて」
そう言って、遥歩は足元に転がった鉄パイプを片手に、フォンのもとに歩み寄った。鉄パイプの先をフォンの胸元に突きつけて、遥歩は老人にずばり聞いた。
「シー・ラーは、どうしてる」
「シー……あの娘か。あれは、死んだよ」
それを聞いて、遥歩はきゅっと目をつぶった。
「どこで、いつ」
「里だ。彼女が魔王を倒してから十年くらい経った頃か。彼女の里が瘴気に汚染された。あの娘は部族の里に留まり、里の者の療養を続けた。だが、本人が瘴気に冒された」
「……そうなる前に、なんで逃さなかった」
「事を知って、里を尋ねたときには手遅れだった。街へ運ぶ馬車の中で、わしが看取った」
遥歩は泣きそうな顔になって、鉄パイプを壁に投げつけるように捨てた。既に航真が倒した取り巻きは火花の輪に包まれ消えつつあった。それを見て、前世の弟の方を向いた。
「ディエリ、学校に連れ込んだ大人達はどこに。さっきも女の人を消したよね」
これにはディエリではなくフォンが口を挟んだ。
「我々の世界だ。この世界では仕事にあぶれ、金も尽き、自殺する場所を探していたような者たちだ。……我々の世界であればラヌイ家の庇護の下で生きることができる」
「庇護してやるから、犯罪の片棒を担げってか」
「そういうことになる」
「そういう事じゃねえよ。おい立て、外のおまわりさんとこ行くぞ」
そう言って襟首を掴んで立たせようとする航真の手を、遥歩がそっと抑えた。
「まって、やめたほうがいいと思う。というか、見逃してやってほしい」
これに航真は遥歩を睨みつけた。
「あ?」
「この人の力は、強い。警察に突き出しても、幻術で逃げ出されるのがオチだ」
「それならこの場で絞め殺すか」
「それもやめてくれ。……これでも、これでも一応、俺の前世の親父なんだよ」
そう言われて、航真はぎゅっと目をつぶった。
「じゃあ兄さんは?」
横からディエリにそう言われて、遥歩は首を横にふった。
「俺は行かない」
「ヨウ」
フォンにそう呼びかけられて、遥歩は首を横にふった。
「ヨウじゃない。ヨウ・ラヌイじゃない。俺は元廣
それを聞いて、航真は涙目でため息をついてうなずいた。
「そうだな。そうだ、もうどうでもいい。行くならさっさと行け。警官が学校の外にはもう取り巻いてる」
「その前に、三階の生徒と職員室の先生方にかけた魔術を解いていってほしい」
これにフォンはディエリに支えられて立ち上がりながら、応える。
「あれは、最悪の事態に備えて確保したものだ。わしらが地球を離れれば自然と解ける」
「ホントだな。嘘だったら追いかけてでも連れ戻すぞ」
「本当です。安心してください」
ディエリにそう言われて、航真はそっぽを向くように遥歩を見た。
「外に巻島を隠れさせてる。迎えに行こう」
そういって航真は足をひきずって歩き出し、遥歩は前世の家族に頭を下げ、後に続いた。
残された二人は、ディエリが唱える呪文とともに生じた火花の輪を二人そろって潜り、この世界から去っていった。
遥歩と航真は、正面昇降口から玄関前に出た。敷地には既に警官が踏み入っていた。校門の外には警察車両、その向こうにはマスコミと思しきカメラや照明を含む人垣がある。
そして、臙脂色の腕章に警視庁の文字入りジャンパーの男二人に、見慣れたジャージ姿に黒ひよこのような頭が連れて行かれようとしていた。尸遠である。
二人はこれを思わず声を発して呼び止めようとした。
「おい、なんかの間違いだろ、その子は生徒だ!」
「知っている。詳しくは後日学校の教員から説明があるはずだ。この子は連行する」
「だから、なんで連行されなきゃいけないんだよ!」
そう食って掛かると、他の警官たちがやってきて、遥歩達を押し分けた。そして校門より内側に止められた覆面パトカーと思しき車に尸遠は乗せられ、車は校外へと走り去った。
それと入れ替わるようにハッチバックが規制線を抜け、徐行で校門内に乗り付ける。
運転席から現れたのは、警視庁の文字もない黒無地の防弾チョッキを着込んだスーツ姿の銀髪の女性だった。
二人はその女性に見覚えがあった。巻島一元の屋敷の執事、新発田である。
「おふたりとも、車の中へ、ここではマスコミの目もあります」
呼び寄せられ、二人は車に乗り込む。車は現れた時と同様の徐行で校外へと走り去った。
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