35 学校(※暴力描写有り)

 裏門に二人が到着したが、警官らしき姿はまだ見当たらない。潜戸は開け放たれ、門扉の前には白いワゴン車が横付けで止まっている。

 航真は上空を舞うホウの傀儡に思念を飛ばした。

(こっちの門の回りにはいるか?)

(います、扉の裏に一人と、門が見通せる細い道の陰に一人)

「門扉裏に一人、もう一人が校舎裏に。俺が組み付いてねじ伏せる。巻島は牽制を頼む」

 尸遠は黙って頷き、自分の回りを衛星のように舞う十数個のサラダチキンを二編隊に分けて学校敷地内へと飛ばした。一方は潜戸の裏、もう一方は校舎裏の生け垣沿いである。

 尸遠がコンビニで入手した『武器』とは、その『死霊術』に適した媒介、つまりある程度身の詰まった肉、いわゆる真空パックのサラダチキンとミートボールだった。

 それを追うように航真が潜戸に飛び込むと、校舎裏の彼方から悲鳴が上がった。

 門扉の陰に居たほうは、ブルゾン姿の中年男で、空飛ぶ真空パックに目を奪われて明後日の方を向いてる。その体格は航真よりも頭一つ小さい。

 航真は男の肩口を掴んで自分の方を向かせると、身をかがめて両腿を掴み、そのまま肩越しに担ぎ上げた。

 その拍子、にわかに苦味のある煙を嗅いだような心地がした。憶えがあった。前世の夢の世界の中だ。人間が魔術を放つ際の触媒から蒸散した魔素と、幻術の臭いだ。

(本当に夢と同じ世界の魔術の匂いだ。それにこの感じ、こいつ操られてるのか)

 そのままのけぞるように倒れつつ、真後ろに投げはなった。男の体はがさっと音を立てて背面から落ち葉の積もった地面に落ちた。いわゆる水車落としという投技である。

 男は突然ひっくり返されて背から打ち据えられた衝撃に目を見開いたまま痺れている。

 航真は身を捻って這うような姿勢になり、そのままレスリングのように男に組み付いた。うつ伏せに転がし、両腕を背後にひねり固める。

 そのまま腕時計のように左手首にはめたガムテープを長く引っ張り出すと、男の腕を背後でまとめて束ねた。とたんに抵抗を諦めたように男の体から力が抜ける。

 気がつけば尸遠が彼を手伝うように男の両足にまたがって座り込んで抑え、足首にもガムテープを巻いている。

「ここに転がしておこう、次行く」

 航真は、そう言うと息もつかずに頭を低くして校舎裏の彼方に走っていく。

 校舎裏の細道の彼方では、若い痩せ型の男が、ぶんぶんとサラダチキンの編隊を叩き落とそうと鉄パイプを振っている。航真は引き続きこの男に狙いを定めた。

 鉄パイプの痩男を相手しているサラダチキンの編隊は振り回される鉄管をかいくぐり、ワンツーパンチのように束になって顔面めがけて突撃する。

 その背後から跳躍し、空中に寝そべるように両足を伸ばす。低軌道のドロップキックだ。

 それを尻に受けて、つんのめるように両膝をついて痩男は倒れた。サラダチキン達がその背骨沿いを殴るように急降下し、航真は後ろ手をとってねじ伏せる。そしてガムテープを伸ばして歯で切り、両腕と両足をそれぞれ巻き固めた。

 この男の体からも、苦い煙に包まれたような感じがした。

(この人もか。動画みたいな催眠術かけて、頭数だけ揃えた感じだな)

 声を挙げさせないよう口にもテープを張って担ぎ上げ、校舎裏の生け垣の陰に運んで草陰に転がした。その間に、痩男に絡んでいたサラダチキン編隊はひらけた渡り廊下に見える別の人影へと攻撃を始めている。

 航真は天を仰いで、上空を旋回するホウの傀儡を仰ぎ見る。

(校舎のこっち側、あいつの他には?)

(あれで最後。他のは南側と砦の内側、東側でうろうろしてる)

 砦、ときいて一瞬ぽかんとしたが、はたと気づいた。学校というものをホウにきちんと話したことがなかった。

 『双龍の輪』の魔物の世界に学校という概念はない。人間がいる場所も、木がなければ畑、物と人で満ちていれば市場、生活していれば村、堅牢な建築物であれば砦、その程度の認識である。確かに外周をフェンスで固めた堅牢な建物という意味では砦と思っても不思議はない。

(ここは砦じゃない)

(ちがうの?)

(帰ったらきちんと教えるから)

 航真は後からついてきた尸遠に構わず、先行のサラダチキン編隊の加勢に向かう。

 尸遠は航真に追いつけないと見るや、近くの一階教室の窓を見回した。

 どの教室もカーテンが締め切られている。訓練通り、教室の中に明かりは無い。外から様子は伺えず、無人を装ってカーテンは揺れもしない。

 とりあえず、教室があるはずの窓の一つを軽くノックしてみた。

 しばらくしてカーテンがぱっとめくれて、驚いた顔をした男子生徒が顔を出した。尸遠には馴染みのある顔だった。いつも読み終えた漫画を譲ってくれる先輩の一人である。

 窓の施錠を外し、顔ひとつだけ窓を開く。

「ご無事そうで何よりです」

「いや、お前そんなとこでなにやってんだよ。武器もったのがその辺うろうろしてるだろ」

「校舎裏のこっち側は制圧したから、避難を始めてください」

「制圧って、どうやって」

 尸遠は隠さず、自分の回りを漂うサラダチキンの真空パックを見せた。

 先輩は一瞬ぎょっと目を剥いたが、なにか察したような眼差しでうなずいた。

「前世の力か。なんでサラダチキン?」

 これに尸遠は半笑いになった。

「あー、ネクロマンサーってわかります?」

 それを聞いて、先輩は声を殺して笑った。これに尸遠は顔を赤くする。

「死体代わりがチキンか」

「このくらいならギリギリ合法かなって思ったんです! ツナ缶と迷ったんですけど、そっちだと当たりどころが悪かったら相手死んじゃうなと思ったんですっ!」

「わかったわかった。念の為、安全か確認させろ」

 先輩はそういって、教室の窓枠を跨いで上履き姿で飛び降りてきた。手には箒の柄を外したと思しき木の棒を持っている。彼は裏門まで行き、門の裏のガムテープで拘束された中年男とその上を見張りのように浮遊するサラダチキン編隊を確認して、走って戻った。

「巻島、お前ネクロマンサーならそこのおっさん殺して操ろうとか思わなかったのか」

 尸遠はぱたぱたと手を振った。

「いやあ、正当防衛はともかく、死体遺棄や死体損壊はちょっと……」

「それもそうか」

 そんなやりとりをしていると、窓から年配の教員が顔を出す。これに先輩が声をかける。

「今なら裏門から逃げられます。いけるだけ行きましょう」

「あ、職員室が制圧されてます。学校関連のアプリは使わないで」

 尸遠がそう言い聞かせると、先生はこくりとうなずいて生徒を導いた。

 誘導に従い、制服に上履き姿の生徒達が一人、また一人と教室の窓から飛び降りてくる。

 それが自然と一列になり、声も漏らさず小走りに裏門の潜戸へと走っていく。

 窓の外を動く人の気配に気付いてか、並びの一階にある教室やトイレの窓が開き、同じように一人また一人と狭い校舎裏に飛び降りて、避難の流れに混ざる。

 ぞろぞろと逃げる数十人の列を見て、尸遠は不安げに眉間を歪めた。

 主犯格のところに乗り込む前に生徒を避難させる。その生徒数が思いのほか多い事に気付いたのだ。

「さあ、君も」

 最後に出てきた教師らにそう迫られて、尸遠は首を横にふった。

「先生は今逃げた人の誘導をお願いします。自分は他の避難路の確保を」

 これを聞いて、大人は顔を見合わせた。恐ろしくてたまらないのか、その膝が震えている人もいる。

 尸遠は何かを察したように、裏門のサラダチキンの編隊を呼び戻し、浮かせて見せる。

「例の、動画の影響か」

 尸遠はうなずいた。

 そういうことにしておいた方が面倒がないと思ったのだ。

「……警察来たら発砲騒ぎになると思います。教室と廊下の間の壁って、薄い板一枚ですよね。流れ弾なんて防げない気がします。その前にひとりでも多く校外に逃さないと」

 そう言われて、教師らは頷きあった。一番年配の教師に顎で指図されて、若い教師達は生徒らに続いて避難していく。

 残った教師は顔をあげた。まだ名前も担当教科も知らない先生だった。

「君、クラスと名前は」

「一年四組、巻島尸遠です」

「巻島さん、本当に申し訳ない……本来なら、我々が残らなければならないのに」

「できる人でなんとかするしかないんです。それが今は僕だっただけです」

「すまない」

 年配の教師はそういって、深々と頭を下げて、裏門の潜戸を抜けていった。

 それを見送る尸遠の背を、泥だらけになって戻ってきた航真がぽんと叩いた。

「さて、お前に死亡フラグが立ったな」

「はあ?」

「いまお前、名前を伝えただろ。この後死ぬモブによくある展開だよ」

 これに尸遠は鼻で笑う。

「はっ、誰がモブだよ。そっちこそそんな泥だらけになって……」

 そう言いかけたところで、表情がさっと青ざめるように真顔になった。

 遠くから風にのってパトカーのサイレンが聞こえ始めたのだ。

「時間がない。いきなり踏み込んでくることはないだろうけど、できるだけ急ごう」

 尸遠はこくりと頷き、二人は校舎裏を駆け出した。それを誘導するように十数個のサラダチキンの編隊が低空を飛ぶ。

 上空ではホウの傀儡が哨戒機のように上空を大きく旋回し、地面の様子を注視している。

 

 裏口から生徒の避難が始まってほどなく、正面口では警察が規制線を張り始めていた。

 まだ到着している警官はそう多くはないようで、学校周辺をまるごと包囲する規模にはなっていない。

 遥歩は警官の目の途切れた裏手のフェンスをよじ登り、学校の敷地内に入った。

 そのまま渡り廊下から、校舎内に入る。

 校舎内の至るところで防火シャッターが降りている。その脇の防火扉には施錠はされておらず、ひとまずその陰に入った。

 その廊下で携帯から校内通信アプリでフォン・ラヌイにダイレクトメッセージを送る。

『校舎内に入った。どこにいけばいい。職員室か? 放送室か?』

 すこしあって、返信が返ってくる。

『校長室へ来なさい』

 今居る棟の三階である。

 階段をしずしずと歩いて登った。

 途中、片方が釘抜きになった金槌を手にした擦り切れた厚着姿の女性とすれ違った。

 一瞬、殺されると思った。だが女は遥歩を直視することはなく、虚ろな目に半開きの口でいびきのような呼吸をしながら、二階と三階の間の踊り場をぐるぐると歩き回っている。

 まるで夢遊病のようだった。

 魔術で操られているのだから、無理もないことだった。

 だが遥歩にそんな事に気づく余裕もない。ただ恐る恐る女の足取りを除けて階段を登った。三階の防火扉を押してわずかに開くと、とたんに香る甘い匂いに、思わず鼻を覆った。

 そして遥歩は背中がちりちりと熱くなるのを感じた。その感触には憶えがあった。最初はトラウマ動画を誤って再生した時、そして次は前世の夢の中だ。

 不随意の幻術に対する拒絶反応である。由来は前世の前世、異世界を支える霊樹だった頃まで遡る霊性の守護によるものだ。

 思い切って押し開いた廊下では、何十人もの生徒が踊り場の女と同じような状態で、朦朧と歩いていた。スマホを出し、その様子を撮影して、遥歩は一旦階段に戻った。

 今取った画像を添付してフォンにダイレクトメッセージを送る。

『生徒には手を出さないという話じゃなかったのか』

 返事がすぐに返ってくる。

『警察が踏み込んできた時のための備えだ。我々が去れば生徒は正気に戻る』

 遥歩は舌打ちした。


 尸遠と航真は怒涛のような連戦であった。

 サラダチキンが先行して牽制と陽動、具体的には鼻や目といった顔面の急所を狙って飛びかかる。それを剥がそうと武器を握る手を緩めた体めがけて、航真が体当たりやら肩を掴んでの払い腰などでなぎ倒す。地面に打ち付けられて悶ているところを抑え込んで、後ろ手にガムテープで拘束する。

 それを二人は立て続けに校舎外周を走り回りながら十人以上にこなしてきた。犯人達にはいくつか特徴があった。着古した厚着、履きつぶしかけた靴、魔術触媒の匂いである。

 安全確保が済んだ区画から生徒が逃げていくのを、二人は肩で息をして見送った。

「魔法っぽいの使うやつ、いないね」

 尸遠にそう言われて、航真は真顔でうなずいた。

「……多分主犯格以外は操られてるだけだと思う。みんな同じような匂いだった」

「ニオイって、たしかに香水とかそういう香りの人はいない感じだったけど……」

「体臭じゃない。俺の前世の世界の人間は、魔法を使うのに魔物から取れる燃料が要る。その煙と幻術のニオイだ」

「じゃあ、やっぱり犯人は桜塚の前世の関係者で確定って感じなのかな」

「さあ、世の中には同じ顔が三人居るっていうし。異世界なんて含めたら……」

 これに尸遠はふっと鼻で笑った。

「マジで言ってる?」

「んなわけねえだろ。次行くぞ」

 ここに空を飛んでいたホウの傀儡が目の前まで降りてくる。

(母上、いまので外は最後です……それより、建物の上のほうが危ないかもしれません)

 これを見て尸遠は少し渋い顔をした。

「相変わらずグロいね。ホウちゃんの操り人形は」

「お前だってその気になれば似たようなもん作れるでしょ。それより……」

(……どういうこと? 中は危険なのか)

 航真の思念に傀儡は首を横にふった。

(わかりません、ただ幻術っぽい煙の臭いが濃くなってます。窓から中を見る限り、同じ服の人間がたくさんうろうろしています)

 それを聞いて、航真は軽く頭を抱えた。

 校舎周辺の不審者だけで十数人、それを取り押さえた航真の体はくたくただった。前世の鍛え上げられた怪物の体で憶えた技を、大柄なだけの高校生の体で駆使しているのだ。しかも相手の首や背骨などに過剰な負担がかからないよう手加減をしつつである。

 それを狭い場所で何十人も相手にやるような余裕は無い。

「……何かあったの」

「ホウが言うには、上の階の生徒が操られて、教室から出てるらしい」

 尸遠は少し考えてうなずいた。

「……生徒ってことは、制服だよね」

「そりゃそうだろ。お前じゃないんだし」

「じゃあブレザーか、セーターは着てるよね」

「この時期だからな。避難も考えてみんな帰り支度兼ねて着込んでると思う」

 尸遠はにこりとした。

「じゃあ大丈夫……桜塚、悪いんだけど、校舎の中は、僕だけでいいや」

「は?」

「制服の冬服なら、ウールとポリエステルだ。ウール入りなら『服』を抑え込める」

「本気で言ってるのか?」

「本気だよ。じいちゃんのところで、そういう訓練は十分積んでる」

 それを聞いて航真は少し考えた。あの予知能力のある老人であれば、こうした事態を見越して十分な訓練をさせていても不思議はない。だが、本当に一人で行かせてよいものか。

「……サラダチキン一ダースで足りるか?」

「昇降口の下駄箱に行けば革靴がある。ほとんどは合皮だろうけど、本皮が何足かあれば、それも足しにできる」

 そう言われてしまっては文句のつけようもなかった。

「わかった……ただ、お前が操られたら勝ち目がない」

 尸遠はやや不安げにうなずいた。

「じゃあどうするの」

「俺が一階で目を引く。お前は外から援護を頼む。一階が落ち着いたら非常階段で外から校舎の中を」

 そういわれて、尸遠は渋々というように頷き、二人は昇降口へと向かった。

 途中、正門が見通せるあたりから、正門へと逃げる生徒の列の向こうに警官の姿が見えた。どれも普通の制服警官で特殊部隊には見えない。突入まではまだいくらか時間がありそうだった。

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