34 遥歩の悪夢

 遥歩は蒼白としてスマホの画面を見つめていた。

 夏の夜、夢に見た顔だった。『前世動画』を見た後の眠って見た夢である。

 老人の名はフォン・ラヌイ、あるいはヴィトレイと呼ばれることもあった。

 自分は夢の中の世界『双龍の輪』で『勇者』として育てられた。

 名前を、ヨウ・ラヌイと名付けられた。ディエリという双子の弟がいたが、二人はまるで違う教育を受けて育った。自分は幼い頃から魔法世界で戦いに生きるための英才教育を受けた。剣術の稽古に、自分の過去世の夢、他にもあらゆる呪術的な強化を施されてきた。ディエリがごく普通に育ての母の愛情を受けているのを横目に見て、嫉妬した事もあった。

 だが、鍛えられるとともに褒められることを喜びと思い込んで生きてきた。

 十二歳の頃から旅に連れ出され、あらゆる魔物と戦い、斃した。その達成感と称賛が生きる喜びだった。

 十四の時、僻地の集落で聖女と崇められていた呪詛使いの乙女シー・ラーに出会い、惹かれ合った。いずれ夫婦になる誓いを交わして一緒に旅を続けた。

 シー・ラーとの日々は、前世の記憶の中でもっとも幸せな日々だった。死闘の中であっても、彼女を守り、彼女に癒やされるという関係が、互いを求め合う充実感となった。

 元廣遥歩はまだ恋愛経験がない。いずれそういう相手が現れると思っている程度である。

 だからこそ、二人の関係は興味深く、夢での追体験は遥歩自身の恋愛への共感となった。

 十八の時、最後の旅になった。一騎打ちとなった魔王は何度切っても死なず倒れず、剣までも折られた。最後は奥の手の宝珠を手にしての殴り合いになった。

 そして終には打ち負けて、自分は首をへし折られて死んだ。

 夢の最後は誰かとの語らいだった。そこには奇しくも同じことを望むものがいた。

 そのものが何あっても構わなかった。苦痛と望みを共感できる存在が嬉しかった。そしてふたり同じ所への転生を希望したところで、夢は終わった。

 ……その、フォン・ラヌイが、なぜこんなところにいるのか。遥歩は混乱した。前世動画の影響下で見る夢が、ただの夢ではないことは知っていた。だが、まさか夢の中に出てきた人間を現実で見るとは思いもしなかった。

 声明はこう続いた。

「我々は『双龍の輪』より来たモノである……」

 懐かしい声を聞きながら、今まで心で一線引いてきたものが溢れるのを感じた。それは身を灼くような恋愛感情だった。シー・ラーがどうなったのか。それを知りたかった。

 死の間際に見たのは、魔王の背後から魔術を放つ彼女の姿だった。周囲を魔物に囲まれた中から、彼女は無事に生き延びることができたのか。今はどうしているのか。

(シーは来てるのか? いや来てなくても、無事かどうかだけでも聞けるんじゃないか?)

 そう思ったら、彼女を思う気持ちで胸が高鳴るのを感じた。

「……現在かの世界では新たなる危機に直面している」

 音量を小さくし、スマホのスピーカー再生に耳を寄せた。

「……人界の再拡大に伴う魔物世界の縮小である。これが意味するところは世界的な魔素の再循環の枯渇、魔力の源の減衰である。これは『地球』における環境問題に……」

 遥歩はそこまで聞いて、軽く頷いた。

 『双龍の輪』の人間は、魔力を体内から生み出すことができない。大気中に循環する魔力の粒子を取り込んで利用することはできるが、専門技能で習得には相応の訓練か先天的な素養が要る。

 人間が一般的に高出力の魔法を使う時は、魔物の代謝物の触媒を消費する。具体的には爪や角や牙や胆石などだ。ヨウ・ラヌイもそうだった。魔法を身体や武器に付与した戦闘術は会得したが、大気の魔力の取り込む技能は間に合わなかった。代わりに全身を魔物由来の素材で作られた装備で固めて戦っていた。

 その全身装備による魔法戦闘が各国正規軍の戦術や装備に用いられれば『双龍の輪』の人間界は深刻な触媒不足に陥る。それを補うために大々的な魔物狩りを再開するだろう。

 そしてそれを阻みうる魔物勢力の統治者だった『魔王』も倒されたという。そうなれば今頃、人間界との接触領域の魔物の生息数は壊滅的な状態だろう。

 これは『地球』の密林伐採や砂漠化と大気中の二酸化炭素の関係に近しい問題だ。

 触媒として消耗された魔力は大気中に蒸散する。大気中で飽和した魔力は瘴気に変質して盆地などに吹き溜まり、人間や動物の生育不能な環境に汚染される。魔物は瘴気環境で生存できる存在で、大気中と瘴気の魔力粒子を吸収し角や爪牙に蓄積する機能を持つ。

 つまり『双龍の輪』における魔物は、『地球』の環境問題における植物と同等の存在なのである。それを狩り尽くし、触媒として消費すれば、瘴気による汚染地域ばかりが残る。『双龍の輪』の人間側の問題として、この環境問題に向き合いうる人材が必要なのだ。

「……この問題を解決するため、我々は勇者の転生者を探している。その人物が本校に在籍していることを、我々は特定した」

(問題を解決するため? フォン・ラヌイは、何を考えているんだ。『勇者』なんて、魔物退治の人間兵器みたいなもんだったじゃないか。それに一体何をさせる気だ)

 遥歩はそう思いながら、頭の中には夢に見た最愛の少女の面影が離れなかった。

 声明の動画を一時停止し、動画配信者である職員室名義のアカウント宛にダイレクトメッセージを作成する。

『犯人に問う。シー・ラーは無事か』

 送信ボタンを押し、画面を再生する。

 動画の中のフォンは咳払いをした。

「かいつまんで問う。前世にて我らの世界の勇者だったモノ、あるいは我らと志をともにするモノよ、どうか名乗り出てほしい。名乗り出てくれるのであれば……」

 動画をそこまで再生したところで返信が返ってくる。

『今の居場所はどこだ。その名をどこで聞いた』

「……我らに本校の生徒教員に危害を加える意思はない」

 動画はそこで終了した。遥歩は少し考えて返信を入力した。

『本当に本人が名乗り出れば、学校の人間には手を出さないのか』

 返事はすぐに返ってきた。

『約束する』

 遥歩はやや苛立ったようにため息をついて、学校へと歩きだした。

 

 尸遠はこそこそとした足取りを止めた。

 向かう先の横道から、見覚えのある痩せたクマのような体格のジャージ姿が現れたのだ。

 桜塚航真だ。彼は息を切らして道の奥を見、それからこちらを向き、駆け寄ってくる。

「よかった、見つけた」

「どうしたのさ。こんなところで」

「学校、戻る気だっただろ」

 尸遠は叱られた子供のように顔を伏せた。

「……じいちゃんが、僕ならなんとかできるって」

「なんとかって?」

「わかんないよ。けど、警察が到着する前に学校に戻らないと」

 警察と聞いて、航真は先日の都内の中学校の襲撃事件の顛末を思い出した。

 犯人は警官の銃撃により死亡。生徒三人が死亡、生徒教員八人が重傷。うち生徒二人と教員一人は、警官の発砲の流れ弾による負傷があった。近頃は『マジカル』傷害事件の対応において、政府も警察も銃の使用をためらわない傾向が強い。

 明星園高校でも同じ展開になったとして犯人は複数である。犠牲者の数も増えるだろう。

 そこまで想って、航真は何も言わず尸遠の手を取り、学校へと向かって歩き出した。

「ちょっと、どうする気さ」

「決まってるだろ。一緒に行く」

「何いってんの、僕はともかく、航真はただの人間だよ」

「あ? これでも前世は魔王だ。多少はなんとかなる。それに犯人の顔には憶えがある」

「え?」

「犯行声明の動画は見たか?」

「うん、歩きながら見た」

「俺の前世が、魔物の素材の装備で固めた連中と戦って死んだって話はしたよな」

「うん」

「あの二人はその最後の戦いの相手だ。若い方は俺が殺した。それがなぜか生きてる」

「生き返ったってこと?」

「双子でもなきゃそういうことだ。というより、双子かクローンでもないと話の辻褄が合わない。あいつの言い分では『魔王』と『勇者』は共倒れに終わったって話なんだからな」

「……犯行声明は嘘をついてるってこと?」

「わからない。だから確実なことから行こう」

「え?」

「犯人は集団だ。校舎の外にも何人かいる。なんとかして生徒の逃げ道を作らないと」

 その言葉に尸遠は頷いた。

「うん……学校に戻る前に、そこ寄っていい?」

 そう言って指差したのは、通りの先に見えるコンビニだった。

「できるだけ急ぎたいんだけど」

「取り押さえるなら、ガムテープぐらい要るでしょ。それに僕の『武器』が要る」

 それをきいて、航真はひとつ頷き、二人は店に入った。

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