33 ある晴れた十一月の日に。

 結局、十一月の上旬の休日、文化の日に三人揃って遊びに行くということはなかった。

 原因は航真だ。その日に犬猫の譲渡会があり、手伝いのために暇が取れなかったのだ。

 そして、持久走大会に向けての校外での体育の授業の日、唐突に尸遠の時計が震えた。尸遠の時計はスマートウォッチで、スマホと遠隔連動している。メールやアプリの着信があれば振動や表示で通知する機能があった。

 尸遠はその画面を見て、足を止めた。『非常用直通』と校内ICTの避難指示だった。

 スマホをポケットに入れて走っていた他の生徒も立ち止まって携帯の画面を撫でている。

 その生徒は「また避難訓練?」とぼやいた。


 約十二時間前。東京のとある自然公園にて。

 黄色く枯れた茂みがさざめく闇のような夜陰の中を、姿見ほどの火花の輪が生じる。そこからぬっと、杖の先と革靴にチノパン姿の足が出る。そのまま火花を跨ぐように老人が現れる。次にサルエルパンツの青年が続き、二人が輪を抜け切ると、火花は消えた。

 『大賢者』フォン・ラヌイ=ヴィトレイと、その養子『青衣衆』のディエリだ。

 二人とも上着はそれぞれ紫と青の独特な外套である。フォンは初めて地球に来た時と同じように自分と息子の服に触れ、地球の秋物の装いに変える。

 服を確かめるように、遊歩道を寂しく照らす白い路灯の光の下に、二人は出ていく。ディエリはそこで久々にスマホの電源を入れ、その画面を明るくした。

 十一月七日午後十一時二三分。

「スマホはしまいなさい。充電している余裕はない。明日の午後には『双龍の輪』に戻る」

 フォンの指示にディエリは頷き、シャットダウンを選択した。

 ゆるく風が吹いていた。十一月にも関わらず、紅葉はさほど進んでいない。草ばかりが枯れていて、風にそよいで音をたてている。

 そのさざめきの中、ノイズのように軽い電子音とともにディエリのスマホの電源が落ちる。

 その横でフォンは襟をたて、タバコの火でもつけるように、上着の中で魔力触媒に魔術を灯した。『全知』の術で、不在の半年の間の情勢の変化を知ろうとしていた。

 魔力に感応のあるものだけが聞き取れる声と言葉で詠唱し、魔法を行使する。

 触媒は白い煙になって燃え尽き、フォンはおおと感嘆するような声を漏らした。

 そしてすぐに、得た知識を共有するようにディエリの額に触れる。

 ディエリは一瞬驚いた顔をして、それからすぐに深刻そうに表情を険しくした。

「思いの外、動画は広く影響を及ぼしたようだ。これほどに力に飢えた者が多いとはな」

「父上、私はいささか恐ろしいです。我らは、この世界に混沌を招いたのでは?」

「我らがやらずとも、いずれ『地球』が臨界に達したときに、否応なく他の世界を知ることになる。我らはその前兆を起こしたに過ぎん。水を知らなければ、泳ぎを覚えることはできん。我らがしたことは、いずれ来る洪水を知り、ため池を掘ったようなものだ」

「たしかに、そうですが……こうも多くのものが怖れている状況は、まるで疫病のようで」

「大衆の恐怖はもとより疫病と似たようなものだ。人から人へと伝播し、伝播する過程で変異し、そして免疫がつけばそれの存在はいずれ日常となる。我らが知らしめねば、この世界の支配者達は『臨界』に到る日まで大衆に並行存在する世界を、隠しただろう。そのやり方で自滅した文明を、我らは勇者の後生探しの旅の途中にどれほど見てきたか」

 そう言われて、ディエリは黙った。

「確かに……この件は、これ以上何も申しません。兄上の後生を、お連れするのみです」

「……まずは人集めだ。拠り所もなく自立からも見放された者を集め、幻術と呪術で簡易的に魔力を与える。外形的には社会に不満のある者が徒党を組んで学校を襲撃したという体でいく。学校の包囲さえ整えば、ヨウの後生は自ずと出てくるはずだ」

 そういって、二人は手近な駅へと向かい、歓楽街へと繰り出した。


 ……そして午前十一時を少し回った頃、フォンらの計画は実行された。

 明星園高校には併せて三つの校門がある。まず校舎北側の前庭側にあり、開校時間中は常時開け放たれた正門。次に平時は非常脱出のための潜戸以外は南京錠で施錠されたグラウンドに面した南門。三つ目は東棟校舎裏の門、施錠の状態は南門と同様である。

 その南門と東の裏門の潜戸を塞ぐように、レンタカーナンバーのライトバンが横付けされた。まるで作業現場についた日雇い労働者のように、車からはくたびれた服装の男女が降りてくる。手にはそれぞれ、金槌や鉄パイプ、木の角材などを持っている。

 それらは互いに合図も言葉もなく、ぞろぞろと校内に入っていく。

 その動きにやや遅れて、正門にレンタカーナンバーの軽自動車が進入する。

 門扉に控えた警備員が車に駆け寄って呼び止めるように運転席の窓をノックした。これに後ろの座席の窓が開く。そこにいたのはサングラスをしたフォンであった。

 フォンは警備員に話すようなそぶりで顔を寄せ、紫煙のように幻術を顔に吹きかけた。

 警備員はこれにたじろぐように二三歩下がったが、すぐに平静を取り戻した。軽自動車を駐車場に誘導し、体育の授業の生徒が出払ったばかりの、門扉を閉めて閂をかけた。

 きびきびと軽自動車にオーケーサインを出し、警棒を抜いて門扉の内側に身構えた。その顔は至って真剣で、誰一人として外には出さないと言わんばかりである。

 駐車場に止まった車からフォンとディエリを含めた四人ほどが降りて、まっすぐに校舎正面受付へと向かった。

 程なく正面受付と職員室はフォン達に制圧され、彼らの手で避難警報が発信された。


 一年四組の生徒は、全員市営公園の運動場に留め置かれた。

 生徒の大半は、携帯や財布などの貴重品は授業前に教科担任に預けている。今携帯が手元にあるのは、自己記録をアプリで把握するため預けずにいた生徒だ。

 警報のことはまずそうした数名から口伝えに全員に知れ渡った。

 教科担任はクラスの全員を呼び集め、貴重品類をその場で返却し、全員に言った。

「えー、まず今回の警報は訓練ではない。詳細はわからんが、学校でなにかあって全校避難となったのだけは確かだ。帰れるものは安否確認を済ませて帰宅。教室前のロッカーに財布置いてるとかについては電車賃くらいはなんとかするから残りなさい。以上、解散」

 そう指示され、一年四組は名簿順に名前を呼ばれるのを待つこととなった。

 三人組で最初にその順番が来たのは桜塚航真だった。いつもは一緒に帰っている青木舞雛は公園の隅に座っていた。聞けば、同じ部活の子らが来るまで待ちたい、との事だった。

 航真は、尸遠と遥歩を待っていると、不意に頭に語りかけてくる『思念』と嗅ぎなれた『匂い』を感じた。振り向くと、公園の立木の上の方から『気配』がする。

 まさかと思って駆け寄ってみると、そこにはホウの放った鳥型の『屍肉傀儡』が居た。泥とジビエの食渣で出来たそれは、相変わらずにグロテスクな見た目だった。

(どうした、なんかあったか?)

(今朝からいろんな匂いの人が屋敷を出入りしてて大変です。今日のお散歩も無しになりました。母上がご無事か心配で、これを放ったんです)

 ホウに遠隔操作された屍肉傀儡と航真はそう思念を交わした。このやりとりも多くはできない。前世動画で魔力に目覚めた他の生徒に聞き取られるおそれがあるからだ。

(学校が誰かに襲われたらしい。一元さんも予知できなかったのか)

(先程急にわかったそうです。また妨害があったんだと思います。私も行きましょうか?)

(来るな。たぶん警察が来る。お前まで犯人と一緒に捕まるようなことは避けるんだ)

(はい……けど、ご無事そうなのでひとまずなによりです)

 航真は少し考えた。

(……学校がどうなってるか、見てきたか?)

(はい。懐かしい匂いがしました。いつもの母上と同じ服の人間は、部屋にこもってますけど、建物の外を懐かしい匂いが濃すぎて動けないようでした)

(懐かしい匂いってのは、お前の母親だった頃の世界のなにかのことだな? 集団で襲われてるのか)

(はい。たぶんそうだと思います)

(一つ質問、いいか。お前の母だった俺は、魔法が効きにくくて、怪我もすぐに治った。その体質は、俺の体にもあると思うか?)

(はい。多少はその匂いはします。けれど、以前の母上の一番の強みは筋力です。今は人間の体ですから……そちらの方はしょせん人間の域は出ないかと)

(ああ、わかってる。多分今のお前と本気で取っ組み合いをしたら勝てないだろ)

(はい、魔人と人間では体の元が違いますから。佐藤と腕相撲をしても負けると思います)

 それを聞いて、航真はため息をついた。

(何考えてます?)

(尸遠が行く気なら、俺も行こうかと)

(爺さんの孫ですか。あの方は術の力は強いですけど体は弱々しいですからね)

(とりあえず様子を見る。悪いが巻島を見張ってくれるか? 一人で学校に戻る様子なら……)

(わかりました、お知らせします)

 そうやり取りする背後で体育教師が「巻島」と呼ぶ声がし、航真はこれに振り返った。


 尸遠は返却された携帯で早速祖父からのメッセージを見ていた。

『学校で起きた事態は、異世界人によるものだ。犯人は複数の地球人を操っている。何もしなければ生徒にも被害が出る。だが、お前の死霊術なら制圧できる』

 これを見て思わず顔を覆った。返信を打つ。

『警察は? 間に合わないの?』

『警察が介入すれば死傷者が出る。お前の力であればそれを避けられる』

 尸遠は苦々しく画面を見つめた。『死霊術』はこれまで、祖父と屋敷の人間だけが知る秘密だった。可能ならば、一生秘密にし続けたいとすら思う力だった。

 確かに今は、前世動画の影響で、誰が魔法や死霊術のような超常的な能力を持っていても不思議ではない。それでも、人前で使うのはいまだに抵抗感がある。

 一方で、警察も前世動画の影響による凶悪犯罪には銃の使用を辞さない姿勢を見せている。警察の介入があれば死傷者が出るというのは、そういうことなのだろう。

 だからこそ、警察が介入する前に極力内部の能力者が自発的に動いて鎮圧するのが望ましい。そういう話題は、祖父とも巻島屋敷の者とも、これまで意見を交わしてきた。

 尸遠としては、能力の使用には消極的だった。だが祖父はそうではなかった。そういう場において能力を使うことでこそ、異世界性能力は不当な風評に抗いうるというのだ。

 尸遠は何度か大きく息をついて、腹をくくった。

「ごめん、先帰るわ」

 遥歩にそう告げて、尸遠は一人、最寄り駅へ向かう生徒に混ざって公園を出た。そして何食わぬ顔で横道に入り、そのまま学校の裏門方向へと向かった。

 ……それを、ホウの使い魔は空から見ていた。使い魔はまっすぐに航真の元へ戻った。

(母上、爺さんの孫が学校に向かいました! 今頃西に五十歩ほどのところです)

 その囀るような思念の声を聞いて、航真も遥歩の肩を叩いた。

「俺、シェルターに顔出してくる。ニュースになったら多分みんな心配するから」

 そう告げて、最寄り駅とは違う方へ向かう。尸遠が学校へ向かう道への近道だ。

 ほどなく遥歩も教師に呼ばれる。安否確認を済ませ、自分も帰ろうかという時だった。

 スマホの校内ICTアプリに動画配信の通知が出る。再生すると学校の放送室の背景。

 そしてそこに映った者を見て、遥歩はぎょっとした。


『前世の夢』で見た目が四つある人相の男が二人。

 夢の中で養父だった男、そしてもうひとりは前世の自分とよく似た顔だった。ただどちらも最後に見た時より二十近くは老けている。

 画面の中の老人はマイクを手にして言った。

「生徒および教職員の皆さん、これは、犯行声明であります」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る