32 避難訓練。
二学期中間試験も明けた頃の午前一〇半、次の授業のために校舎一階に降りて体育館に向かう途中であった。
十一月の休みに映画でもいかないか、などと話をしていた三人の携帯が一斉に震えた。
見ると校内ICTのアプリからの警報である。バイブレーションのみというのはある種の状況を想定した設定で、通知には『臨時避難訓練』とある。
三人は運動着のジャージと体育館履きを小脇に抱えたまま、ぞろぞろと近場の男子トイレに入った。
トイレ内は既に同様の生徒が既に男女を問わず男子トイレにひしめいている。
「またマジカルか」
「先月もやってなかった?」
「この前の都内の中学校の襲撃でピリピリしてんだろ」
二週間ほど前、都内の公立中学校にて異世界性能力を持つ卒業生による、過去のいじめ被害へのお礼参り襲撃があったのだ。警察は銃器を使用。だが犯人には通用せず、流れ弾が廊下の内壁を貫通、教室に隠れていた生徒が流れ弾を受け、重傷者が出た。
「……窓の安全確認やるから、用具入れに近い人、脚立出してー」
そんなやりとりが聞こえる。
壁際の一人が窓の鍵を外し、大きく開け放って身を乗り出し、屋外の左右の安全を確認する。その一方で、用具入れから踏み台を出して広げて、窓のそばに持ってきた。
生徒達は次から次へとその踏み台を登って、窓から校舎の外へ出ていく。
そのまま生徒たちはぞろぞろと教室の窓より身を低くして校舎裏を蟻の行列のように進んでいく。向かう先は裏校門の施錠されていない潜戸である。
見ると、行く先の一階に教室のあるクラスの窓からも続々と生徒が校舎裏へ出てくる。
避難中は原則的に校舎を出たら避難先につくまで私語厳禁である。トイレから校舎裏に出た生徒達は、一応守っている。別に全員律儀だからとか真面目だからとかではない。
理由は、犯人役の教員にバレた場合、追跡されて放課後反省文を書くというペナルティを食らうためである。ある意味で、全校上げての順路経路の決まった鬼ごっこのようなものだった。
この避難訓練は、生徒間では『マジカル避難』と呼ばれていた。
校外に出た後の行き先は、学校から三百メートル離れた市立公園の広場である。
十一月には持久走大会の練習で体育の授業のたびにこの公園の広場を走ることになる。
今日は午前の避難訓練のため、公園で安全確認を済ませた生徒は学校の体育館に行く。
ちなみに警報が着信した時点で一階にいる生徒は全員、窓から避難する。二階以上の生徒は、ひとまず最寄りの教室のクラス名のプレートを外して教室に潜み、ドアに鍵を掛ける。間に合わなかった生徒はトイレの個室に隠れる。そして犯人の現在地を校内ICTアプリごしに把握しつつ、避難可能な教室から校外へ脱出する。
このため、全生徒の安全確認がとれるまで最短でも三〇分は掛かる。この時間の長さが、地震や火災の避難訓練とは違うところだった。
避難先の公園で待機している教員と安全確認を交わすと、ようやく息ができるというようにめいめい喋り始める。そしてだらだらとした通学時に似た歩みで、学校へ戻っていく。
「やっぱ映画行くのやめようか」
学校への戻る道すがら、遥歩がそんなふうに言い出した。
「なんで? 行こうよ。そういうの夏休み以来じゃん」
尸遠が無邪気にそう言った。三人は夏休み中二度ほど一緒に遊んでいる。一度は映画鑑賞、二度目は巻島屋敷でのバーベキューに尸遠の友達枠で参加した。
このバーベキューは、あくまでも地球の人間ばかりの集いだった。
むろん、遥歩には巻島屋敷の秘密は明かしていない。そして他の来客も尸遠の中学時代の友達、一元の芸術家仲間、尸遠の両親の同僚や取引先、芸能人や音楽家など普通の地球の人間ばかりである。
尸遠に誘われて行ったものの、二人はその景色に住む世界の違いを感じるばかりで呆然としたものだった。
それを思い出してか、遥歩はふっと鼻で笑ってから、首を横にふった。
「いや、映画館でマジカルに巻き込まれたら逃げ場ないなーって思って」
これに二人はああと相槌を打った。
「そういえばあったねえ。映画館に『自分は魔法使いだ、これから襲撃する』って予告したヤツが訴えられたって話」
航真がそんなことをぼやく。その事件は梅雨明け頃に発生したものだ。映画館は単館上映館で、当時上映していたのは、いわゆる政治批判色の濃い作品だった。そして犯人は上映中止を求める活動に扇動された何の特殊能力もない普通の人間だった。
だがこの事件の余波は意外にも大きく波及し、最終的に今年の夏に開催予定だった東京五輪は警備計画の見直しのために来年に延期という前代未聞の事態に陥った。
「え、見に行こうって言ってる映画そういうポリティカルなキレッキレのやつなの?」
そう尋ねる尸遠に遥歩は思わず吹き出す。
「いや、普通にアニメ映画だよ。今行くと激混みだろうけど、その頃になれば多少はマシかなと思って。けど、今の世の中、普通の人が幸福そうに見えて、それを恨んでるような人が結構居るんだなって思ったら……映画館とか逃げ場ないなあって思って」
そう言われて、二人は頷いた。
「じゃあ、どっか開けたトコでも遊びに行こうか。遊園地とか」
「爺さん絡みのイベントならいってもやらんことはない」
そういう遥歩の言葉に、尸遠は目を丸くし、航真は笑った。
「ああ、このメガネは味をしめてしまったか……有名人まみれのあの場に」
尸遠がそうぼやくと航真が一層笑い、遥歩は口を尖らせた。
「バーベキューの時にちょっとだけ話したら、いい話してもらったから」
「どんな話?」
そう尋ねられて、遥歩はふっと笑む。
「ないしょ」
そういわれて、二人はそれ以上聞かなかった。
……いや、少し踏み込んででも、聞くべきだったのかもしれない。
夏休みの半ば、巻島屋敷にてバーベキュー会が催された。その場でのことである。
遥歩はその晩、少しだけ一元と話したことがあった。
夕暮れ時から、庭先で花火が催されたときだ。さすがにビルの谷間で火の玉が打ち上がるような花火はなかったが、火花の柱が立ち昇る花火や手持ち花火などである。
煙の行く先を気にしない花火など、合宿や夏休みの旅行くらいでしか経験がない貴重な機会だ。航真は尸遠の中学の友達の輪に混じって動画などを撮りながら遊んでいる。
遥歩はそれを遠巻きに見ていた。そしてふと時間が気になり、時計を探して屋敷の窓を見た。広間では大型テレビがつけっぱなしで、音もなくニュース映像を流していた。
前世の記憶を取り戻した者による特殊能力を使った犯罪の速報だった。
「またか」
遥歩が思わずそうぼやくと、すぐ近くから
「花火は飽きたかの」
というしゃがれた声がした。
「いえ、そんなこと」
とっさにそう応じながら振り向くと、そこには美術の教科書で見た顔、巻島一元がいた。
「あ、そんなことないです。あそこのでかいのほどじゃないですけど、楽しんでます」
そう言って尸遠と手持ち花火の軌跡で闇に図形を描いて遊んでいる航真を指差す。
「じゃあどうしたね」
「いえ、なんとなく中を見たらテレビがついてて、その内容が……」
そういうと、一元も屋敷の中をひょいとのぞく。そして納得したような声を漏らした。
「……前世動画とやらの事件か、たしかに近頃多いな」
「ええ、学校でもそういう事件が起きた時のための避難訓練とかやってます」
「そうか、まあ、取り越し苦労に終わってくれるといいがの」
「ええ、全くです」
「……ところで、君は見たのか?」
「前世動画ですか? いえ、まだです」
「ほう、そういうのには興味がないか」
「全く興味がないわけじゃないですけど……ちょっと怖いですし」
それを聞いて、一元は火遊びに暮れる孫たちを眺めながら、ぼやくように言った。
「君くらいの年頃は何事もまずは経験してみることだと思うぞ」
「そうですか? 見た結果で自分が変わっちゃったら、って思うんですよ。ニュースの犯人とか、おとなしい人が前世を知ったせいで性格変わったって感じのも多いですし」
一元はうんうんと頷いた。
「そうか。だが、本当に人間は一晩寝ただけでそこまで変わるものと思うかい」
そう言われて、遥歩は少し笑んで首をかしげた。
「それもそうかもですね。どうせ前世なんて、大したもんでもないだろうし。それでも、もし今よりモテてたり、お金持ちとかだったら、ちょっと凹むかなって」
それをきいて、一元はふふと笑った。
「なるほど。わしもこれまでいろんな人と会ったが、どんなに恵まれた立場であれ、不遇の立場であっても、その人にしかわからん苦労というものはあるものだ。それを知らずに、人は他人を羨んだり蔑んだりする。前世とやらを見て違う人生を知ることができるのなら、そういう考えも人の中から消えるのではないかとも、わしは思う」
「確かに、人の苦痛を想像も出来ない人っていますよね。僕もそうなりたくはないです」
一元は自嘲げに笑った。
「すまんな。ジジイになると説教をする癖がつく」
「いえ」
「君の好きにしなさい。人に強いられるのと自ら行うのとでは、物事の感じ方は違う」
「そういうものですか」
「そうだなあ、学校の課題で何かを調べるのと、自分で興味をもって調べるのの違いと同じだよ。……それを踏まえた上で、興味があるなら、早いうちに見ておいたほうがいい」
「そうですか」
「ああ、近々あの動画は日本から見られなくなるかもしれん。多少はコネがあってな、そこから聞く限り、AIで動画を検閲して閲覧不能にする技術を開発中だそうだ」
「それで前世動画が止まるかもしれないと」
「ああ。後悔しないうちに、興味があるなら見ておきなさい」
そう言われて、遥歩は「少し考えてみます」と応えた。
そこに、別の賓客と一元の目が会い、先方は真っ直ぐにこっちに寄ってくる。
それに気付き、遥歩はさっと一元に軽く頭を下げた。
「今日は、ごちそうさまでした」
「いや、こちらこそ、来てくれてありがとう。これからも尸遠をよろしくたのむ。……それじゃちょっと失礼するよ」
そう言いながら、一元は杖をつきながら、寄ってきた賓客の方に歩いていった。
それを見送って、遥歩は少し考えた。そしてその夜、遥歩は前世動画を見て眠った。
見た夢の内容は、端的に述べて『前世がチートだったのに魔王に返り討ちにあった勇者』だった。目が覚めてしばらく呆然とした。
……夢の内容を、尸遠と航真には話していない。気恥ずかしくて話すつもりもなかった。
だが、自分に見ることを勧めた一元になら、感想くらい話してもいい気がしていた。
それほどに大げさな内容の『前世』だった。
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