31 それからの五ヶ月。
三日後の晩、一元の予言通りホウは航真の家に現れた。一軒家の二階の窓からだった。
自室に通して理由を聞くと、これまた一元の予言通り、佐藤に体を洗われたという。自分の匂いが弱くなってしまった上に、花のような匂いが不快とのことだった。
その晩は親に内緒にいて、念の為に買い置きしていた肉を食べさせ、一緒に寝た。
明け方、ホウは航真を起こし『お屋敷に帰る』と言い残してベランダに出ていった。
ホウが飛び出していった先を見ると、向かいの家の屋根上に、ティーシャツ姿の佐藤が、すっくと立っていた。その手には、ホウのために捕まえたと思しき土鳩が持たれている。
それを見て航真は窓から頭を下げた。すると向こうもうやうやしく礼を返し、二人は一緒に建物の屋上を飛び渡って巻島屋敷の方へとかえって行った。
その日、航真は気になってボランティアが終わった足で、巻島屋敷に行った。
日暮れ時、ホウは大犬の姿で、使用人や弟子達とフットサルのような遊びに興じていた。ホウはふと航真の匂いに気付いて、遊びの輪を抜け出て彼に飛びついたものだった。
その毛並みは先日雨の中抱き上げた時に比べて、ふんわりと柔らかになっていた。
(心配して見に来たけど、仲良くやれてるじゃないか)
(あの中に言ってることが通じる者がいたんです! あの半魔人の女はこちらの考えていることは汲んでくれますが、ほかはこちらの言いたいことは伝わらなかったので!)
通じる者、と指摘されたと思しき褐色の肌の年配の男が一人、ふらふらになった足取りでこちらへ来て、ぺこりと頭を下げてくれた。
(どうも、こんにちは)
ホウの云う通り、その弟子の思念が航真の頭にまっすぐに飛んできた。
(この子がお世話になっています)
反射的に思念で返すと、その男はにこりとした。そして、ホウを見て手招きする。
(ほら、まだゲームは続いてるよ。早く戻って)
(では母上、頑張ってきます)
(ほどほどにね、人間はその姿の君ほど速くも長くも走ってはいられないから)
ホウはハウと喉を鳴らして返事し、パスに割り入るようにボールに突っ込んでいった。
これを見て、航真は心底安堵したものだった。
航真は一応屋敷に顔を出したが、一元は都内の事務所に、佐藤も買い出しに出ており、航真に応対したのは新発田だった。
そこで、次にホウを風呂に入れる時は航真を屋敷に招くよう手配するなど意見を交換した。そして遊び疲れた面々が戻り、ホウとしばらく過ごして帰った。
ホウが航真の家に逃げ込んで来ることは、それきりなかった。航真が心配して週に一度か二度は巻島屋敷を訪れた。ホウに話し相手が居るのが効いているようだった。屋敷の人間、特に佐藤との仲を念入りに取り持ち、風呂も不満ながらも我慢して入るようになった。
航真にとって、学校、ボランティア活動に加えて巻島屋敷への出入りが加わり、時間は飛ぶように過ぎた。
その間に、世間は前世動画を中心とした騒ぎが頻発するようになっていた。
最初期は、本人の任意外でサブリミナル的に見せることで昏倒させる、レイプドラッグのような手口として注意すべきものとして認知された。そうした目的で使用する上で汎用性の高い動画として、転載してもその催眠効果の消えない『前世動画』は周知された。
一方で前世動画閲覧者専用マッチングSNSというのが海外で立ち上がった。使用言語からコミュニティとして各世界および地域民族などが区分され、使用言語をピンインのようにラテン文字化した文章で交流するものであった。
この頃はまだ『前世』は新しいカルチャーとして好意的に扱われていた。
前世動画に最初に警鐘を鳴らしたのは世界保健機関だった。特筆されたのは前世動画による死の追体験の心理的悪影響への懸念である。もっとも、これは多くの国々でほとんど軽視され、SNSを介しての再拡散の連鎖は止まらずに続いた。
続いて生じた問題は、超常的な能力によるテロや通り魔事件だ。この犯人達に共通点として、『前世動画』の視聴による前世の魔力や魔術に開眼にあった。この頃には、何らかの形で前世動画を視聴した地球人は世界で数億人に達していた。
最初の『前世動画』公開から二ヶ月半を経て、先進各国はまず元の動画を規制をしようとした。早々にオリジナルは公開停止になったが、これに反発した人々がSNSで再拡散したため、歯止めが聞かなくなった。第二の策として、前世に由来した魔法や魔力といった地球の科学技術の上では超常現象的な能力の一律に規制する動きを見せた。
特にネット検閲での自動削除やアップロードの重罪化と摘発といった対処を真っ先に行ったのは、内乱を恐れる強権的な大国や独裁国家などであった。同時にそうした国々は軍部など内部での閲覧を推進し、軍事力開発としての能力者の獲得に動いた。
続いて魔術や魔力を統合し『異世界性エネルギー技術』と称する考え方が台頭し始めた。その主張は魔力や魔術の積極活用は、地球の二酸化炭素排出を伴うエネルギーに由来しない、いわば環境問題に適応しうるエコロジーなエネルギーであるという見解である。
これは主に前世での魔術や魔力の研究分野にいた者達が、既存のエネルギー研究者達に協力してこれを裏付ける情報を提供するようになった上での動きである。
以降、各国の前世動画とそれに関連する議論は規制派と異世界性エネルギー派に分かれて拡大、分断、並行線を辿るようになった。
この渦中で、香港やミャンマーのような地域の抑圧された民主活動家や自由主義国家の民族主義者など、政治的背景を持つ魔術使いの活動家が良くも悪くも注目されるようになった。
日本も、敵性国の軍事転用対策の解析、という前置きの上で防衛省が魔力研究を開始。
政府は『既に規制不能なまでに前世動画は拡散され切っている』とし、知る権利に基づいて検閲はせず『視聴しないよう全国民にお願いする』に留めた。
同時に学校や一般企業は、魔力使用者による加害目的での施設侵入に備え、アメリカの乱射事件発生時対応に倣った警察到着までの自衛および避難計画を用意するようになった。
……そして明星園高校でも文化祭に先駆けて、対テロ避難訓練が実施された。
内容としては……校庭にいる生徒はそのまま校外へ避難。校内にいる生徒はトイレ、一階教室、二階以上の教室で対応が分かれつつもまず身を潜める。そして校内ICTで犯人の位置情報を交換しつつ、避難可能な生徒から順次校外へ避難……という具合である。
……尸遠ら一年四組は「世の中物騒になったね」などと言いながら、施錠された教室の中でのほほんと文化祭のお化け屋敷の準備を進めたものだった。
そしてこの間、三人は互いに身近な『前世に由来する能力の開眼者』や『異世界からの来訪者』については一切口外し合うことはなかった。
各国が前世に由来する魔術師や能力者達の取締を強化する中で、『能力に開眼したものの、平穏な生活は保ちたい』という一般市民は自らの前世を秘めるようになっていた。その実情を英語圏のメディアは『かつて同性愛が違法だった時代の再来のよう』と表現した。……これに、巻島屋敷の人々は共感しつつも、粛々と自分たちの生活を営み続けていた。
巻島屋敷の住人および従業員は、更に三人増えた。皆、異世界からの亡命移民だ。
本来ならば『機関』経由で海外の受入れ機関に引き取られる予定だったが、その国が『異世界性能力』を危険視する傾向が強まり、国内の身元引受先が預かる事になったのだ。
この頃、一元は作品制作より政府関係者との面会に時間を取られていた。
それは今後の一層の混乱を意味していた。それでも祖父は孫への『非常用直通』を欠かすことはなかった。特に頻度が増えたのは、能力者を感知する魔術師によるストーキング対策だ。
このまま地球が混乱を続けるのであれば、ホウも一度、生まれた世界へ返した方がよいのではないか、という話になった。だが、当のホウはこれを拒んだ。理由は航真にも明かさなかった。佐藤は感知していたようだが、
「私の口から話せばあの子との信頼関係が崩れます。あのモフモフは裏切れません」
と言うだけで、一元にも航真にも告げられることはなかった。
九月、秋分の日を軸とした連休の文化祭は、特に問題も起こらず終了した。
そして十月、再び冬服を着る頃だ。尸遠は相変わらずオーバーサイズのジャージだった。
航真と遥歩は、それぞれいくらか背が伸びた。
気がつけば、学校で昼飯を食う三人の関係も秘密が多くなっていた。代わりに無難な会話のきっかけを探しては三人で他愛もないことを貪るように話すようになっていた。これが恋愛だったら冷めていたことだろう。だが、友人というのはそこまで気を詰める必要もなく、案外惰性でもなんとかなるものだった。
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