30 二人のこと
前世を夢で追体験する動画を公開してから三日、再生数は五千万回を突破した。
ホテルのベッドの上でスマホの画面を見つめる青衣の青年は、笑みを堪えられずにいた。
「本当に収益化しないんですか? このペースなら数億再生もありえますよ そうなれば数千万円にはなります」
これに紫衣の老人は、澄んだ褐色の目でテレビ画面を見据えたまま首を横にふった。
「しない。金の流れが生まれれば、我らの特定も早まる。このまま匿名を維持する」
テレビは夕方のニュース番組が速報で愛知県のショッピングモールの航空撮影映像を流している。
『放火犯、無事逮捕』
そう大きなテロップが表示されている。
ほどなくスタジオでのニュースキャスターの映像に切り替わる。
「本日午後三時頃、○×モールにて発生した大規模放火事件ですが、犯人が無事逮捕されたとのことです。現在入っている情報につきましては引き続き特集にて……」
老人はタブレットからブラウザ経由でSNSに接続し、事件があった施設名で検索した。ほどなく一般人がスマホで撮影したと思しき犯行当時の映像が出てくる。
……ジリジリという警報ベルの音、消火装置による大粒の水滴がレンズを濡らしてにわかに映像を歪めている。フロアは煙とも湯気ともつかないモヤが立ち込めて、避難者が画面の手前へと走り、すれ違っていく。
もやの彼方には、人型の炎がゾンビのように歩き、竜の息吹のように炎を伸ばしている。
その炎が手前に伸びると、撮影者と思しき悲鳴と共に画面は真後ろのフロアの床を映し、逃げるように駆け出す足元で動画は終了した。……
「……予想できないことではなかったが、こんなに早く生じるとはな」
「何がですか?」
「前世の力を、現世の恨みに用いる者だ。我らの動画が元と知れれば、追手が探し始める」
これをきいて、青衣の男のそれまでにやにやとしていた顔がすっと青ざめた。
「追手というと、警察なり公安なりが来るのですか?」
「そうだ。再拡散が期待できる仕様にしておいて正解だった。削除されても、誰かがコピーしたものを再びアップロードして再拡散してくれれば、己の前世を知る者は増え続ける」
タブレットの電源を落とし、短い読み込み表示の後、画面を暗転させる。
「それで、だ。しばらく身を潜めようと思う」
「というと」
「何ヶ月か『双龍の輪』に帰る。幸い勇者殿の現世の所在は判っている。学校という環境は羊の家畜小屋のようなものだ。出入り口を抑える頭数を揃えて、封鎖さえ上手くすれば、あとはじっくりと勇者を探すことができる。焦って動く必要もない」
「なるほど……ところで、勇者殿が動画を見ていなかった場合はどうすれば?」
「学校の設備には校内放送というものがある。それで改めて生徒全員に術を施す」
「では、こちらの通貨や持ち物はどうしましょう」
これに、紫衣の老人はサングラスをかけながらにやりとした。
「しばらくはこっちの飯は味わうことはできん。今夜は豪勢にやるとしよう」
そう言って、彼は白杖に手を伸ばした。
紫の老人、生まれた時の氏名をフォン・ヴィトレイと言う。幻術士の名家ヴィトレイ家の養子として育った。
家は王都の幻術士として栄え、王宮でも実演するいわゆる娯楽芸能の名家であった。だが実際に王族の前で術を披露するのは養父と嫡男で、フォンが担うのは下準備であった。
特に主だった仕事は、国王が国営事業として派遣する魔物狩りの帯同である。魔物狩りは大昔のように貴族が度胸試しと行楽を兼ねて行うものではなくなっていた。そんな集団を連れ回せば『魔王』直属の部隊の強襲を受けて、著しい損害をこうむるためである。
現在の魔物狩りは、魔術触媒の採取を目的とした魔物の領域への強行潜入である。狩猟隊は対魔族戦の専門家の少数精鋭で、潜入から撤退までを徹夜で敢行する。
そんな小集団に随伴する幻術士の仕事は、魔物の認識能力を阻害して狩猟隊を隠す役目だった。狩りの後も撤退先に待機した素材剥ぎの職人の側につき、幻術に適した魔力媒介部材である目玉を確保する役目がある。
その血生臭い仕事を、同じくヴィトレイ家の養子である叔父と十代から続けてきた。
彼の生活に転機が訪れたのは、魔物狩りの随伴をはじめて一〇年を過ぎた頃だった。フォンは都に呼び戻され、結婚するようにヴィトレイ当主より命じられた。
相手は王宮魔術書院の院長ラヌイ侯爵の一人娘にして書院司書のエリエ・ラヌイだった。フォンは婿としてラヌイ家に入った。この結婚はヴィトレイ家とラヌイ侯家の門閥を目的としたいわゆる政略結婚だったが、当人同士も惹かれ合い、円満にこれを受け入れた。
フォンの暮らしは一変した。それまで現場で実務職として幻術を行っていたのが、魔術書院での研究職に宗旨変えしたようなものである。
一見相容れないようでありながら、一〇年の現場経験は意外な形で活かされた。それは魔物の瘴気代謝の研究である。これは素材剥ぎを間近に見てきた経験が助けになった。
人間が魔力代謝を得るための研究、更には人間に外形の近い魔人と呼ばれる魔物から摘出した魔力代謝器官の人間への再移植の研究などにも関わった。これらの研究は総じて失敗に終わったが、副産物的に得た知識は多かった。
例えば前世が魔物ないし魔人だった人間が、前世の記憶を取り戻した際、魔力代謝が限定的にだが人体上で再現されることなどである。これは研究素体の刑人に処した、前世を睡眠時に追体験させる幻術からも確認された。
つまりこれを上手く使い、神獣級の魔物の前世を持つ人間を見出すことができれば、人の身でありながら魔神の如き力を持つ魔法戦士を養成することも可能ということであった。
フォン・ラヌイは、この存在を魔物の種族と領域を越えた統率者である『魔王』を打倒しうる存在『勇者』と名付け、その候補の捜索を国王に上奏した。
だが、当代の王はこれを却下した。理由は前世の素性を根拠とした人品の格を再定義する試みは、生まれによる秩序、特に王政と貴族制に悪影響があるとしたのである。
フォンはやむなく、単独でこの試みを為すことにした。先ず協力をとりつけたのは、予知能力者の家系スヴェン伯爵家であった。
それより一〇年余りを経て、スヴェン卿は『勇者』となりうる子供を特定した。
この間、王は代替わりし、フォンもラヌイ家に伝わるその地を支配する言語や文化、法といった知識を一息に取り込む『全知』の術を会得した。そしてその術を介し、魔術書院に集まる最新の魔術知識のほとんどを把握する『司書』の地位を得ていた。
『勇者』として見いだされたのは、忌み子として捨てられた双子の兄弟だった。スヴェン卿は、可能ならばこの子らを養子として養うように勧めた上で、双子をフォンに託した。
ラヌイ夫妻は、兄をヨウ、弟をディエリと名付けた。
それぞれに前世を夢に見させると、ヨウの前世は異世界の天と地を支える巨大な霊樹、ディエリはその霊樹の節穴に巣を作った異世界間を行き来する渡り鳥だった。霊樹は、世界を転移して侵略を繰り返す異世界文明の炎で焼け落ち、その世界は霊樹の焼失とともに消滅した。その時、渡り鳥も巣の卵を守ろうとして死んだのである。
フォンは、ヨウを絶大な霊性の持ち主と見極め、『勇者』として再び新王に上奏。新王は、魔力資源採取の妨害者『魔王』の退治を目的とし、『勇者』ヨウの育成を認めた。
フォンは魔術書院で知り得たあらゆる魔術的付与をもってヨウを強化。そして全知で知り得た限りの守護を身に付けさせる旅に出た。
一方弟は書院長を継いだエリエに育てられ、後に異世界転移に関する部局に身を置いた。
ヨウが戦友や恋人を得て旅から戻ると、隣国は魔王により攻め滅ぼされていた。自国も魔物の領域に対する後背の他国との関係悪化から、人間同士の戦争の危機に瀕していた。
そして最後のつもりで旅に出た。『魔王』を討ち果たす旅である。
……そしてヨウは魔王と直接まみえ、一騎打ちの上で討たれて死んだ。
端的に述べて、相性の悪い戦いだった。魔王の魔力の特質は自己治癒と魔力への免疫力に特化し、体質的に身の守りを極めていた。これが前世の霊性の守りによって抗魔性体質を強みとした『勇者』の強みとは噛み合わず、戦闘は純粋な腕くらべとなったのだ。その点において、勇者はあくまでもただの剣の腕の立つ人間でしかなかった。
そして勇者に替わって魔王を討ち果たしたのは、最初の旅で知り合った……この戦いに勝利した暁には、ヨウの妻となったであろう療養魔術に長けた異教の……乙女だった。彼女は折れた魔王の角を媒介に魔王自身の免疫力をあざむく魔術を放ち、魔王を内側から引き裂いて討ち取ったのだ。
フォンもその場にいた。一部始終を見た。だが自身も取り巻く魔物の攻め手が激しく、これらと魔術で打ち合うので手一杯であった。彼は魔王が倒れたとみるや、広域に五感を奪う幻術をかけて、勇者の恋人と手負いの旅の仲間を連れてその場を逃れた。
そうして、どうにか自国へと戻ると、フォンは王より『大賢者』の称号を賜った。
その頃には『双竜の輪』の人間諸国を取り巻く魔力の使用状況は大きく変化していた。魔術書院は大気中の魔力を触媒へと凝縮する方法を模索していた。王侯貴族だけが専有していた魔力技能を一般に広く開放し、触媒の消費量と流通量は莫大に増えたためだ。
これは隣国との戦争に備えての軍備増強を兼ねた動きから来るものであった。
しかも国庫に蔵している魔力触媒はほどなく枯渇の危機に瀕していた。国王は『魔王が討伐された現在、早急に大規模な魔物狩りを再開する』と国民に声明を発していた。
この状況の変化に、フォンはうろたえた。
そんな彼のもとに年老いたスヴェン卿が現れた。そしてこう告げたのだ。
「魔王が討たれ、魔界の統制が瓦解した今、諸国は戦争のために魔力触媒の供給量を増やしている。このままいけば魔物は狩りつくされ、この世界から魔力を代謝する存在は消え、瘴気に侵される……これを阻止するには、再び魔物世界を統合し、人間に抵抗する新たな魔王が要る。それは、よりも強力で、我らと裏で通じ合えるモノでなければならない」
フォンは問い返した。
「それを自分が担えというのか」
スヴェン卿はこう応えた。
「双子の片割れと共に、勇者の生まれ変わりを探せ。彼ならばそれだけの器がある」
この時、既にフォンは齢五〇を過ぎていた。『異世界渡りの鳥』の転生者であるディエリは、世界転移能力の使い手『青衣衆』の一人として成熟しつつあった。
こうしてフォンとディエリは勇者を探すべく、知りうる限りの異世界を巡る旅に出た。
現在、フォンは六〇代後半、勇者の弟ディエリも三〇半ばに差し掛かっている。
二人はその日のうちに『地球』を発ち、『双龍の輪』に帰った。それを追うものはなかった。
……『勇者』ヨウの後生を探す旅も、あと少しで終わる。
『双龍の輪』へは魔力触媒の補充のためにディエリは度々帰っていたが、フォン自身が戻るのは久々のことだった。
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