28 一元との対面
尸遠はトイレのついでに着替えてきた。ジャージではなくティーシャツと短パンである。
ほどなく、再び雨音と共に日が陰った。二人がかりで窓を閉めていると、先程の佐藤という使用人がまた現れた。
「お待たせしました。応接間の支度が整いましたので、よろしければおいでください」
そう言われ、二人は部屋を出た。黒い大犬もついてきて、佐藤は構わず応接間に通した。
部屋の上座の一人がけのソファに既に一元が座っていた。応接卓には三人分の茶と菓子、そして大犬用と思しきぶつ切りの生肉の皿が用意されていた。
「はじめまして、巻島一元です。孫の尸遠がいつもお世話になってるそうで」
そう切り出されて、航真も慌てて頭をさげる。
「桜塚航真です。こちらこそ、尸遠さんとは仲良くさせてもらってます」
肉の皿を見て、大犬は航真の顔を仰ぎ見てはあはあと舌を出した。
(あれ、私の分ですよね? 食べていいんですか?)
(俺じゃなくて出してくれた人に聞きなさい)
大犬は佐藤の顔を見た。佐藤は言った。
「おすわり」
(とりあえず座れってさ)
そう言われて、大犬はなんの躊躇いもなくソファの上に上がってちょこんと座る。
これを見て一元は手を叩いて笑った。
(こっちの人間の言葉はわかる?)
(まったくわかりません)
(じゃあちょっとずつ覚えようか。いまの『オスワリ』で座る。『マテ』がやってる事を中断して待機。『フセ』が這って待機。『ヨシ』がゴーサイン。当面はこれで問題ない)
(わかりました。がんばってみます)
(うん、お前はできる子だ)
まるでそのやりとりが聞こえているかのように、佐藤はずっと忍び笑いをしている。
「まあ、雨の中大変だったね。気にせずかけて、茶も飲んでおくれ」
一元にそう促されて、二人はソファの真ん中の大犬の左右に座った。そして、出された茶にとりあえず口をつける。ガラスの茶碗だが、中の茶は温かい。先ほど出された茶とは違う、緑茶ほど色の濃くない淡い色の茶だ。爽やかな香りで、航真の好みの味だった。添えて出された茶菓子も練りきりのようでパステルカラーの淡くも鮮やかなものである。
「いやあ、お待たせして悪かったね。私も昨日今日でばたばたと忙しくて……」
そういって、一元も同じ茶をすっと飲み干し、空いた茶碗に佐藤が二杯目を注ぐ。
「作品、ですか?」
航真は無難なことのつもりで尋ねた。だが一元はにわかに、首を横にふった。
「いや、来月から地方の個展で家を空ける予定だったが、それもさっき取りやめた」
「はあ」
それがどういう意味か航真にはわからなかった。だが余程の事というのは感じ取れた。犬を挟んだ隣で尸遠が足をぶらぶらとさせる。
「それよりなんの用? そんなに忙しいのに、ただお話ってわけじゃないよね?」
尸遠がすこし面倒そうに祖父に問う。航真はすこし様子を伺うように黙った。
佐藤が何か思い出したようにスマホを取り出して画面を手早く操作し、一元に見せた。彼はそれを一瞥して頷き、笑顔を作った。
「桜塚くんだったね。そう緊張しないで。隣のお行儀がいい子にもそれが伝わってしまう」
そう言われて、航真ははたとして肩の力を抜き、大犬の首筋を撫でた。
(楽な姿勢をして)
前世の息子は航真の膝に足をかけ、肘をつくように姿勢を崩した。その尾がふさりと尸遠の膝にかかる。
「くすぐったい」
小声でそう微笑む尸遠に、航真はすこし安堵した気持ちを感じた。
「なぜ、大型犬を引き取ろうと?」
航真のほうから話題を振るようなつもりで、軽く口にした。
「大型犬ではなく、始めからその子を側に置くつもりだった。仮に、体長三メートルの蛇だったとしても私は探し求めただろうね。性別はどちらだったかな。女の子?」
一元の言葉に、一瞬航真はとっさにはにかむような間を埋める笑みを作った。
「男の子です」
佐藤が言葉の間を埋めるようにさらりと言った。
航真はどきりとした。彼女が口にしたのは今まさに自分が応えようとした返事だった。
佐藤は尸遠の空になった皿に追加の菓子を差し出しながら、
「さっきおすわりしたときに、ちらっと見えましたので」
と言葉を足した。それを聞いて航真は安堵したが、やはり先程の聞かされた『心を読む』という言葉が頭をかすめる。
佐藤は軽い笑み顔で、航真と目が合う。途端、一元が軽く咳払いをした。
「佐藤、ここはもういい。君がいてくれた方が話が早いかと思ったがそうでもなさそうだ」
彼女はひとつ頷いて、軽く会釈のような礼を残して応接室を出ていった。
「彼にも食べるようにいってやってくれ。いまにもよだれを垂らしそうだ」
そういわれて、二人は間に挟んだ大犬の顔を見た。その目は肉の皿を凝視している。
(食べていいってさ……一応、注意して食べなよ)
航真に促されて、前足を床について角皿に盛られた臙脂色の生肉の匂いを嗅いだ。
(くさみのない新鮮な肝です。草食動物かな。知ってる毒の匂いはしません)
(草食ねえ、牛か馬のレバーかな)
だが、息子は、つんと鼻先で皿を押し、ふん、っと鼻息を吹きかけた。
「……口に合わんか」
「警戒してるんだと思います。賢い子のようですから」
「そうか」
そう言って、一元はソファから腰を浮かせ、身を乗り出した。そして角皿の指先でレバーを一枚つまみ上げ、そのままぺろりと自分の口に放り込んだ。
これを見て高校生二人はぎょっとした。だが一元は、構わず生レバーを噛み締めている。
「んー、やっぱりタレも薬味もなしとなるとちょっときついな」
「ちょっと、自分の家だからってそういうのやめて。友達の前だし、しかも犬のための肉を」
孫からそう言われてほうほうと笑いながら、皿の端を突き、大犬の鼻先に皿を戻した。
「しかし、こうでもせんと、その賢い子は、食べちゃくれんだろう。見ての通り、ジジイでも平気で食える。お前に食えない肉ではないだろう」
航真は唖然としながら、同時に納得して、自分の息子に訳して伝えた。
大犬は笑むように広角を開き、皿の上のレバーを飲むように食べ、皿までなめた。一元はこれを見て口元を拭いながら満足そうに笑んだ。
「そうだ、それでいい……保護施設の人の手前、ドッグフードも用意はしたが、この子は食わんだろう」
一元のその言葉に、航真は不安そうな顔で尋ねた。
「それより、いいんですか?」
「ん?」
「いやその、生レバーですよね、この子はともかく、一元さんは食中毒とか……」
これにああと今更何か納得したように頷いた。
「心配ない。わしがこれを食ってあたる未来は見えない」
この言葉に尸遠はすっと顔をそむけた。その表情はぎょっとして目を剥いている。祖父の『天眼』の能力を隠そうともしない素振りに驚いていた。
航真がうろたえて声を漏らす。それを聞いて、尸遠はあははと乾いた笑いを発した。
「この肉だってアレでしょ、本当は馬のレバ刺しとかでしょ? ねえ、おじい様」
いつもはじいちゃんと呼んでいる。それをおじい様と呼ぶのは一種の暗号であった。本来は身の危険について発するサインだが、状況としては、身バレへの警戒である。
一元は「いや」とこともなげに応えた。
「尸遠、隠すことはないんだ。この二人はとっくに気付いてる。特にこの毛深い息子さんは」
そう言われて、三人がけのソファに横一列に座った二人は驚きの表情をしめした。
航真は無言で固まり、尸遠は唖然とした顔で口を開いた。その母の顔を、犬は仰いだ。
「わしは、この『地球』とは違う世界からの亡命者だ。茶の用意をしてくれたさっきの使用人も、『地球』では佐藤なつきという名だが、別の世界で生まれ、別の名があった。彼女も事情があって体ひとつで『地球』に転がり込んできた身だ」
航真は無言で茶に手を伸ばし、一口すすった。
さっきまで心地よく感じられたはずの茶の風味がほとんど感じられない。精神的に茶の味どころではない状態である。ぐうっと一息に飲み干し、ガラスの茶碗を置いた。
それを見て、なお一元は話を続けた。
「わしはな、生まれながらにして未来を見る力がある。確実に生じる未来を中心に、可能性が低くなるほどに端のほうに、魚眼レンズのように見える……それによると、その子は、親の様子がおかしいことに不穏を感じて、そろそろおとなしくしていられなくなる」
二人の間に座った大犬のうなじの毛がちりちりと逆立っていた。その顔はすでに航真ではなく、真正面に向き合った一元老人を見据えている。
次の刹那、毛むくじゃらの四肢次第に伸びるようにむき出しの人の手足のように形を変えた。長い犬鼻が猿のような無毛になり、更に口元がくぼんで若人の顔になった。
「そして、君次第では、私は息子さんにこの場で殺される未来が見える」
次の瞬間、応接間の扉が爆薬でも炸裂したように、室内へ弾け飛んだ。
その弾けたドアの戸板に足裏を付けたドロップキックの姿勢で人影が飛び込んで来る。その姿は防犯用具のさすまたを携えたスラックス姿の女性、佐藤だ。
先程まで穏やかな笑顔で茶を入れていた彼女が、今は真っ赤な肌と瑠璃色に燃える目を光らせている。
戸板を飛び降りて這うように着地、佐藤はさすまたを槍のように構えて部屋中央へ突撃した。
それは、魔物の女王の末息子がソファを蹴って、一元へと跳んだのとほぼ同時だった。
そして、その両者が応接卓の真上で交錯する直前に、二つの『声』が発せられた。
(やっちゃだめだ!)
「待て」
次の瞬間、猫脚の応接卓が真ん中から沈むように二つに割れた。
そのダンッという一枚板の応接卓が割れる音と、布を裂くような一元が座るソファの肘掛けの革が破れる音。それから割れた卓の上を滑り落ちていく茶碗や皿の音がした。
再び静まったとき、応接卓の割れ目には、鉄パイプ製のさすまたが突き立っていた。
そして一元のソファの肘掛けに踏ん張るように手足をついた、青い首飾りの少年がいた。
その少年の腰の後ろから生えた狐のような太い尾を、赤銅色の肌に瑠璃色に眼を光らせ犬歯を牙のように口角からはみ出させた女使用人佐藤が掴んでいる。
ふうと最初に安堵の息をついたのは、一元だった。続いて驚愕した尸遠が浅く息をする。
佐藤は航真の前世の息子の尾を握りしめたまま、言った。
「フセです。名無しの権兵衛」
これに、魔人の姿のままおずおずと一元の膝の上に香箱座りのようなフセをした。
この態度に一元は大笑いした。それから、子犬でも撫でるような柔らかな手付きで膝の上の少年の背の毛皮を撫でた。これを受け、航真の息子はくすぐったそうに首をすくめる。
「……これで信じてくれたかね、桜塚くん。尸遠、今後は彼との間には隠し事は無しだ……ところでぼうや、名前はなんという」
唖然とする尸遠は、ぼんやりと頷いた。
魔物の女王の息子は、首をもたげて母の後生である航真を見た。
(母上、ジジイは何と? それとこの半魔人にしっぽを掴むなと言ってください。母上?)
航真は、呼吸をするのを忘れていたかのように、かはっと息をついて、肩で息をした。
(無事か?)
(しっぽが痛いです)
(一元さんには、怪我をさせてないか?)
(そんなことしません。脅すだけのつもりでしたし。この半魔人が大げさなんです)
(そうか……それで、ええと、一元さんか。なんと呼ばれたいか、だそうだ)
一元の膝の上で大犬の姿に戻り、ホウっと、浅く軽く吠えるような声を発した。
「だそうです」
冷や汗を拭うをように額をこすりながら、航真がそう返事した。
「そうか、ホウか。ホウ、好きなだけこの家に居なさい。腹が減って困ることもないぞ」
「……それと、掴まれたしっぽを離して欲しい、と」
これに佐藤は瑠璃色の眼を固く閉じ、開いた。その眼は元の暗褐色の瞳に戻っている。ふうっと息を吐くととともに赤銅色の肌は血の気が引くように元の色白に戻り、牙も唇のしたに引っ込んでいく。
「旦那様に危害を加えようとしたのだから当然だ、とお伝えください」
佐藤は声量こそおさえ気味だが、険しさを感じる口調ではっきりとそういった。
これに一元がなだめるように手をぱたぱたと払う。
「佐藤、わしゃ無事だ。放してやんなさい。もうこの子に関しては不穏な未来は見えん」
「いいえ、躾は肝心です。犬も魔獣も違いはありません。ソファにも勝手にあがって……」
これに航真が言いづらそうに発言権を求めて小さく挙手する。
「えー、こういう事をしでかした上で、こんなことを言うのもなんなんですが……犬のトレーニングは、体罰よりも褒めたほうが憶えがいいですよ?」
そう言われて、佐藤は軽く唇を噛んで、握りしめた尾を放した。
「ホウ、旦那様の膝から降りなさい」
佐藤が床を指差してそういうと、ホウと名付けられた彼はぷいとそっぽを向いた。
「こら、ホウ!」
「えーと、叱るときに名前を呼ぶのも、やめた方がいいかと……」
「じゃあどうしろとおっしゃるんですか!」
航真にとがめられて、佐藤は声を高くした。
これに尸遠は口笛を吹いてから「ホウ」と名を呼んで、自分の膝を叩いた。
ホウはこれに応じて一元の膝から床に降り、するすると尸遠の膝先に寄り添った。
「いい子いい子」
そう言ってホウの背や喉元を尸遠が撫でる。佐藤はそれをむすっと睨むように見つめた。
それを見て一元はまた笑い、航真は苦笑した。
一元はソファの背もたれに立て掛けた杖を掴んでよいしょと立ち上がった。
「……さて、ここは掃除が必要だな。部屋を変えて、今度は桜塚くんのことを聞こうか。わしに見通せる未来には限りがある。話してもらわねば、これから君に聞く話も生じなかった出来事として未来の予知から見えなくなってしまう」
航真はすこし考えて、頷いた。
「何かためらうところがあるのか?」
「……自分でもいまだに信じられなくて。なんというか、現実離れしすぎていて」
それを聞いて、一元はにやりと笑んだ。
「わしも地球に渡る自分の未来を見たときはそう思った。まさか異世界に渡って世界的大芸術家としての表の顔を持ちつつ、異世界からの難民の身元引受なんぞする未来はな」
それを聞いて航真は頷いた。そしてくうんと鼻鳴きするハウの顔を撫でて微笑む。
(ここなら、多分安心だと思う)
犬面のホウは、これに口角を上げてはあはあと笑うように息をついた。
三人と一匹は部屋を出ていき、一人残った佐藤はスラックスのポケットからガラスフィルムがバキバキにひび割れたスマホを取り出し、新発田の番号に電話をかけた。
「……もしもし、今すぐ応接室に手の空いてる使用人を何人かよこしてください。それと外商を呼んで家具の相談を」
それだけ言って、電話を切り、自分で突き立てたさすまたを引き抜いた。
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