26 前世の息子、保護される
シェルターの外観は、開業医の住居兼クリニックのようだった。一階が保護動物の飼育やケアのスペース、二階がボランティア団体の事務所、三階に家主の住居がある。
登録済みの保護された犬や猫の大半は、提携している一時預かりボランティアの家庭にて暮らしている。この団体の場合、シェルターに居るのは、例外的な個体だ。
例えば一時預かり先の先住動物達と相性が悪く、ひとまずシェルターのケージにいる。あるいは保護された時点で疾患を抱えていて、経過観察が必要な個体などである。
特に犬たちは疾病持ちが多い。人懐っこいが目が老化で濁っていたり、皮膚炎で毛が禿げて服を着せられていたり、そんな子らである。
それでも、ケージに入れっぱなしということはなく、犬も猫も個体間の相性を見つつ夜以外は屋内や裏庭のドッグランなどで過ごせる状態にしてある。
特に犬らは、航真のような散歩担当ボランティアが来る時間を把握したもので、その頃合いに正面口の扉が開け閉てされる音をきくだけで、一斉にしっぽを振り始める。
そして航真の場合、猫たちにも懐かれたもので、いつも学校の制服の脛のあたりをすりすりとごりごりと体や頭をこすりつけてくる。
だがこの日だけは違った。ずぶ濡れで入ってきた航真に対し、犬もネコも総毛立って警戒心を示していた。……原因はひとえに、彼が抱えた巨大な犬である。
「どうしたの、その子!」
当直のスタッフが動物たちのケージの戸のロックを手早く確かめて回りながら、びっくりした顔をこちらに向けてそう問いかけてきた。若手の女性のスタッフである。
「そこで捕まえました。あ、こっちのは昨日話してた友達です」
そう紹介されて、尸遠は傘立てから振り向いてぺこりとお辞儀をした。
「巻島尸遠です。今日はご厄介になります」
「はい、はじめまして、スタッフの小山です。……とりあえずその子のリードね。首輪は?」
「してないんですよ。臭いの感じからして外飼いっぽいんですけど」
犬は航真の顔を見てくうんくうんと話しかけるように鼻をならした。
「あら懐いてる?」
「人馴れしてるのか、俺が好きなだけかは不明です」
「とりあえず一番大きい首輪もってくる。体重測るから診察台までそのまま来て」
そんなやりとりと共に、そそくさとスタッフは奥に控えた別のスタッフにも声をかけつつ手際よく担ぎ込んだ黒い大犬の保護の準備をはじめた。
まずは耳に赤外線式の体温計をさしこんでの検温。この間、大犬は怯えたように震えて、一瞬たりとも航真から眼をそらさず、航真の囁く声だけに耳を傾けていた。
続いての爪切りも、パチンという感触にびくつきながらも航真の慰めでどうにか耐えた。
「怖がりさん、よく頑張ったね」
爪切りをした中堅の男性のスタッフになでられるも、それどころではない様子だ。航真に再び抱きかかえられ、経過観察用の隔離室に用意された半畳ほどのケージに収められ、水とドライフードが出された。
この間、黒い大犬はキュンキュンと鳴き通しだった。他方、犬も猫も警戒し続けている。
「どうしようか、桜塚くん。君、今日はこの感じだと他の子は散歩どころじゃないよ」
スタッフ二人がそう腕組みをする中で、尸遠がおそるおそる手を上げた。
「あのー、この大きな子、ひとまずうちで預かっても構わないでしょうか?」
その場の一同の視線が集まる。
「あ……うちというか、厳密には祖父の家なんですけど」
この言葉に女性スタッフはにわかに怪訝な顔をした。
「おじいさん?」
「はい、巻島一元って、聞いたことありません?」
スタッフ二人は顔を見合わせた。
「誰?」
尸遠は「ですよねー」と苦笑した。
「とりあえず、本人に電話しますんで、直接話してもらっていいですか?」
そういってスマホを取り出し、祖父に直通の電話をかけた。
そこに、一階の騒々しさのためか、階段を二人の女性が降りてくる。一人は恰幅のいい年配で、家主でもある団体代表だ。もうひとりは事務方を担当している古株である。
「どうしたの?」
「あ、どうもー」
そう挨拶する尸遠にかるく会釈を返して、一階スタッフ二人から事情を聞く。
「……で、マキシマさんがどうかしたの?」
「あ、こちらお孫さんだそうです」
団体代表はこれを聞いて急に姿勢を正し、尸遠に深々と頭をさげた。
「それはそれは……いつもお世話になっております」
「なに、知り合いなの?」
背後からそう聞くスタッフの一人に、事務方のスタッフはよく通る声で耳打ちした。
「知り合いもなにも有名な芸術家だよ。うちにも毎年大口の寄付をくださってる」
「そうなの!?」
その言葉をきくや、中堅が事務所のある二階へとぱたぱたと上がっていく。
「へえ、うちの団体にそんな大物が……」
これに、電話口を抑えて尸遠が顔をあげる。
「あ、……多分会社名義で振り込んでると思います。自分の名義使うの嫌がる人ですし」
代表が「そうそう」とうなずく。
「本人は来たことないけど、代理の方が何度か譲渡会にもお見えになってるよ」
そう言う脇で、尸遠が携帯を掲げる。登録名『じいじ』と画面表示されてる。
「はい、繋がりました。どなたにお渡しすればいいですか」
これに代表が「私が受けます」と手を挙げる。
電話を手渡すと、その尸遠の小さな肩を航真がついと突く。
「お前さんさあ……そういうことは事前に言っといてもらっていいか?」
「え、なんのこと?」
「じいちゃんが大口の寄付元って話だよ!」
そういって航真が尸遠の後ろ首をぐいぐいと揉む。これに、身をよじらせる尸遠。
「そんなん僕知らないもん。っていうか今知ったし」
二階からタブレット端末を抱えて降りてきた男性スタッフが尸遠に声をかける。
「お祖父さんの事務所って、KM美藝って会社?」
これに尸遠はこくりとうなずく。
「あ、はい、そうです。厳密には作品の権利管理をしてる会社ですけど」
それを聞いて、へえと感心した声を漏らした。
「ねえねえ、どのくらい出してくれてるの?」
若手スタッフにそう聞かれて、タブレットを抱えた中堅は手招きをした。二人して秘密の手紙でも覗き込むようにタブレットに表示された表計算画面を見て、おおと唸る。
この反応を見て、尸遠は困ったような半笑いで航真を見た。
「もしかして僕、いま厄介な感じになってる?」
小部屋のケージでは若いクマのような犬がキュンキュン鳴き、部屋の隅では団体の代表が直立不動でハイハイと返事をしながら、診察をした中堅の差し出すメモやタブレット端末の画面を見ている。部屋の戸口では女性スタッフ二人が、こそこそと話し込んでいる。
その全体を見渡して、航真は尸遠の肩を叩いた。
「いや、全員テンパってるだけだ。とりあえず猫の画像でも撮ってきなよ」
「いや、スマホ渡しちゃってるから」
「それもそうか」
航真はかがみ込み、ケージに顔を寄せた。黒犬は長年の飼い主と金柵一枚で隔てられてしまったように、必死に鼻先をその隙間に寄せてヒュンヒュンと鳴いている。
その背中に、尸遠は少し思い切ったように声をかけた。
「あのさ、桜塚……さっき歩いてる時さ……その犬となんか『話して』なかった?」
航真はぎょっと目を剥いて振り返った。
そして返事の言葉を口にしかけたその時、横から「巻島さん」と代表に声をかけられた。
反射的に二人がそっちを顔を向けると、まず尸遠のスマホが返された。
画面を見ると電話はすでに切れている。
「どうでした?」
「本来は、数日はうちで預かって、この子の体調やSNSなんかの様子を見ます。これは、この子がどこかの家から逃げ出して、その飼主が探していた場合の対応としてです」
尸遠も航真もうなずいた。
「ですが、この子の場合、はっきりいいまして、その形跡があまり見られません」
「というと」
「まずこの近所で、このサイズの犬を飼っている家はありません。次に体全体の脂肪の付き具合、体型に対する体重を見るかぎり、かなり痩せちゃってます。爪の具合を見ても、長いこと放浪状態にあったようです。こちらで把握している限りの迷子の犬を探している飼い主さんのデータベースも見ましたが、該当する特徴の犬は見当たりませんでした」
尸遠はまるで医者から家族の病気の診断を聞くように、はいはいといちいち返事をしながらこの言葉を受け止めた。その視界の端に立つ航真も、こくこくと頷いている。
「……そのあたりを、一元さんとお話させていただきました。なんでも大型犬を元々お飼いになる予定があったとかで、ケージやクレートはご用意なさってるそうですね」
尸遠は初耳だったが、ひとまず「はい」と返事した。
「当方の取り決めによって、一時預かり、里親としての保護を問わずに、犬も猫もお預けする際には一度当方の人間がお家の状態を確認させていただく決まりがあります。……また本来なら、ここで健康状態が安定するのを待ってお預けするんですが、どうやら他の子のストレスになるようなので、今日このまま、すぐにお預かりいただくことになりました」
これに航真はぎょっとした。その顔色を伺うように尸遠が航真に目を合わせた。
「いいのか?」
「うん、じいちゃんがそうしたいって」
「けど、この子、懐いてるのは俺だよ?」
「うん、わかってる……それを話したら、じいちゃんが桜塚にも一緒に来てほしいって」
航真は少し考えて、他のスタッフ達を見た。
「あの、今日の散歩……」
これに一階担当の二人がうなずく。
「かわりにやっとくから、行ってきな」
「引き渡しの同伴は一回くらい経験しといてもらいたかったし。帰りは直帰でいいよ」
二人揃ってそう言ってもらって、航真は礼を言って頭を下げた。
代表がこほんと咳払いをする。
これに「あ、はい」と航真が背筋を伸ばす。
「私が車を出します。桜塚くんはクレートを……お孫さんは必要書類の方を……」
「わかりました」
尸遠の返事をきいて、航真は大犬と視線を合わせた。大犬は何かを察したように、さみしげに鳴いていたのをやめ、口角を上げた笑み顔で、その太いしっぽを一振りした。
そうして、二人と一匹は代表の運転するワゴンで巻島屋敷へと向かうこととなった。
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