24 航真の前世その3(※残酷描写有り)

 人間の領域に侵攻し、『勇者』を打倒し、屈服させる。そのためには『勇者』を人間の面前で完膚なきまでに打ち倒す必要がある。象徴的に勝利するのだ。

 体が癒える頃には、全身の容貌はすっかり変わっていた。髪のほかの体毛は毒ですっかりと抜け落ち、奇しくも人のようなすべやかな肌になった。その地肌は父のように黒々として、髪には花の蔓のように母王の体毛に似た白の巻毛が混ざった。角も母王のようなつややかな朱になり、頭に沿うように額から後頭部へと流れるように長くなった。

 その容姿で拠点へ戻っても、何物も彼女が自分たちの女王であることを疑わなかった。ただ無念の死を遂げたものを食らったことを察し、哀悼を示すものがいくらか出た程度である。

 交流のある有力種族の使者を集めて、彼女は宣言した。

『自らの一存を以て、人間界に罪の重さを示す』

 使者たちは縄張りに戻り、参戦を望む種族の長達が自ら馳せ参じた。

 半血児は女王として仲間を従え、人の世界へと侵攻した。

 そしてほどなく、人間界の、魔物世界との境界に接した一国を攻め落とした。

 その城を半血児単独の拠点とした。人間界側は、最初の年は大軍団を送り込んできた。

 だがそれをことごとく返り討ちにすると、急におとなしくなった。捕虜をとり、人間の内情を検めると、これ以上兵力を他国の報復に割けないという人間界側の事情がわかった。

 人間界の内地は、魔物とは異なり人間同士が領土や支配権を巡る争いをしていた。そこに『魔王』の軍団が一国を攻め滅ぼし、一度は近隣諸国は協調して魔王征伐に乗り出したが、それが想定以上の負担を要すると第一波でわかったのだ。そして背後にした他国との武力的均衡も視野に入れた上で、各国が同時に手を引いたのである。

 半血児は最初、そこにある『打算』という概念が理解できなかった。そんな近親憎悪の渦巻く人間界という勢力に、自分の愛するものが殺された事に虚しささえ感じた。

 一方で各種族から『いっそ人間界を滅ぼしてしまおう』という声が上がるようになった。

 気の抜けた半血児に止める理由はなかった。そもそも魔物の世界では強いものが正しい。

 人間が群れることだけが取り柄の脆弱な集団であれば、それは多少賢い猿の群れと変わりはない。『取って食うのはそれぞれの種族の自由』とした。

 だがその中で、唯一ひたむきに魔物に抗う人間存在があった。『勇者一行』である。『魔王』として、彼女はこれに対してまともな対処をすることはしなくなっていた。

 それどころか今更に親兄弟を失った悲しみにふける彼女は、すでに統率者として不的確な存在となっていた。それを指摘する魔物がしばしば、彼女に挑戦することがあった。

 半血児も『魔王』としてこれを受けた。戦いの中で全力を尽くすことだけが、唯一生きる気力をもたらす根源になっていた。……そして、いつも勝つのは彼女であった。

 空虚な心のまま廃墟のような城の玉座に座り続けた彼女は、いつしか望むようになった。

 一度、『勇者』と全力で戦ってみたい。

 純粋に闘争本能からそう思った。その結果、自分が死ぬか、勇者が死ぬか。

 あるいは『勇者』が人間界最強なら、勇者自身に人間界を支配させてみても面白いかもしれない。そうすれば、魔物と人間は絶対不可侵の関係を作ることもできる。

 そうだ『勇者』と戦おう。そう思うと、半血児の心に再び生気が湧きはじめた。

……これを俯瞰して、航真は思った。

(これは、一種の自殺願望じゃないか? 自分が生きるために戦うならともかく、どちらが死ぬかを試したいなんて……家族の死を悲しむ事に、疲れてしまったんじゃないか?)

 航真の思いは当たらずしも遠からずだった。半血児は子供達にだけ自分の意思を伝えた。

 幼い子達は泣いて止め、育ちきった子供達は自分たちもついて行くといった。

 だが、育ちきった子らはそれぞれに自分たちの部族種族を抱え込んでいる長でもあった。

 そうした者らには長として自らの群れを護るように伝え、幼い子達には自分の子であることを示す形見の品を残して、別れを告げた。

 そして有力ながらも数えるほどの手勢を連れて城を抜け出すと、『勇者』が最後に確認された地域のもっとも大きな人間の街を襲撃した。

 ほとんど彼女一人で街の防備を壊滅させ、手勢には半分を捕らえ、半分を街の外に放逐するように命じた。放たれた人間たちは、直ちに街が魔物に占拠された事をふれて回った。

 そしてほどなく、『勇者』一行が自分の占拠する街に現れた。

 彼女は魔王としてではなく、ただの『最強の魔物』として勇者一行と剣戟を交えた。

 まず勇者の取り巻きの傷の治癒の魔術を使うものを絞め落とし、次に勇者と拍子を併せて動く武芸者共を一人ずつ足と腕をへし折った。

 残る魔法の使い手は手勢に任せ、速やかに『勇者』と一対一の状況を作った。

 勇者は全身は、見たこともない頑強な魔獣のようであった。

 あらゆる魔物から剥いだ寄りすぐりの部材で作られた防具で身を固め、剣すらもどこかの竜か魔族の胆石で飾られて、金属の本質以上の力を付与していた。

 勇者が間合いにて一太刀振るうたびにそれを敢えて身に受けた。そしてその箇所を瞬時に再生させる。急所を狙われれば剣先を逸す。魔法が放たれれば、それを全身に浴びた。

 どれだけ攻撃を受けても、決してこの魔物は倒れない。

 それを相手に悟らせ、心が折れるまでそうしているつもりだった。そして攻撃の手が緩めば『どちらかが倒れるまで続ける』という檄を飛ばすようにこちらも攻撃の手を放った。

 その果てしない応酬を繰り返す中で、ついに戦闘の形勢は変わった。

 頭蓋割りを狙った大上段の一振りを首を左にかしげてかわした。突き出された右角が枯れ木の枝の根本のように断たれた。剣の勢いはなお止まらず、鎖骨と右胸の骨を断ち、内は肺、外は乳房の半ばでようやく刃は止まった。

 剣の血溝には、どこぞの魔人の宝珠と魔法文字の装飾があった。その刻み文字に朱でも流し込まれるように、宝珠が赤い涙を流すように、半血児の血がたーっと伝った。

 勇者が剣を引き抜こうとすると、これを抑えるように右手でその剣身を掴み、さらに深く自分の胸へ押し込み、踏み込んだ。肩甲骨の内側の筋肉が断たれ、背中から切っ先が突き抜ける。その感触に航真はのたうち回りたくなる激痛を感じた。

 それをこらえきってなお膝をつかず、グロロと母王のように喉を鳴らして笑った。

 そして、剣を握り込んだ手を掴んだ。その手越しに思念を流し込む。

『痛み分けにしないか。これより私に与するなら、人間の棲む領域を支配させてやる。この世の半分、お前にやろう』

 勇者は睨みつけるようにこちらを見て、拒絶の意思だけを思念として返してきた。魔王は寂しく目を細めてそれを受け入れた。あとに残るのはどちらかの死だけである。

 左肘を引き、そして大きく右胸前へとフックパンチを繰り出した。その拳は剣柄をなお両手で握りしめて力む勇者ではなく、自分の右胸に切れ込んで止まった剣の血溝の付け根を打った。

 左手の骨が折れる感触と共に、剣が付け根からきれいに折れた。

 手元が急に軽くなった勇者は、大きく背後に跳ねて間合いを取る。

 半血児は左手を振って骨折を戻し、右手で胸の剣身を引き抜いた。たちまちに傷口は背も胸もふさがり、まるで粘土が練寄せられて元の形を得るように肩口の切れ目まできれいに閉じた。斬撃の形跡など、欠けた右角と剣に残った血の筋くらいなものである。

 追体験する航真の感覚上では、痛みも息の違和感もない。頭の重さが左右で違う程度だ。

 勇者は鎧の後腰から、短い曲刀のようなものを二振り、するりと抜き出して構えた。

 そしてその刀身に、彼女は見覚えがあった。朱のつややかな巻き角である。

 懐かしい母王の角であった。意外な再会に、彼女の心のどこかが緩むのを感じた。だが、これが侮辱であるならば、と考えた途端、胸の奥から圧倒的な憤怒が湧いた。

(もう生かしてはおけない)

 航真の心のなかに、そんな半血児の思いが伝わった気がした。

 彼女も両腕を肩先のあたりに短く浮かせた姿勢に、構えを変えた。戦いは剣の間合いから、拳闘のような激しい乱打戦に変わった。

 勇者の装甲は見る間に沢を遡上する魚の鱗のようにぼろぼろと禿げていった。兜が割れて顔が顕になり、鎧の留め金が潰れる。どうやら『勇者』が雄であることが見て取れた。

 それならばと股ぐらの急所を潰すことを狙うと、この腕めがけて母王の角が降ってくる。

 腕が枯れ木のようにあっさりと折れる。ひっこめて折れた腕を払い、骨を再生させる。

 女王は足の踏み込みを変えた。上半身だけで打ち合う構えである。

 下半身を足で狙って同じように脚の骨を折られれば、再生のためには一瞬でも膝をつくことになる。それは『魔王』としての威厳を損なわれる。

 そうなると狙える所は腕の届く範囲、上体だけだ。露出しているのは頭、首、胸元……そのいずれかを貫けば、『勇者』は死ぬ。

 急所を狙って重点的に打ちだすと、勇者の手数はそれを払い、防ぐばかりに変わった。

 拳や貫手が母王の角とぶつかるたびに、指の骨が砕けるのを感じた。それを手先の水気でも払うようにして戻し、再生させる。そして再び急所めがけて突きを繰り出す。

 そしてこちらの両手に隙が生じれば、たちまちに勇者は母王の角でこちらの急所を突いてくる。これをこちらも頭突きの要領で頭を突き出し、額で撃ち落としてしのぐ。

 その応酬であった。だが、ある瞬間、一瞬だけその流れが淀んだ。

 勇者の視線が、女王の目や手ではなく、そのずっと背後に流れたのである。

 この間を見逃さず、魔王はまっすぐに勇者のむき出しになった顎下に貫手を差し込んだ。

 指先が、柔らかな人の肌と肉を貫き、首の骨までもたやすく砕くのを感じた。

 だが同時に、矢に穿たれたような痛みが背中から胸へと走るのを感じた。

 その痛みに堪えて、勇者の目を見る。その目は見る間に光を失うように瞳孔開き、まるで人形が関節をたたみながら落ちるように、倒れた。

 (討ち取った)

 その実感に彼女は一瞬笑みかけて、しかし次の瞬間、背中から胸へと貫く痛みへと気が移った。

 背にささったものを引き抜こうと、右手を背にかけてそれを掴んだ。引き抜こうとするも、体内で枝のように変形しているのか、抜けない。だが握った手触りには覚えがあった。

 それが先程叩き切られた自分の右角だと理解した瞬間、さらなる痛みが胸郭に広がった。肺胞いっぱいに異物の棘枝が伸び広がるような痛みである。

 何者かが、自分の角に溜まった魔力を媒介に、魔法による攻撃を体内から仕掛けている。それならば、ささった角より先に術者を落とした方が早い。

 そう直感して振り返ると、そこには最初に締め落としたはずの治癒役の女法師がいた。

 女法師は口から魔力を煙のように吐いていた。第六感を開くと、女法師の術が、自分の背中へと突き刺さった角を媒介に膨張していた。

 その魔術の力は圧縮の限度を超え、ぱつん、と半血児の胸元で爆ぜるような音をさせた。ほぼ同時に、自分で自分の胸の肉が爆ぜて散るのが見える。

 それから、自分の胸の中が脈打っていないことに気付いた。

 迂闊だった。勇者に気を取られすぎた。理解する一方で視野がまたたく間に暗く狭まる。

 遠く背後の空に、一羽の異様な鳥が旋回しているのが見えた。魔狼との混血の子が作り出した、『屍肉の傀儡』である。ただ待っていられなくて、様子だけでも見るために飛ばして寄越したのだろう。

(ああ、あの子達をまた泣かせてしまう)

 母としてそれだけが頭にぼんやりと浮かんだ。せめてもの慰めに、その鳥を見据えてにわかに微笑んで見せた。母としてそれ以上してやれることはなく、意識は絶えた。

 ……女法師と、配下に任せた魔法使いがそれからどうなったのかは、わからない。

 全てが暗闇に落ち、耳も聞こえなくなり、胸の痛みもなくなった。


 ……航真はここで、死んだのだ、と理解した。

(これで目が覚めるのか? ずいぶんとハードな夢だったな)

 大スクリーンでファンタジー映画でも見たような余韻の中で航真はそんなふうに思った。


 だが、夢は続いていた。まるで劇場の客電が灯るように、静かに明るくなっていく。

 生まれた時のように光を感じるだけで何も見えない。第六感上の知覚もない。

 その虚ろな明るさの中で、誰かに呼ばれたような気がした。その声は問いかけてきた。

「次は何を望みますか?」

 『母王の半血児』は戸惑った。

(私には残した子供達がいます。あの子達が無事かどうかだけが気がかりです)

「生きとし生けるものは、いずれ死ぬもの。いずれあなたの子供達もここに来ます」

 声がそう応えるのをきいて、前世はひとまず納得した。

(そういうことでしたら、私は多くのものと戦い、親の肉を喰らい、最後には親の一部と傷つけ合って死にました。そのような生き死にをせずにいられる生き方を望みます)

 「私もです」と、どこかから違う声がした。

「もう食べる以上の命を奪うことはイヤだ。できることなら、兵士ですらならない生き方を」

 意外なほどに近くから、その声はした。凛とした、率直さを感じる声だ。

 航真の前世はそれに、微笑みかけた。

(私も、こちらの方と同じ事を望みます)

「……それではお二人ともご一緒に、同じ世界の同じ時代へはいかがですか?」

「いいんですか?」

「あなた方が望むのなら」

「それでは、あなたさえよろしければ」

(ええ、喜んで)


 聞き慣れた電子音、携帯電話のアラームだ。そう気付いた途端、航真は急速に目覚めた。ぱたぱたと、雨が降っているときにいつも聞こえる音がしていた。

 大きく息を吸い、顔を拭った。額にはあの大きな角はない。

 続けて寝汗を抑えるように胸元に手を当てた。傷も、乳房も、痛みもない。

 安堵して、充電中の携帯を掴んだ。ロックを解除し、アラームを止める。画面は午前七時丁度、アプリから通知される天気予報は午後まで雨である。

 毛布を蹴飛ばして起き、寝汗を吸った肌着の襟をつまんで扇ぎながら、息をついた。

 ……今日は土曜、私立の明星園高校は午前授業がある。それを承知で入学したものの、いざ通ってみると週休二日だった中学時代が恋しくなる。雨だからなおさらだ。

 だが今日は休めない。放課後、尸遠をボランティア先に連れて行くと約束している。

 鮮明に頭に残った夢の内容に、両手で顔を覆った。

(なんか……とんでもない夢だった)

 大きく息をしていると携帯にメッセージアプリの着信音がした。舞雛からだった。

『前世見た?』

 これに思わず顔に手を当てた。

(あの長くてグロテスクな夢をあいつに話すのか……)

 少し考えてから返事を打つ。

『動画見るの忘れてた』

 むろん嘘だ。だが、あまり人に話したくない夢のように思えた。すぐに既読がつく。

『そっか。いつもの時間に駅前で』

 そう返事が来て、『了解』のスタンプを押して返し、ベッドから立ち上がった。

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