23 航真の前世その2(※残酷描写有り)

 歳月が流れ、半血児の体型は母王に似てきた。毛も角も短いままだが、乳房が膨らみ、腰も太くなる。その体型の変化から、航真は前世が女性ないし雌であることを理解した。

 いわゆる生理はないが、食欲が増えて感情的になる発情期のような時期はあった。

 その時期になると憂さ晴らしのように父を訪ね、腕自慢たちと取っ組み合いをする頻度も増えた。そうして気がつけば父の種族と腕くらべをして誰にも負けないほどになっていた。最後まで苦戦したのは父だったが、決して父の種族の面前で父に勝つことはなかった。

 これは母王から父のもとへ行くことを許されるかわりに躾けられていたことだった。

 母の種族の面前で母に勝たない事、父の種族の面前で父を投げ飛ばさない事、と。

 『種族を治めるものは強者』というのがしきたりだった。勝てば種族の長の座を混血の娘に譲らなければならない。だが、その座につけば、娘は自由を失うことになる。

 また半血児が成長するに伴って、母王との間で論争も増えるようになった。

 母王は現在の秩序を保つことが大事だと考えていた。だが半血児は、他の魔物との交流を増やし、人間に対抗する連帯した勢力となるべきだと考えていた。

 半血児は自分の考えが正しいことを確かめるため、仲間の暮らす洞穴を出た。そして、一匹きりで人間と魔物の世界の境界線に沿って流れ歩く旅に出た。

 人間と魔物の武力衝突は、境界線にそって幾度となく生じていた。それに遭遇するたびに魔物側の加勢につき、人間側の領域への反撃においては切り込み役を買って出た。

 赴いた先々で現地の魔物や魔人達の戦い方や魔力の使い方を学び、また自分が知るものを啓いた。それに併せて種族の長達に、種族間の連帯を説いた。

 そんな中、ある長老に諭された。主旨は次のような具合である。

『お前の意見は道理である。だが人間の戦力は境界に沿って生じるわけではない。境界よりはるか彼方、奥のほうからやってくる。我々にも同じ仕組みが必要ではないか』と。

 これに、母王の半血児は目から鱗が落ちる思いだった。確かに、境界線は均衡を保つことで精一杯で、相互に助力する余裕はない。にもかかわらず人間が侵攻して来れるのは、人間界の内地で力を蓄えた群れがやってくるからだ。

 それに気づいて、彼女は向かう先を、境界線沿いから魔物領域の内地へと変えた。

 行く先々で、支配する種族の長あるいは縄張りの主の類に面し、自分の意を伝えた。

 大抵の長はこれを冷淡な反応を示した。だが半血児はその都度、長に対し勝負を挑んだ。

 魔物同士の戦い方は、互いの強さを示し合うものだ。仲間の面前で相手の全力を出し切らせ、それを受け止め切って、逆に叩き伏せる。その戦いを航真はプロレス的だと感じた。

 だが、実際に象徴的に勝利を示すにはそれが最適な形ではあった。地位争いで重要なのは単純な勝利や殺すことではない。力を尽くしきれずに勝てば遺恨が残る。遺恨が残れば不和の原因となり、後に響く。また魔物同士であれども殺すのならば、喰らわなければならない。魔物の恨みは死して体内に残り毒になる。最悪、その毒で死ぬ。それでは元も子もない。

 重要なのは、全力を尽くして負ける『心からの敗北』を受け入れさせることなのだ。

 そのような激闘を行く先々で繰り返し、また勝ち続けて連帯という意に沿う仲間を増やした。更に自分を長にと仰ぐ群れがあれば、その中の特に強い雄との間に子をなし、関係をさらに深めた。

 そのようにして数十年をかけ、彼女はいくつもの種族を統率する魔物世界の女王のような存在になっていった。その体は爪牙や刃、魔力の傷跡で正面の毛はほとんど失われた。

 そして魔物世界の内地より、人間界との境界の種族へと援軍を出す仕組みを構築した。

 さながら多種族の女王のように、彼女は故郷に戻った。

 母王はすでに年老いていた。赤い角は巻き貝のように大きくなり、自分が不在の間に繰り返された人間界との戦いの傷で、彼女の羊のように豊かだった体毛も傷跡のようにところどころが禿げていた。

 洞穴は母王のかわりに、自分が出奔したあとに生まれた弟が一族を統治していた。弟は混血ではなく、母王の種族の特徴的な赤い巻角と豊かな白い毛を蓄えていた。

 父の一族も同様、父に似た若い黒肌に金眼、魔力に長けた青年が一族を治めていた。

 これを見て、半血児は寂しい気持ちになりながらも、二つの種族に対して改めて有事には援軍を出す申し出をした。二つの種族はともにこれを受け入れてくれた。

 そうして、しばらくの間は人間界からの侵略を素早く迎え撃つことが出来ていた。

 百年ほどその形勢は保たれ、魔物世界の種族間交流は盛んになった。

 だがその平穏は、ふいに崩れた。

 辺境の境界の群れが、壊滅したのである。

 ごく数名の人間の小集団によって、魔物世界内地からの増援までも抹殺された。それは人間界が編み出した対魔物に特化した武装集団、いわゆる『勇者一行』の登場であった。

 その『勇者一行』の集団は、人魔の境界を渡り歩いた。航真の前世も、これにそなえて前線には強力な配下を重点的に配備した。その中には自分の子供達も含まれていた。

 それらすら打倒しながら『勇者一行』は境界線を踏み荒らして回った。勇者が侵略した領域にはすぐさま人間による開拓が入った。

 そして勇者の凶刃は、ついに女王の父母の種族の領域にも及んだ。

 ちょうど、魔物の女王として十一番目に産んだ子の乳離れが済んだ頃だった。十一番目の子は『時空渡りの魔狼』との間の子だった。体は小さかったが人獣二つの姿を使い分けることができ、他種族の意思疎通を幼いうちからよく見て憶え、『屍肉を傀儡とする技』を見様見真似で駆使する器用な子であった。

 より長く手元で育てればもっと多くの魔性の技を覚えたことだろう。

 そんな幼い子らを拠点に残し、最小限の側近だけをつれて、女王は故郷の加勢に戻った。

 だが着いたときには間に合わず、他の地域と同様、両親と弟達は討滅された後だった。

 勇者が暴れまわった後の介入してきた人間の所業は残酷なものだった。だがそれは、百年人間界と対峙し続けて知り得ていたことから予想できたことでもあった。

 四ツ目の人間や普通の動物と、魔物や魔人の違いは魔力の代謝の有無だ。人間は魔力を魔法という技能の形で使うが、魔力の源を分泌する機能を身体に備えていない。

 魔物や魔人は空気中の魔素を取り込むことでこれを代謝し、また人間や動物に有毒な濃度となった魔素の環境、瘴気の中でもこれを吸収しながら生活できる。そして代謝した魔力を内臓の結石や眼球、角牙爪などに蓄える性質がある。

 人間も一部は大気中に巡る魔力を体内に取り込んで駆使するが、それには高度な修練とが求められる。

 多くのものはそのような面倒な過程は踏まない。かわりに動物から毛皮や骨をとるように、魔物を殺して剥ぎ取って加工し、触媒として魔力を抽出する。

 四ツ目の人間と魔物の境界線は、そうした魔力資源を求める、人間の狩猟者が襲来する土地だった。

 また人間は魔物を殺してもその肉は喰わない。部位を取り出したあとの死体はそのまま打ち捨てられ、蝿がたかり、毒に強い魔物の鳥や腐肉を食らう蟲が食むばかりであった。

 懐かしい洞穴の奥から痛ましい母王の亡骸を見つけ、半血児は蛆の集る腐肉を食らった。

 死したものを食らうことは魔物の弔いであった。食うことで、血肉として生きるという考えだ。また恨みの深さの分だけ肉は毒を含み、死者は最後の一矢を報いることにもなる。

 母王の肉は、濃厚な毒を含んでいた。それでも喰らい、同じく亡き弟妹の肉も食えるだけ食った。全身に毒がめぐる苦痛にあえぎながら父の所へ行く。そこでも母王同様に爪を剥がれ、目を取られ、腸を出された父と弟の肉を食う。どの肉も恨みで重い毒があった。苦痛と体が拒絶する吐き気をこらえて噛みしめ、飲み下す。それをただ繰り返した。

 まるで死の悲しみに抗う自傷行為のように。


 それを俯瞰する航真は、その凄惨さに感覚が麻痺していくのを感じた。いや、麻痺というより離人症的に乖離しはじめた、という方が正確だろうか。まるで痛ましいドキュメンタリーを何本も立て続けに見るうち一々共感して苦しむ感覚が呆けていくようだった。

 その一方で同時に、前世である彼女の怒りに、航真はいつしか共感を覚えつつあった。

 ……半血児は肉を食む弔いを済ませると、自分の子らの待つ内地の拠点へと帰る路についた。だが、その途中で取り込んだ毒が全身に回って動けなくなった。

 その地にとどまって体を癒やすと共に、連れ立った側近たちと意見を交わした。

 これまでは穏健を望んだ母王の意思を汲んで人間界へ攻める事はせず、守りに徹してきた。

 その考えを転換した。『魔王』として人間界に侵攻する。そう決意したのである。

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