22 航真の前世その1(※残酷描写有り)
生まれた瞬間は、全身が外気に晒される驚きと海のような匂い、そして安堵感があった。
舞雛の言う『前世』同様、光を感じる程度で何も見えない。肌は濡れていて、丁寧に全身が拭われていく。それは濃厚な獣臭さがあったが、同時に甘く安らぐ匂いでもあった。
甘い匂いに引き寄せられた先には乳首があった。それをくわえ、必死に腹を満たした。
……航真は確かに感慨深いと思った。しょせん夢、自分の想像力が作り出したモノとたかをくくっていたが、生まれたてのなにかの視点としてはあまりにも生々しかった。
その『なにか』は、五感とは異なる知覚があった。それによると自分と母の他の生命存在が周囲を囲んでいた。生命力は光のように感じられ、祝福されるように撫でられた。
それが最初の記憶だった。
どうやら航真の前世なるものは、人間とも獣とも違うもののようだった。
母は人のような体格で羊に似た白い毛並みと朱い巻き貝のような角があった。肉食で狩猟をし、同種の仲間と生活圏を形成し、真っ白な篝火の点々と灯る洞穴で暮らしている。
言語やしぐさでなく第六感的な『思念』とでも呼ぶべきもので意思疎通をしていた。そして母は仲間を率いる『朱い角の母王』、自分は『母王の半血児』という思念で呼ばれた。
(言葉のかわりに絵文字や画像で情報を伝達するのに近いのかな)
航真は直感的にそう思った。実際、身振りも強い感情表現で出る程度だった。それに気づいた途端、群れの間を交錯する思念が母語のように明快に理解できるのを感じた。
『母王』は厳密には『朱角白毛の群れで最も強い魔人にして母』であった。そして大人たちが頻繁に語らっているのは、群れの今後とこの穴蔵の外の世界の話である。
その対話の中には『母王の半血児』の父の話題も頻出していた。
父親は、隣接する縄張りに居住する、やはり人間とは異なる存在だった。その肌は炭のように黒く、瞳は金色。木と蔦の住まいに暮らし、火は使わない。狩猟採取生活だが猟具は使わず、樹木を自在に操る魔力と体術で狩りをする。魔力で果樹園を育み、冬でも霜のついた花を咲かせ、氷漬けの果実を実らせることができた。
『母王の半血児』は二族の長の間にもうけられた、平和的交流の証のような存在だった。
ある程度育つと『半血児』は父の群れに頻繁に通うようになった。そこでの歓迎は、まるで組技格闘技の稽古のようだった。父に抱きつきにいっては一瞬抱かれ、そのままころんと転がされてしまう。半血児はぽかんとし、また飛びついては緩めの投げ技を受けた。
それが父の種族の子供遊びだと理解し、今度は投げ返そうと無謀にも組み付いてみたり、自分と体格の近い子らと技を競ってみたりということをした。そんな交流を繰り返した。
しばらくして、夜の森の景色になった。山の一部が夕焼けのように赤い光に照らされている。どうやら山火事とは違うようだった。その証拠に、翌朝に様子を見に行くと斃された父の同族の死体があった。頭と内臓を持ち去られ、背に何本もの黒い矢がささっていた。
『母王の半血児』が矢を引き抜くと、鏃は白い金属だった。
それを凝視しているとふいに肩を掴まれ、死体から引き離された。振り向くまでもなく第六感で怒りを抑えた母王の手だとわかった。
母王から第六感の視野に、中世かそれ以前と思しき装いの人間の集団が示される。
(人間がやったってことか?)
だが、その人間たちの顔は地球の人間の顔とは少し違う。目が四つあるのだ。だが、金属で要所が補強された衣服をまとい弓矢に似た武器を使う様、言語でコミュニケーションを取る様子は人間そのものだった。
第六感の視野上に広げられるイメージは映像的だった。父の群れの果樹園が鎧に弓、剣盾で武装した集団の襲撃されたことを示していた。武装集団の一部は、手から光を放つ攻撃もしている。航真には、それはいわゆる攻撃魔法の類に見えた。
(魔法? 魔法がある世界なのか?)
航真は状況を理解した。自分は、人間と魔物が対立する世界の、魔物側に生まれたのだ。
(これはまた……舞雛から聞いた話とはずいぶん毛色違う話になってきたぞ)
母の第六感上のイメージによる説明はなおも続いた。人間と我々、そしてより多くの異なる種族は、それぞれ違う物を食べ、違う習慣で生きている。これまで人間と魔物にはテリトリーがあり、それを侵さず『相互の存在を恐れ合って』境界線は保たれて来た。
だがしばしば人間は、その境界線を試すように踏み荒らしていた。
(……これは、『野生動物と人間界、里山と原生林』みたいな話か?)
俯瞰する航真はそう解釈した。だが、まだ幼い『母王の半血児』はより単純に捉えた。
『人間は、敵』
母王はその認識を否定しなかった。……航真は頭を抱えたくなった。だが理解もできた。身内を第三者に殺されたようなものなのだ。それを憎むことになんの不思議もない。
『人間は、敵』
そのイメージは即座に群れに共有され、合言葉のように母王の同族の間で繰り返された。
航真は嫌な予感がした。次の瞬間、前世の景色は変わった。
空が青い、日中だ。掘っ立て小屋の連なる人間の集落に報復攻撃をしている最中だった。
そこに母王の一族と『半血児』はいた。
集落は人間は二種類いた。服に金属を縫い付けた鎧と、より簡素な服の人である。
母王は群れの仲間に小屋を焼き、鎧の者を炙り出して殺すように呼びかけた。
仲間達は巨大な猿のように跳び、洞穴の篝火と同じ白い炎を吐いて家々を焼いて回る。
仲間が矢を受けると、弓を手にした者に殺到して四肢を裂いた。
『半血児』も、剣を手にした鎧の若い男に飛びつくように組み付いた。
とっさに突き出された剣はあっさりと自分の肩を貫いた。だが興奮しているのか痛みをほとんど感じない。構わず無事なほうの手で若い剣士の頭を鷲掴みにし、そのまま蹴り上げた膝に叩きつけて、スイカのように割り砕いた。
母王が駆け寄ってきて、肩の剣を抜いた。まるで木の棘でもささったように軽々とした所作だった。剣が突き抜けたにも関わらず、血は一滴すらこぼれない。
自分の手で傷の具合を確かめるように肩の前と後ろを撫でると、その部分の毛が禿げているだけだ。剣を抜いた瞬間から傷口が治っていた。
これに航真はぎょっとした。
母王はグロロと喉を鳴らして笑い、航真の前世も同じように喉を鳴らして笑った。
そして再び戦いの輪に混ざっていく。鎧姿を見つけては、殺到してなぶり殺しにする。
その流れが一族の集団が、集落の広場まで踏み込んだところで状況は少し変わった。
そこで兵士達が、隊列を組んでいた。真っ先に飛んできたのは矢だった。これを浴びて、先頭を走っていた二体が倒れる。矢に毒が塗ってあるようで、倒れたまま震えて動かない。
これを見て母王が第六感上で(矢を避けよ)と群れに指示を出す。
群れは一斉に猿のように背を丸めて身を低くし、体を斜にして進み始める。
速度が緩んだところを狙い、第二の矢が掛けられる。だが白い毛皮の仲間たちは矢を潜ったり、手で払い落としたりしながらこともなげにかわす。見る間に陣形に最接近した。
陣形は一斉に割れて、盾と剣、そして白毛の魔人達の手と牙の乱戦にもつれ込む。
その陣形の中央から割って現れたただ一人、黒色の全身鎧の男が現れる。
一人だけあきらかに異様なその装いを見て、『母王の半血児』は吠えた。
(あれは自分がやる!)
そう高らかに宣言し、周囲の乱戦を押し分けて黒い全身鎧に向き合った。
相手がかつぐほどの長い剣を構えるのを見てから、飛びかかった。
跳躍で浮いた体を叩き落とさんと横一閃に剣が振られる。半血児はこれを見て空中で身を丸めて反し、刃の上空を転がるようにかわす。
そして黒鎧の肩口を叩いて背後を取った。そのまま大きく後方に跳び、黒鎧が振り向くより早く戻って兜の後頭部を掴み、宙に寝そべるような姿勢を取った。
黒鎧はこの敏捷な動きについて来られず、そのまま前のめりに地面に叩きつけられる。
(フェイスクラッシャー!?)
……まさかのプロレス技に航真は動揺した。
母王の子は跳ねるように立ち上がり、倒れたままの鎧武者の首筋を跳ね上がって踏んだ。硬い殻が割れるような感触と共に、黒い鎧の体から命と思しき第六感上の光が消えた。
(あ、今ので殺したんだ)
航真がそう理解する一方で、『母王の半血児』は、勝利宣言のように高らかに吠えた。
これを合図に、人間たちは口々に理解不能な言語で言い交わして、一斉に敗走し始めた。
これを追おうとする同族に母王が一喝して止める。
群れは毒矢を浴びた仲間と殺した兵士の死体をかついで集落から出ていった。
その夜は殺した人間達の肉が食事になった。命を奪ったものは食べるのが魔物として当然の事のようだ。半血児も、自分が殺した二人の人間の肉をましましと頬張った。
肉は血と脂肪が多く、植物しか食べない森の獣より臭みもあった。
(人間の肉って、こんな味なんだな)
航真はまじまじとそう思った。前世を夢として俯瞰するうち、にわかに慣れつつあった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます