21 巻島屋敷からの呼び出し
その日の昼休みは寝ている子がいくらかいた。『ユメ動画』が更新されたのだという。
「家帰ってから夜見て寝りゃいいのに。授業中も寝てて先生が不機嫌になるのヤなんだけど」
「つぎ現代文で斉藤ちゃんでしょ? まあ嫌味くらいは言うかもね」
学食で食券片手に列に並んで、そんなことを言い合う尸遠と航真。遥歩は今日は弁当で、すでに中棟の屋上に出てベンチを確保してもらっている。
配膳台が見えるあたりで、航真はため息をついた。
「まさか学校にネズミが出るとはな」
「いや、それ学食でする話じゃないから」
「いやわからんよ? 味噌汁の鍋からひょっこり出てきたりして」
これに尸遠はぎょっとした顔をして、航真を仰ぎ見た。
「それ僕が豚汁定食の食券買ったの見た上で言ってるよね? マジやめてくれる?」
「ああ、そうなの? そりゃあ悪かった」
「ったく、白々しい……」
「いや、騒いでる時たまたまネズミと目が合ってさ……なんか思ってたよりグロかった」
「そうなの?」
「うん、なんか……いや、やめよう、食事前にする話じゃない」
「ネズミの話題がすでにここでする話題じゃないんだよなあ」
そうぼやいたところで、尸遠の懐のスマホが震える。取り出してみると、メッセージアプリのグループ名『緊急用直通』である。何事かと思いその場で開いた。
『流行ってる動画はまだ見てないな? 見るなよ』
これに『了解』とだけ返す。すぐに既読がつく。そして次のメッセージが届く。
『犬の件、明日すすめてもらえるとありがたい』
尸遠は少し考えて、
「さっきさ、シェルターに遊びに行っていいかって話したじゃん?……ライス半分で」
食券を渡すとトレーに次々と食器が乗る。白米に豚汁、漬物、唐揚げと千切りキャベツ。
「してたね……ご飯多めで」
航真の注文は麻婆丼、飲み物は制服のポケットにペットボトルをねじ込んでいる。
「明日、遊びに行ってもいいかな?」
「いいけど、覚悟しなよ。明日は雨が降るっていうから、散歩はずぶ濡れになる」
「お、おう」
それぞれに注文したものをトレーで受け取り、そのまま食堂を出て北棟の階段を登った。
三階から東棟の屋上に出る。フェンス越しの空は広く色濃い、そして入道雲も見える。
遥歩が確保しておいてくれたベンチをテーブル代わりに、三人向き合って食事を始める。
三人とも気安いものでまずは空腹という感じに黙々と食べ、世間話はその後だった。
「明日さあ、元廣ってなんか予定ある?」
「ん? 午後は部活」
「そっか」
尸遠はそういって、彼の肩のあたりから頭上をぼんやりと眺めた。
尸遠には今朝から見えているものがあった。遥歩の背中から陽炎のようなものがゆらゆらと、風に流されることもなく天高くへと立ち昇り続けているのだ。
「何かあるのか?」
そう問われて、尸遠はよく聞こえなかったというような顔で彼を見た。
「俺は大会も終わったし、休もうと思えば休めるぞ」
「ああ、うちのボラ先のシェルターに巻島が来たいっていうから、一緒にどうって話だよ」
それを聞いて、ああと惜しむような渋い顔をした。
「興味はあるけど遠慮する。俺んちの猫、浮気がバレるとスネるから」
これをきいて航真がにやりとする。
「じゃあやめたほうがいい。シェルターは犬も猫も大勢いるから」
「巻島こそ大丈夫か? いいとこの子が獣臭に耐えられるか?」
「ちょ、そこまで臭くないから。みんな定期的にお風呂入れてキレイにしてるから」
そういうことで、翌日の予定は定まった。
午後の授業は、寝ている生徒は少なくなかった。普段寝ていないような子まで寝ていたのを見て『ユメ動画』の流行り具合がよく見て取れた。
航真がシェルターでのボランティア作業を終えて家路につくのは、いつも五時半頃だ。
その頃になると同じくダンス部を終えた青木舞雛から音声通話の呼び出しが鳴る。
「いまどこ?」
「これから帰るとこ」
「駅前でなんか食べてかない?」
「そういうのはダンス部の子としろよ。ちゃんとコミュニケーション取ってるか?」
「今日はミーティングで先輩達が揉めたから一緒に帰るのヤだ。絶対悪口大会だもん」
「その悪口大会に混ざるから仲が深まるんじゃないのか?」
「どっちかについたら私はその派閥の人になっちゃうでしょ。それがイヤなの」
「はいはい」
そういうわけで駅前で待ち合わせて、駅の裏側にあるコーヒーショップに入った。
駅前はドーナツ店もバーガーショップも格安ファミレスも部活帰りの明星園生でひしめいている。そうした集団とかち合うのを避けた生徒が自然とこの店に流れ着く。
……そのせいか、心なしか静かなカップル率が高い。
二人はその空気を避けるように、注文したものを持って店先のテラス席に座った。
「あーしんど」
「あんまり人間関係うまく行ってないなら部活変えたら?」
「いや、ケンカっていってもバチバチなのが辛いだけで、みんな真剣に考えた結果言い合いになってる感じだから……それに、今日はまだ気分的にはいいことあったし」
「なにかあったの?」
そう尋ねると、舞雛はにこりとして頬杖をついた。
「うん、昼休みに昼寝したらね。すごくいい夢を見たの」
「どんな夢?」
「私の前世」
これを聞いて航真は一瞬ぽかんとして、ふっと鼻で笑った。
「ちょっとなによそれ」
「いや、お前がそんな電波な人とは思わなかったから」
「ちょっと、マジで見たんだから、ほらトレンドになってるこれ」
そういって、レタスサンドを頬張る航真に、舞雛は自分のスマホを見せつけた。短文系SNSの国内トレンド一覧表示である。
『ユメ動画新作』『前世が見える動画』というワードが五位と七位に入っている。
「寝すぎないように三〇分で目が覚める動画と連続再生で見たから、短くまとまった感じだったんだけど、それでもすごい素敵でさー」
舞雛との日常会話は基本的に実のある話ではない。航真はそのつもりで相槌を打った。
「ほう、どんなふうに?」
「まずね、最初が自分が生まれた瞬間なの。最初薄暗くて狭い、卵の殻の中でさ。割って外に出たら、風が気持ちよくてお日様のにおいがした。なんかそれだけで感動したの。最初は目が見えないんだけど、見えるようになったら視界が人間と全然違って。少し振り向いただけで後ろまで見えるの」
「まあ、鳥の目の位置とかってそういう作りになってるからね。……親鳥は?」
「うん、最初はよくわからなかった。けどご飯くれるときだけは分かった。目が見えるようになってから親鳥をみたらすごくキレイなの。孔雀みたいな色で、光の加減で色が変わるの。同じ巣に一緒に生まれたヒヨコがいて、みんな茶色のモフモフでかわいかった」
「お前も茶色のモフモフだったわけだ」
「うん。鏡とかそういうのなかったけど多分そう。で、最初飛ぶの下手くそでさ、巣から落ちたら戻れないの。で、地面でバタバタ飛ぶ練習しながら親鳥からご飯もらってた。それでもどうにか一人で木の枝まで飛んだときはちょっと泣いたね。で、木の実とか食べて生活してたんだけど、ある日大きな網で捕まえられちゃうの」
「ほう」
「そこではじめて人間を見た。めちゃめちゃでかくて、片手でがしって捕まった」
「まあ、小鳥から見たら人間はそうかもね」
「そのまま木で編んだ鳥かごに入れられてさ、カーテンみたいなので目隠しされて、時々乾いたゴマみたいな餌と水だけ与えられて、しばらく過ごしたかな。そしたら急にカーテンが取られて、……どんなとこだったと思う?」
「んー、ペットショップ的なところ?」
「ううん、お城。天井が高くて肖像画とかあるような広い部屋。奥のほうに王様とお妃様みたいな人が座ってんの。そのお妃様が寄ってきて、私を見るんだけど、すげー美人でさ。髪もばちっとまとめあげてて、服もきれいなレースの刺繍がいっぱい使ってあって」
「中世の貴族とか、そんな感じ?」
「うん。だけど全体的にもっとエキゾチックな感じだった。みんな白人じゃなくてインドとかそっちっぽい色の濃い人で。そのお妃様が私見て、にこってしたの。その顔見て、私気に入られたんだなってわかった。けど夢の中の私はそんなことわかんなくて、めっちゃ怯えてた。そのままお付きの人に運ばれて、なんか温室っぽいところに連れていかれたの」
「温室ってビニール栽培の?」
「ううん、植物園のほう。天井とかガラスでドーム型の。全部細工とかよく出来ててさ。そこには私以外にもいろんな鳥がいて、そこでカゴから出してもらえた」
「そのお妃様に飼われたのか」
「たぶんそう。毎日食べられるものと水を用意してくれて、なんて意味かはわかんなかったけど、名前もつけてもらって。優しくされてるってだんだん分かって、呼ばれたらそのお妃様の手に乗るようになったのね。そしたらすごく喜んでくれて、幸せだった」
「よかったじゃん」
「うん。けど、温室に半年くらい来ない時期があってさ、久々に来てみたらお付きの人が赤ちゃんだっこしてんの! 私嬉しくて、ずっと赤ちゃんとお妃様の間行き来してた。お妃様は私と居るときはリラックスしてて、この人のために私生きてるんだなって思えた。……正直羨ましかった。そんな気持になるような親友、今まで出来たことないから」
航真はやや複雑な笑顔で「そうか」と相づちを打った。舞雛は構わず話を続けた。
「温室から見る外の景色もキレイだった。景色の半分が街で、もう半分がすごく広いお庭で、庭の向こうにお城があって……冬には雪が降って、温室の中に焚き火が焚かれてた」
そこまで言うと、舞雛は少し寂しそうな顔をした。
「けど、よくわかんないんだけど、クーデターみたいなことが起こったっぽいの」
「なんで鳥にそんなことがわかったの?」
「急に街中から松明をもった人が大勢、庭を突っ切ってお城に乗り込んできたから。温室の窓からそれを見てた。それでお城が燃えて、温室の窓も割られて、植えられてた木も折られたりして……。他の鳥たちは窓の穴から逃げてった。私はお妃様が心配で、残ったの」
「前世のお前は健気だねえ」
「今だって尽くすタイプですぅ。そんなことはいいの。で、待ってたら、夕方くらいに、お妃様が赤ちゃんだっこして、いつもより地味な、お付きの人みたいな服で温室に来たの。多分城から逃げる気だったんだと思う。ぼろぼろが温室で泣きそうな顔してた。だから私はいるよ、ってわかってほしくて、近くに飛んでったの。それを見て笑顔になってくれた……。けど、その温室の出口の廊下の向こうに、乗り込んできた人が、なんていうの、クロスボウっていうの? 弓の付いた銃みたいなの構えて出てきたの」
「ほう!」
「正直びびった。お付きの人がお妃様に飛びついて伏せさせて、矢は外れたの」
「間一髪」
「お妃様からは外れたんだけど、その矢が私にささっちゃって。痛いとかよりもう、小鳥から見た矢って大木みたいでさ、自動車にでも突っ込まれたみたいな衝撃で。それに驚きながら地面に落ちて、もう傷が大きすぎてびっくりして、びっくりしてる間に体がどんどん冷たくなって、眠るみたいに何もわからなくなった……そこで死んだんだと思う」
「……野鳥としては劇的な人生だったな」
「けど、続きがあってね。死んだ後に、急に分かる言葉で話しかけられたの」
「だれに」
「うん、私も誰? って思ったけど、鳥の私には誰って概念もないのよ」
「ああ、鳥だからな」
「そう。なんか分かる声来た、って感じで。その声が言うの。『次はどんなふうに生きたいですか?』って」
「神様的な?」
冗談半分に航真は言ったが、舞雛は真顔で頷いた。
「でね、飛べなくてもいいから、もう矢が飛んできて死ぬことのない世界がいい、って」
これに航真は少し笑いそうになり、彼女の真顔にこれを堪えた。
「……で、そこで目が覚めた」
「その飛べなくてもいいから矢が飛んでこない人生が青木舞雛だと」
舞雛は改めて言葉にされて照れくさくなったのか、目を伏せて、うんと頷いた。そして舞雛は長話をしてお腹がすいたとでも言うように、タルトを頬張った。それを咀嚼しながら口元を覆った。
「うん、なんていうか、そんなに何度も見たくはないけど、いい経験したって感じ」
「そうか……とりあえずしゃべるか食べるかどっちかにしようか」
そう言われて、舞雛はんふふと笑ってアイスティのストローを咥えた。
その夜、桜塚は寝る前に舞雛の勧めのとおりに動画を見てみた。
タイトルは『夢で前世を追体験できる動画』とある。
動画ページを開いてみると、再生数はすでに一千万回を突破していた。コメント欄は日本語はない、ほとんど海外の言語か、それを英字にしたものだ。
そして動画本編は、相変わらず前衛芸術のような映像に民俗音楽的な曲である。
この動画は『好きな人が夢に出てくる動画』ほど強烈な眠気はなかった。ベッドの感触が普段より心地よく感じる程度である。それでも目をつぶると、すんなりと眠りに落ちた。
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