20 時来る
紫衣の老人が探しているのは、『双龍の輪』で『勇者』の転生者である。
では、何を根拠に『勇者の転生者』を特定しているのか。主には前世にて身についた呪いや加護の残滓など魔法で追跡可能な痕跡である。特に拠りどころとしているのは『勇者』に見出される原因となった、『さらなる前世』に起因する規格外の抗魔力の霊性だ。
最初に降り立った地が関西だったのも、出生地として痕跡が近くにあったためだ。それから十日かけて『勇者』の霊性を、測量的に絞り込んだ先が東京近郊だった。
そして東京に移って半月となる今朝の未明、勇者の兆候が十数キロ圏内に強く発生した。
魂に宿った霊性による不随意の幻術に対する強い拒絶反応である。それは肌に赤く文様を浮かばせ、剥離した霊力の片鱗は蒸散して煙の如く天へと立ち昇る。
この蒸散した霊力は風に流れず狼煙のように半日は体から立ち上り続ける。そしてこの蒸散霊力は魔力や霊性を感受する知覚か能力がないかぎり、感知することはできない。
この蒸散霊力を、『双龍の輪』からやってきた二人は確かに『目視』した。
それに最初に気付いたのは、ホテルを引き払って外に出た時だった。
日頃であればそのまま近くの利用者数の多い駅などに行き、盲人を装って釣りのように魔法で操る相手を待ち構える。だが今朝はそれをとりやめ、蒸散霊力の目視とスマホの地図アプリと鉄道網を頼りにその出どころへと向かった。
車窓から遠くに見る蒸散霊力の筋は、真っ直ぐには立ち昇っておらず、やや傾いていた。これはその根元が、一箇所には留まらずゆっくりと動いているということだ。
……一方で、老人たちとは別に、この目には見えない霊力の狼煙を追うものがあった。先日流れ星となって世界を渡ってきた『獣』である。
『獣』が捕食した小鳥の食べ滓を使い魔に変えて放ったのを憶えているだろうか。あれと同種のものが勇者の匂いの正体を、空からは小鳥、地から鼠の姿で追っていた。
老人たちは、電車を降りて徒歩に切り替えた。そしてあるところまで真っ直ぐに来て、足を止めた。
私立明星園高校のグラウンドと通りを隔てるフェンスである。
「正門に回りましょう」
そう言っていざ踏み込まんという素振りの青年を、老人は待てと止めた。今日は白杖ではなく普通の杖である。霊気の蒸散に気付き、目を使う都合から盲人も装っていない。顔面も本来の四ツ目で、そのうち上の二つは目深に被った帽子で隠している。
青年だけが地球人になりすました顔をしている。
鳴り響くセミの声に紛れるように、青年の耳に顔を寄せて声を低くして言った。
「忘れたか。この世界の学校は私有地であり、社会的には一種の聖域だ。これまでやってきたようにはいかん。踏み込むには用意が要る」
「ですが、このフェンスのすぐ向こうの建物の中に勇者の、我が兄の生まれ変わりが」
「ああそうだ。だがよく考えよ。同じ服装同じ年頃の大勢の生徒の中から、その生まれ変わりただ一人を見分けることが出来るか? 我々は今生での顔すら知らんのだ」
そう言われて、青年は悔しげに指をかじった。
老人はくるりと振り返って、ややうねるように天へ立ち昇る霊気の上端を見た。
蒸散した霊力は、学校から十キロ弱、西南西の方に流れるように伸びている。狼煙と違って、風に流れることはない。そのあたりから通学してきたということである。
『双龍の輪』であれば、立ち昇る霊気は大気中の魔素に紛れて見えなくなる。だが『地球』はその大気中のそれらの類が極端に薄い。霊気の上端は青空に紛れるほどに高くまで昇り、先端部は遠く細くなって視認しきれないほどである。
(最初に発生した地点が寝起きしている住まいだとして、絞り込んで特定できるのは、せいぜい利用している沿線か最寄り駅かといったところか。それならば、学校の最寄り駅への道を監視できる辺りで待ち構え、その姿を視認して後をつけるべきか。それとも……)
天を仰いで考えを巡らせている老人の眼下をすり抜けるものがあった。
一匹の、半ば泥に塗れた鼠のようなものである。それはグラウンドのフェンスを潜って敷地に侵入した。それとは別に、一羽の奇妙な小鳥が明星園高校の敷地に飛来する。
いずれも、魔力によって屍と泥から作られた使い魔……あの『獣』が放ったものである。
鼠型の使い魔は廊下を走り、小鳥型は窓の外を回遊して蒸散する霊気の根元を探した。
それはほどなく見つかった。周囲の人間の体格からして若い学級の、眼鏡姿の少年だ。
だが鼠と小鳥はそれ以上のモノを同じ部屋の中から見つけた。
鳥は、窓の外を飛ぶ自身に気付き凝視してくる、他の人間とは違う服の小柄な人間を。鼠は、『獣』が世界を永らく探し求めてきた存在と思しき『匂い』である。
だが数十人が整然と座っている教室では、その匂いの主の特定は難しい。鼠は教室に侵入して、匂いをたどりだした。その途端だった。使い魔からしたら全く興味もない若い雌の人間が鼠型の使い魔を凝視して、高く声を発した。
鼠は慌てて教室の隅に沿って教室中を走り周り、そのどさくさに紛れて『匂い』の持ち主を特定した。赤みがかった髪の、部屋の中で一際大きな体をした雄の人間である。
それだけ確認して鼠は教室を飛び出すと、開け放たれた非常口を通って校舎の外に出て、茂みに潜んだ。同じ茂みに小鳥の使い魔が飛び込み、二つの使い魔はどろりと溶け合うように混ざる。そして鳩ほどの大きさの一体に姿を変えて再び飛び立った。
それはグラウンドの上空を渡り、西の住宅の屋根の彼方へと飛び去っていった。
その『鳩のような使い魔』を、『双龍の輪』から来た老人は目ざとく仰ぎ見ていた。その手は、使い魔の気配が遠のくまで拳銃のように後腰に差した触媒の塊に置いていた。
「……この界隈だと近い街は中央線沿線だな。適当に宿を取ろう。計画を早める」
「え?」
「例の動画を、これからアップロードする」
これをきいて、青年は目を丸くし、それからこくりと頷いた。
その日の正午、『ユメ動画』の通称で知られる動画配信アカウントから『夢で前世を追体験できる動画』がアップロード、公開された。それまでの動画と比較して格段に短い一分の動画と、それを反復した十分ほどの動画である。
その動画の説明欄には『加工・転載自由』というこれまでとは違う文が加えられていた。
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