17 さらなる転移者、来たる

 それは雨雲を突っ切って落ちる流れ星のように燃えながら濡れ草の雑木林に落ちた。

 偶然それを目にした誰もが、それは林の彼方に流れて消えたと思ったことだろう。だがそれは枝先に触れるなり光を失い、梢を折りながら下草に沈んだ。後には煙の臭いもない。

 『それ』は全身が暗い毛皮に包まれていた。

 ゆらりと起き上がり、後ろ足で立った。暗闇に陰影だけがかろうじて浮かぶその四肢の先は鹿か犬のように細い。

 崩折れるように前肢を雨を吸った朽葉の中につき、光を求めるように四つ這いに林の中から出ようとした。林とアスファルトを分ける境界のようなガードレールをくぐると、白線だけの申し訳程度の歩道とすぐに車道になっていた。

 外灯にさらされてはっきりと見えた姿は、熊ほどの犬のような見目の獣であった。

 よたよたとそのまま車道の半ばまで出てきたところで、不意に横腹を強い光が射した。

 車のヘッドライトの光だ。それは巨大な化け物の目玉のように迫った。これに獣は目を金色に光らせて身をすくめ、車は甲高いブレーキ音を立てて光の先を一瞬脇に逸した。

 その瞬間、獣は水中のエビのように林の中に跳び戻った。

 車が濡れた路面をこらえて急停止し、運転手は慌てた様子で車から降りた。そして今轢きかけたモノの居たあたりをよく見た。だが、近くの木立で眠っていたと思しき野鳥がけたたましく鳴いているだけでなにかを跳ねた風も、怪我を負わせた痕跡も見当たらない。

 運転手は安堵した様子で車に戻り、そのまま走り去った。

 獣はその様子を、木の幹にしがみつくようにして見下ろしていた。その木の枝の一つで、びいびいとうるさく小鳥が鳴いている。

 獣の姿は、さっきまでの犬のような姿ではなかった。まるで毛皮の膝丈のコートでも着込んだような、人の四肢をした子供のような姿だ。

 人の子のような姿に変化した獣は、金色に光る目で鳴き続ける鳥をきっと睨みあげた。次の瞬間、猿か猫のようにその野鳥を掴み、びっという一声を残して息の根を止めた。

 獲った小鳥を咥えて木から降り、再び地に四肢をついた。

 途端に手足の関節と筋肉が皮膚の下を蠢き、犬か狼のような形に変わった。肩が皮下を流れるように丸まり、首が伸びる。鼻口は顔の前方へ伸び、耳は頭上へぴんと立つ。衣服のようだった毛皮も広がって、枝先のような爪の根元まで暗褐色の毛で覆った。

 このモノは人でも犬でもない。紛れもない『地球』外のモノであった。

 来たのは『双龍の輪』という異世界からだ。流れ星に見えたのは、このモノの時空の越え方がそれに似て見えたというだけのことだ。

 獣の姿で咥えた小鳥をバリバリと羽根を毟って食べ始めた。ほとんど食べるところなど無く、すぐに血と雨に濡れた羽根と骨ばかりになってしまう。

 そして『獣』は、その食べ滓に、犬の声とも人の声とも違う声で歌うように囁き、煙のような真っ白な息吹をかけた。羽根と骨は枝の束の折れるような音をたて、泥と塊になる。

 『獣』は、そこで少し考えるように後ろ足で耳を掻いて、もう一声発した。

 すると塊は見る間に粘土細工のように再び小鳥のような姿を作った。そしてそれは下草の間から舞い上がって、雨の夜空へと飛び去った。

 それを見送ると、『獣』は雑木林の奥の暗みへ入り、雨の除けられそうな木陰で伏せて身を丸くした。自分の尾に顎を乗せて、うつらうつらと金色の目を細める。

 その雨は明け方に止み、最初の鳥が鳴く声に目を覚ました。そして茂みの下草に前肢を突き出し、背筋を伸ばした。犬ならば狼の血でも混ざっていそうなほどに大柄だった。

 その鼻は濡れた林の空気の匂いを嗅ぎ、落ち葉のくぼみに溜まった澄んだ雨水を飲む。

 その林は、神社の裏手のいわゆる鎮守の森であった。木立の彼方には薄暗い街が広がっている。その街の方から、狭い木立の間を縫うように、一羽の鳥が『獣』の元に飛来した。

 それは夜中に『獣』が放った泥と鳥の亡骸で造った小さな怪物であった。それは人にも地球の動物にも聞こえない声で『獣』の耳元で囀る。

 応じる代わりにつんつんとその鼻先でつつくと、小鳥は生きているかのような仕草で造物主である『獣』の鼻先を跳ね、再び舞い上がって、明け方の空へと飛んでいった。

 『獣』は、それを追うように街へ駆け出した。まだ街灯の灯った街中を、一目散に赤らむ空を飛ぶ『鳥』を追って駆けていった。

 太い通りに出ると、早朝を往く人影がこの巨大な犬に慄いて足を止めた。『獣』はそれを横目に見るなり、バッタのように高々と跳ねて、近くの家の屋根の彼方へ消えた。


 同じ朝、紫衣の老人は苦々しい顔で朝焼けを見ていた。

 その顔は本来の四つ目である。地球人になりすました顔よりこちらのほうが天空に線を引いたように残る魔素の残滓をしっかりと感知できた。

「……嗅ぎつけられたか。少し行き来を重ねすぎたな」

 東京郊外のビジネスホテルの一室、老人は『トラウマを克服する動画』という動画のアップロードに伴う魔術を施し終えて、一息ついているところだった。そして先刻、燃え尽きない流れ星が近くの神社の杜に落ちるのを、部屋の窓から見た。

 ……老人の幻術を施した動画の計画は、東京に活動の軸を移しても続いていた。

 『空を飛ぶ夢を見る動画』『確実に三〇分だけ眠れる動画』『イルカと泳ぐ夢を見る動画』そんな一見無害な動画を数日置きに投稿していた。アカウントは着実に知名度を重ね、チャンネル登録者数も既に世界規模で一五〇万人を超えている。

 登録者数が百万人を越えた頃から、二人はにわかに機会をうかがうようになっていた。

 登録者数が二〇〇万人を超えたところを目処として『前世の夢を見る動画』を上げたいところだが、懸念する事柄もあった。一つは海外のメディアが、デジタルドラッグという言い回しと共に、いわゆるインターネットやビデオゲームへの依存の一種として自分たちの動画を批判し始めたことだ。もっともこれは予想の範疇だった。そうした喧伝は、慎重な人々を遠ざける一方で好奇心の強い者を誘引する。

 規制を掛けるにも、一連の動画には思想の誘導や破壊衝動を掻き立てるような有害性はない。しかも動画の実効性の仕掛けは地球の文明技術では解析不能な『魔術』だ。薬物のような身体的な依存も脳への負担もない。心因的な依存による再視聴者が居る程度だ。

 もう一つは、異世界人としての二人にとって、より深刻な事だった。『地球』という世界における『異世界転移者のコミュニティ』が、ネット上に見当たらないことである。

 これは『地球』では表向きは『異世界は存在しないことになっている』ということだ。裏を返せば、異世界からの渡来者を厳重に管理する秘密組織が存在する事を意味する。

 最初に公開した『好きな人が夢に出てくる動画』は既に一億再生を越えた。海外では視聴後に寝落ちする様子を撮影したネットミームもある。この認知度であれば、秘密組織が動画に掛けられた魔術を感知していないとは思えない。

 にも関わらず一向に接触を取って来ない。そこがいよいよ不気味なところだった。

 これは好意的に捉えれば、今のところ無害な異世界人が娯楽として動画配信をしているという程度の認識で済んでいるということである。

 だが当面の目標である『前世の記憶を呼び起こす動画』で、異世界の存在が一般地球人に知られる事態になれば、その秘密組織はおそらく黙ってはいないだろう。事を成すなら、一気に動く必要がある。だが動画という媒体の性質上、周知には時間を要する。

 そして最大の懸念は一連の動画やアカウントが、運営会社により凍結や削除される事だ。だがこの事態については、一応対策は用意してある。

 『前世動画』を転写可能な性質を付与し、視聴者の手により再拡散可能な状態にする。更に再加工しても機能するよう術をループさせる。いずれにせよ『前世の夢を見る動画』にはこれまで以上の大量の触媒ときちんとした儀式が必要になる。

 ここ数日、青衣にはその準備のため『双龍の輪』と『地球』を頻繁に行き来させていた。

 異世界間の渡航は藪の中を歩くようなもので、二点間を頻繁に往復すると痕跡が獣道のように残る性質がある。

 そして先刻『地球』に降りた『火の玉』は、おそらくはその痕跡を追ってきた何者かだ。

(せめて関西にいるうちに準備をすすめるべきだったかもしれない)

 老人はそう思いながら、ため息をつき、触媒を握った手で顔を拭った。その顔は洗われるように四つ目から白濁した双眼の、地球での仮の姿に変わった。

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