12 巻島の人々。

 ――巻島一元の予知能力『天眼』は、尸遠の父の巻島元弥もとやには受け継がれなかった。

 祖母八重子は『地球』の人であり、そちらからの遺伝が優位だったようだ。

 元弥は若い頃、占い師としてテレビタレント的な活動していた。むろんそれは『天眼』に由来する特異なものではなく、統計的な占星術の才能と世界的芸術家の一人息子という親の七光りあってのことだ。

 タレント業を離れ、一元の作品の権利運用に仕事を絞ったのは、20代半ばで女性タレントと結婚し、3年で離婚したあとである。――

 そして30を過ぎて、元弥は再婚した。相手は作品管理として一元の事務所に勤めていた内野桜子。なお、桜子も『地球』の人間である。尸遠は元弥と桜子の間に生まれた。

 尸遠が産まれたときから両親は共働きだった。

 また、両親の『経済感覚を狂わせたくない』という教育方針もあってあまり甘やかしてもらえなかった。

 小遣いもなく、必要な出費は電子決済で事後報告で買ったものを親にいちいち伝えなければならなかった。

 もっともこれが幸いして中学の時にいじめにあった際は、速やかな解決に結びついた。同級生グループから金銭を要求され続け、その結果としての支払い明細が証拠として出せたのだ。弁護士を通して学校や教育委員会へ直訴した結果、学校側もすんなりといじめを認めた。

 

 尸遠がゴミ箱からマンガ雑誌を回収することに躊躇いや恥じらいを持たない性格の背景の一つが、この親の躾による消極的な金銭感覚である。

 もう一つは、祖父の芸術家としての活動内容にあった。


 巻島一元が芸術家として大成して40年余、この間こそ裕福であったが、その創作活動の最初は極めて安価なところから始まる。

 作品の多くは無料で手に入るものを使った立体造形であった。これは流木のような自然物ではなく、いわゆる市井の廃棄物などだ。

 これが戦後高度経済成長期、急速に発展する日本の光と陰と躍動感を切り取ったパンクな作風の現代芸術家として海外を中心に大いに評価されたのである。

 20世紀中の作品群は、主に不法投棄された物や家庭の資源ごみを再構成したものだ。

 特に有名な逸話として、かつて東京23区で採用されていた推奨ごみ袋がある。

 これは半透明の白地に緑で印字された炭酸カルシウムを配合した袋で、90年代後半の作品で象徴的に扱われた。

 同種のゴミ袋は制度が廃止されるまで、国際的にはカズモト・マキシマ作品のアイコンのような状態だった。

 例えば早朝の歓楽街に積み上がったごみ袋などを「マキシマ」と呼んで、撮影する外国人観光客も珍しくなかった。


 なお、専有離脱物横領罪や窃盗の疑いをもって警察に取り調べられた事は、何度かあった。

 だが実際に逮捕されたのは一度きり。70年代、富士の樹海でテレビの取材を受けながら、山中に不法投棄されたゴミから材料収集をしていたときである。

 この逮捕映像は実際に放送され、国内外の現代美術界隈でのみ知られていた巻島一元の名を世間に知らしめるきっかけの出来事となった。

 逮捕こそされたが、不起訴に終わっている。材料収集をしていた山の地権者の許可を事前に書面で取っていたためである。

 一元は自身の知名度を高めるためにわざとテレビカメラの前で逮捕されたのである。


 ――そうでなくとも、一元は『天眼』の能力で持ち去るものをきちんと吟味していた。一度は竹藪から札束の詰まったカバンを見つけたこともあったが、これは触れた瞬間に悪夢のような未来が見えて、指紋を拭き取ってすぐにその場を離れた。

 また、弟子らを伴って材料採取に行く際は毎度必ず、不法投棄の地権者、あるいはゴミを出した人の許可をきちんと事前におさえていた。――

 逆に、一元が芸術家として最も苦労したのは2011年からの数年間だ。

 東日本大震災時の福島第一原発事故による放射性物質汚染の疑いから、海外での新作の展示や販売が拒否されるようになったのである。

 また国内の個展も一部連作が津波被害を連想させるという理由で打ち切られたり、個展そのものが延期されたりと困難が続いた。

 この時期より作品制作に使用する廃棄物は外国の海岸に漂着したものになり、また取り壊し中の住居を借りた映像作品なども増えた。

 この頃からカズモト・マキシマは『近代化への反骨精神あふれるパンクな芸術家』から、『環境問題を正視したアップサイクルを体現する芸術家』へと再評価されるようになった。


 尸遠がゴミ箱を漁ることにさして抵抗感を持たず、自尊心も傷つかないのは、祖父の作品作りを見て育ったことが大きい。実際、多忙な両親の愛情が足りない分を埋め合わせるように溺愛してくれたのが祖父と屋敷の人々だった。


 尸遠は部屋に荷物を置くと、再びマスクをつけて廊下に出た。そして屋敷の中の北側の突き当りにある『非常口』の表示のあるドアをくぐった。

 そこから先は屋敷の南側ほど格調高い趣はなく、いきなりスチール棚にダンボールの箱などが廊下を狭めていた。左に廊下が伸び、右には勝手口を兼ねた非常口がある。

 屋敷の北側は、バックヤードを兼ねた使用人たちのための領域、いわゆる裏方になる。裏方は屋敷の北側東西に伸び、上階と地下庫に通じている。

 裏方の一階中程には使用人の休憩所を兼ねた食堂兼娯楽室がある。

 それを挟んだ西側は地下のワインセラーや備蓄保管庫へ通じる階段と執事室、そして北西角に厨房がある。この厨房から食堂に通じ、屋敷の表側に再びつながっている。

 尸遠は新発田の部屋に用があった。

 途中には、先述の通り使用人たちの広間がある。

 尸遠がそこにさしかかると、お孫様の到来とみるや、テレビを見ながら談笑していた使用人や祖父の弟子達が気軽に声をかけてくる。

「ゼリー、いただいてまーす」

「もう? ちゃんと冷やしてから食べてよ。きちんと全員足りるだけ持ってきたんだから」

「尸遠さん、ピアス増やしてないですよね」

「おーう、我慢してるよ」

 などといちいち返事をする。

 ――そのどの顔もやはりマスクはしていない。

 休憩室中央の大テーブルの天井には、先日まで透明のビニールカーテンが掛かって座席を仕切っていた。だが今はそれも取り払われ、開放感だけがある。

 そのテーブルの上の空間が、尸遠には感慨深いものに思え、小さく息をついた。

「ねえ、天井からぶら下げてたビニールのカーテン、外したんだね」

「ええ、やっとです。一昨日から旦那様が『解禁していい』って」

 それをきいて、尸遠はまじまじとうなずいて、自分もマスクを外した。

 久々に嗅ぐ使用人部屋の空気の匂いは、ほんのりと無国籍料理の店を思わせるスパイスのにおいがしていた。――こちらの世界で手に入る食材での、どこかの異世界の食べ物の風味に近い味の再現を試みた誰かの形跡だ――。

 半年ぶりのその匂いに、尸遠はおもわず目を細めてにこりとした。

「おお、相変わらず母君譲りのいいえくぼですね」

 そう言われて、尸遠は声を立てて笑った。


 この巻島屋敷、昨年2019年の暮れからごく最近まで、なにかの感染症でも流行っているかのような厳戒態勢にあった。

 尸遠が学校から迎えを頼んだ先日もそうだ。

 屋敷を出入りする者にはいちいちアルコールでの手指消毒を求め、下足番は靴底に消毒スプレーを吹いていた。

 使用人達は基本的に常時マスク着用。例外は外からの客を面するときだけのみ、客を不安にさせないためにマスクを外す。

 冬でも夏でも外向きの窓を開けていた。

 使用人部屋で何かを食べる時は、テーブルのビニールカーテンの囲いに向かい、一人ずつ隔てられた状態で食べていた。


「お邪魔してごめんね。皆、好きなようにしてください」

 そう促されて、何人かがゆるゆると腰を下ろす。

「えーと、そこのあなた」

 尸遠は西側のドアの近くで直立不動の若年の弟子風の男に声をかけた。

 男は背筋を伸ばして頭を下げた。彼は規律の厳しい文化圏の異世界から来た。日本語はどうにか通じるが、身についた規律意識はなかなか抜けないようだった。

「新発田さんは、事務所にいる?」

「はい、いらっしゃいます」

 その弟子は指示を得て、きびきびと奥の廊下へ通じるドアを開いて、尸遠を導いた。

 その所作は、ホテルのドアマンのように洗練されていた。弟子より使用人のほうが向いているのではないかという具合だが、祖父にも考えがあって弟子としているのだろう。

 尸遠は微笑んで見せて、「どうもー」とすれ違いかけて、足を止める。

「あ、そうだ。ひとつ聞いていい? 好きな食べ物教えて」

「えっ、あ、ラーメンです」

「ラーメン、美味しいよねぇ。ただお土産に持ってくるにはきついなぁ。他にない?」

「え、じゃあ、えーと、果物です」

 これには尸遠はこくこくとうなずいた。

「じゃあ今度はそういうの持ってくるね」

「あ、ありがとうございます」

「じゃあねー」

 といって、廊下に出て、扉は静かに閉ざされた。


 尸遠は一人になり、ほっと息をついた。

 屋敷で『保護』されている人々とはいえ、相手は皆年上である。

 しかも皆、『地球』へ渡ってくる前はどれほどの地位だったかもわからない者ばかりだ。

 例えば運転手の野木などは生まれは戦乱に満ちた世界の地方豪族の次男で、現地の武芸百般に通じていたという。

 彼は跡目争いを避けるために『地球』に渡来してきた。

 一元の運転手をしているのも、運転の腕もあるが、いざというときに祖父の護衛ができる程度に修羅場を経験しているからだ。

 尸遠としては、可能な限り年齢通りの上下関係で過ごしたかった。

 だがそこは屋敷の主人の孫と使用人である。そうはなりきれない上下関係がほんのりと存在する。


 その唯一の例外が、新発田だった。新発田だけは生まれも育ちも地球だ。尸遠にとっては気心の知れた親戚のような距離感の存在だった。

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