9 賢者は夜を待つ

 照明をすべて落としたビジネスホテルのツインルーム。

 日は傾き始め、窓の外にはその黄色がかった光を浴びる影の多い街が見下ろせる。

 その窓辺にて、タブレットPCと水牛の角のような魔力触媒を置き、サングラス姿の老人が祈るようにしている。あの高架下に現れた紫の衣の4つ目の男である。その口は地球人では聞き取れない声で呪言をささやいている。連れの青衣の男は不在だった。

 『地球』に降り立って10日余りが過ぎていた。その服装はファストブランドのカジュアルで、ベッドには白杖を立て掛けている。相変わらず盲目を装っていた。

 ……前払いの料金形態の宿は身分不詳の旅においては都合が良かった。

 あの高架下からこれまで、二人は宿以外では他人同士のような距離で動いていた。

 これは高齢の障害者として振る舞う老人を手助けしようとする者を誘引するためだ。老人はそうした人々に直に触れ、『制伏』という催眠術に似た魔術で操った。裕福な人からは宿賃や電子通貨のチャージ、プリペイド式のスマートフォン、タブレットPCなどを提供させた。そうでない人は、別の人に道を尋ねる要領で声を掛けさせ、操る相手の鞍替えに使った。

 そのようにして、転々とホテル暮らしを続けていた。

 ……呪言にあわせて触媒の上端から線香の煙のような煤の筋が宙に伸びている。

 だが煙とは異なり、風に流れず霧散することもなく、規則的に宙に線を描いている。そしてその煤は黒い粉となり、タブレットの画面上に魔法陣を描くように積もっていた。

 ベッドには大判の日本地図が広げられている。大阪や神戸など滞在した関西の都市から、ほぼ東北東にまっすぐ線が引かれ、東京のあたりで交差している。

 老人が呪言を唱える背後、廊下に通じるドアの前に、突然に火花の輪が生じた。それは姿見ほどの平たい闇を囲んで広がった。

 その火の輪をまたぐように一人の青年が出てくる。老人の連れの男だ。その顔は地球人に成り済ました顔でも仮面姿でもない顔は4つ目だ。だが服装はサルエルパンツに七分袖のフーディ、四角いシルエットのリュックとこちらの若者のものだ。

 彼が闇を抜けきると火花の輪は消え、灰の山のような触媒の滓だけが残った。

「食料と触媒と、純金の金貨、お持ちしました」

 青年がリュックを下ろし、中から大小三つの革袋を出してテーブルに置いた。サングラスの老人はこれに返事代わりに手を振って、呪言を続けた。

 そうして唱え切り、パンと手を叩くと、部屋中の明かりが一斉に灯った。

 青年は明るくなった部屋を見回しながら、鞄から陶器の瓶を出し、その栓をポンと外した。瓶の中身をホテルのコップに注ぐ。橙色のワインに似た香りの酒である。

「お疲れさまでした」

 そういいながら、青年は酒を差し出した。

 老人は額に霧吹きでもかけたような汗を浮かべ、少し震えた手でコップを受け取った。

 それを飲み干して、人心地ついたというように息をした。だがその表情は冴えない。

「感受の結果は相変わらずだ。東北東の彼方。ヨウの後生の魂の持ち主の所在は、やはり関東。おそらく東京の多摩地域で暮らしている。亡くなった直後に転生したとしても、まだ学校のある年頃だ。行動範囲には限りがある」

 二人はベッドの上の地図を見下ろして、ため息をついた。

「では、長距離バスか鉄道ですね」

「ああ。それと、もう一つ別に仕込みを準備している」

「というと」

「いきなり本人を見つけて連れ去るということはできん。特に前世をどう思い出させるか」

「確かに、この世界の他世界についての未開ぶりを見るに、説得しようにも現実とは思われないでしょうね。いっそ『制伏』をかけて、我らの世界にお連れし、それから前世の記憶を取り戻して頂けばよろしいのでは?」

「いや今でも霊樹の加護は残っているはずだ。それならば本人が自ら望んで術に心を開かねば魔術は通用しない。無理にどうこうするというわけにはいかん」

「自ら望んで、ですか」

「そうだ。それを自然なことにするための準備をする」

「自然なこと?」

「前世の記憶を取り戻すことを、ありふれたことにするのだ。要は、バズらせ、だよ」

「どうやって?」

「考えたが、まず我々の発信に対して世間一般の信用と認知を高める。お前を待つ間に一つ仕込んでみた」

 タブレットPCを持ち上げ、表面に積もった魔法陣状の煤を払った。そこには大手動画共有サイトの『アップロード成功』の表示が出ている。

 老人は、サングラスを外し白濁とした双眸をさらした。目頭をおさえるように顔を拭い、目元を本来のつぶらな4つ目に戻す。そしてタブレットの画面を操作し、何かを入力し始めた。

 その入力内容を青年が読み上げる。

「睡眠誘導動画、寝る前に見ると好きな人が夢に出てくる動画……ですか」

 タイトルに同じ要旨の英文とキリル文字を入力し、動画の設定を『公開』に変更する。

「あとは様子を見る。これは簡単な幻術だが実効性はある。こういう動画を数日置きに流し、動画配信者としての信頼を得る。実効性があるものだと周知されれば、あとは勝手に広まる。その上で、仕上げに前世を夢として追体験させる幻術の動画を流す」

「模倣や切り取りされた動画が拡散されてしまうのでは?」

「我らの術と同じだ、儀式の形を真似ることは誰にでも出来る。だが魔力が込められなければ効果はない。動画をコピーするのも同じだ。魔力の注入がなければ術としては効果を出さない。模倣を前提とした仕組みの儀式でもなければな」

「つまり、父上のしかけた動画以外は再生しても効果をもたない、と」

 父上と呼ばれた老人はうなずいた。

「そうだ、不完全で再現性が獲得できない」

「なるほど。しかし、このご時世で動画を一から広めるとなると長丁場になりそうですね」

「数ヶ月試して効かなければ手を変える。それに勇者が没してから一七年。これまで生まれ変わりを探していくつもの世界を渡った。その苦労を思えば易いものだ」

 その言葉に、青年は頭を垂れた。老人は肩に手を置いた。

「お前にも苦労を掛けたの」

 そう労われて、青年は小さく頷き、笑顔を作ってみせた。

「いえ『双龍の輪』の均衡のため、そして父上の使命のためですから」

「よく言った。明日は人づてに金貨を現金に替える。それからひとまず東京へ向かおう」

「はい」

 青年は頷いて、一番大きな革袋を開き、中身をテーブルに並べ始めた。経木のような薄い木の包みや粽のように広い木の葉でくるまれた芳しい料理達である。

「故郷の料理をお持ちしました。弁当にできるものですから、冷めたものばかりですが」

「ありがたい。さっそくいただこう」

 包みを一つ一つほどき、二人は食事を始めた。

 まだ外は夕焼けにすらなっていない。彼らの計画の実効する夜には、まだしばらくある。

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