7 元廣遥歩、憤慨する。

 持ち物が消えた、と騒ぐ生徒から要望された持ち物検査は、その場で了承された。

 持ち物検査は4時限目の後、昼休みに執り行われることになった。

 担任は始めるにあたって、巻島尸遠のロッカーの錠が本人の意思ではない形で壊されていたことを話した。

 ロッカーの鍵は作り付けではなく、生徒が自前で南京錠を用意してとりつける。番号を覚えて使うダイヤル型とは異なり、錠前型の場合、たまに鍵を紛失する生徒が発生する。そのため職員室には本人の要望で鍵を切断するためのボルトカッターが用意されている。

 今朝、クラスの誰かが当直の先生をそそのかしてロッカーの鍵を壊させたのだ。

 そのような事もあって、担任は他の生徒にも嫌がらせが行われているのではないかと判断したのである。

 担任はこうも言った。

「そういう事情なので、今回の持ち物検査では、授業や部活動に関係ないものがカバンから出てきても見なかったことにします」

 この言葉に、教室に充満していた緊張感が十数名の吐息と共に緩んだ。

 それでも、尸遠だけはずっと嫌な予感を抱えて、眉間にうっすらと皺を作っていた。

 自分の机からその子の持ち物が出てくる可能性である。

 だがその日の机の中は、空だった。漫画雑誌も今日はまだ引き取っていない。

 教室の紛失物は、騒ぎだした生徒の教科書だけだった。

 誰の机やカバンからも発見されず、持ち物検査の先は廊下に連なったロッカーに移った。

 問題はそこで生じた。鍵が壊された尸遠のロッカーから、巻島とは違う名前が記された教科書やバインダーが何冊も出てきたのである。それも、この日の授業では使わない教科のものばかりである。そしてそれらに紛れるように、4時限目の授業の……むろん持ち主は『盗られた』と騒ぐ生徒本人の……教科書が出てきた。

 犯人達はロッカーの中身をごっそり他の生徒のものと入れ替えていたのである。

 これに教室はさざめいた。尸遠についてはそれぞれの生徒に思い当たる前例があった。

 教室で紛失したものを、なぜか尸遠が拾って返してくれたことである。

 あれは本当は、巻島尸遠がこっそり盗んでいたのではないか。

 尸遠のロッカーから出てきた教科書類が次々とクラスメイトの面前で持ち主に返されて行く中で、そんな嫌疑がじわっと教室中に湧いた。その気配は、誰からともなく尸遠へ向けられる視線ににじみ出ていた。

 その空気のなか、クラス全員がひとまず自分の席に戻される。

 直後、すっと挙手する手が2本あった。

 元廣遥歩と、桜塚航真である。先に差されたのは航真だった。彼は席を立って言った。

「えー……ちょっとだけ、他の子とおしゃべりさせてもらっていいっすか」

「どうして?」

「理由はあとでちゃんと話しますから、ひとつだけ確めたいことがあって」

「……わかった。いいよ」

 許可を得て、航真は小走りで青木舞雛の席に寄った。そしてなにか耳打ちすると、彼女は少し面倒そうな顔をしながら自分のスマホを取り出してすすっと画面を撫で始めた。するとほどなく表情は画面を凝視する険しいものになる。

「え、マジかよ。……うわあ、消さなくてよかったわ」

 これをじっと見ているクラス一同、その視線に航真ははたとして顔を上げて教卓を見た。

「あ、しばらくかかるんで、先に元廣さんの方を」

 と促した。遥歩はすっと手を下げて、立ち上がった。

「巻島さんのロッカー、今朝、体育の先生が鍵を壊してるとこ見ました。うちのクラスの何人かと、たぶん上級生か他のクラスの女子も関わってます」

 その目は、じっと教科書が消えたと騒ぎ出した女子を見た。目が合うと、向こうはさっとそらした。だが遥歩は表情も変えずに見据え続けている。

 これに何人かはえっという顔をした。

「巻島さんのロッカーだと知ってたの?」

 担任の質問に首を横にふった。

「いえ。自分のロッカーに近い所だったので、出席番号の近い誰かかな、程度でした。あの場にいる誰かが鍵をなくしたんだろうと。今朝は朝練で急いでましたから、全員の顔は確認しませんでした」

「その場に居たクラスの子が誰かはわかる?」

 そうはっきりと尋ねられて、遥歩は教室を見回してから、担任の目を見た。

「何人かは、わかります」

 これにクラスがにわかにさざめく。

 それを見て、遥歩はにわかに戸惑った顔色をした。それから取り繕うように頭を掻いた。

「あの、ここで大きな声で言うのは、ちょっと」

「そうね。あとで巻島さんと職員室に」

 そう言い合ったところで、航真とスマホを覗き込んでいた舞雛がそろってはいと手を挙げる。

「はい、どうしたの」

「今朝、廊下で動画撮ってたんですけどー、その動画の中に巻島さんのロッカーいじってる人が写り込んでました」

 これにクラスがどよめく。近くの子が舞雛のスマホを覗き込もうとしている。

「ほんとか?」

「はーい、舞雛のスマホで自分が撮りましたー」

「それじゃあ、そこの2人と元廣さんと巻島さんはこのあと一緒に来て。あと問題は……」

 尸遠は少し渋い顔で挙手した。

「あ、自分の名前の書いてある教科書なら、心当たりあります」

 これを見て担任はうなずいた。

「そう、じゃあそれも一緒に」

 以上をもって、その場の持ち物検査は解散となった。

 尸遠は担任と3人のクラスメイトを連れて、学食前のゴミ箱に向かった。そしてそのゴミ袋の底をさらうように手をつっこんだ。それから、げんなりとしたため息をついた。

 尸遠はそのまま、ごそごそと紙の束のようなものをゴミ箱の奥から掴みだした。

 それは破かれ、製本の綴じ目から割かれ、踏みつけられ、汚れた紙の束と化した尸遠の教科書や資料集だった。その証拠に、表紙の欠片に『1の4巻島』と名前が入っている。

 3人はこれを見るや、それぞれ顔をしかめたり、目を覆ったりした。

「ちょっと、これはひどすぎ」

 舞雛が口に手をあててそうぼやくと、尸遠は涙目になって苦笑いした。

「いつもここに捨てられてたから」

 尸遠の背中に、遥歩が手をそっと置いた。

「前にもあったのか」

 小声にも近い抑えた声に反して、眼鏡の奥の目元は怒りでこわばっていた。

 これを見て尸遠はマスクの中で泣き鼻をすする音をたてた。

「そんな怖い顔しないで」

 そう言われて、はたとしたように遥歩は眼鏡をおさえて視線を下げた。

「悪い。つい、カッとなって」

 尸遠もうなだれるように視線を落とした。

「……ずっとだよ」

 尸遠は鬱めいた無気力な声でそう返事をした。

 これを聞いて、航真はこらえられないというように尸遠の肩を抱いてさすった。

「教室の机に入れっぱなしにしておくと盗まれるから、バッグも鍵付きのにしてたの」

 抱きすくめられたまま、尸遠はなおもそう説明した。

「ずっと黙ってたのか」

 我が事のように苦しげに聞く航真。一方遥歩は怒りが眉間ににじみ出た顔をしている。

「犯人がわからなかった。だから、先生に相談しても対応してもらいようがないと思って」

 これをきいて、遥歩はキッと担任をにらみ見た。

「先生、知ってたんですか。なんで学級会議とかにしなかったんすか」

「元廣さん、キレないで」

 航真の腕からそっと離れて、尸遠が担任と遥歩の間に入ってそうなだめた。

「別にキレてない。先生、ちゃんとやるべきだったんじゃないっすか」

 担任は唇を軽く噛んでから、息をついた。

「被害者が増えたと思ったから、今回持ち物検査をしました」

「せめていじめを知ってたら、巻島さんのロッカーもちゃんと見てたし、鍵壊してたその場にいた連中全員の顔を意地でも覚えましたよ。俺は!」

 真剣な顔でそう声を大きくする遥歩を真正面にして、尸遠は驚いたように目を見開いた。

 その背後で、担任は頭を下げる。

「ごめんなさい」

「謝る相手は俺じゃないでしょうが!」

 そう声を荒げる遥歩に、学食に入っていこうとする先輩や他クラスの生徒の足が止まる。

 これを見て、舞雛と航真はぱっと廊下の半ばに出た。

「はいはーい、お通りくださーい」

「なんでもないでーす、お騒がせしてまーす」

 などといいながら、交通整理のように人通りを促した。

 憤る遥歩の両肩を、尸遠が顔を伏してぽんと叩く。

「声がでかい。けど、ありがとう」

 そう制するように言われて、遥歩は訓練された犬のようにくっと口をつぐむ。

 尸遠は感情の高ぶりで赤らんだ遥歩の目を見た。

 そしてどこか気を取り直したように息をついて、言った。

「……僕も、もっと人を巻き込むべきだった。こんなに気にしてくれる人が居るとか、全然考えてなかった。……中学の時は変なヤツ扱いで、ずっと独りだったから」

 そう言われて、遥歩は深呼吸し、鼻を鳴らした。

「はーあ、担任が居なかったらこのまま連中を一人ずつシメに行けたのにな」

「だめだよ。……仕返ししてもなんにもならない」

「そうか? 多少は怖い目にあえばもうやろうって気にはならないと思うが」

 これに、担任は困ったように渋い笑顔をした。

「全部聞こえてるんだよなあ」

 これに遥歩は舌打ちをする。

 交通整理を終えた2人が振り返って、先生、と担任に声をかけた。

「ここでこのままだと目立つし、場所変えましょう」

 そう促されて、担任は生徒たちの顔を見渡した。

「うん、この人数だし、職員室じゃなくて、カウンセリングルーム借りようか」

 その音頭でもって、5人は紙の束を手分けして抱え、ぞろぞろと動き出した。

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