第2話 かくして僕は『ビート』を刻みだす。


 目が覚めると、病院のベッドの上だった。


 けれども此処がもう、現実ではない別の世界だとすぐにわかった。


 ベッドの隣に置かれる椅子に、制服姿の真由美ちゃんが座っているんだ。


 高校の制服かな。すごく可愛いな。……天使だ。

 ほんのりと染めらた髪は緩く巻かれていて、まるで天使の羽のようにきめ細かくツヤらかで。見ているだけで吸い込まれてしまいそうな美しさだった。

 

 まごうことなき、絶世の『綺麗なお姉さん』を現していた。


 あぁ、可愛い。綺麗だな。これぞ僕の知っている真由美ちゃんだ!


 あの日のように険しさに包まれることもなく、ダークネスに染まることもなく、静かでお淑(しと)やかで──。まるでハープを弾くように、爪の手入れをしている。


 このままずっと、眺めていたいな。なんて!


 ……だってここはきっと天国。これくらいの贅沢、いいよね?


 でもそっか。僕、死んじゃったんだ。

 真由美ちゃんが居るなんて現実なわけがないもんね。


 ……それにしても。ああ。可愛いなぁ。ここに来れて、良かったぁ!


 そんな幸せ絶頂の中で──。

 見つめる僕の視線は天使こと、真由美ちゃんと繋がった。瞬間──舌打ちが飛んで来た……。


「ちっ。あのさ、起きたなら言ってくんない? こっちは予定キャンセルして来てるっつーのに。どんだけわたしに迷惑掛ければ気が済むの? あんたの一秒とわたしの一秒はぜんぜん違うの。わかってんのかよ」


 あ、あれ?


 もしかしてここは天国じゃなくて、地獄……?


 え。僕、地獄に落ちちゃったの?


 まさかの展開にポカンとしていると、まるであの日を思い出させるような深いため息が病室内を覆った。


「はぁああ。あんたさ、カーテン開けられるのを病的に嫌がってんだって? 終いにはガムテープで止めたって聞いたんだけど? うちのパパとママが心配しちゃってんだよね。ねえ、なにやってんの? (頭)大丈夫?」


 あ、あれ……。やっぱり天国かな? 心なしか、真由美ちゃんが僕を心配しているように、聞こえなくもない!


 それなら!


「う、うん。真由美ちゃんと約束したから。カーテンは開けないって……。だから僕、誰にも開けさせないようにがんばったんだ!」


 褒めて褒めて。僕、がんばったんだよ! ……死んじゃったけど。悔いはないよ。こうしてまた、優しい真由美ちゃんに会えたのだから!


「ああね。良い心がけじゃん。まぁそれは今後も続けるとして~。この話、絶対誰にも言うなよ? 言ったらわかってんだろうな? べつにあんたがご飯を食べられなかろうが、学校に行かなかろうが心底どうでもいいんだけど~。わたしに迷惑かけるのだけは、やめてよね? 13年間も相手してやったんだから、最後くらい役に立てるよね?」


 ……あれ。もしかしてこれ、現実?


「おい?」


 ドスの効いた低い声……。

 よもや疑いの余地はなく寸分違わず、あの日のダークネスな真由美ちゃんだった。


 ……あっ。現実だ。


 僕はまだ生きていて、この世界が天国ではないと悟るには十分だった。


「は、はい……。わかり……まし…………た」


「よろしい。あースッキリしたぁ~! 心配事、オールクリーン♡」


 それでも、目の前で嬉しそうに笑顔を見せる真由美ちゃんに視線を奪われる。

 過去の記憶が呼び起こされ、かつての優しかった真由美ちゃんとリンクする。


 だけど現実は、残酷だ。


「つーか、見過ぎ。あんた今日から、わたしのこと見るの禁止ね。13年間、見られてるの我慢しててやったんだから、これくらい聞いてくれてもいいよね? って、あー! ああー! もう会うこともないか! あはっ」


 うぅ。もうやだ。夢なら、さめてよ……。


 ……頼むから……。


「返事は?」


「は、はい……。も、も、もう……見ません……」


 言ってすぐにベッドの布団にうずくまる。すると視界は真っ暗。


 これならなにも見えない。安心だ。

 真由美ちゃんからの言いつけを守れる……。


 大丈夫。……大丈夫。


「言う事は素直にちゃんと聞くのよね〜。あーあ。なーんでもっと早くに気づかなかったかなあ。ねえ、あんたと出会ってからの暑苦しい13年間を返してほしいんだけど? 最初からこれで良かったじゃんね? まじ無駄じゃん?」


 聞こえない。聞こえない。もう、なにも聞こえない。


 僕は真由美ちゃんが居なくなるまで、布団にうずくまり続けた──。







 +++++


 それから三日。どうやら僕は栄養失調とやらに陥ってしまったらしい。病院では点滴を受けるにとどまり、医者からはしっかりご飯を食べるようにと言われた。


 これには、おとさんもおかさんも泣いていた。


 学校に行けとキツく言ってしまった自分たちのせいだと、ひどく落ち込んでいた。


 違うよ、おとさん?

 違うよ、おかさん?


 それでもこの日を境に、学校に行きなさいとは言われなくなった。

 ご飯を食べて元気になってくれと。ただそれだけを望まれるようになった。


 だから僕は、前を向こうと思った。


 真由美ちゃんはダークネスに染まってしまった。もう、別人なんだ。割り切らないと、おとさんとおかさんはずっと泣いたままだから。




 けど……。


 自分の部屋に戻ると、どうしても気持ちが抑えられなくなる。


「真由美ちゃん……。ううぅ。……真由美ちゃん」


 僕の気持ちとは反対に、遮光抜群のカーテンは相も変わらずに──光を閉ざし続けた。

 

 明日が見えない。そんな日々の中で僕の心を癒してくれたのは雨音だった。


 季節は梅雨。


 止まない雨は、まるで僕の心を映し出しているようで心地が良かった。


 閉め切った窓から漏れる、僅かな雨音に耳を澄ます毎日。


「真由美ちゃん……真由美ちゃん……真由美ちゃんっ……」


 やがてそれはビートを刻み、『真由美』ちゃんという三文字の言葉が、心の穴を埋めてくれているような気がした。


「真由美ちゃんっ……真由美ちゃんっ……真由美ちゃんっ……チェケラ!」


 でも、そんな幸せな時間は長くは続かず──。


 梅雨が明け、夏本番が訪れる。



 どこかの誰かが言っていた。止まない雨はない。……と。


 じゃあどうして? なんで?


「真由美ちゃん……うぅ……」


 ガムテープで完全に閉ざされた、遮光抜群のカーテンに手を伸ばす。


 ここから真由美ちゃんまでの距離、およそ2メートル。


 こんなにも近くに居るのに、決して届かない。


 まるで草木や花が太陽に向かって伸びていくように、僕の手も自然と──真由美ちゃんの部屋を目指すように、伸ばしていた。


 遮光抜群のカーテンがすべてを遮ってしまうと、わかっていても。


 この手を伸ばさずには、いられなかった。


「うぅ……真由美ちゃん……。真由美ちゃん……」


 いい。もういい。ずっとこのままで、いい……。僕はここで、真由美ちゃんを想い続ける──。草木や花のように、ただ、それだけを──。


 この日。僕を縛り付ける心の枷が外れたような、そんな気がした。



「まっまっ、真由美ちゃんっ……まゆまゆ真由美ちゃんっ……ままま真由美ちゃんっ……チェケラ!」




 そして、七月。


 事態は急展開を迎える──。

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