52,シュダルト南西部/路地裏・午後
行き届かない区画整理の為に
伸びゆく日の影へ潜んだ一人の人間が、眼下の光景を前に、術式の刻まれた籠手をマフラー越しに口元へと近付ける。
「地点Ⅱ、こちら地点Ⅲ。応答せよ」
『地点Ⅲ、こちら地点Ⅱ。動いたか?
「ああ、標的に動きがあった。現在、標的は地点Ⅲより地点Ⅱ方向へし──……」
途端、その者は言葉を詰まらせた。
『地点Ⅲ、どうした? 応答せよ』
「状況が変わった。標的──『『能力』持ち狩り』の後を、我々以外の何者かが付けている」
『人数は?』
「目視可能な範囲に一人。標的は変わらず地点Ⅲから地点Ⅱ方向へ進行中。全部隊とエンティルグ大佐、治安維持部隊への報告はこちらから行う。地点Ⅱ、要警戒。
『了解、警戒を強める。
「了解。
術式に仕込まれた
「こちら、地点Ⅲ。斥候部隊、地点ⅠからⅥの全隊員へ告ぐ。所属不明の何者かが標的を追跡している。人数、一。監視を強化せよ。繰り返す。所属不明の何者かが標的を追跡している。人数、一。監視を強化せよ──────」
帝都シュダルト/大通り・午後
走らずとも、ただ歩くだけで汗染みる夏、昼下がり。
人々の行き交う大通りを、緑色の隊服に身を包んだシグネが颯爽と歩いていた。その理由とは無論、シュダルトの警備にあたる為である。
「あら、シグネちゃんじゃないかい。今日はここなんだねえ」
「あ、八百屋のおばさん! 今日はリンゴが沢山ですね!」
店主の女に声を掛けられ、シグネは店先で立ち止まった。
「そうさ、今日は安く入ったんだよ。毎日頑張ってるシグネちゃんの為に、美味しいのを取っておくからね!」
「ありがとうございます! 見回りが終わったら是非寄らせて下さい!」
店主へ一礼してから、シグネはまた大通りへと戻っていく。
「お、警備隊の嬢ちゃんじゃねえか。お勤めご苦労様!」
「はい! 今日も元気に頑張ります!」
「小腹が減ったらここへ来な! あんたには特別に、一個おまけしてやる!」
「え、良いんですか!? もう少ししたら食べに行きますね!」
「シグネちゃん、何時も皆を元気にしてくれてありがとうねえ」
「とんでもありません、それが警備隊の役目ですから。でも嬉しいです、ありがとうございます!」
周囲からの惜しみない好意を一身に受け、笑顔のシグネが誇らしげに胸を張った、その時。
「ちょっと何すんだいアンタ、待ちな!!」
「あっ、おいコラ!!」
穏やかでない声と共に、ざわつく往来。
シグネが振り向いたそこには、先刻の女店主が緊迫した表情で店の表へと立っていた。
彼女の足元に幾つか転がる、艶やかな林檎。やや目線を上げた先で、赤い果実を零れる程に抱えた女の、一目散に走り去っていく後ろ姿。
────シグネが走り出す理由には、これだけで十分だった。
瞬時に身体強化を自身へ施したシグネは、大通りの脇道に入っていく影を一直線に追う。ただの一市民であろうその女は、駆け出してから数十秒と経たずに背後からシグネによって捕らえられ、即座に地面へと組み伏せられた。
「現行犯、確保! この場から離れて下さい!」
女から目線を外さないまま声を張り上げ、シグネは周囲の人間を遠ざける。
「いやあ、放して!」
痩せ細った身体とは裏腹に、女は辺りへ響く程に叫んだ。
「子供に食べさせなきゃいけないの! 生きる為なの! 見逃してよこれくらい!!」
「喚くな、盗人。この場で殺すぞ」
「痛い、ねえ痛い!! 皆さん、助けて下さい!! 私、暴力を──……えッ、ゲェッ……!?」
「…………」
首を挟んでいた腕へ容赦無く力を込め、シグネは女を強引に黙らせた。今にも泡を吹きそうな女を気にも掛けず、虚ろな目で平然と首を絞め続けるシグネだったが、そのまま彼女が女を縊るよりも早く、緑色の隊服──シグネのものと同じ──を着た壮年の男が、部下と思しき人間を数人引き連れてシグネの元へと駆け付ける。
「良くやった、シグネ隊員! 増援を連れて来た!」
「ベレーズ隊長! ありがとうございます!」
仰向けに横たわる女が他の隊員によって捕縛された事を確認してから、シグネは立ち上がって男──ベレーズへ敬礼した。
「お疲れ様です、隊長。応援、感謝します」
「ああいや、これはたまたまでね。君に用があった序でだよ」
「成程?」
隊長直々の用向きに心当たりの無いシグネは首を傾げるが、反対にベレーズは真摯な表情で彼女を見る。
「例の大隊から招集が来ている。可及的速やかに、との事だ」
「! 了解です! では──……」
「ああ、行ってきなさい。君の割り当ては他の者に引き継がせるよ」
「はい! ありがとうございます!」
ベレーズへ一礼したシグネは、すぐさま中央政府へと走り始めた。
中央政府/対「能力」保持者部隊作戦会議室・午後
「申し訳ありません、遅くなりました!」
作戦会議室のドアを開けると同時に、シグネは肩で息をしながら言う。部屋には既に彼女を除いた全ての隊員、そしてメイラが揃っていた。
「問題無い、想定時間内だ。まずは息を整えて通信機を付けろ」
「はい。ありがとうございます」
メイラの指示通り、シグネは何度か深呼吸をしつつ、ドアを閉めてから隊員の並ぶ机の前へと向かう。
立ち止まったシグネが片耳へ通信機を装着し終わるのを待ってから、メイラは口を切った。
「まずは緊急の招集へ即座に応じてくれた諸君へ感謝しよう。今回の任務は過去のものとは別物だ。ともすれば我々、対『能力』保持者部隊の目的である、『『能力』を持つ敵対者または敵対勢力の鎮圧、無力化』を遂行出来るかもしれん」
メイラは机上へ広げられた地図へ指を滑らせる。
「貧民街から路地裏にかけてを見張らせていた斥候部隊から昨晩、この地点Ⅲで『能力』保持者と思われる一人の人物によって『能力』保持者を含む数人が殺された、という連絡が入った。彼等の報告にあった状況とジェンが『ギルド』から持ち帰って来た情報とを照らし合わせるに、その人物は巷で『『能力』持ち狩り』と呼ばれている男である可能性が高い」
「情報とは、具体的にどんなものなのですか?」
「今から説明する」
サシェの言葉を受け、メイラは資料を各々の手元へと置いた。
「ここに危険度が高いとされる『ギルド』の依頼、その受注歴と達成歴を過去十年分、纏めてある。見ての通り、受注されたものはほとんど達成されているが、幾つかは未解決のままだ。そのうちの一つに未解決の期間が一年以上、今も続いている依頼があった。名称は『『『能力』持ち狩り』の討伐』。内容は、『能力』保持者や偽兵器の所有者を『能力』で次々と焼き殺す一人の男、『『能力』持ち狩り』を討伐せよ、というもの。報酬の額も頭一つ抜けていた。
これに目を付けたのは数日前だ。明確に犯罪者である『『能力』持ち狩り』の手掛かりを集める為に治安維持部隊と諜報部隊に情報の提供を掛け合ったんだが、驚いた事に『『能力』持ち狩り』に該当するような記録は一切無い、と双方から同じ回答があってな。治安維持部隊に至っては、それ程までに凶悪な『能力』保持者を我々が野放しにする筈が無い、と
手元の資料を前に、思案顔のサシェがふと声を上げる。
「そうか。治安維持部隊が貧民街に介入出来なくても、諜報部隊にその制約は無いんだものね。じゃあ、その諜報部隊が把握してない、って事は?」
「その『『能力』持ち狩り』という人物は『ギルド』で内密に処理される筈だった、という線が有り得そうですね。問題はその理由ですが」
「……簡単、です。そうする必要があったから」
サシェとスズミの疑問へ答えたのは、意外にもセレスだった。
「治安維持部隊に知られたくなかったから、知られると都合が悪かったから隠していた。そうでなきゃこんな事、しません。だって、記録が無い、って事は、生き残った被害者の事すら把握出来てない、って事ですから」
その場の数人が、何かの事実に気付いたように目を見開く。
「……『能力』保持者を殺せるだけの力を持った、『能力』保持者。その討伐が依頼になるなんて、扱いとしてはエレナ・ネバンダやシン・スケルスと一緒。殺されたのが一人、二人で済む人数じゃないのは明白。それだけ事が大きければ、生き残りや目撃者が居ない、なんて絶対に有り得ない。でも、治安維持部隊は知らなかった。諜報部隊は、そもそも能動的に活動する部隊じゃないから、記録が無いのは当たり前。
口封じしてでも知られたくない何かがあって、『ギルド』はその『能力』保持者の存在を隠していた。その知られたくない何か、が何なのかは──……」
「────『敵勢ギルド』」
ぽつりと呟いたジェンの方へ、全員の目線が集中した。
「ジェン。お前、今何と言った?」
「えっ、いや!? 別に、噂を耳に挟んだ程度でほとんどデタラメ──……」
目を剥くメイラに凝視され、あたふたとジェンが両手を振って見せた、その時。
『こちら帝都南西部、地点Ⅱの斥候部隊。エンティルグ大佐、応答願います』
メイラの傍らへ置かれた通信機──術式で駆動しており、一抱え程の大きさがある──から、淡々とした声が発せられる。机を挟んだ向こう側の隊員達へ目配せしてから、メイラは送話器を取った。
「こちらメイラ・エンティルグ、問題無く聞こえている。
『標的の追跡者について、新たに一人の合流を確認。合計で二人になりました。服装が概ね一致している事から、同一の所属である事が予想されます』
「……了解。治安維持部隊への連絡はどうなっている?」
『五秒前に完了。次は約三分後を予定』
「了解。こちらが現場に到着するまで状況を継続せよ。
『了解。
通信機の音が止んでから送話器を戻し、メイラは息をつく。
「ジェン、お前の話はまた後で聞く。治安維持部隊と諜報部隊に『『能力』持ち狩り』の記録が無い理由についてだが、私の予想は概ねセレスの言った通りだ。『ギルド』はほぼ確実に、『『能力』持ち狩り』へ対抗し得るだけの力を隠し持っている。そして今の報告にあった追跡者は、遅くとも一時間前から既に『『能力』持ち狩り』の追跡を開始している。これら状況から考えるに恐らくその力とは、『能力』保持者。『ギルド』はそれを『『能力』持ち狩り』の元へ送り込む気だろう。
……不確かな要素が多い事は、私も重々承知している。報告にあった追跡者が『ギルド』の手先である、という確たる証拠は無い。だが、何もかもが闇の中だった状況からこれだけの手掛かりを得られただけ重畳。情報の正確さにだけ拘泥して機を逸すれば、それこそ本末顛倒だ」
椅子から立ち上がったメイラが、目前の隊員を一様に見た。
「我々の存在意義は、アレストリアに仇なす危険のある『能力』保持者を完全に排除する事にある。それを実行する時が来た。『『能力』持ち狩り』及び『ギルド』が秘密裏に持っている『『能力』持ち狩り』へ対抗し得るだけの力、仮称『敵性勢力』を今日、シュダルト南西部で叩く。本命は無論、後者の『敵性勢力』だ。
作戦についてだが、まずは斥候部隊からの情報を基に、『『能力』持ち狩り』が位置する周辺で待機。『敵性勢力』が現れ次第、そこから奇襲を掛ける。『敵性勢力』との接触より前に『『能力』持ち狩り』が逃走する動きを見せた場合には、『『能力』持ち狩り』の対処を優先する。異論はあるか」
作戦内容への肯定を示す沈黙の後、メイラは更に続ける。
「そして今回の任務を遂行するにあたり一人、空中偵察と援護射撃を兼ねた人員を追加する。入れ」
資料室のドアがノックされた。
「失礼します」
「……あ」
浅い一礼の後に会議室へと入室してきた男の姿を目にし、ジェンは小さく声を上げる。くすんだ緑色の軍服に身を包み、ただでさえ大柄な身の丈の半分以上もある大きさの銃を背負ったその男は、机の横まで歩いてから隊員の方へと向き直った。
「紹介しよう。帝国陸軍第一〇三防衛大隊副大隊長、ケイ・オミウだ。普段は分隊の指揮官を務める男だが、この場おける地位は諸君と同じだ。スズミ、お前、ケイと面識があるそうだな」
「はい。何度かお話しさせていただいた程度ですが」
「良し。なら私、ジェン、シグネの三人、そしてスズミ、セレス、ケイの三人で、二手に別れよう。私の分隊は私が率いるが、もう一方はスズミ、お前が指揮を執れ」
「了解致しました」
「サシェ。お前は治安維持部隊と一度合流、その後『ギルド』へ協力要請を出せ。文書は既に用意してある」
「了解です」
サシェから目線を戻したメイラが、大きく息を吐き出す。
「任務の内容を確認する。最終目標は『『能力』持ち狩り』並びに『敵性勢力』の捕縛または殺害。『『能力』持ち狩り』を狙って来ると予想される『敵性勢力』を迎え撃つ。場所はシュダルト南西部、暫定、地点Ⅱ付近。作戦は先程話した通り。当然、市街地戦になる。危険が想定される区域全ての住民に外出禁止令が出されるのを極力待つが、その間、状況に動きがあれば完了の報告を待たずに作戦を敢行する」
間を置かず、メイラは正面を鋭く見据えた。
「現刻より本任務の状況を開始する。武装が整い次第、正門前の広場へ集合。三〇分後には現地にて臨戦態勢に入る。総員、戦闘準備!」
「了解!」
号令を受けた隊員達が次々と会議室を出て行く中、メイラは蝋で閉じられた封書を一通、サシェへ手渡す。
「これが例の文書だ。『ギルド』のマスターへ直接渡せ」
「余計な介入を阻む為の足止め、ですか」
「そういう事だ。報酬についても、用意があると伝えておけ」
「了解です。『ギルド』による人員の派遣を確認し次第、一報を入れます」
「ああ、頼む」
言伝を受けたサシェが会議室を去って尚、ケイはその場へ留まったままである。
「行かないのか」
「はい、もう武装は万全ですので。何時でも出られます」
「そうか」
ふっと笑みを零し、机へ立て掛けてあった剣を腰へ差してから、メイラもまたケイと共に会議室を後にする。
火蓋を切る鬨の声、開戦の狼煙。
刃の交わる時は、直ぐそこに。
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