50,敵勢ギルド拠点/フェリーナの自室・午前


 厚薄、種々の書巻ひしめく、フェリーナの自室。日除けは窓の端に束ねられ、部屋には日光が十分に届いている筈なのだが、塔の如く積み上げられた書物──その殆どが帝国史書と『神話』、そしてそれらに関する資料であり、本棚に入りきらない──の所為か、幾分、薄暗さを感じる。

 そんな埃降り積もる部屋の一角、ベッドへ仰向けに寝転がったシンが、頭の後ろで両手を組みながら口を開いた。


「それにしても、対『能力』保持者に特化した特殊部隊、ねえ。やっぱり『能力』保持者二人、纏めてブッ殺したのがいけなかったんじゃない?」

「そんな事を言っても状況は変わらないわ。私達はやるべき事をやっただけ。

 ……とは言え、本当にゼドの言う通りになったわね」


 窓辺の椅子へ座って机に向かっているフェリーナが、浅く息をつく。


「何。アイツ、何か言ってたっけ?」

「ええ。ここを離れる少し前、『こんな事を集団でしている以上、遅かれ早かれ帝国には目を付けられる。その時は何とか持ち堪えてくれないか』、って。本当、無茶ばかり言うわ。今に始まった事じゃないけど」

「ふーん。……くぁ」


 シンは欠伸をしながら伏臥へと体勢を変え、顎に肘をついてフェリーナを見た。


「て言うか、『ギルド』からの通達、要は『敵勢ギルドこっち』に回って来る依頼が減る、って話だったけど、どうなの? 今まで寄越されてきた依頼って、半分くらいが治安維持部隊からのなんでしょ? それが仮に丸々無くなるとして、単純に考えて収入半減、って事じゃない。何とかなりそうなの?」

「微妙、と言った所かしら。さっき計算してみたけど、四割減までなら支障無し。半分になっても遣り繰りは出来そう。でも、これが半分を割ってくるとなると、ちょっと厳しいわね」


 シンの眉間に一つ、皺が寄る。


「仮にそうなったらどうするのよ」

「共同資金として取っておいたお金を切り崩すか、最悪、任務とは別に個人で稼いでもらう事になってしまうわね」

「……前者はまだしも、後者なんてもう『敵勢ギルド』が組織として機能してないじゃない。持ち堪えるもへったくれも無くなってるわよ、そんなの」

「…………この話は一旦やめにしましょう。新しい依頼も来ているし、少なくとも今は大丈夫だから、気にしないで」

「そう。ならそれが良いわ」


 カップを手に取り、フェリーナは紅茶を口に含んだ。


「そう言えば、ハクアの様子はどう?」

「相変わらず。食欲は段々戻ってきてるっぽいけど、一人の時はずっと元気無いし、無理に笑ってるのもそのまま。向こうで何があったかは大体ラルフから聞いたけど、ま、時間が解決してくれるのを待つしか無いでしょ。アレばっかりは」

「周りにつらく当たるとか、そういう事はしないのね」

「するようなヤツに見える?」

「見えないわね。でも、その状況で愚痴や弱音の一つも無い、というのも珍しいと思うけど?」

「……もしそれが出来るヤツなら、今どれだけ楽だったかしら。ハクアアイツ、アタシ達が思ってる何倍も難儀な性格してるわよ」

「と、言うと?」


 一呼吸置いてから、シンは口を開く。


「…………どういう事?」


 目を見開いたフェリーナが、少々の絶句の後に尋ねた。


「そのまんまよ。自分やその周りに何か悪い事が起きた時、ハクアアイツはその原因を自分以外の、他の何かの所為に出来ない。誰がどう見ても自分に非は無い、って言い切れるような状況でも。だから今回がそうでしょ? あの時自分が、って延々と後悔し続けてる。実際の所、胸を張っても誰も文句言わないくらいの事はやった筈なのにね。

 そう、だから大変だったのよ、護身術教えるの。誰かを助ける、とか、守る、とかっていう使命感でも無い限り、攻撃されても防ぐどころか、避ける事すら躊躇うんだから。今は、誰かを守る手段を増やす為に、って納得してるみたいだけど」

「……危険ね、それ」

「ええ。当然、言ったわよ。そんな事続けてたら死ぬ、って。そしたら──……」


 不意に、シンが言い淀む。


「……そしたら?」

「うん、って。そう言うだけだったわ」


 しかしフェリーナに言葉尻を促され、彼女は何でもないように小さく言った。


「そう。少しずつでも意識が変わっていくと良いけど」

「いや、無理でしょう。多分あれ、生まれ持った性質さがだから何があっても変わんないわよ。だから、」


 仰向けに直ったシンは、身をたわめてベッドから飛び起きる。


「それを受け入れてくれる人間か、環境を見付けるしか無いわね。ま、難しくはないんじゃない?」


 そしてそのまま歩いて行き、部屋のドアを開けた。


「じゃ。アタシ、居間に居るから。たまには部屋の整頓くらいしなさいよね」


 背を向けたまま手を振り、シンはフェリーナの部屋を後にする。残されたのは、フェリーナと、ベッドの上で皺になった敷布シーツのみ。


「……そうね。それだけなら、本当に難しくなさそうだわ」


 ぽつりと呟いて、フェリーナはカップを口元へと運んだ。




 敵勢ギルド拠点/居間・午前




 昇る日の熱を帯びた空気が外へと吹き抜けていく、居間。

 ソファに座っているハクアは、風に揺られて頬を掠める髪もそのままに、手にしたコップの水面をぼんやりと眺めていた。


『良いザマだなクソジジイ! どうだ。勝手に拉致って売りモンにして都合良く見下してた人間に、何の抵抗も出来ねえまま一方的に撃たれる気分はよ!』

『その手枷足枷、良ーく似合ってるぜ。最ッ高に無様で惨めでなあ!!』


 脳裏に反響する、悦楽の高笑。

 己を軽んじた者へ手ずから報いを与え、快哉を叫ぶ────復讐を果たした、青年の姿。


 この時をずっと、待っていた。

 天を仰ぎ、抑圧された憎悪を噴き散らす彼の笑顔は、そうとでも言うかのようだった。


「…………」


 自らを殴った人間を、自らの手で打ち据えるのは、気分の良い事であるらしい。

 自らを罵った人間を、自らの手で追い詰めるのは、気分の良い事であるらしい。


 生活の中、様々な人間と関わった際の経験として、ハクアはそれを知っている。


 気分が良いなら、それはきっとい事だ。

 何となくそう考えていたハクアだったが、しかしあの日、彼女は青年の行動を止めようとした。そのままではいけない、と判断したのである。


 違和感と、塞ぎ込む心。

 終わりの見えない葛藤が彼女の中で始まってから、もうじき丸三日が経とうとしていた。


「……やっぱり、私が関係無いからなのかな」


 ぽつりとハクアが呟いた直後、突如として伸びてきた腕が、彼女の手にあるコップを掴む。

 ハクアが目を見開いている中、そのままコップを取り上げて卓の上へと置いたのは、シンだった。


「……どうしたの、シン?」


 顔を上げてから遅れて笑うハクアに、シンは片眉を吊り上げて、


「ひょえっ!?」


 唐突に彼女の脇腹をくすぐった。

 びくりと身を竦めたハクアだが、その時には既にシンの手は離れており、


「はわっ!?」


 今度は反対側の脇腹を狙われてしまうのだった。


「…………」

「…………」


 シンとハクア、両者の目が合い、ハクアは瞼をぱちぱちと上下する。

 やがて。


「……フッフッフッフ」

「ひ、ひえ……」


 不敵な笑みと共に、わきわき、と両手を構えるシンを前に、ハクアは小さく震え上がるのだった。


「…………」


 数分後。呆れ気味なレギンの視線の先にあったのは。


「んなぁ────!! もうやめてぇ──────!!」

「ほれほれー」

「あはっ、あははははははっ!!」


 ソファの上で笑い転げるハクアと、彼女の全身を容赦無くこそぐり続けるシンの姿だった。

 最初こそ遠巻きに二人を眺めているだけのレギンだったが、徐々にハクアがひいひいと顔を赤くしていく様を見兼ね、彼女からシンを引き剥がしに入る。


「もうそんくらいにしとけって。呼吸困難になってんぞ」

「はひぃー…………」

「ほら見ろ、伸びちゃったじゃねえか」

「反応が思ったより良くて、つい」

「つい、じゃねえんだわ」


 顔を逸らすシンの横では、ゆだったような顔色のハクアがソファへぐったりと横たわっていた。

 暫くして、起き上がるまでに回復したハクアへ、レギンが改めて声を掛ける。


「ハクア、これから予定とかあるか?」

「ううん、無いよ」

「良し。んじゃ、飯行くぞ」

「え、ご飯?」


 唐突な誘いにハクアが首を傾げていると、レギンの後方へユーリア、リゼル、エーティ、そしてラルフが続々と集まってきた。


「そ。前に約束したろ?」

「…………あ!」


 思い当たる節──一月ひとつき程前、確かにレギンはユーリアとハクアに食事を奢る約束をしていた──に至り、ハクアは声を上げるが、それと同時に自身の食欲が今一つ戻っていない現状も思い出す。


「……どうしよう」

「行ってきなさい。どうせ大勢で取り分けるんでしょ? 無理そうだったら食べてもらえば良いのよ」

「……! うん!」


 一抹の不安を掻き消すようにシンから背中を叩かれ、ハクアはソファを立つ。


「んじゃ、出発しますかね」

「お腹減ってきたなー」

「何食べたいですか、ハクアさん?」

「んー、何食べよっかなあ」

「着いてから決めれば良いだろ」


「…………」


 一行に連れられていくハクアの姿をそれとなく眺めてから、ラルフは遅れて後を歩き始める。何の気無しに取ったであろう彼の行動に、シンはふっと笑みを零すのだった。




 ギルド/集会所兼酒場・昼




「んー! おいひいー!」


 昼は主に食事処としての機能を果たす、「ギルド」の酒場。骨付き肋肉スペアリブの骨を片手に淡く染まった頬を押さえるハクアの横には、既に空となった大皿が二枚積まれている。


「もうちょっと食べたいなあ、でもう三皿目なんだけど。アレ、何人前?」

「三人前くらいはありそうですよね」

「ラルフあんた、こっちの肉で良いか?」

「…………」


 ユーリアが焼き料理──板のような四角い麺と味付けした肉や乾酪チーズとを交互に挟んで焼いたもの──を、エーティが牛の煮込み──牛の肉を主に蕃茄トマト等の野菜と酒で煮込んだもの──を取り分けている間、ハクアは次に手を付けようとした、が。


「はい、お楽しみの所、失礼!」

「んむ!?」


 機を見計らったレギンに骨付き肋肉スペアリブを皿ごと取り上げられ、ハクアは悄然とした表情を浮かべる。


「ほれ、こっちと交換だ」

「!! 良いの!?」

「おう。あったかいうちにさっさと食いな」

「いやったー!」


 しかし取り皿へと分けられた牛の煮込みをレギンから直ぐに差し出され、ハクアはきらきらと目を輝かせながら再度、食べる手を進め始めるのだった。


 それから、時は過ぎ。


「……もう食えないぞオレ」

「僕も無理」

「私も、お腹一杯です」


 海老や挽き肉を薄皮で包んで揚げた物、魚介の出汁で炊いた飯物など種々の品を食べ終え、エーティ、リゼル、ユーリアの三人は、ふう、と息をつく。


「ふへへ、おいひ」

「…………」


 一方ハクアとラルフは、小鍋一杯に膨れた焼き菓子に蜜と牛酪バターを絡め、とどめだと言わんばかりに二人でつついていた。


「ラルフが相当食べる手合いだったの、何か意外かも」

「珈琲しか飲まない印象でしたけど、甘い物も食べるんですね」

「飯の量増やすかどうか、後で訊いてみるか」

「……これ、足りるかな? マジで」


 各々が二人の様子を思い思いに眺める中、レギンは一人、巾着の中を覗いて冷や汗を流していた。


「大丈夫? 足りないようなら僕も出すけど。……一応、言い出しっぺだし。て言うかそもそも、兄さんが奢るのはユーリアとハクアだけで良いんだよ? 何で全員分出そうとしてんの?」

「ん? だってその場で割り勘とか、もたついて嫌だろ?」

「……それは、そうなんだけどさ」


 レギンの言葉が口実である事を理解しつつも納得せざるを得ず、リゼルは渋々がえんずる。その後間も無く、かちゃ、と金属の高い音が鳴った。


「うん! 美味しかった! ごちそうさまでした!」

「お。んじゃ、払って来るわ。先、外で待っててくれ」

「分かりました。お皿、どうしましょうか?」

「そのままで良いだろ。もう満席だから、さっさとどいた方が良い」


 レギンが勘定台へ向かう傍ら、その他の一行は席を離れ、「ギルド」の酒場を後にする。

 そして「ギルド」の建物の向かい側、座る者の居ない長椅子へ皆が集まってそう経たないうちに、会計を済ませたレギンが両開きの扉から現れた。


「良ーし、帰ろうぜ」

「レギン、今日はごちそうさま。ありがとう!」

「おう。良いって事さ」


 ハクアに笑いかけたのも束の間、ズボンへしまった巾着の所在を確認しながら大通りへと歩きだすレギン。そんな彼と並ぶように、リゼルとユーリアが小走りで駆け寄る。


「兄さん、足りたの?」

「足りた、足りた。飯だけで金貨が飛んでくとは思わなかったけどな」

「えっ、私やっぱり──……」

「良いんだって。あ、それと面倒臭えから序でにリゼル、お前も奢りな」

「はあ!? 何で急に僕まで!?」

「ったく、素直じゃねえなあ」

「わっ、わしゃわしゃするな!」

でっ!?」


 がしがしとレギンに頭を撫でられたリゼルが反射的に彼の腕へ手刀を入れた、その一歩後ろでは。


「ラルフ、あんた何時もの飯の量増やすか?」

「……別に。何時も通りで良い」

「あのう。えっと、私も──……」

「あんたは毎日、しこたま食ってるだろが!」

「そうなんだけど、毎日じゃなくて良いから、その。食後のおやつとか、欲しいかも」

「……考えとく」


 「ギルド」で食べた甘味を殊の外気に入ってしまった事に面映ゆさを感じるのか、もじもじと両の人差し指を合わせるハクアに、エーティは頬を掻いてから短く言った。


 そこから時が経ち、帰路道中。


「……ん?」


 ふと上着のポケットへ手を突っ込んだレギンは、身に覚えの無い感触の存在に気付く。取り出して見た掌の上には、これまた身に覚えの無い、口をきつく縛り上げられた小さな麻袋があった。


 紐には一片ひとひらの紙が付いており、飯代、の文字が綴られている。


「……マジか。気付かなかったな」

「? どうしたの、兄さん」

「いや、何でもない」


 そっと麻袋をポケットへ戻し、涼しい顔をして後方を歩くラルフを一瞥してから、レギンは前を向いてまた歩き始めるのだった。

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