48,中央政府/西側回廊・午後
「……ジェン、さん」
呆然とジェンの姿を見つめながら、何でここに、と小さく呟くのも束の間、はたと彼は床についた手元へ目を向けた。
無数に生えていた筈の棘が、跡形も無く消えている。それどころか、圧倒的な強さの霊力を放っていたアレグリアから、その気配が全て失せていた。
状況の把握へ徹する為に顔を上げたスズミの目の前では、地に降り立ったアレグリアがジェンを凝視している。
「どういう状況なのか、訊いても良いですか」
真正面からアレグリアに尋ねるジェン。通常であればこの時点で、彼女は何の躊躇いも無く彼を手に掛ける。しかし意外にもそのような様子は無く、アレグリアは目を見開き、微動だにしないまま無言でジェンを眺め続けていた。
やがて、彼女の口から声が細く紡ぎ出される。
「……──してよ」
「……?」
「どうして、お前がその剣を持ってるのよ」
「は? 今そんな事どっちでも──……!」
「どうして!! お前が、その剣を使ってるのよッ!!?」
突き抜けるような怒号と共に、アレグリアの全身から赤黒い何かが溢れ出す。ばしゃばしゃ、と音を立てて落ちたそれは床へ波紋の如く急速に広がっていき、そこから遅れて無数の棘が、大気を裂く勢いで飛び出した。
針と呼ぶには巨大な、剣の
────そして。
「フッ!」
何ら、変わった動作ではない。「能力」を発動し、ただ剣を脇に構え、やや上へ一振り、薙いだだけ。風圧こそ起きてはいるが、ジェンの攻撃においてそこに特殊性は無い。しかし彼のその単純な一撃により、棘は綺麗に面取りされ、筵は垂直に裁ち切られて消滅していった。
「……ッ!!」
嘗て目にした者など居ないであろう、焦燥の表情を浮かべるアレグリア。最早異様さすら覚える攻防を前に、スズミは思考を巡らせる。
アレグリアに拘束された際、スズミが身体強化や「能力」を使用しなかった事には理由がある。と言っても至極単純──顎に掴まれた直後から、それら全てが使えなくなってしまったからである。
恐らくアレグリアの赤黒い何かには、霊力の効果を封じるか、打ち消す力がある。
たった今までそう考えていたスズミにとって、ジェンの攻撃を真面に受けて歯噛みしているアレグリアの様子は矛盾を含むものであり、同時に彼の持つ力が彼女に有効であるという可能性を示すものでもあった。
────今なら、この状況を打破できるかもしれない。
その直感が脳裏で鮮明な言葉になるよりも早く、スズミは背後の壁を叩いた。
壁についた手の先。ベルトに忍ばせてあった術符、三枚。それぞれに描かれた術式の中心で、銃弾を模った水の塊がアレグリアへ向かって射出される。しかし、いくら注意をジェンの方へ向けているとは言え、自らへの攻撃を看過する彼女ではない。スズミを一瞥したアレグリアは、足元から自身を覆うように何かを迫り上がらせる。赤黒い壁に中った水の弾丸は、その威力を発揮する事無く砕け散っていった。
その、数瞬の合間。スズミは床を蹴ってその場から飛び出し、脚の負傷を物ともせずにジェンの元へ駆ける。
「スズミさん、大丈夫ですか!? てか、マジでどういう状況なんですかコレ!? オレも何でか知らんけどキレられてるし!!」
「僕の事はお気になさらず。状況の説明は後です。……ところで、どうしてここが分かったんです?」
「え? いや分かったって言うか、剣を取りに帰って、開発局にもう一回行こうとしたら道に迷って、気が付いたらここに」
「……成程。では、早急にここから離脱しましょう。あんな
「了解です! あっ、今更ですけどここ、霊力使っちゃダメですよね!? どうしますか!?」
「本当に今更ですね、使わない選択肢がありますか!?」
「無いです!!」
各々が持てる最大の身体強化を自身へ施し、脱兎さながらに逃走する二人の背を眺める事もせず、アレグリアは俯いて低く呟く。
「……墓荒らしが。この期に及んで、まだあの人を奪うのね」
彼女が右手を徐に振り上げた、直後。
「うおっ、と!?」
唐突に行く手を阻まれ、ジェンが後ろへ飛び退く。
何事かと顔を上げた彼が見たのは、先のものとは比べ物にならない大きさの棘──床から伸びて、天井に突き刺さっている──が、床は勿論の事、天井、壁、あらゆる箇所から伸び、回廊を網目のように塞いでいる様だった。
「ふふっ、捕まえた」
「……!!」
瞬きの間に袋道へ追い込まれた二人を前に口角を上げたアレグリアが、圧し潰されると錯覚しそうな程の強大な霊力を放つと共に、過去、シグネが行使したものと比べ二周りも大きい腕を十数、背後へ展開し始める。
「……まあ、こうなりますよね。ジェンさん、僕が時間を稼ぎますから、その壁を壊して逃げて下さい」
「!? スズミさん!?」
どう足掻いても逃れられない絶望を前に、突き放すようなスズミの宣告。現状に大きく動揺するジェンへ、スズミは前──アレグリアの方を向いたまま、穏やかに笑って見せた。
「彼女に僕の『能力』は通用しませんが、君の『
「はあ!? そん、な──……」
勝手な事言うな、と言い掛けたジェンの口が、不意に止まる。
「ふふふ、心配する必要なんて無いのよお。たかだか『能力』保持者二人如き、纏めてブチ抜くなんて簡単なんだから!」
その一方では、恍惚としたアレグリアの声を合図に、彼女の前方へ無数の手が撃ち出されていた。飛来する黒い砲弾の嵐は、人一人を殺めて有り余る威力を発揮する。
「何してるんですか、早く!!」
分厚い水の障壁を展開しつつ、逃げようとしないジェンへスズミが声を張り上げた、その時。
黒い影が、スズミと迫り来る腕の間に突如として割って入る。
「…………え」
形の崩れた水の塊が、ばしゃりと床へ染みていった。
万全の身体強化はおろか、盾や鎧をも貫くアレグリアの腕。それが複数も直撃すれば人間など、まず間違い無く跡形も無く消し飛ぶ。
それでも。それら全てを正面から受けきった上で、彼女はそこに立っていた。
はためく黒いコート。揺れる黒紫色の髪。
────メイラが。霊力を放出して、スズミの前へ立っている。
「私の部下に、何か御用でしょうか。スファロウス元帥補佐」
砂のように崩れ落ちる手の向こうから、メイラはアレグリアへ問う。
「……本ッ当、空気の読めない
アレグリアが舌打ち混じりに吐き捨てて、間も無く。
「帝国軍憲兵である! 戦闘をやめて武器を捨てろ!」
「霊力を収めろ! 放出すれば即射殺する!」
軍靴を鳴らして続々と集まる憲兵の声に表情を歪ませたアレグリアは、足元へ何かを再度展開し、その中へ溶けるように姿を消した。
残った腕がどろりと落ち、回廊を塞いでいた棘も、何時の間にか失せている。
憲兵が銃口で囲んだその場に残されたのは、陥没し穿たれた内装、そして渦中の三人のみであった。
「え、え……!?」
「憲兵です。今すぐ剣をしまって、従順にしていて下さい。向こうから訊かれない限り、発言もいけません。少しでも反抗と取られるような事をすれば、最悪この場で殺されます」
初めて目にする憲兵の姿に狼狽えるジェンだったが、スズミからの言葉通りに剣を腰の鞘へ収め、柄から手を離す。
三人に戦意の無い事を確認した憲兵の隊長と思しき老年の男──帝国軍とも治安維持部隊とも違う、黒い軍服に身を包んでいる──は、率いる部隊に銃を下ろすよう手で指示し、一歩、メイラの前へと進み出た。
「状況の説明をお願い出来ますかな、エンティルグ一等佐官殿」
「はい。私の部隊の者がスファロウス元帥補佐から攻撃を受けている状況を目撃し、仲裁に入った次第であります。武力行使やそれに伴った内壁の損傷は全て、その際に起きたものです」
スファロウス──アレグリアの名を耳にし、男の背後に控えていた兵卒達が騒めく。それを彼は再度手で合図する事で鎮め、訝るような視線をメイラへと投げかけた。
「この場所で霊力を伴う武力行使があった事を把握した上で、我々がここに集結しているのはご存知の筈でしょう。そして今、スファロウス元帥補佐の御姿は無く、あった痕跡すら確認出来ませぬ。
……この状況で、貴女のその言葉がどういう意味を持つか、理解出来ない訳ではありますまい」
抜刀、発砲、霊力の解放、「能力」の発動。中央政府の敷地内において、物理的、霊力的を問わず、全ての武力行使は非常時を除き、固く禁止されている。軍の秩序維持の一環として中央政府の警備を役割とする憲兵は、敷地内に張り巡らされている、特に霊力的な武力行使を高度に検知する術式の反応に基づいて出動の判断を下す。つまり、少なくともメイラ達が置かれている状況下では、憲兵に言い逃れはおろか、身の潔白を証明する手段すら皆無に等しい。
それを踏まえて尚、自身に恥じ入る所は無いとでも言うように、メイラは毅然として男の言葉に答える。
「理解も何も、先の発言の内容は事実であります。私の言葉に虚偽が疑われるのであれば、ご精査を頂きたく存じます。
……ただ、いくら仲裁の為とは言え、霊力を無断で解放してしまった事もまた事実。これについては紛れも無く、私の浅慮と不手際によるもの。処分ならば何時でも、何であっても受ける所存です。なのでどうか、この通り。この場はお目溢しを願います、隊長殿」
そう言って、彼女は男へ深々と頭を下げた。
「我々が確認した霊力放出は、全て貴女のものだったとでも言うのですか」
一度は顔を
「……大、佐」
スズミから声を掛けられ、メイラは彼の方へ振り向く。
「よく生きていたな、スズミ。
「いえ、そうでは、なくて」
声を詰まらせるスズミに、メイラは、何、と笑って見せた。
「そんな顔をするな。生憎、この程度で傷が付く程の安い信頼は持ち合わせが無くてな。それに、あの隊長もそこまで鈍い御方じゃない。こちら側の意図には気付いているだろうし、まあ、どうとでもなるだろうさ。
それから、ジェン。お前もよくやった……が、政府の建物内での抜刀と『能力』の使用は禁止されている。その事を分かっているか?」
射竦めるような、メイラの視線。しかしジェンは怖気付かない。迷わず、真っ直ぐに彼女を見返す。
「はい。……また一時的な衝動で動いただけだろ、って言われたら、ぐうの音も出ませんけど。でも、スズミさんが攻撃されているのを見た時、助けられるとしたら自分だけしか居ない、っていう状況だったんです。だから抜刀して『能力』を解放しました。最悪それで罰されたとしても、見殺しにするよりは良いと思ったので。
それに、もしいちゃもんを付けられたとしても、ただでさえ少ない戦力をみすみす失うわけにはいかなかった、って言えば上の人達も納得せざるを得ないでしょう? 万年人員不足なんですし、そう隊を組んだのは寧ろ
意外にも思えるジェンの返答に暫し目を
「……上出来だ。良し、面倒事へ巻き込まれる前に撤収するぞ。スズミ、歩けるか?」
「はい、何とか」
「ホントですかそれ? 無理は禁物ですよ」
「ハハ、お気遣いありが──……ぐっ、
「そら見ろ、言った傍から! ほら、肩貸しますから!」
「おかしいなあ、ついさっきまで平気だったんですけどねえ。あ
スズミの負傷した足の側へ立ち、ジェンは自らの両肩へ彼の腕を回す。
二人のやり取りに些か相好を崩してから、メイラは来た方向──棘の柵を蹴り一つで破り、スズミの前へと飛び込んだ──へと引き返していった。
────その様を、陰に潜む何者かが見つめている。
対「能力」保持者部隊作戦会議室/資料保管庫・夕方
「……あれからまさか、ここへ担ぎ込まれるとは。思いもしませんでしたね」
過去、メイラ率いる部隊が遂行してきた作戦のものなのか、壁に沿った周囲へ資料がずらりと並ぶ中、脚に負った傷の手当てを終えて厚い毛布の敷かれた長机の上へ腰掛けたスズミが、服をめくり上げながらやや困惑気味に笑った。その後方には、つい先程招集を受けたサシェが、彼の背を診るべく立っている。
「仕方無いでしょ、あんだけの事があったんだから。点滴と称して洗剤でも投与されたら堪ったもんじゃない、っていう大佐の言葉は尤もだと思うけど。
……うわ、酷い痣」
露わになった青紫色の背中に、サシェは思わず声を漏らした。
「でも、痣以外は何ともないみたいね。
「本当ですよ。ただ、完全に無力化されるギリギリまで身体強化を掛け続けていたので、もしかすればそれが功を奏したのかもしれません」
「ふーん。そういうものかしら」
そう答えたサシェは、スズミの腕を持ち上げて彼の脇腹を観察しつつ、ふと唇を引き結ぶ。
「……聞いたわよ、大佐から。アレグリア元帥補佐に襲撃された理由、あたしの『能力』なんですってね」
「…………」
スズミの服の裾を下ろしつつ、サシェは低く言葉を漏らす。
「そりゃあ異動命令が出た時、向こうが『能力』を利用する気なんだって事くらい、普通に察したわよ。でも、それはあたし自身の問題でしょ? 何で関係無いあんたが出張ってくるのよ。……会ってまだ一ヶ月しか経ってない人間に、どうしてここまでするのよ」
サシェが小さくそう言うと、スズミは静かに口を開いた。
「自分自身の『能力』を嫌うきっかけを、新たに作ってほしくなかったからです。
病院の談話室でも、少しお話しましたよね。僕は、出来れば貴女に、自分の『能力』と向き合ってほしい。どうして自分が受け入れられないような力を持ってしまったのか、理由があるなら、それは何なのか。拒絶ではなく、折り合いを付ける道を、歩んでいってほしいんです。けど、もし貴女の『能力』が軍事的に利用されてしまったら、恐らくその道は永久に閉ざされてしまう。……手放せもしない、ただただ厭わしいだけの力を持ち続けるのは、何かとつらいですから。それだけは、どうしても見過ごせなかったんです」
「だからって、こんな事までする必要無いでしょう! だってあんた、分かってんの!? 殺されかけたのよ!? しかもアレグリアなんて言う、アレスの最高位に居る人間から! そんなの、この国から、死ね、って言われてるのと一緒じゃない……!」
スズミから、サシェの表情は見えない。が、声を荒らげる彼女を宥めるように、スズミは資料棚へ向かって微笑んだ。
「心配して下さってありがとうございます。でも、お気持ちだけで十分です。僕、それなりに監視されている立場にある人間なので」
「え……?」
「アレストリアから命を狙われているのは、実は今に始まった事でもないんです。あんまり言う事でもないんですけどね。ハハハ」
「……じゃあ、約束して」
「!」
背後から肩へ手を添えられ、スズミは面食らったように目を見開く。
「監視されてるとか、あんたが何者なのかとか、この際もうどうでも良いわ。もしこれからまた、そういう危険な事をやらなきゃいけない時が来たら、必ず言って。教えて。別にあたしじゃなくても、大佐でも、ジェン君でも良いから。一人で死にに行くような真似だけは、もう二度とやらないで。
……今度同じ事したら、絶対に許さないわよ」
医術を扱う者としての矜持か、身を挺してまで我が身を守ろうとした者への愛着か。震える声のサシェに言われ、スズミは初めて申し訳無さそうに目を伏せた。
「はい、すみません。……本当に」
「分かったなら良いわ。何処か痛む所があったら、遠慮せずに呼んで」
極まりが悪くなったのか、サシェはそのままドアの方へと去って行く。
終ぞサシェの表情を見なかったスズミは、ドアの向こうへ消えていく彼女の小さな背中を眺め、浅くも重い溜息をついた。
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