42,ヨルト商店/軒先・午後


 一時は緊迫に包まれた、店先の路地裏。

 軒先の長椅子──今は店の脇ではなく軒先の中央に移動している──に、アランと膝を抱えたヴァイムが座っている。


 あれ程の騒ぎが起きたにも関わらず、そう時間の経たないうちに、まるで何時もの事だとでも言うかのように素気無すげなく元の様相へ戻った路地裏の人通りを眺め、アランが静かに口を開いた。


「なあ、ヴァイム」

「……うん」

「こんな事言うのもアレだけどさ。リアの事、そんなに心配しなくても良いんじゃねえか? ラルフのヤツが追っかけてんだし、何よりハクアも居るんだろ? なら大丈夫だって」

「……そんな、大丈夫かなんて分からないじゃないか。だって、リアもハクアさんも、女の子なんだよ。もしこのまま奴隷になって売りに出されたら、二人共、きっとボク等より酷い目に遭わされる。そんなの、嫌だよ」


「んー、まあ、それはそうなんだけど。でも警備隊には今ヨルさんが通報してくれてるし、ぶっちゃけオレ等、もう出来る事何にも無えんだよな。ならそれで良いんじゃねえか。二人が無事に帰って来る為に、オレ達の出来る事は全部やった。だからきっとアイツ等は帰って来る。少なくとも今は、そういう事にしとこうぜ」

「……でも」

「それに。オレ達だって、ボケボケしてらんねえんだぞ」


 椅子から立ち上がったアランはヴァイムの両肩に手を置き、その顔を真っ直ぐに見つめる。


「二人、いや、三人か。帰って来た時、笑って迎えられるように準備しとこう。な?」


 涙で目を真っ赤にしたヴァイムが、にっと笑うアランに釣られて笑った。


「……うん!」




 ???/冷気と暗闇の地下道・午後




 点々とかがりの灯る、石畳の通路。壁一面の鉄格子は何時からか床と同じ石煉瓦の壁面に変わり、人の気配は無い。

 湿気を多分に含んだ冷たい空気の中、篝の炎はどれも小さく震え、光の無いこの場所を照らすには余りにも心許なかった。


 その暗澹を切り裂くように、通路を駆け抜ける影が一つ。ハクアと別れた後、休む事無く真っ直ぐに通路を走っていた青年、ラルフである。


 一時間ほど前に石煉瓦と鉄格子から成る無機質で狭苦しいこの場所へ放り込まれてからと言うもの、その実体を掴みあぐねていた彼であったが、ハクア達が攫われたという事実、そして自身がたった今身を以て実感している地下道の広大さから、この空間が一体何であるかについて、ある程度の見当を付けていた。


 そして、走り初めて数分。目前に立ちはだかる分厚い木製の扉を錠前ごと電撃で吹き飛ばして間も無く、何者がラルフの前へ立ち塞がった。


「そこの少年、止まりなさい」


 男の背後に見える眩い光──何やら祭壇らしきものが見える──に目を眇めつつ、ラルフは足を止める。


「騒がしいと思って出向いてみれば、成程。道理で連中の抑止が効かない訳だ。まあ、下賤の者共など所詮はその程度、とも言えるがね」


 光に目が慣れ、声の主である祭服姿の男を漸く視認出来たラルフは、胸の内の見当を確信に変える。


「その身なりという事は君もまたなのだろうが、どうやら君は他のそれよりも話が通じそうに見える。どれ、君の言葉を聞こうじゃないか」


 口元に穏やかな笑みを湛え、男はラルフに問うた。


「君は、神に何を求める?」

「……地下牢に閉じ込められている人間を解放する。鉄格子と手枷の鍵は何処だ」

「……ふむ」


 顎に指を添え、考えるような素振りを見せてから、男は困ったように眉を下げた。


「私としても残念なのだがね。それを君が知るには少しばかり信仰と信心が足りない。どうだろうか。今からでも決して遅くはない。我々の元へ来ると良い。そして共に女神フェウスの教えを──……」

「知らないなら用は無い」


 男の言葉をばっさりと切り捨て、ラルフは彼の横を抜けて駆け出そうとする。


 が、しかし。

 男の発した指を鳴らす音が、ぱちん、と響いた直後、石煉瓦の壁の一部が突如として開き、中から数にして五、六人の修道士が現れた。

 ラルフの行く手を阻むようにして通路へ広がる彼等に、ラルフの足が再度止まる。


「私はどうやら君という人間を見誤っていたようだ。成程、どのような見た目をしていようが、に変わりは無いという訳か。私とした事が、我が心の乱れを女神フェウスに懺悔せねば。

 ……諸君。救い難き彼の者に啓蒙を施したまえ」

「御意」


 修道士達が霊力を一斉に解放したのを感じ取った瞬間、ラルフは最も近くに居た一人の修道士の懐へと飛び込んでいった。


「な、速──……ぐッ!?」


 下顎へ電撃を纏った掌底をラルフに叩き込まれ、修道士はふらふらと後退してからその場へ倒れる。


「一人で掛かるな! 最低でも二人一組で押さえ──……おゴッ!?」

「この、なんと罪深い……!!」


 一人、また一人。身体強化を施して迫り来る修道士達を、ラルフは次から次へと捩じ伏せていく。が、その勢いが続く事は無く、ラルフの注意が自身へ向けられていない事を良い事に、一人の体格の良い修道士が彼の襟首を後ろから捕らえた。


「ッ!?」


 すぐさまその修道士へ肘で抵抗を試みるラルフだが、打撃に上手く勢いが乗らず、修道士が怯む様子は無い。


「今だ、やれ!」

「女神フェウスよ、彼の者に裁きの鉄槌を……!」


 修道士が叫ぶと同時にラルフの眼前で別の若い修道士が構え、祈りの言葉を口にする。するとそれに応えるように彼の修道服と拳鍔セスタスが淡く光り、ラルフの腹部へ向けて拳が真っ直ぐに繰り出された、


「……!!」


 その、直後。

 後方へ蜻蛉返りしたラルフは、コートの袖から腕を抜きつつ、修道士──自身の襟首を掴んで離さなかった──の背後へと着地する。


 そしてすかさず全体重を乗せて彼を前方へ突き飛ばし、体勢を崩された修道士は、そのままのめるように踏鞴たたらを踏んで────。


「ゴフッ──……!!?」


 若い修道士の渾身の一撃を腹へ食らった修道士は、何が起きたか分からないといった表情のまま、気を失って倒れ伏した。


「ッ、お前、よくも!!」


 激昂した若い修道士が再度、淡い光を纏いながらラルフに拳を向けるが、ラルフはそれを往なそうともせず、大きく一歩踏み出して間合いを詰め、彼の側頭部へ強烈な蹴りを見舞う。

 先程までの威勢が嘘のように、若い修道士は横へと弾みながら転がっていった。


「…………」


 周囲を見渡し、立ち上がろうとする者が居ない事を確認したラルフは、修道士の下敷きとなっているコートを引っ張り出し、数回はたいてからばさりと翻して袖に腕を通す。


 そして徐々に細くなっていく光──つい先程まで通路全体を照らし出していた光量が、今となってはその半分も無い──へと向き直り、そこへ向けて全速力で駆け出した。




 ???/赦免の大扉・午後




 けしかけられた修道士達をラルフが捌いている最中、開け放たれている扉──信徒達を何時、如何なる時でも受け入れる意思を示す為の、堅い鉄の両扉──の前へ、隠し通路から辿り着いた祭服姿の男は、扉の両方に手を掛ける。


「司教様から分け与えられた力があそこまで意味を成さないとは。由々しき事態だ。直ちに報告せねば。だが……」


 ふう、と息をついてから、男は扉を閉ざし始めた。


「まずは、アレの足止めが先、だ──────!」


 相当な重さがあるらしく、男は唸りながら、少しずつ、押すように扉を閉じていく。


 が。後一息で扉が閉じるという時宜で、男は背後から凄まじい速度で接近する足音を耳にする事となる。


「くっ、もう来たか。だが、この速度なら間に合う。一度閉じればこちらからは開けられん。相応の罰は受ける事になるだろうが、アレを捕らえる事さえ出来れば…………ッ!!」


 勝ち誇ったような笑みを浮かべながら、力んだ男が扉を閉め続けようとした、その時。


 ひゅう、と、風の鳴る音と共に、何かが銀の尾を引いて飛来する。

 それと同時に、扉を閉める男の手が止まった。


「な、閉まらな──……!?」


 幾ら押そうとも閉じない扉に動揺した男は、はたと頭上を見る。

 そこには、両の扉の隙間へと突き立つ、一振りのナイフがあった。


「は……?」


 呆然と眼前の光景を見つめる男。その背後へ、無慈悲にも足音は近付いていく。


「……────おのれ、」


 男の口から、怨嗟の声が漏れる。


「貴様あああぁぁぁ────────ッ!!!」


 振り向いてラルフと相対した男は、霊力を解放して先の修道士より一段と眩い光を纏い、拳を構えて彼を迎え撃とうとする。が、その拳を振るう間も無く、身体強化を最大まで引き上げたラルフの飛び蹴りが、男の頭部へと喰らい付いた。


 瞬時に防御へ徹した咄嗟の判断も虚しく、正面から蹴りを受けた男はその衝撃の余り後頭部を背後の扉へ強く打ち、そのまま気絶して崩れ落ちた。


「…………」


 男の沈黙を確認したラルフは、扉の隙間へと突き立ったナイフの持ち手を握り、そのまま後方へと体重を掛ける。

 分厚い鉄の大扉が、燦然たる光明を解き放ちながら、ゆっくりと開いていった。




 ???/光射す礼拝堂




 隙間から抜けたナイフを懐へ収めつつ扉を閉めたラルフは、眼前の光景を暫し見つめる。


 淡い象牙色の壁。人の足によって磨かれた、灰白色の石の床。

 地下でありながら柔らかく暖かい光の射す、およそ四分球の形をした巨大な空間。

 所狭しと並べられた数多の椅子の向く先には、ゆったりとした薄い衣を纏い、枝葉の冠を戴いた長髪の女と思しき像が、慈愛を湛えた瞳で地を見下ろしていた。その微笑みは、遍く衆生の罪過を見抜き、受け入れ、赦さんとしているようにも見える。


 荘厳で、清純な、祈りを捧げる静謐の場。

 ラルフが今位置しているそこは、異国の地にて礼拝堂と呼ばれる場所であった。


「…………」


 椅子と椅子との間に設けられた通路を、ラルフはゆっくりと歩いて行く。


「女神の威光を前に祈りを捧げぬどころか、立ち止まろうとすらしないとは。この崇高なる祈りの場を、清廉なる懺悔の場を、我が物顔で闊歩するなど断じて許されぬ冒涜。不信心者よ。疾く去りなさい」


 像の背後より、唐突に響いた声。

 こつこつ、という高い足音と共に、金の刺繍の施された白い祭服姿の男──頭に司教冠ミトラを被り、手には鈍く光る金の錫杖を携えている──が、顔を白い垂れ布で覆った男を背に従えながら、ラルフの前へと現れた。


「……地下牢に閉じ込められている人間を解放する。鉄格子と手枷の鍵は何処だ」


 つい先刻、黒い祭服の男へ投げ掛けたものと全く同じ問いを、ラルフは男──司教へと投げる。


「何と粗雑な物言い。哀れな」

「……質問に答えろ」

「そのようなもの、知る筈も無かろう。それに──……」

「……いや。知っていないとおかしい。だろう、お前」

「…………」


 司教の表情が強張るが、それも束の間。司祭は目を細め、口角を緩やかに上げた。


「……──ふ。面白い事を言う」

「貴様、司教であらせられるサナテル猊下に何たる無礼か!?」


 割って入るように前へと進み出た垂れ布の男が、ラルフをきつく指差しながら声を荒らげる。


「……それが何だ」

「それが何だ、だと? 猊下に詭弁をなすり付けるような言い草をしておきながら、それを、何だ、と言ったのか!? 図に乗るなよ貴様、身の程を弁えるが良い!」

「…………」


 心底うんざりだと言わんばかりの表情で、ラルフは細く、深く溜息をついた。


「君。下がりなさい」

「で、ですが猊下!」

いのです。求める者に施しを与えるのも、司教としての務めなのですから」


 司教──サナテルの命に従い、垂れ布の男は再度彼の背後へと退く。それを確認したサナテルは、ラルフの方へ足を二、三歩進めた。


「貴殿の言わんとする事はよく分かった。その良心は確かなようだ。先の非礼を詫びると共に、今晩の礼拝にて、女神フェウスに貴殿への祝福を祈る事を約束しよう。

 して。貴殿の要求とは、つまり、その地下牢へ捕われている衆生の解放に私が協力する事なのだろう? 良いとも。喜んで力を貸そうじゃないか。私の『能力』であれば容易い事だ」

「…………」


 ラルフの眉根が寄る。


「だが、私にも立場と言うものがあるからね。貴殿の心へ十全に応えられぬ事が実に口惜しくはあるが、こちらからも条件を提示させてもらう。

 ────銀髪の女をこちらへ明け渡す事。貴殿がこれを呑みさえすれば、私の『能力』を遺憾無く発揮するとしよう。何、出し惜しみなどせん。加えて──……」

「どうでも良い」


 唐突に張り上げられた声。声の主──ラルフは、睥睨の眼でサナテルを真っ直ぐに見据えた。


「お前の事なんてどうでも良い。お前が何を企んでいようが、俺には関係の無い話だ。と言うか、牢に入れられた人間にだって、本当は微塵も興味無い。だから鍵を寄越すなら早く寄越せ。その気が無いなら用は無い」


 淡々と、鮸膠にべも無く、しかし確かな苛立ちの籠った語気で、ラルフは吐き出すように言う。


「────そうか。ならば、仕方あるまい」


 憐れみを孕んだサナテルの瞳が、ラルフへと向けられた。それと同時に、彼の錫杖が輝きを帯び始める。


「貴殿には、この地にて歩みを止めてもらう事としよう」


 礼拝堂の壁一面が、きらりと光る。


「ッ!?」


 瞬間。

 空漠の夜空に広がる星屑の如き光の矢が、つんざくような高い音と共に、ラルフへ向けて一斉に射出されたのだった。

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