40,ヨルト商店/店内・午前


「さあ、今日が最後だけど、普段通りに宜しく頼むよ。二人共」

「はい! 今日も頑張ります!」

「…………」


 活力に溢れた表情でヨルトの言葉に答えるハクアと、彼と軽く目を合わせるラルフ。相も変わらず、今日という一日が幕を開ける。


「それじゃあまず、ハクア君には一つ、手伝ってほしい事があるんだ。ラルフ君、君はリア達と一緒に店番を頼むよ」

「……了解」

「うん。宜しくね。それじゃあハクア君、こっちへ」

「はーい!」


 指示を受けたラルフが店の表へと歩いて行き、ハクアはヨルトと共に勘定台へと向かって行くのだった。


 それから。店に客が一人も来ないまま、時は経ち。

 目前の棚に並べられている金属製の食器を手持ち無沙汰に見つめるラルフの横で、一仕事終えたハクアが伸びをしながら軒先へと歩いて行く。


「ハクアさん、お疲れ様です! 何されてたんですか?」

「うーん。なんかね、出納帳? とか、色々入ってる箱の取手が取れちゃったらしくって。どかすのを手伝ってくれないかって言われたから、アラン君と一緒にやってたよ」

「え!? それって私が管理してるやつじゃないですか!? ……あー、そうだったんですか。何で私、昨日気付かなかったんだろ……」

「たまたまヨルさんが先に気付いただけだと思うよ。それにその箱、とっても重かったから、リアちゃんが片付けたりするのも大変だろうし。後でヨルさんとアラン君にお礼を言ったら良いんじゃないかな!」

「はい! そうですね──……」


 朗らかに会話を交わしながら、二人は店先にある長椅子へと向かって行った。


「…………」


 楽しそうに笑い合う彼女達に特段の興味も示さず、暇を持て余したラルフは、背後に並んだナイフ──旅路の途中で使うようなもの──の鞘を抜き、白く輝く刃を眺めている。その様子を横目で気まずそうに見ていたヴァイムが、意を決したように彼へ声を掛けた。


「……あ、あの、ラルフさん。……その、商品を勝手に触るのは、えっと、あんまりやらないでほしいと言うか、その」


 しどろもどろになりながらもラルフと目を合わせて言ったヴァイム。その顔は緊張からか、やや紅潮していた。


「…………」


 彼の言葉を受けたラルフは無愛想な表情のまま、しかし素直にナイフの刃を鞘に収め、棚へと戻す。いよいよ暇を潰す手段の無くなったラルフが、ヨルトの元へ新たな仕事を受けに行こうとした、その時。


 店先の喧騒の声色が変わる。

 つい数秒前まで笑い声や客寄せの言葉で賑わっていたそれは、騒然という言葉が相応しいような、不穏なものに変わっていた。


「?」


 何があったのかと、踵を返して元の場所へ戻るラルフ。彼が隣へ目を遣ったそこには、目の縁に涙を溜め、怯えきった表情のヴァイムが居た。


「……あ、あ、」

「……!!」


 真面に声を出せないヴァイムに何か察しが付いたのか、ラルフは駆け足で店先へ出る。


 ──────長椅子に座っている筈のハクアとリアの姿が無い。

 顔を上げた先には、ここ一帯をまず通る筈の無い幌馬車。


「チッ……!」


 全ての状況を把握したラルフは、ズボンのポケットから小さな金属棒──中に霊力蓄積術式の描かれた術符が入っている──を取り出しながら、馬車の後を追うべく駆け出した。


「ふいー、終わった、終わった。って、あれ。おいヴァイム、ラルフのヤツ、またどっか行っちまったのか?」


 程無くして、店の奥から出て来たアランがヴァイムに声を掛ける。


「あ、ア、アラン」

「どうしたんだよ。具合でも悪いのか?」


 消え入りそうな声で自身へ振り向くヴァイムを、アランは怪訝そうに見つめた。暫くして、口をぱくぱくと動かすだけだったヴァイムの口から、漸く言葉らしい言葉が漏れ始める。


「ど、どうしよう。ハクアさんとリアが、さ、攫われて……!」

「ッ!? おい、今すぐヨルさんに言うぞ!」


 ヴァイムの手を引いて走り出したアランは、店の奥の垂れ幕を払い除ける。


「おや。急にどう──……」

「大変だヨルさん、リアとハクアが攫われた!!」

「!? 何だって!?」


 この時、初めてヨルトの表情から笑顔が消えた。




 帝都シュダルト/路地裏・午前




 舗装のされていない細い道を、今にも人を轢きそうな勢いで走る馬車が一輌。後に続いて、人目も憚らず正面のそれを追い上げる青年が一人。その走力は一介の人間を易々と上回っており、現に彼と馬車との距離は店一軒程しか無い。

 賑わいの一部が物見高さに青年──ラルフに野次を飛ばすが、その言葉を物ともせず、彼はただ路地裏を眼前の馬車へ向かって疾走していた。


 人並外れた速さで駆けるラルフ。然れど、人並外れているのはそれだけではなく。


 事を知らない、荷車を押して歩く小柄な男が、横の脇道から不意にラルフの目の前へ現れた。そして瞬きもしないうちに凄まじい速度で迫るラルフに気付くも、時既に遅く、彼はその場に硬直してしまう。


 ぶつかる、と男が強く目を閉じた、その瞬間。

 荷に手を付いたラルフが、身を翻すようにその上を舞って荷車を跳び越える。


 見事に着地した彼は、自身を呆然と見つめる荷車の主人に注意を向ける事すらしないまま、何事も無かったかのように再度馬車を追い始めた。


 走る、走る、ひた走る。

 荷車を避けた影響で些か離れたとは言え、両者の間は店二軒分と無い。


 いななきと共に角を曲がった馬車へ続くように、ラルフも同じ角を曲がる。そして目の前の馬車を追う────事はせず、もう一つ角を曲がった先を走る馬車を追った。

 先程よりも道幅の狭い路地。無論、舗装はされていない。だが、幾つの角を曲がったか、常人であれば撒かれてしまうような煩雑な道筋を馬車が辿ろうと、ラルフは迅速に、正確に、微塵の狂いも無く、無言でそれを追尾する。


 再度馬車が幅員のある道へと出た。すぐさまラルフもその道へ出る。


 が、直後。何段も木箱を積んだ荷車が、曲がった馬車の陰から現れた。

 がらがら、と、速度を付けて迫り来るそれに、ラルフの目がやや見開かれる。


 彼と荷車との間に距離は無い。双方、共に速度を緩める事は出来ず──────。


 ────鈍い音を立てて、激突した。


「……──ッ!」


 衝撃を半身へ真面に受けたラルフは、苦悶の表情を浮かべる。しかし、最早執念と見紛うまでの意地で馬車を視界に捉え続けていた彼は、身を捻って崩れる荷を躱し、また馬車の後を追って走り出した。


 馬が消耗を始めたのか、馬車とラルフの間隔がじりじりと詰まっていく。この好機を見逃さなかった彼は強く地面を踏み切り、店のひさしへ飛び乗った。


 周囲から悲鳴やどよめきの声が上がる中、ラルフは乗った庇──正確には庇を支える骨組み──の上を走り、脇道分の空隙を飛び越える。そして再度別の庇の上を走ってから、彼の直ぐ横を走る馬車の荷台、そこに掛かった幌の上へと跳んだ。




 路地裏/とある広い道・午前




 ざわざわと人々が騒ぐ路地裏。

 そこで、一人の青年が怪訝そうな表情であちこちを見ながら歩いている。


「何かあったのか? 物騒な雰囲気だな……」


 きょろきょろと辺りを見回しながら、青年が不穏の元凶を見つけようとした、瞬間。

 けたたましい嘶きと共に、彼の正面にある曲がり角から一輌の馬車が飛び出した。


「うお、危ねえ!?

 ……ったく。こんな狭い道で馬車なんて走らせるかよ、普通」


 道の脇に置かれた木箱や樽を蹴散らし、人を踏み潰しそうになりながらも疾駆する馬車を一睨みしてから、青年が溜息をついた、その直後。背後で、べきべき、と木箱の砕ける音がした、と振り返ったのも束の間、風圧を感じる程の勢いで、が彼の直ぐ横を駆け抜けた。


「へ?」


 ぽかんと口を開け、向き直った青年は遠く小さくなっていくそのを眺める。


 青く輝く白い髪。丈の長い黒コート。

 例え後ろ姿だけであっても、彼からすれば、それが良く見知った男であると判断するには十分な特徴だった。


 程無くして、その男は店の庇の上から馬車の荷台に掛かった幌の上へ、両手足を使って飛び付く。


「……あの、バカ!」


 事の因果を理解した青年──ジェンは、呆れた表情で悪態をきながら馬車の後を追い始めたのだった。




 幌馬車/幌内部・午前




 日射しが遮られ、薄暗い幌の中。一人の男が、荷台後部の垂れ幕の隙間から追っ手の様子を窺っていた。


「ヤベえ、囮も撒きも妨害も全部効いてねえぞ!」


 慄きの余り、男は上擦った声で叫ぶように言う。その言葉を聞いた女が、苛立ちの表情を浮かべながら先頭を振り返った。


「おい! もっと速く出来ないのか!?」

「無理だ! ただでさえクソみてえな道で馬もヘタってるってのによ!」


 御者の男が声を荒らげる。大きく舌打ちをした女は、震える男を半ば突き飛ばすようにその場からどかし、腰に提げた拳銃嚢ホルスターから拳銃ピストルを取り出した。


「クソ、ならこれで──……。 ッ!? 何処行きやがった、あのガキ!?」


 垂れ幕の隙間から銃口を出し、目標を確認すべく外を覗いた女だったが、そこに追跡者の姿は無い。上手く撒けたのか、と彼女が銃を下ろした、その時。


 どん、と、重量のある鈍い衝撃音が幌の内部に響く。


「……え、そんな」


 怯えた男が真上を仰いだ。

 間も無く、幌の天井部がするすると十文字に斬られていく。


「お前、離れろ!」


 女が発した咄嗟の警告よりも速く、は幌の内へと二つ折りの体勢で飛び降りる。

 ──追っ手であり、追跡者であり、ラルフである──は、脚を振り下ろした勢い余って昏倒させた足元の男に目もくれないまま、間髪入れずに荷台後部の拳銃ピストルを持つ女の首へナイフの刃を向ける。それと同時に、女もラルフの眉間へ拳銃ピストルの銃口を突き付けて────。


 ────膠着。共に動きが止まり、空気が張り詰めていく。

 その緊迫の中で、女がゆっくりと口を開いた。


「随分とお疲れのようじゃないか。アタシの弾と速さ比べでもする?」


 額や首筋に汗が流れ、息を切らし、明らかに消耗している様子のラルフに、女は挑発めいた言葉を投げる。それから暫く、女から寸分たりとも目線を動かさないままのラルフだったが、やがて徐にナイフを下ろし、傍らへと放った。


「……賢明な判断だね」


 女が笑みを浮かべる。


「…………」


 ラルフが見遣った先には、手枷を填められ、気を失っていると思しきハクアとリアの姿があった。




 ???/薄暗い牢獄・昼




「そいつはそこの牢に入れておきな」

「オラ、とっとと入れ!!」


 鉄の手枷──二つの腕輪が一本の鎖で繋がっている──と足枷を填められたラルフが痩身の男に背を蹴り飛ばされ、冷たい石煉瓦の敷き詰められた牢の中へと倒れ込む。頑強な造りをした鉄格子の戸が、きいい、と、高く、そして重い音と共に閉められた。


「アタシはこれから向こうの銀髪の女の所へ行く。お前はそいつを見張ってろ。

 ああ。一応言っとくが、気を付けな。『能力』持ちかもしれないからね。霊力封じの手枷をしてはあるけど、くれぐれも油断するなよ」

「……うっす」


 痩身の男に指示をしていた女のものと思しき足音が、薄暗い通路に響く。

 その後、足音が遠くへ消えてから、男は溜息混じりに鉄格子の前へ座り込んだ。


「ったく。何でオレがこんな野郎の番なんてしなきゃなんねえんだ。アイツばっかしエラそうにしやがってよ──……」


 小声で文句を独り言ちる男の背後で、ラルフは床へ倒れたまま、静かに男へ背を向けた。




 ・・・




 取り敢えず幌の中を見た限り、二人が無事な事は確認出来た。でも、ここからはもう分からない。あいつ等が何時、誰に、何をされたとしても、一つとしておかしい事は無い。


 ────時間との勝負。

 内部の構造に関しては皆目見当も付かないが、少なくともこの牢から脱出しないといけない事だけは確かだ。


 リゼルから貰った術式は残り五つ。一つだけ使ってみたが、恐らくこれだけあれば十分。

 手枷と足枷も問題無い。手枷に至っては霊力封じの術式と思しきものが


 後は。あれの気をどうやって引くか、か。

 さて。両手両足の自由が利かないこの状況で、一体どうしたものか。




 ・・・




 閉塞し、淀んだ空気の満ちる牢獄。

 鉄格子に背を預けて座る男が、何やらぶつくさと文句らしき言葉を吐きながら、金属製の瓶に入った酒をあおっている。


 ──────ちん、ちりりり。


 ふと、冷たい石煉瓦に、硬貨の落ちて転がる音が響く。


「あ?」


 男が振り向いた先。そこには、体を横たえたまま彼に背を向けているラルフの姿があった。


「……おい。何してんだ」


 ラルフの様子を不審に思った男は、鉄格子の鍵を開けて彼へと近付いて行く。しかし彼の問いに対して、ラルフは口を開かないままであった。


「チッ、聞いてんのか」

「…………」

「何してんだっつってんだよ! シカトしてんじゃねえぞコラ!!」

「…………ッ」


 乱暴に踏み付けられても尚反応を示さないラルフに苛立ちを覚えたのか、男は彼の髪を掴んで引き上げる。


「オラ、こっち見ろテメエ!!」


 そして無理矢理に膝立ちさせた彼の頭へ、拳銃ピストルの銃口を押し付けた。


「お前が何か企んでるなんて事はお見通しなんだよ! バレねえとでも思ったか、バカが! お? テメエ、その頭一発イっとくか? ええ!?」


 気に入らない仕事を充てがわれた憂さを晴らすように声を荒らげた男が、ラルフの頭へ銃口を一層強く押し付けた、直後。


 男の顎目掛けて、ラルフが両腕を勢い良く振り上げた。


「ガッ……!?」


 硬い鉄の一撃を真面に受け、男は蹌踉めきながら掴んでいた髪を離す。そしてすかさず立ち上がったラルフによる後頭部への鉄枷の第二撃により、男は気絶して石の床へと倒れ伏した。


「…………」


 浅く息をついてから、ラルフは男の手元に転がった拳銃ピストルを片手に取る。そしてその銃口をもう一方の手に填められた手枷へと向け、躊躇無く引き金を引いた。

 乾いた発砲音と同時に、堅牢な手枷が術式諸共に、ばき、と割れる。

 もう片手に填まった手枷も同様の方法で難無く破壊したラルフは、木製の分厚い足枷に付いている錠にも拳銃ピストルを向け、二、三発程発砲する。


 しかし。その錠を破壊する前に弾が尽きてしまったらしく、ある程度変形したそれに向かって引き金を引いても、拳銃ピストルからは、かち、かち、と軽い音が鳴るだけであった。


「…………」


 弾の切れた拳銃ピストルを傍らへ置き、足枷の錠を見つめているラルフ。

 暫しの間無言だった彼は、やがて、はあ、と面倒そうに溜息をついてから、ズボンのポケットから金属棒を一本出し、中に仕込まれた術符を取り出して破った。


 破壊された術式から漏れ出る霊力。術符が塵となって消えていく頃には、霊力は全て彼の内へと収まっていた。


 足枷の錠の部分を右手で掴み、ラルフは瞳を閉じて大きく息を吐き出す。そして。


「────ッ!」


 目を見開くと同時に、掴んだそこへ有りっ丈の電撃を捩じ込んだ。

 余りに大きな抵抗に弾かれそうになる手を渾身の握力で耐え、数秒。掴んだ箇所をラルフが引っ張った途端、足枷の錠が炭化した周囲の木と共にぼろりと捥げた。


 そのまま足枷を開き、完全に拘束を解いたラルフは、倒れた男の武装を物色してナイフを一振り拝借してから、開いたままの鉄格子の戸を抜け、先刻、女の足音の消えていった方へ向かって走り始める。


 壁一面に並ぶ鉄格子。

 少ない灯りで薄暗く照らされたその奥には外れた足枷が転がり、不気味なまでに人の気配が無い──────。

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