「最強」の帰還 篇
26,アレストリア国境/南東部宿営地・夜
「エンティルグ大佐、報告致します。たった今、伝令部隊の者が参りまして、『中央政府より、明日正午までに帝都へ帰還せよ』との事です」
「了解した。ご苦労」
女の着る黒い革のコートの裾と黒紫色の長髪が、風に吹かれて揺れた。
「……予定より大分早く帰還出来そうだな。これなら正午どころか、午前には中央政府へ到着出来そうだ」
暫くして。
「全軍招集、完了致しました」
「良し」
報告した男に笑いかけてから、女はずらりと並ぶ兵達の方へと向き直る。
「これより帝国陸軍第一〇三防衛大隊、全隊員へ告げる! 中央政府から『明日正午までに帝都へ帰還せよ』との伝令が入った! よって我々は未明、この宿営地を発つ! 帝都入りは明日の午前だ! 各隊員、出発へ向けての準備を怠らぬように!」
「了解!」
女──帝国陸軍大佐、メイラ・エンティルグの指令を受けた兵士達の声が、星々の光る夜空に響いた。
帝都シュダルト/大通り・午前
南の太陽が石畳を照り付けている、午前。今日もまた、概ね青空が広がっている。
普段であれば様々な店が並び、賑やかに商売のなされる大通りだが、今日は些か様子が違うようだ。
肉屋の旦那も、八百屋の女主人も、交易を行う行商も、皆が釘付けになってその様を眺めている。
大通りを中央政府へ向かって北上しているのは、おおよそ同じ装いをした者達から成された隊列だった。
それは陸軍十個師団の中、第一師団に属する一個大隊。
総勢百人程度の小さな規模だが、その生還率、作戦成功率、共に編成当初から変わらず十割。
帝国軍最強と謳われる女が率いる、アレストリア屈指の少数精鋭部隊。
通称メイラ軍と呼ばれるその大隊の名は、帝国陸軍第一〇三防衛大隊。
そして、その異名の通り。
背中の半ばまで伸びた黒紫色の髪を淡紅色の髪留めで留め、腰に一振りの剣を差し、膝丈程の黒い革製のコートを身に纏う女こそが、帝国陸軍大佐──一等佐官とも呼ばれる──にして大隊長であるメイラ・エンティルグである。
遠方からの民衆の視線が集まる最中、メイラは門番によって既に開け放たれた門──中央政府への入り口──を
「これにて東方民族鎮圧作戦は終了だ。大隊は一時解散とする。次の招集まで十分な英気を養っておくように」
「了解!」
「では、解散!」
メイラによる号令を受けた兵士達は皆、四方八方へ駆け足で別れて行く。
それから。
人気の無くなった広場を見渡し、メイラは大きな溜息をつく。
「……さて。もう一仕事で、私も晴れて自由の身だ」
そう呟いて、彼女は広場を後にした。
中央宮殿/執務室・昼
中央政府の敷地、その中心にあたる場所には、周辺より一際背の高い建物が存在する。
その内部は大きく分けて上下二層の構造になっており、下層は霊力研究を専門とする国営の研究所──霊力研究開発局──である。
そして上層には高級な、しかし豪奢でない空間が広がっている。
名を、中央宮殿。
時の流れによって姿形は変われども、代々アレストリアの皇帝が住まいとしてその身を置いた、歴史ある空間である。
その一角にある執務室で、一人の女が紙にペンを走らせていた。
「新しい書簡ですか、陛下」
彼女の背後から、紫色のローブを纏った小柄な女が歩み寄る。女は手を止め、ローブの女へ座したまま向き直った。
潤んだ黒い長髪に、黒の瞳。結い上げられた髪には、銀に輝く髪留めが挿してある。穏やかな表情と
「一週間くらい前だったかしら。中心地区の住民が二人、襲撃されて死亡したという話があったじゃない」
「ええ、ありましたね」
「それに関係するものなのだけど。ちなみに犯人はどうかしら、突き止められそう?」
皇帝から尋ねられ、ローブの女は表情を曇らせた。
「それが治安維持部隊の懸命な捜査も虚しく、前回の中心地区襲撃と同様、未だに目撃者すら見つかっておりません。自殺や事故という線も考えたようですが、発見された遺体の状態や家屋の倒壊具合から、やはり襲撃されたのだろうという結論に至ったとの事で、捜索はほぼ膠着状態に陥っています」
そう、と残念そうに息をついた皇帝を前に、ローブの女は慌てて女の前に跪いた。
「申し訳御座いません、決して犯人の捜索が不可能という訳ではなく! 必ずや見つけ出すよう治安維持部隊へ更に働きかけます故、どうかお気を損ね──……」
「アレグリア」
「!!」
名前を呼ばれると同時に頭へ手を添えられ、ローブの女──アレグリアは恐る恐る顔を上げる。
「もう。犯人が見つからないのは、貴女の所為ではないでしょうに。どうして貴女が頭を下げる必要があるのかしら」
アレグリアを見つめる皇帝の姿は、幼子を宥める母のようだった。
「それに、珍しく今日は顔を隠してないのだから、もっと良く見せて頂戴」
透き通るような金の髪、薄紅色の瞳。アレグリアは自身の顔を見つめられ、些か気まずそうに眉を寄せた。
「さあ、立ちなさいな。メイラ大佐、帰って来たのでしょう? きちんと成果を聞かなくちゃ。それにね、この書簡の内容なのだけど──……」
皇帝から耳打ちを受けたアレグリアの表情が、驚喜のそれへと変わる。
「……!! 成程、承知致しました。人員の確保ならお任せ下さい。帝国軍内で異動可能な者を早急に集めて参ります」
「お願いね」
軽く頭を下げたアレグリアはローブから金の懐中時計を取り出し、時刻を確認する。
「もうじき指定の時間です。応接間へお越し下さい、陛下」
恭しく皇帝へ一礼してから、アレグリアは静かに執務室から退出して行った。
中央宮殿/厳かな廊下・昼
手錠を填められた男──メイラ軍によって中央政府へ連行された東方民族、ノリッチの首長──を連れたメイラは、とある両開きのドアの前で立ち止まった。床には、金の刺繍が施された臙脂色の絨毯が敷かれている。
こんこん、とドアをノックしたメイラは、軽く息を吸った。
「帝国陸軍一等佐官、メイラ・エンティルグ。東方民族の首長をお連れして参りました」
「どうぞ、いらっしゃい」
ドアの向こうからの返答を聞き、メイラはドアに手を掛けて男の方を振り向く。
「心しろよ。アレストリア帝国第二十一代皇帝にして我等が帝国軍元帥、皇帝陛下の御目見えだ」
俯き加減のまま、首長は開かれたドアの中へと進んで行った。
中央宮殿/応接間・昼
射し込む太陽の光が眩しい、硝子張りの大窓。
照らし出された純白の机、その向こう側で、皇帝が微笑みを湛えながら座っている。
「ようこそ、我等がアレストリア帝国、帝都シュダルトへ。私こそがこの国の元首、皇帝で御座います。さあ、どうぞ。お掛けになって下さい」
手で指し示された二つの椅子に、メイラと首長はそれぞれ腰掛けた。
「アレグリア、御仁の手錠を外して差し上げて」
は、と短く返事をして、扉の直ぐ横で待機していたアレグリア──今はローブのフードを目深に被っている──は、懐から幾つか鍵の付いた木の板を取り出し、そのうちの一本を手錠の鍵穴に差し込んで回す。かちり、という軽い音と共に、手錠は簡単に外れた。
「さて、簡潔に申しましょう。アレストリア帝国は東方民族、ノリッチの永続的帰属と『呪術』と呼ばれる技術の提供を要求します。これを承認なされば、アレストリア帝国はノリッチの幾度に亘る領地侵攻を全て水に流し、そちらが治めている領地と民の安全、そして民族の繁栄を約束致します。
異論が無ければ、どうぞ。そちらに調印の為の文書とペンを用意しております。是非ともご署名下さいませ」
それは、余りにも一方的な通告。
小国であれば一夜にして滅ぼせる程の軍事力を指先一つで動かせる女からの、事実上の脅迫であった。
「…………」
押し黙っていた首長は、やがて肩を震わせる。
「────、──────」
何やら言葉を発してはいるが、その場の全員、彼の言葉を理解出来なかった。
「────……!」
首長の声が、徐々に荒くなっていく。
「──! ──────!!」
突如として立ち上がった首長が右の掌を皇帝へ向けた途端、彼の掌の周りへ紫色に光る術式が描かれた。
何やら黒い靄のようなものが術式の中心に収束し、発射される、よりも速く。
メイラは振り抜いた剣の刃で術式を破壊し、石突で首長の項を殴り付けた。
真面に延髄を殴られた首長は、派手な音を立てて机の上へ倒れ伏す。すかさずメイラはその首に切先を向けるが、
「おやめなさい、大佐」
「……は、失礼致しました」
皇帝の制止により、剣を収めるのだった。
少々の沈黙の後、皇帝は口を開く。
「貴方様のお気持ちは察します、首長殿。これまでの戦闘で多くの同胞が命を落とされたのでしょう。しかし、これは戦争。敗れた者に慈悲など、与えられぬが世の定めなのです。
……ですが、我々は大国。敗者に対して血も涙もないというのは些か狭量が過ぎると言うもの。アレグリア、首長の名に相応しい牢へ御仁を繋いで差し上げなさい。後日、改めて答えを聞きましょう。返答の内容や態度次第で彼等、ノリッチの処遇を決定します」
「は、承知致しました」
アレグリアは赤黒い色味の術式でふわりと浮かせた首長を連れ、部屋を退出して行った。
「さて、メイラ大佐。突然だけど、少し時間をくれるかしら」
「構いませんが、何か」
メイラの了解を受けて──元より大佐である彼女に拒否権など無い訳だが──、皇帝は懐から三つ折りになった書簡を取り出す。
「少し話をしましょう。貴女、『ギルド』について良く調べているわね」
「はい。十七年前、でしたか。何の前触れも無く突如として貧民街に出来た、というのは不自然だと思いまして。立地的にも実際、貧民街の表側に取って付けたような格好になっていますし」
「そう。それで、貴女の見解は?」
メイラは少し黙ってから、ゆっくりと口を開いた。
「……憶測の域を出ない話、ではありますが。現在『ギルド』と呼ばれる組織の前身は、恐らく十八年前に鎮圧された、例の革命軍かと。
毎日のように起こっていた暴動がほぼ無くなる程の安定した雇用を生み出す手腕を持つ者が、今ならまだしも、十八年前の貧民街に存在していたとはとても考えられません。例え一般市民や貴族の人間にそのような才覚を持った人間が居たとしても、貧民街には誰も干渉しようとしないでしょうし、そうかと言ってぽっと
帝国軍に鎮圧された後、一年の潜伏を経て『ギルド』を立ち上げる。有り得る話ではないでしょうか」
メイラの言葉に、皇帝は深く頷く。
「そうね。私も貴女の考えに賛成よ。それでね、話は変わるのだけど。およそ一週間前、中心地区の住民二人が何者かに襲撃されて死亡したわ」
「……何だと?」
驚愕の余り、メイラの薄紫色の瞳が見開かれ、口調も元に戻る。
「場所は中心地区第四十六区画の四番地。丁度中心地区の西の端に当たる場所ね。死亡したのは家主と、家主の母。死因は前者が家屋の倒壊による圧死、後者は何者かに首を斬られた事による失血死。
前の二件宜しく、警護隊がその辺りの巡回を終えた直後の事件だったらしくて、帝国軍内の目撃者は無し。一般住民の目撃者もおらず、捜査はほぼ膠着しているそうよ」
「……もしや、私にその捜査の指揮を執れと?」
「ふふ、そんな事言う筈無いじゃない。事件の捜査だけだったら治安維持部隊に一任してしまえば良いだけなのだし。だけど今回はちょっと話が違うのよ」
「と、言いますと?」
話の意図を全く読めず、メイラが眉を寄せていると、皇帝は懐から四つ折りの紙を取り出して広げ、彼女に差し出した。
「これ、何だか分かる?」
紙には陶製と思しき物品の
「これは、術式?」
まさか、とメイラが目を見開いた。
「現場からその
「……成程」
漸く皇帝の意図を理解し、メイラは皇帝を正視する。
「家主は『能力』を持っていた。そして襲撃され、母共々に死亡した。襲撃されたと言う程ですから、その二人は他殺されたという事になる。言い換えればこれは、『能力』保持者が何者かに殺されたという事実に他なりません。
そしてその何者かは、何らかの『能力』を保持している可能性が高い。『能力』を持った人間と素で真面に渡り合える人間など、帝国軍内を見ても皆無に等しいのですから。
そして現場は中心地区。国内では中央政府に次いで警備が厳重な区域。偶然行って殺した先が中心地区で警備も手薄だった、などという事はまず有り得ません。それは前の二件についても同じ事。ならどうやって誰の目にも付かずに中心地区へ侵入したか? 考えられる事は一つ、特定範囲の警備が手薄になる時間帯を細やかに知っている人間がこの三件全てに外部から関与しているという事。内部からという可能性も無い訳ではないでしょうが、中央政府や帝国軍に
話を戻しますが、外部から何者かが関与しているとなれば、それは一体誰なのか。最初に名が挙がるのはやはり、革命軍の残党。そしてその残党は先程申し上げた通り、現在『ギルド』を運営している可能性があります。
これらを全て踏まえると。『ギルド』を運営する上で自ずと構築される人脈を使って革命軍の残党が『能力』保持者を集団として秘密裏に取り纏め、アレストリアに反旗を翻そうとしている。これが現在の帝国内部の状況として考えられる最悪の可能性、という事ですね?」
感嘆の息をつき、皇帝は目を細めた。
「やっぱり頭が良いわねえ、メイラ大佐。私、その結論に至るまでに丸一日は掛かったのよ」
「いえ、それ程の事でも。しかし、これが本当なら、問題になるのは彼等が反旗を翻そうとしている事ではなく、寧ろ『能力』保持者を集団として取り纏めているという点です。私の知る限り、帝国軍で最も強力な『能力』を持つのは、海軍のグンテンバート中将。何でも、彼一人が『能力』を発現させるだけで千人規模の大隊と同等の戦力が賄えると聞きます。
もし彼と同等の戦力が徒党を組んでいるとしたら、恐らく、今の治安維持部隊ではとても太刀打ち出来ないかと。現在、治安維持部隊の規模は派生組織のシュダルト警備隊や中心地区警護隊も含めておよそ二万。もしこれが三万になったとしても、相手によっては全滅する可能性すらあります」
緊迫した様子のメイラとは裏腹に、皇帝は妙に嬉しそうな様子である。
「私、考え得る最悪の事態を常に想定する貴女の姿勢、好きよ。だから第一〇三防衛大隊の諸君も皆、優秀なのでしょうね」
そう言いながら、皇帝は手元に置いていた書簡をメイラの目前へ滑らせた。
「そこでね、貴女に勅命としてお願いしたいのだけど。もう一つ、新たな部隊を持ってくれないかしら? 部隊の名は『対『能力』保持者部隊』。文字通り、『能力』を持つ帝国への敵対者及び敵対組織の鎮圧、無力化を目的とした部隊よ」
思いも寄らぬ皇帝の言葉に、メイラの端整な顔が薬を飲み下せない子供の如く歪む。
「よりによって、何故私なのですか。それこそ、一個師団を束ねるだけの力を持っておられるグンテンバート中将こそ適役でありましょう。ビリルオン少将も、キルシュタイン少佐も、きっと暇を持て余していますよ」
すると、皇帝は困ったように笑った。
「確かにそうなのだけどね。グンテンバート中将には今、南部海上戦線の総司令官という重大な任務を任せているし、ビリルオン少将にはやんわりと断られてしまったし。キルシュタイン少佐に至っては、ねえ。そもそもこういった事は不向きじゃない、彼」
はあ、と溜息を漏らしたメイラは書簡を受け取り、その内容に目を通す。
「『名称、対『能力』保持者部隊。種別は大隊。規模は大隊長も含め、五、六人を想定。目的は『能力』を持つ敵対者及び敵対組織の鎮圧、無力化。大隊長がメイラ・エンティルグとなった場合、帝国陸軍第一〇三防衛大隊の招集を目的の達成及び目的の達成と同等の事実や状況が得られるまで許可しないものとする。但し、対『能力』保持者部隊の掩護として上記大隊を招集する場合はこの限りでない』。成程、素より私以外の人間が引き受ける事を想定していないという訳ですか。
……承知致しました。帝国陸軍一等佐官、メイラ・エンティルグがこの勅命、謹んで賜ります」
「まあ、ありがとう。これで当面は安泰ね。人員についてはアレグリアが調整をしてくれているから、もう少し待っていて頂戴ね」
「は、了解致しました」
書簡を懐にしまうメイラだが、腑に落ちない点があるらしく、その表情は険しい。
「陛下。最後に一つ、宜しいでしょうか」
「ええ、どうぞ」
少し言い淀んでから、メイラは絞り出すように声を零した。
「……本当に、何故。この私を?」
困惑の混じった瞳に見つめられ、皇帝は優しく微笑む。
「大丈夫。何も心配する事は無いわ。貴女には誇るべき実力と実績があります。そうでしょう? だって貴女は五年前、たった一人で北西部防衛戦線を守り抜いた帝国軍最強の英雄なんですもの」
「……そんな事も、ありましたね」
「ふふ、もっと胸を張りなさい。この国を守れるだけの力を、貴女は十分に持っているのですから」
「勿体無きお言葉、感謝致します」
そう静かに告げたメイラは、失礼致します、と頭を下げ、応接間から退出して行った。
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