第3話
修司には大手での仕事は合わなかった。
顧客に対して最適なITソリューションを提案する点は前職と同じだったが、自社開発のシステム、機器という縛りがあった。大手であれば当然とも言えるが、修司にとってはかなりの苦痛だった。取引先のメリットを追求できないからである。
完全に内製化しなければいけないわけでもない。場合によっては他社製品やシステムを組み込むことが可能である。
あくまで、場合によってはだが...
修司が就職した会社は国内におけるストレージ(記憶装置)のパイオニアとしてIT業界でも有名だった。「パイオニア=草分け」の言葉が示すように同分野の国内製造の可能性を切り拓いた。
そして、切り拓いた道を駆けてきた後発の企業に抜かされていった。現時点の実力でいえば、優位性を誇れる立ち位置ではない。残念なことに輝かしい栄光の日々を忘れられない世代が役員として居座っているものだから、改善の兆しはない。
かつて、日本のIT業界を牽引した会社は完全な営利企業と成り下がっていた。世界記録やスポーツチームへの投資分を捻出する代わりに、法人向けの開発体制の予算は年々少なくなっていた。
場合によってはシステムの欠点があるのを知っていながら取引先に売り込むことになる。最近では自社の欠点をしっかりと伝えるのが、トップ営業マンの手法ともされているが、修司いわく、そんな可愛いレベルの欠点ではなかったらしい。
商談が成立すれば、顧客のセキュリティレベルは確実に落ちる。それほどまでにひどいシステムもあった。
そんな状況下でも彼は必死に抗った。できる限り最適な解決策を提案できるように、時間を削り頑張ってはいたが自社製品を知れば知るほど、罪悪感は増していった。
すぐに辞めるべきだったのである、だが彼の義理人情が邪魔をした。転職が怖かったわけじゃない。ただ、古巣や恩師である教授に迷惑をかけたくなかった。だから、営業を続けた。そして、誠司の精神は着実に病んでいった。
私は全く気づいていなかったが、国会図書館に通うこともなくなっていた。顧客の企業を知れば知るほど、申し訳ないという感情が強まっていくからだ。私は離婚後にそれを知った。
彼の変化に気付こうとすれば気づけたのかもしれない。
「辞めようかな」
久々の温泉旅行で、彼が漏らした弱音を私は笑いながら一蹴した。
「甘ったれるんじゃないの。いい給料もらってるんだから。その分働かないと」
ほろ酔い気分で答えた言葉は真実でもあった。
実際、給料は前職の2割増し。大手としてのメンツを保ちたいのか、勤務時間はかなり厳しく管理されていて、残業は多い月でも20時間以内に収まった。給料明細書だけを見れば、修司の転職は稀に見る成功例といえる。
当時、私はドキュメンタリー番組を立ち上げたところで、苦境を乗り越えた経営者を何人も見ていたから、彼の言葉を“甘え”としか受け取れなかった。彼が吐いた初めての弱音だったにも関わらず。
私が彼の小さな悲鳴を一蹴したとき、「だよね」って、彼は笑ってぬるくなったビールをグビッと飲み込んだ。それ以上、転職の話題には触れなかった。
彼の雰囲気に違和感はあったが、私は意図的にスルーした。仕事が充実していたその頃の生活を変えたくなかった。
後から聞いた話だが、修司は開発部への異動を願い出たこともあったという。彼は自分の手で納得するものを作り上げたかったのだ。
修司は本気だった。ITパスポートという、大学生レベルの資格から学び始め、IT系の国家資格で最上級とされる資格を3分野で取得。その上で、必要最低限以上のプログラミング技術を独学で身につけた。
だが、修司の想いは受け入れなかった。一定レベル以上の営業成績を継続的に残し続ける修司は、人材不足の営業部にとって、手放すことのできない存在となっていたからだ。
その後の夫婦生活も順調に過ぎ去っていった。いつからか、修司は割り切ったように仕事に取り組み、営業成績の伸ばし続けた。基準年齢よりも早い昇格もあった。
終わりは突然訪れた。修司が転職してから約7年。修司が37歳の誕生日を迎えて、ちょうど1週間後の月曜日だった。
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