07 咆哮の飛竜『ファフニール』




 その巨躯は、狭い廊下を塞いで埋めるほど。薄汚れたような土色の鱗が西日に照らされ黄金へと昇華される。

 鷹のように鋭い眼はこちらを睨んで離さない。息を荒げている。爪を立てている。怒っているのだろうか?それとも飢餓に蝕まれて必死なのか?

 どちらにせよ、わかるのは、アレが僕らにとっての脅威だってこと。



「逃げろ!!ネギ君!!」


「ぁっ!!」



 サラダ先輩の叫び声が反響する。僕はそれに押されるように、キャシーを抱きかかえて走り出す。

 そうすると後ろにいるファフニールは少し吠えて、前進。


 けどある程度まで来て止まる。どこで止まったかというと言うまでもない。



「サラダ先輩!!」


「ワタシに構わず行くんだ!!」


「でもそれじゃあ!!」



 ファフニールの餌食になる。そんなことってあんまりだ。先輩が囮になって僕らが逃げるなんてそんな。 



「行け!!」



 牙を剥く。首を下げる。倒れる彼女に食らいつこうとする。

 それじゃあダメだ。僕がなんでここに来たか。このまま見殺しじゃ意味ないんだ。



「やめろおおおおお!!」



 そう思ったら僕の身体は勝手に動く。サッカーボールをシュートするみたいに、竜の顔面を真横から蹴り飛ばしていた。

 そうだダメなんだ。サラダ先輩に生きてて欲しいんだ。

 だって先輩は、サラダ先輩は────



「サラダ先輩は僕を初めて友達って呼んでくれた人なんだっ!!絶対に死なせてなんかやるもんかっ!!」



 まだ僕らは出会ったばかりだけど。それでも。それでも。僕にとっては、友達と言ってくれたその言葉が救いなんだよ。

 なんでここに来たか、どうしてこうも突き動かされるのか。それはたった一人の友達を助けたいからだ。



「ウッ!!」



 痛い。鱗が固すぎて脚の骨が折れたみたいにめっちゃ痛い!

 でもこれは痛み分けだ。ちょうど目のあたりに足先がクリーンヒットしたのか、仰け反って悶え苦しむ。



「ネギ君……!!」


「キャシーも先輩も助ける!!ファフニールも異世界へ帰す!!僕が全部やってやる!!やってみせる!!」



 そのままサラダ先輩を背負った。アドレナリンが出て痛む足もなんかそうでもなく感じてきた。普段ならこんな重たいもの背中に乗せたら数歩でバテるがこの時ばっかりは全然違う。

 2人と1匹の命がかかってる。もう弱音も吐いてられない。吐く暇さえない。



「うおおおおおお!!」




 玄関のその先、校庭のその先、溝によってできた段差のその先、フェンスを抜け、木々を抜け、その先へ。走って、走って、走って。"異門ゲート"を目指す。


 だが相手は翼を持ったドラゴンだ。頑丈な身体は校舎の天井をぶち破って舞い上がって。人間である僕がその足で稼いだ距離を一瞬で縮めてくる。なんだよこの最強生物!?




「ネギ君!!ワタシを捨てるんだ!!そんな重い足取りではどう考えても追いつかれる!!」


「そんなことわかってますよ!!」


「キミは、ワタシが巻き込んだんだ!!全てを背負う必要はない……このままでは全員死ぬぞ!!」


「今更何いってんだぁ!?巻き込まれてからそれ言われても全部遅いんだよぉ!!うるさいうるさい!!死なない!!死んでたまるか!!」



 僕らは森の中へと入り込む。そのまま突っ切って異門まで。そしてここで朗報だ。



「ほらみたか!!アイツ、木が邪魔で僕らに近づけないぞ!!はーっはっは!!」



 さっきまで僕らめがけて一直線だったファフニールは速度を抑えて、空中で旋回をする。どう突撃すればいいか迷ってるみたいだ。

 校舎の天井と違って一発でぶち破るには入り組みすぎているからね。これはラッキー……。



「だ、ダメだネギ君!!く、くるぞ!!やばいのが」



 そう思っていたんだけど、背中から大声で叫んだのは先輩だった。



「やばいのって、なん────」







 轟音、爆撃。






◆◆◆◆


 



 僕と、サラダ先輩と、キャシーは強大なる衝撃波によって吹き飛ばされて散り散りになってしまった。僕以外のふたりは、左側でぐったりと倒れてる。

 でも、そんなことより、なによりやばいのは。このファフニールがやらかしたこと。



「うそだろぉ……」



 僕はみた。熱波の爆ぜる瞬間を。森を焼き払う業火を。悪夢のような大爆発が、ドラゴンの喉の奥から放たれた咆哮ブレスによるものだったのを。


 後ろにあった木も草も全て、全てが禿げ上がる。舞い降りるのは黄金にして硬固な翼。

 北欧神話で最も有名な竜の名を冠するそれは、まるで勝ち誇ったかのように雄叫びを上げる。



「あははっ……」



 乾いた笑いってこういう時に出るんだなって思った。生物としての根本からして力が違う。生身の人間がどうこうしようと無駄だと言わんばかりだ。もしもこのドラゴンを討伐しろなんて言われても無理だ。絶対に。

 奴の狙いは完全に僕に向いている。右側の眼が潰れた恨みかな。次の瞬間死んでてもおかしくない。



「他のふたりは……無事か」



 ところで今回僕に課せられた使命はドラゴンを討伐することなんかじゃない。狩人じゃあないんだから当たり前だ。

 ともすれば、ふたりにまだ息があるなら僕はまだ失敗をしてない。まだ諦めちゃいけないって胸の奥に熱いものを覚える。

 初めてだよ、こんなに何かにしがみつくような思いになったのは。



「まだ、やれる」



 そう言い聞かせる。いやむしろ今しかやれない。

 ふたりを救う、奴を異世界に帰す。両方やるなら今以上の好機はないと思う。

 だって、奴は、目が潰れたことで死角が出来て、ソレに気がついてないんだ。



 ────伸縮を繰り返し、消える合図を出す異門がすぐにそこにある。




◆◆◆◆




 これはきっと、最初で最後チャンス、一世一代の大勝負。不思議だな。脚はまだ動く。勝負といこうか。



「ファフニール」


「……」



 焼き焦げた煙のせいか、肺が苦しい。忙しなく彼方此方からパチリパチリと音がする。夜に片足を突っ込んで暗くなった景色に、舞い上がる火の粉はとても目立つ。


 竜と目を合わせる。


 静寂が訪れる。


 きっかけは、炎によって崩れた木の割れる音から始まる。


 バキン、と。







「うおおおおおお!!!」


「ギァァアアア!!!」



 僕はすぐさま異門のある方へと駆け出した。ファフニールがそれを追いかけてくる。

 捕まったら死ぬだろう。


 失敗だらけの人生だ。いつだって希望をへし折られてきた。でも、どうか、今回は、今回だけは僕が僕を信じることを許してほしい……!希望を信じさせてほしい!!



「あぁぁああ!!」



 もう目前に迫ってる。なにするのかはもうわかるだろう?そうだ、僕が囮でコイツをここに誘き寄せそのまま異門に自分から突っ込ませる。

 異世界へと送り返してやるんだ!!


 もちろんこれは僕だって生き残る算段がある!!やっと手にして面白くなった非日常の夢半ばで死んでたまるか!!


 異門は僕の腰より上の高さにある。地面に浮いて存在するんだ。

 地面と異門。その僅かな隙間。身体の大きなドラゴンでは到底入れない一人入るか怪しい隙間をくぐり抜ける。


 こうすることで僕は現世に留まり、ドラゴンだけが異門の中に入り込んで異世界へと吹っ飛ばされる。万事解決ってわけだ!!


 最後に。隙間を掻い潜るにはうってつけな技を僕はひとつ知ってる。

 あるでしょう?サッカーに!!成功したことないけどええいままよ!!



「スライディングぅぅぅってぅぅぅうおおお!!?」


 はい失敗した!!やっぱ僕スライディング下手くそだ!!馬鹿にされるのもわかるよ!!だって転んだもん!!

 でも転ばぬ先の杖っていうのかな!?偶然にもドラゴンの足跡でできた溝に滑って、僕すら予想外に前へ勢いよく出た!!結果的に成功だ!!


 そしてこのスピードで潜り抜けたなら当然ファフニールは……勢い余って異門の中に放り出される!!



「いけえええっ!!異門よ、閉じろぉぉぉおお!!」



 念じてどう変わるわけでもないけれど、神頼みでもするように懇願する。

 するとどうだろう、偶然にも、それに答えたかのように異門は今まででみた中で一番大きく膨張し、きゅぅぅぅっと吸い込まれるよう収縮して……。





 そのまま消失した。





「はぁ……はぁ……やった?えっ?やった?僕もしかしてできた?」



 急いで僕はサラダ先輩とキャシーの方を見た。お腹がゆっくりと動いてるのがわかる。息をしている証拠だ。

 そう僕は、2人を救ってドラゴンを異世界へ帰すというミッションに、成功したんだ。



「やった……やっ……ははっ……頑張りすぎ……た……」



 なんて、安心したらすぐに目の前が真っ暗になってった。自分の意思に反して。貧血かな。脱水症状かな。弱いなぁ僕は。

 それから先は覚えてない。ゆっくりと意識を失った。

 





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