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 彼女は屋敷に勤めた年数こそさほどでもないけれど、他の使用人たちと比べて決して少なくない俸給を支払っていたひとりだった。

 無駄に使っていなければそれなりの蓄えがあってもなんら不思議ではない。

 そして彼女自身が使用人として働いていたとはいえ、忙しければ家に使用人のひとりも置きたいと思うのは自然なことかもしれない。


 けれどもなぜ。


 考えたくはないが、大金を払ってでも私を仕えさせたいほどの恨みでもあるのだろうか。

 しかし、彼女の主な仕事は私の身の回りの世話だったが、そのあいだの関係は良好でこそあれ決して悪くはなかった。

 と、少なくとも私は思っている。

 逆に私財を投げ打ってまで助けてくれるほどの仲だったかと言われると、そこまでの心当たりもないのだけれど。

 よくても悪くてもかまわない。なにかそれらしい気配はなかったかとどれだけ思い返しても、生真面目に働く姿と時折見せるささやかな親切以上には思い出すことができない。

 しかし今までなにひとつ前触れを見せなかった彼女が、それでも今日から私の主人となるのだけは確かなようだ。


 ここまで連れてきた彼はすっかり混乱している私を尻目に手早く引継ぎを済ませるといつもの、遊びに訪れた屋敷から帰るときのような気安さで会釈をして去っていった。結局なにひとつ語らないままだったけれど、先に教えてくれなかった理由だけは私にもようやく理解できた。

 彼はただ驚かせたかっただけなのだ。

 そういうひとだった。

 もう彼と会うことはないのかもしれないけれど、もし機会があったら愚痴のひとつも聞いてもらおう、そう心に留めつつ私は目の前にある現実と改めて対峙する。


 彼女は使用人として働いていた時とは違い私服だったが印象はいつもと変わらなかった。

 巻き上げられた黒に近い栗色の髪。太い銀縁眼鏡の向こうには無表情な切れ長の目と真一文字に結ばれた口。鉄骨を飲んだように伸びた背筋は私と大差ない身の丈にも関わらず彼女を一回り大きく感じさせる。

 昨日までは頼もしかったその立ち姿に対して不安を感じながら向かい合うというのは本当に想像の埒外で、どうしていいのかわからない。

 けれどもここで気おくれしてはいけないと気持ちを奮い立たせる。

 彼女の意図がどうであれ、私はここで働いて借金を返さなくてはいけないのだ。

 今さらそれ以外の選択肢は存在しない。

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