橘花高校とかいう自称進学校の現実

「まさかここまで酷いとは思わなかったぜ」

 授業開始の日の昼休み、飯を食いながら今泉いまいずみが嘆く。


「昼寝したいんだけど、そんな暇も無いね」

 欠伸あくびを噛み殺した御船みふねが付け加えて言った。


 この2人も俺と同じく寮生なのだが、どういう訳だか波長が合ってよく喋るようになり、学校でもこうして飯を一緒に食っている。


「ああ、『ゼロ限』も酷いが、8限まであるのは流石にあんまりだろ……」

 この県の進学校に蔓延はびこっている朝課外のことを、この学校ではゼロ限と呼ぶ。いや、課外ではなくて正規の授業になってたっけ。

 まあそんな些細なことはどうでもいいか。どうせ7時には寮を追い出されて、出席としてカウントされていなかったとしてもサボれないのだから。


「睡眠は多くて6時間……。日曜に寝だめするしかないか」

 御船の後ろ向きな言葉に今泉は、

「寝だめは体に良くないらしいぜ。それに、折角の休みを寝て過ごすのは勿体ない。……つっても俺は寝るけど」と、こちらも前向きとは思えない言葉で返す。

 2人とも寝ることしか考えていない。


「部活は……と言いたいところだったが、門限があるって考えると厳しいな」

 俺はほかのことに目を向けさせようとしたが、余計に辛い現実を自覚する羽目になった。


 いつかはクイズ部に入りたい。

 だが、残念ながら少なくとも今はその時ではなさそうだ。


 我が橘花きっか高校の恐ろしいところを数えていくとキリがないのだが、その1つが「放課後までに課題を仕上げて出せ」というものだ。日々こなす演習ということで、教師サイドはこの課題のことを『日々演ひびえん』と命名した。

 日々演とは別に宿題だって出るし、どの教科担任も他の教科のことなんか考えちゃいないから、積み重なってバカみたいな量になる。ものぐさで楽観的な県民性なのでこうでもしないと生徒は勉強しないというのが学校側の言い分なのだが、どう考えても理に適っていない。


 俺らが3人集まって喋りながら飯を食っていたのは、知恵を出し合ってこれを早く片付けるためでもあった。


 初めはこのように真面目に意見を交換していたが、次第にアホらしくなってきて、教科を分担して処理することになった。

 俺が古文を、今泉が英語で御船が数学を担当し、三者三様の文句を垂れつつも昼休みの中頃には片付いた。


 ちょうど互いの答案を、ところどころ表現を変えつつ写し終えたとき、

「ごめん、これわかる?」

 前方から声がしてぎょっとした。

 声の主が樫野凛乃かしのりのだったせいだ。


 入学して初めてその顔を見た時は、我が目を疑ったものだ。さらに担任の梨田なしだ女史がその名を初めて読み上げた時は、「カシノリナ」と聴こえて心臓が止まりそうになったし、自己紹介で声を聴いたときには、いよいよ中学時代に戻ったような気さえしたほどだ。


 彼女が心配そうに持っていたのは、白紙の日々演だった。

「うん、さっき終わったよ」

 もっとも、数学の担当は御船だったが。

「ありがとう。解き方も教えてくれる?」

 御船が言ったとおりに解説すると、

「高村君、頭いいね」

 樫野は笑顔だけ残して自分の席に戻っていった。ここで世間話すらできないのが情けない。


 仕方なしに彼女の後ろ姿を拝んでいると、隣の席から

「おーい、それ解いたの僕なんだけど」

 手柄を取られた御船が不平を述べた。

「すまんな。俺が一人で解いたみたいになってしまって」


 御船に詫びを入れると、ちょうど日々演を提出して戻ってきた今泉が、

「しかしお前、いいように利用されたな」

 まるで一部始終を見ていたかのようだ。

「……まあ、どうでもいいさ」

 そう言うものの、他に人はいるのに、なぜ俺だったのかと思い、期待を持たずにはいられなかった。


「どうでもいい? 嘘つけ。俺が教室を出たときよりも顔が赤いじゃないか」

「ユキナリ完全にあがってたでしょ。すごい声が上ずってたよ」

 今泉に加えて御船まで余計なことを言いやがった。もし本人に聞こえたらどう責任を取ってくれるのだろうか。


 話題の中心がそう遠くないところにいるので、

「……あまりそういうことを大声で言うなよ」

 と、なるべく小声で抗議した。


         *


 17時50分、もう日は西に傾いてしまったが、ここでやっと8限(自習時間)が終わって学校から解放される。

 寮に戻ろうと、教科書ではち切れそうな鞄を背負いながら、今泉が呟く。

「さて、飯だ。風呂だ。宿題だ……」


 俺も疲れ果てた口調で、

「これが毎日続くのか……。頭がおかしくなりそうだ」

「僕はちょっと走ってこようかな。体がなまって仕方がないよ」

 御船は俺と違ってアクティブな人種のようだ。周辺は住宅街だから、体を動かすと言っても走るのが関の山だ。さぞかし辛かろう。


「その方がいい。気分転換の手段がないと」

 今泉の答えに、御船は

「一緒に走る?」

「遠慮しとく。俺にはそんな体力がない」

 今泉が言うのに合わせ、俺は首を横に振ってみせた。


「そう、残念……」

 すまんな……。あいにく俺は元・帰宅部なので身体も精神もお前ほどたくましくないのだ。


 夕焼け空に沈みゆく太陽と俺達の気分は、果たしてどちらが重かったのだろうか。せめて身体は重くならないよう、ジョギングについていったほうが良かったのかもしれない。







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