第四章 シュトゥーラー・エミール最後の日

「魔獣って、マルトさん見たんですか」

 階段を駆け下りながらカレルが聞く。

「見た、間違いない。かなりでかい奴だ。キメラかもしれない」

「我々だけで倒せるでしょうか」

 今度はエリシュカが聞いてきた。

「倒せなくても城外に足留めできれば、街の守備隊が集まってくる。私たちのやるべきことは、第一に城門を越えさせない、二番目は時間を稼ぐ。わかったな」

 返事がない。二人とも極度に緊張している。

「なあに、大丈夫だ。実力を見せるいい機会じゃないか」

 マルトは立ち止まり、笑ってみせた。なお不安そうな二人の肩に手を回し、抱き寄せる。

「誰かが危ない時は他の誰かが守る。そうすれば、絶対大丈夫」

「はい」

 小さい声が二つ聞こえる。

「まだ怖がってるのか。それじゃ、あれをやろうか」

「あれ?」

 エリシュカが首をかしげる。

「ああ。昔から、魔導士が戦いの場で使う、まあ合言葉だよ」

「あっ、それなら知ってます。カレルは?」

「もちろん」

「じゃあ行くぞ」

 三人は肩を組んで、声を合わせる。

「星々はあまねく我らの道を照らさん!」

 二人の顔に闘志が宿った。

「あのお、どうかなさいました?」

 受付から宿屋の夜番が出てきた。

 マルトは向き直って告げる。

「街の近くに魔獣がいる。私たちが出たら鍵を閉めて、何があっても開けるな。他の客も外に出してはいけない」

「魔獣だって? 前の戦からこっち、街には寄り付かなかったのに……」

「時間がない、私たちは行くぞ」

 おろおろし始めた夜番を捨て置いて、マルトたちは月明かりの下に飛び出した。

 東に走り出すと、門から延びる大通りを、荷馬車がいくつも列になって歩いてくる。宿の窓から見えた車列だ。

 マルトは先頭の馭者に向かって叫んだ。

「お前たち、どうしてこんな時間に来た」

「あ? 何だお前ら」

 馭者はじろっとマルトを見てから軍服に気づき、

「ちっ、軍隊か」

 とつぶやいた。

「そうだ、質問に答えろ」

「これは材木っすよ。注文があって隣の街から運んできたんだが遅くなってね……っておい、商売道具に触んな」

「魔力はありません」

 荷台に触れたエリシュカが言う。何か潜んでいるというわけではなさそうだ。

「悪いが他の馬車も確かめてくれ。私はカレルと先に行く」

 マルトはエリシュカに指示してから馭者を振り返り、

「あんた、この隊列は全部で何台だ」

「えーと、はっきり覚えてないっすけど、多分二十くらいだろ」

「二十……」

 マルトは顔をしかめる。まだ半分も街に入ってない。

「邪魔したな」

 身を翻し、門に向かって走り出す。

 途中、荷馬車を数えながら行くと、マルトが着いた時点で十一台目が門を通過したところだった。さっきの馭者が正しければ、残りは九台だ。

マルトは門の上の見張り台を見上げた。誰もいない。

「くそっ、何をやってるんだ」

「マルトさん、あそこです」

 カレルが指差した先に門番らしき兵士が三人、門の脇で馭者の一人とのんきに談笑している。

「おいっ! お前ら油売ってる場合じゃないぞ」

 マルトが怒鳴りながら近づくと、三人は最初呆気に取られ、次に直立不動になった。

「な、何で国軍の方がお出でで?」

「そんなのはどうでもいい。早く荷馬車を通して門を閉めろ。魔獣が来るぞ」

「魔獣だと!」

 兵士たちの顔が引き締まった。ああ、とマルトは納得する。彼らは先の戦に従軍しているな。

「そうだ、戦友。街を守れ」

 兵士のうち、二人が駆け出した。残りの一人がマルトに尋ねる。

「あんたはどうする?」

「私たちは馬車が街に入るまでここで見張ってる」

「すまん、頼む」

 兵士は一礼した後、荷馬車の方に向かって叫んだ。

「魔獣が来るぞ、急いで門の中に入れ」

 荷馬車の隊列はにわかにせわしなく、車輪の音を立てて動き始める。

「見えた! 山の中腹に何かいるぞ。でかい!」

 見張り台に上った兵士の声が降ってきた。少しおいて、よく通る高い鐘の音が響き始めた。警鐘だろう。

「敵が来る前に全ての馬車が通れるでしょうか」

 追いついてきたエリシュカがマルトに声をかけた。

「敵が一匹だけなら問題ないだろうが」

 答えながらマルトは隊列の後ろを見る。目の前の暗い森の道から出てきた荷馬車は、これで十八台目だ。あと少し――

 その時、人影が道に現れた。男が二人だ。一人は怪我をしているらしく、仲間の肩にもたれている。

 無事な方の一人が叫んだ。

「大変だ、オオカミだ! グレゴールがやられた」

 同時にいくつもの遠吠えが上がる。

 カレルが声もなく駆け出した。

「カレル、森には入るな。森はあちらさんの領分だ」

 叫びながらマルトも走る。

 森の中に数多くの光る目が見えた。来たな。こいつらは尖兵だ。

 男の後ろから、四つ足の獣が飛び出してきた。月に照らされた青い毛並みが輝く。

 マルトは剣のつかにかけていた手を離し、代わりに魔力を集中する。

「気をつけろ、青狼だ」

 魔導器を持つオオカミは体毛が青くなる。この体毛は魔装と同じ、物理的な打撃を吸収する効果を持っている。

 よたよた走ってきた男とすれ違いざまにカレルは剣を抜き、男のすぐ後ろに迫っていた青狼に一撃を振り下ろした。頭部を捉えた見事なひと振りだったが、相手は低く唸って数歩下がっただけだ。

「カレル、共振波が使えないなら打撃は効かない。魔法だ」

「は、はい」

 カレルの手から炎がほとばしった。しかし青狼は素早く身をひるがえす。

「魔力を流しっぱなしにしちゃ駄目だ! 手に溜めてから撃つんだ」

「そう言われても……」

 カレルはぎくしゃくした動きで中途半端な炎の塊を放つが、やはり当たらない。

「もっと出てきます!」

 エリシュカが森の方を見て叫んだ。

 マルトは魔力を凝縮して空気の密度を変え、撃ち放った。真空の矢が一瞬でカレルの前の青狼を貫く。

「カレル、ここは私とエリシュカでなんとかする。逃げる人たちを守ってくれ」

「……はいっ」

 カレルは悔しそうな顔をしたが、すぐに切り替えて、しゃがみ込んでしまったさっきの男たちに向かって駆けていく。

 マルトは城門を振り返った。

 十八台目の馬車が城門に近づいている。馬車はこれで最後だろう。その後の、おそらく二台は馭者だけが逃がれてきたのだ。

「エリシュカ、攻撃しながら退がるぞ。できるか」

 エリシュカは何かの詠唱を続けながらこくりと頷いた。

 森から五、六匹の青狼が現れ、こちらを目がけて走ってくる。さらに後から三匹。

 マルトは先頭の一匹に狙いを定め、先ほどと同じ真空の矢を放つ。その一匹は悲鳴を上げて倒れたが、後続の勢いは衰えない。

 まずい状況だ。このままだと押し切られる。

 その時、エリシュカが詠唱を止めた。同時に目の前の空中に、呪符のような光る図形が浮かび上がる。

「準備完了です」

 言うなりエリシュカは図形に手のひらを向け、光の束を放った。図形に当たった光は三つに分割され、それぞれがこちらに迫ってくる青狼に命中した。三匹の青狼は声もなく煙を上げて倒れる。これは――

「魔法と呪術の組み合わせか。すごいぞ、エリシュカ」

「もっと褒めてください」

 エリシュカは不敵に笑って、さらに次の一撃を放つ。敵側も用心したか二つはかわされたものの残りが当たり、さらに一匹が倒れた。

 青狼たちは立ち止まり、警戒するように身を低くした。

「よし、退がるぞ」

 マルトたちは青狼と対峙したままで後ずさる。エリシュカの攻撃に怯えたのか、敵は追ってこない。

 これなら城門を閉めるまで時間が稼げる。マルトがそう思った瞬間――

 地の底から響くような凄まじい雄叫びが周囲に轟いた。

 森の木々が薙ぎ倒され、巨体が姿を現す。

 手足はなく、蛇のように胴が地面に付いている。それでももたげた頭は城門を超えるほどの高さだ。その頭は体と比較して小さいが、赤く発光する角のような突起を六本持ち、常に動いているため非常に目立つ。白っぽい鱗に覆われた胴体は背中の中心で盛り上がり、まるで小山のようだ。

「やはりキメラか」

 マルトは舌打ちした。

「何をしてくるかわからん。エリシュカ、退がれ」

 キメラとは、既知の生物から外れたこの世のものならぬ怪物、の総称である。

 例えば青狼は、オオカミという獣の中で魔導器を持って生まれてきた個体であり、その意味で獣の範疇に収まる。

 しかしキメラは違う。既存の生物とはまったく異なる、怪物としかいいようのない姿と能力を持つキメラという生物が、どこからどうやって現れるのか、ヴィシェフラトに知る者はいない。

 キメラが再び吼えた。マルトは思わず耳を塞ぐ。

「マルトさん、あれ!」

 エリシュカに肩を叩かれてその指差す方を見ると、荷馬車が城門にぶつかってひっくり返っていた。積荷の材木も近くに散乱している。キメラに驚いた馬たちが暴走したのだ。地面に投げ出された馭者を、カレルが助け起こし、肩を担いで走っていく。

「これじゃ門を閉められない」

 マルトは周囲を見回した。キメラとはまだ距離がある。

「エリシュカ、城門まで後退だ」

 ここで戦っていては、回り込んだ青狼が城門から侵入しかねない。苦しいかもしれないが、城門を背にして防衛戦を行うしかない。

 エリシュカもマルトの意を察して頷き、二人は同時に走り出す。

 後ろからは地面を擦って進むキメラの立てる音、それに混じって青狼の唸りも聞こえる。

 すぐに追いつかれるな。マルトは思った。特に青狼は足が速い。

 マルトはエリシュカの背後に回り、どんと背中を押した。

「先に行け。一旦食い止める」

 振り向くと、先頭の一匹目がけて魔力を放ち仕留めた。その後ろは、多い、二、三十はいる。

 マルトが唇を噛んだ時、頭上を何かが越えた。

 矢、そして火球だ。それらは青狼の群れに次々と飛び込んでいく。

 火球が一匹に当たり、派手な炎を上げた。矢の方は魔装のせいで効果が少ないが、それでも敵は本能的にひるんで足を止めた。

 マルトは後方を見上げた。城門の上の見張り台に何人もの人影が見える。守備兵が集まり始めたか。

「助かった。恩に着る」

 マルトが手を上げると、人影の一つが腕を振り回してみせた。早く来いという意味だろう。マルトは頷いて城門へ向かう。

 城門の上の人影の、一人ひとりの顔まで判別できる程度まで近づいて、マルトは足を止めた。

「あんたたち、青狼の相手を頼む。こっちはあのでかいやつを食い止める」

 承知、と返事を受け、その次に、駆け寄ってきたカレルとエリシュカを振り向く。

「エリシュカ、ここで私と一緒にいてくれ。さっきの魔法、また頼む」

「はい!」

「マルトさん、僕は――」

 カレルは懇願するような目でマルトを見た。

「君は、守備隊が門を閉めるのを手伝ってくれ」

「そんな、僕も戦えます」

「後方支援も戦いのうちだ」

「でも」

 食い下がるカレルの前にエリシュカが立った。

「あなたじゃ役に立たないのよ」

 言い終えると、手のひらでカレルの胸を突く。

 カレルは何か言い返そうとして、しかし一言もなくうなだれた。

 マルトは息が苦しくなった。自分が以前ノエミに行ったことを、今エリシュカが目の前で演じている。

「……わかりました。マルトさん、わがまま言ってすみません」

「待て」

 マルトは背を向けたカレルの腕をつかんでいた。

「君は射撃の経験があるか」

「はい、長銃ならレオシュさんから教わりました」

「ならいい。短銃でも要領は同じだ」

 腰のベルトにかけたケースから、連装の短銃を引き抜く。

「これを持っていけ。弾は二発だけだ。いざとなったら頼む」

「マルトさん、待ってください。それは魔装徹甲弾ですよね。渡してしまっていいんですか」

 エリシュカが慌てて言う。

「私には魔法がある。攻撃手段は分散させた方がいい。それに」

 マルトはカレルとエリシュカを順に見つめた。

「誰かが危ない時は他の誰かが守ると、最初に言ったな。エリシュカと私が危なくなったらカレル、頼んだぞ」

 カレルは黙って短銃を受け取り、しっかりと握りしめた。それを見届け、マルトは敵に向き直る。

 青狼が守備隊に足止めされる中で、キメラの方は近づいてきている。

「エリシュカ、さっき使っていたのは熱線だな」

 マルトは尋ねた。

「ええ、高密度に絞った熱源を呪符で分割しました」

「得意技か」

「そうです」

 エリシュカは嬉しそうに頷く。

「よし、もう一度それを頼む。私の方は、そうだな、氷でいこう」

 相手の弱点がわからないなら、複数の攻撃方法を試すべきだろう。

「私はいつでも大丈夫です」

「わかった。エリシュカは胴体を狙え。私は顔だ。行くぞ!」

 マルトは魔力を圧縮した冷気に変え、刃の形を作って撃った。同時にエリシュカも熱線を放つ。

 しかし、キメラの鱗に届いたと思った瞬間、二つの魔法は共に光のかけらになって散逸した。

「え……、無効化された?」

 エリシュカは呆然としてキメラを見上げている。

 キメラの方も、ぐるりと首を動かしてこっちを見た。首から頭に向かって、皮膚が順に発光し、角の光が急激に強まる。

 マルトは悪い空気を感じた。

「逃げろっ!」

 叫んだのと同時にエリシュカの腕をつかみ、引き寄せる。

 振り返れば、真っ赤な光は直視できないほどに強く、禍々しい。光はマルトを飲み込むように急速に膨張し、まさに放たれる、しかしその瞬間にいびつに変形した。

 マルトはエリシュカを抱えたまま思いきり地面を蹴った。

 直後、背中に衝撃を感じた。身体が跳ね上げられる。と思った次の瞬間には大地に叩きつけられ、マルトは乾いた草の上を転がった。

「エリシュカ……、エリシュカ、無事か」

 よろめきながら立ち上がると、すぐに異様な臭気に気づいた。さっきまで自分たちが立っていた草地がざっくりえぐれ、その周囲も茶色く変色し、煙を上げている。酸でも浴びせられたようなただれ方だ。

「マルトさん、ここです……」

 すぐそばでエリシュカの声がした。

「今のは何……?」

「わからないが、光線のように見えた」

 エリシュカの手を取って立たせながら、マルトは敵の様子をうかがう。

 キメラは低く唸りながら体を震わせている。首の付け根が鈍く輝き、そこから頭の六本の角に向けて光が流れていく。いや、六本ではない、五本だ。角のうち一本が折れている。

 マルトは城門に目を移した。白煙の上る短銃を構えたままで、カレルが荒い息を吐いていた。

 放たれた光線が歪んで見えたのは、発射の瞬間にカレルの攻撃で角が折れたせいか。それがなければ今頃は――

「よくやった」

 マルトは腕を振ってみせ、カレルも頬を緩ませた。しかしその表情はすぐ厳しいものに変わる。

 キメラが再び動き始めた。その目はカレルに向かっている。

「あっ、青狼が」

 エリシュカの指差す方からは、守備隊の攻撃を突破した青狼が向かってくる。これでは挟み撃ちだ。

「エリシュカ、オオカミを頼む」

 マルトは剣を抜き、体を低くしてキメラの方へ走り出す。魔法が効かないなら物理攻撃だ。

 キメラの白くうねる胴が、壁のように迫る。マルトは駆けてきた勢いを剣に乗せて突きを繰り出した。しかし、剣は通らない。

「ちっ、魔装も持ってるのか」

 ならば共振波だ。マルトは剣を左手に持ち替え、右手に魔力をためて放った。が、他の魔法を使った時と同じく、共振波も光に変わって朽ちるように消えた。

 共振波まで効かない? 初めて戦場に出てからこれまで、共振波が通じないキメラはいなかったのに。

 突然キメラが身をよじった。白い壁が押し寄せてくる。潰されそうになるところを危うくかわしたが、体勢を保ち切れず、マルトは地面に両手をついた。

 突然、城壁から鬨の声が上がった。続けて、キメラに向けて矢と魔法の攻撃が始まる。守備隊が注意を引きつけてくれているのだ。

 攻撃はほとんど通っていないが、キメラは煩わしそうに首を振って、城壁に向き直る。

 今のうち、と思った時、すぐ耳元で唸り声が聞こえた。はっと気づいて立とうとしたが間に合わず、背中に強い衝撃を感じた。青狼だ。

「くそ、どけっ」

 のしかかった青狼の力は思いのほか強い。噛みついてくるのを避けるので精いっぱいだ。

「マルトさん!」

 カレルが銃を構えている。

「撃つな!」

 キメラに攻撃が通るのは魔装徹甲弾しかない。青狼には使えない。

 青狼の鉤爪が肩に食い込み、痛みで腕の力が抜けてマルトは突っ伏した。オオカミは血の色の口を開く。長く鋭い牙が、夜だというのにぬらりと輝いて見える。

 だが次の瞬間、その頭が吹き飛んだ。

 しまった。安堵より先に悔恨が込み上げる。徹甲弾を使わせてしまったか。

「すみません! 一匹取り逃がしました」

 しかし駆け寄ってきたのはエリシュカだった。ということは、青狼をやったのは魔法か。

 マルトはため息を吐いた。

「助けるのはいいが、やり方を考えろよ。ちょっとずれてたらこっちの頭がないぞ」

「私の腕はそれほどなまくらではありません」

 エリシュカはまたも不敵に笑った。

「他の青狼はやっつけました……と言いたいところですが、半分は守備隊の皆さんのおかげです」

 エリシュカの視線の先には、青狼が点々と転がっていた。立っているものはない。生き残りは森に逃げ込んだのだろう。

「よし、残るはキメラだ」

 キメラはまだ守備隊とやり合っていた。

 城門の真上の見張り台にいた守備隊は、城壁上へと移動しながら攻撃している。城門から注意をそらすためだ。攻撃力こそ高くないものの、的確な判断と言える。

 キメラは怒ったように頭を振り上げ、角を城壁にぶつけている。

 光線を撃たないのは、一発ごとに魔力をかなり消費するからだろう。今もまだ、首から角へと光が送られている。おそらく魔力を補充しているのだ。補充が終わる前に止めないと、守備隊が危ない。

 カレルの方に視線を移すと、ちょうど重たい音を立てて城門が閉まったところだった。カレル一人が短銃を握って門の外に立っている。

「カレル、魔導器を狙えるか。首の付け根だ」

 マルトが叫ぶと、カレルは首を縦に振ってみせた。

「はい、なんとか」

「大丈夫でしょうか。マルトさん自身でやった方が」

 エリシュカがささやいた。

「カレルの腕なら問題ない。さっきも奴の角を撃ち抜いたしな。多分私より才能がある」

「マルトさんよりも?」

「ああ」

 二人は揃ってカレルの姿を見守る。

 カレルは両手で銃を握り、腰を落として構えている。

 目標のキメラは絶えず動いているが、銃口は微動だにしない。

 キメラはカレルにはまったく気づかず、城壁に角を擦りつけている。先ほどよりも角の発光が強い。そろそろ時間がない。

 それでもカレルは動かない。見ているマルトの方がじりじりして、背中を嫌な汗が伝った。

 キメラの動きが次第に緩慢になってきた。城壁への攻撃をやめて、後退を始める。赤黒い光が明滅する。

 カレル、と叫ぼうとしたのと同時に徹甲弾が放たれた。弾はわずかな光の軌跡を描いてキメラの首へと命中した。

 弾痕から真っ白い光がばらまかれ、キメラが咆哮した。

「やった……」

 エリシュカがつぶやいて、マルトの腕をぎゅっと握った。

 しかし、

「待つんだ。まだ終わってない」

 マルトは剣を抜いた。

 キメラは光を漏らしながら吠え続けていたが、突然身もだえしながら城壁に突進し、激しく体を打ちつけた。城壁の一部がぼろりと崩れ、守備隊が慌てて逃げるのが見える。

 魔導器は、キメラに取っては心臓に等しい。破壊されれば即死するはずなのに、目前の敵はまだ暴れている。

 カレルの弾が外れたわけではない。魔装徹甲弾で破壊しきれないほど、魔導器が巨大だったのだ。

 魔導器を破壊するか、キメラから切り離すかしなければ。しかし、徹甲弾のない今、どうやって。

 少し考え、マルトはエリシュカを見た。

「エリシュカ、君の力なら重力は操れるな」

 重力場の生成は魔法の基礎である。

「は、はい。できますが、何に使うんですか」

 エリシュカはいぶかしげに答えた。

「重力を反転させて私を空に落としてくれ。あのキメラの真上だ」

「そんな無茶な!」

 エリシュカは悲鳴を上げた。

「私はマルトさんほど重力操作がうまくないんです。私の力では、魔法で重力場を作れても、それ以上の制御は無理。命の補償はできません」

「それで構わないよ。後の軌道修正は私がやる。そのための魔力を残さなくちゃならないから、最初は君に助けてもらわないとならない」

「そんな……無理です」

「無理を通さなきゃカレルと守備隊が――いや、この街が危ない」

 マルトはエリシュカの肩に手を置いた。

「やってくれるな」

 小さくてきらきらした目がマルトを見つめ、その後で伏せられた。

「断れるわけないじゃないですか」

 エリシュカは右手を開く。強い魔力を感じた。

「これだけの力を一瞬で。さすが首席入学だ」

 エリシュカは事務的にこくりと頷き、

「詠唱の時間がないですから、呪術の調整抜きで行きます。つまり、私はあなたをぶっ飛ばすだけです。いいですか」

 ぶっ飛ばす、という言葉がエリシュカに似合わなすぎて、マルトはつい吹き出してしまった。

「何か?」

「なんでもない。やってくれ」

 言い終えた時には、身体は既に空中にある。マルトは空に向かって落ちていく――というよりはエリシュカの言葉どおり吹き飛んでいく。

 自由落下というものは予測をはるかに超えて速い。息もできないほどだ。

 マルトはもがいてどうにか向きを変え、エリシュカの作った重力場から抜けた。と、今度は身体が地面に向けて落ち始める。

 衝撃が強くなりすぎないよう逆向きの重力場を作りつつ、キメラの首元に狙いを定めた。

 その後で、残った魔力を全て右手に送り、共振波として撃ち出す。徹甲弾で傷ついた部分になら、敵の防御の裂け目があるはずだ。

 共振波がきらびやかな筋を残して進む、その後を追いかけながら、マルトは両手で剣を握った。そのままの姿勢で、キメラの発する光の束の中へと突っ込む。

 瞬間、視界が真っ白になり、ほぼ同時に重たい手応えがあった。眩んだ目をこらすと、キメラの皮膚が破れ、剣はそこに深々と突き立っていた。

 突然、剣が刺さった場所を中心として、キメラの皮膚にさざ波が立った。さらに波を追って肌が、まるで陶器のように固まっていく。

 キメラから魔導器を切り離すのに成功したのだ。

「これで、やっと終わった」

 マルトは足元から目を上げ、そのまま凍りついた。

 キメラが首を巡らして、マルトを見ていた。

「なんて生命力だ」

 顔は右半分が既に硬化し始めているが、残り、左半面の最も大きい角が発光している。

 マルトは地面に飛び降りた。

「気をつけて!」

 体勢を崩しそうになったのをカレルが支えた。

「すまない」

 カレルの手を離し、進もうとしてまた地面に崩れる。短時間に魔力を使いすぎたせいで、体に影響が出ているのだ。

 キメラが首だけを動かしてマルトを追ってくる。

 カレルがマルトの前に出た。

「カレル、来るな。巻き添えになるぞ」

 カレルは無言で首を振ると、剣を構えた。

 キメラと真正面から対峙する形だ。

 キメラは低く唸って、血走った目でカレルを睨んだ。左の大角の中に赤黒い、禍々しいものが見えた。そこに向けて、光が収束していく。

 カレルが地面を蹴った。

 駄目だ、と言いかけてマルトは言葉を飲む。カレルの剣が輝いたように見えたからだ。

 カレルはそのままキメラの角に斬りかかる。鈍い音が聞こえ、どうしてか剣は弾かれることなく、角に食い込んだ。

 瞬く間に角は白化した。剣の刺さった場所から亀裂が入り、ぼろぼろと砕けていく。

 キメラの首は左右へわずかに揺れてから、力なく地面へ落下した。

 マルトは自分の剣で体重を支えて立ち上がり、歩き出した。まだ構えを解いていないカレルの背中を軽く叩く。カレルが剣を下ろすのを確かめると、今度はキメラの方に向かった。

 頭以外の全身が硬化したキメラは、マルトが近づいても威嚇もせず、ただ弱い息を吐いていた。さっきまで血走っていた目も、虚空を捉えてどろんとたゆたっている。

 おのずと左腕が伸びて、キメラの目の上あたりをさすった。体内に残った魔力のせいで、キメラの皮膚は少しだけ温かい。

「そこで休め。お前はもう役目を果たした」

 キメラは子供の声であぁと鳴いて、そのまま目を閉じた。

 マルトはカレルを振り返って告げた。

「死んだ」

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