第2話「エドワードと申します。よろしくお願いします」

 ロドギアス帝国の第二皇子、ウィン皇子の噂を知らない者は近衛兵の中でいない。

 僕も話には聞いたことがある。先輩や同僚が警告で教えてくれたんだ。


 ウィン皇子は弱冠十四才にして政務に関わっていて、兄のアルバート皇太子の補佐をしている。しかしその裏ではとんでもない悪戯好きの子供として知られていた。料理長の背中に嫌いなカエルを引っ付けたり、執事長に無茶な要求を出したり……


 僕はなるべく、関わらないようにしようと思っていた。近衛兵にも被害が出ていたけど、僕は門番だしなと高をくくっていた。

 でも、進退が極まったときに、どうして助けてくれたんだろうか。不思議でならなかった。


「まずは服を着替えろ。その真っ赤でダサい近衛兵の制服など捨ててしまえ」

「皇子、それでは僕は裸になってしまいますが……」

「安心しろ。既に用意はできている」


 ウィン皇子が指を鳴らすと、執事らしき老人が音も無く現れた。

 一応、僕も軍人なのでその老執事がただ者ではないことに気づく。流石、皇族の執事だ。


 僕は今、ウィン皇子に連れられて城の一室にいる。近衛兵とはいえ、ここまで内部に来たのは初めてだった。ふかふかの赤い絨毯、外を完全に遮断するカーテン、そして煌びやかな照明。おそらくガスを使っているのだろう。


 近衛兵の見栄えのいいけど実用的ではない制服を脱いで、老執事からもらった真っ黒な軍服を着る。帝国陸軍のものに似ているけど、少しデザインが違う。親衛隊は白だからそうではないと分かるけど。


「皇子、質問よろしいでしょうか?」

「許す。何でも言え」

「僕の所属は、皇子の直属ということでよろしいのでしょうか?」


 ウィン皇子は「そうだ。俺の直属だ」と短く答えた。

 僕は続けて「部隊名はなんでしょうか?」と問う。


「部隊名? ……考えたことなかったな。ま、おいおい決めていこう」

「はあ……新設の部隊ということでありますか」

「その認識で構わない。ああ、それと貴様、名前と階級はなんだ?」


 僕は両足を揃えて帝国陸軍式の敬礼を取った。


「はっ。エドワード少尉であります!」

「ふうん。臣民の出か」

「はい、そうであります!」

「そう堅苦しくするな。お前以外の隊員も臣民の出だ」


 よく分からないけど、そういうのを集めているのかな?

 ウィン皇子は「俺は一応、准将だが」と笑って言う。


「階級を無視して接してくれればいい」

「はい。お言葉ながら第二皇子として接するほうが、丁寧にならざるを得ません」


 別に上手い返しと思っていたわけではなかった。ストレートに思ったことを思ったまま言っただけ。

 するとウィン皇子はきょとんとして、それから大笑いした。


「ひひひひ、なんだ貴様、言うじゃねえか。だったら素の喋り方でやらせてもらうぜ」


 比べるとガラが悪くなった気もするが、大差ないな……

 しかし言葉にするという愚行はせずに「かしこまりました」と僕は敬礼した。


「着替えも済んだことだし、俺の部下共を紹介するか。おい、ついて来い」


 僕の返事を待たずにウィン皇子は早足で部屋を出た。僕も後に続く。

 いつの間にか、老執事はいなくなっていた。



◆◇◆◇



 城内の豪華な鎧や巨大な絵画、高価な壺や奢侈な調度品に目を奪われながら僕はウィン皇子の後ろで歩いている。もしルシルがこの場にいたらはしゃぐだろうなあと考えた。

 黒くてこれまた重厚な扉の前に立つウィン皇子。


「ここが貴様の所属する部隊の待機場だ」

「城の中にあるのですか?」

「ま、休憩室と思ってくつろいでも構わねえよ」


 正直、城の中だからくつろげないなと内心思った。

 ウィン皇子が自ら扉を開けた。


「ウィン皇子、遅いっすよ。遅刻厳禁って言ったじゃあないですか」


 そこにいたのは大きなテーブルに足を投げ出した、椅子を下品に腰かけている、優男がいた。年齢は僕より二才か三才年上。くねくねとした茶髪で僕と同じ軍服を着崩している。上着のボタンなんて全部外していた。背は僕と同じくらいか少し低い。線の細い、いかにも遊び人のような青年。


「こら。そんなこと言わないの。ウィン皇子だって急用ぐらいあるのよ」


 それを注意したのは肉感的な美女だった。青いドレスに身を包んでいて、大きな胸をはだけている。ストレートで珍しい黒髪。たれ目だけどどことなく意地悪そうな感じ。口元にはほくろがあった。彼女はテーブルからやや離れて椅子にきちんと座っていた。


「…………」


 明らかにおかしい前述の二人よりも、さらにおかしいのは窓際に立っている男……多分男だ。黒いスーツの下にクリーム色のコートを羽織っている。手には白い手袋。背はさほど高くない。そんな恰好で一番やばいのは顔中に包帯をぐるぐる巻いていることだった。見えているのか分からないけど、こちらを睨んでいるのは分かる。


「遅れてすまない。実は新しい隊員が入った。エドワードだ」


 ウィン皇子は僕を端的に紹介した。

 ……えっ? それだけ?


「へえ。珍しいっすね。皇子が新しいの入れるって。よろしくー」


 遊び人が僕に一応、挨拶したけど名乗らなかった。

 警戒されているのか、それとも興味がないのか……


「エドワードと申します。よろしくお願いします」


 敬礼をして名乗ると、美女が「可愛いじゃない」と舌なめずりをして僕を見た。

 綺麗だけど、なんか怖い……


「…………」


 包帯男は僕を睨むだけでコミュニケーション取ってくれないし……


「そんで、皇子。そいつ何ができるんですか?」


 遊び人がそれだけしか興味ないと言わんばかりに訊ねてきた。

 というより、皇族に対して凄い態度だった。愛国者や皇室信望者が見ていたらと思うと怖い。


「知らん。ただ近衛兵のくせに水路で溺れた子供を助けたぐらいだ」


 ウィン皇子は自信満々に言うけど、そんな大層なことしたわけじゃない。

 むしろ軍紀違反で処罰を下されても仕方なかった。


「へえ。やるじゃん。かっこいいー」


 遊び人は興味なさそうに言って僕から視線を逸らした。

 美女も同様で、包帯男は変わらずに睨んでいる。


「貴様らの仲間になる男だ。一応、自己紹介でもしておけ。それじゃ、俺出かけるわ。今日は戻らないから、定時になったら帰っていい」


 ウィン皇子はやけに早口で言って、足早に部屋から立ち去った。

 ……こんな気まずい空間、帝軍幼年学校以来だ。


「あ、あの。定時って……」

「十七時よ。時計、そこにあるから」


 美女が指さすほうを見ると、銀色の丸い掛け時計が十五時十分を指していた。

 この部屋で二時間ちょっとを過ごすのか……


 空いている椅子、遊び人の隣、美女の真正面に座った僕。

 どうすればいいのか分からない……


「なあ、君。カードできるか?」


 遊び人が軍服の内側からトランプを取り出した。

 僕は「簡単なゲームなら……」と答えた。


「フロップ・ポーカー、できる?」

「ええまあ。よく仲間内でやりましたから」

「いいねえ。そんじゃやるか。ディーラーやってくれます?」


 遊び人が美女に頼むと「まあプレイヤーよりマシね」と頷いた。


「ああそうだ。チップなんだけど、互いに五十枚ずつでいいかい?」


 これまた軍服から袋を取り出して、ゲーム用のコインを出す遊び人。

 きちんと五十枚ずつあるのを分かるように僕に見せた。


「は、はい。いいですよ」

「それと、賭けるものだけど」


 遊び人はちょっと考えてから「大事なものを賭けよう」と言う。


「今月の給料全部を賭けるってのは?」

「ええ!? そんなの無理ですよ!」

「あははは。ならこれならどうだい?」


 遊び人は自分のコインを三十枚、僕に渡した。


「この状態から始めよう。それと給料は半額でいい。俺は全額でもいい。チップが全部無くなったら、互いに負けとしよう」


 分の悪い賭けではないと思う……それに今度ルシルのために多く仕送りしないといけないなと思っていた。村の学校で一番の成績になったからだ。


「分かりました。勝負します」


 するとディーラー役の美女が「あーあ、言っちゃったわね」と笑った。

 遊び人の空気も変わる。


「さてと。楽しませてくれよ……新人君」

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