優しいだけの軍人さん
橋本洋一
第1話プロローグ
「エディお兄ちゃんは、将来何になりたいの?」
妹のルシルから問われたけど、あのとき僕は何を言ったっけ?
覚えてないけど、多分つまらないことを言ったんだと思う。
父さんの畑を継ぐとか、村に一生いたいとか。
だって、記憶の中のルシルは明らかにつまんないって顔をしていたから。
年がら年中、戦争ばかりの国に生まれて、年々増税していくような暮らしをして、それでも平和な生活をしたいというのは、変な望みだったのかなって思うけど、ルシルはきっと、僕に対してこう望んでいたんだろう――立派な軍人さんになってほしいと。
だからほとんど身売りのように帝軍幼年学校に入学させられたとき、ルシルは笑顔で僕を見送ったんだ。父さんは悔しそうにしていて、母さんは悲しそうに泣いていたのに。
「ルシル。僕が戦場で死んでもいいのかい?」
「それは立派なことだわ、お兄ちゃん」
十一才だというのに背伸びした言い方をしたものだから、僕は今から酷いところに行くというのに吹き出してしまった。
「あははは。雄々しいなあ」
「女々しいのが淑女なら、私はなりたくないの」
「ルシル。もし僕が死んだらいい人に嫁いで、平和に暮らしておくれ」
遺言ってほどじゃないけど、一応言っておかなくちゃって十三の僕は思っていた。
だけど、ルシルは女の子らしく笑って返した。
「うふふふ。安心して。私、お兄ちゃんが帰ってくるまで結婚しないから!」
その誓いは守っているらしく、婚約すらしていないと最近の母さんの手紙で知った。
なんとも頑固な妹だと呆れ半分、嬉しさ半分の気持ちになった。
帝軍幼年学校は軍人になるための学校で、僕みたいな臣民でも入学できた。それどころか学費や食費もかからない。貧乏な臣民の食い扶持を減らすという意味では有用だったのだろう。
しかしその分だけ、訓練中に死ぬ生徒が多かった。
毎日、お腹いっぱいのご飯を無理やり詰め込まないと、次の日の訓練で生き残れない。
くたくたになっても、詰め込むのだ。それがどれだけ苦しいのか、言葉にはできない。
訓練は走ったり、武器の扱いを習ったりした。もちろん座学もあった。成績が下位の者には教官の指導が激しかった。身体に重荷を付けて走ることもあった。僕も何度か下位になってしまって、つらい思いをした。
夜、宿舎でみんなと寝るとき、思い出すのは故郷の風景だった。
海辺に近くて、畑仕事の合間に海で泳いだりした。ルシルは器用で僕が教えるより先に泳げていた。僕のほうが速く泳げるけど、それは男ってだけだ。潮風の匂いとどこまでも広がる水平線。沈んでいく夕日が目に浮かぶ。それを繰り返していくうちに、夜が明けて訓練が再開する。
級友が数人死んで、身体が慣れたと思ったらさらにきつくなって、武器の扱いも上手になって、模擬訓練で勝ったり負けたりを繰り返して。
ようやく僕は、帝軍幼年学校を卒業できた。
卒業した者の進路は様々で、前線に行く者や帝国軍人大学校へ進学する者、後方の参謀本部で作戦の立案をする者、戦場で有効的な魔法を模索する者などがあった。僕は故郷へ帰りたかったけど、周りが許してくれなかった。
僕は近衛兵に回された。つまり皇帝陛下を護衛する軍人になったんだ。
◆◇◆◇
近衛兵は皇帝陛下直属の軍隊だけど、決して強くない。
何故なら陛下には近衛兵とは別に、親衛隊という精鋭がいる。主に彼らが陛下を守っているんだ。では近衛兵は何をするのか。一言で言えば雑用だ。見張りをしたり、門番をしたり。時には軍の行事に数合わせとして参加する。
そもそも近衛兵は三百人の定員から漏れた親衛隊に入れなかった落ちこぼれだ。
僕は幼年学校では中の下の成績だった。落第でもなく、かといって秀でてもいない。
そのくせ、人より背丈があるものだから――これは級友の中でも一番だった――近衛兵に選ばれたのだ。実績より何より見栄えがいいものを選ぶ傾向があるらしい。
僕は軍人として失格なのだろう。ただ必死でご飯を詰め込んで、背が伸びてしまっただけの落伍兵なんだ。現に配属されたのは帝都の門番という面白味のないところだった。
しかもその役目は単純で『城に入ろうとする者を止める。それ以外は無反応』というものだった。ただ黙って立っていればいいんだ。
だけど、前線に行かなくていいと思えばこれほど楽で幸せなことはないだろう。
近衛兵には陸軍よりも高い給金が支払われる。見栄のためだ。
僕は故郷の家族に仕送りすることができた。唯一字が書ける母から毎月感謝と近況の手紙が来るのはそのためだ。
このままの暮らしが続けばいいなと思いながら、門番をやるためにあんなきつい訓練を受けてきたのかと拍子抜けする日々を、三か月過ごしていた。
そして、今日のことだ。
「誰か! 息子を助けて!」
城の周りには堀があり、水路が巡っている。敵に攻め込まれることも考慮して、かなり深い。
その堀に一人の男の子が落ちてしまった。
母親が必死に助けを呼ぶけれども、誰も助けようとしない――いや助けられないのだ。
堀は一応、城の敷地である。臣民が立ち入ってはならないのは暗黙の了解だった。
だから臣民である周りの者は助けてしまったら処分を受けてしまう。
僕は横目で子供が沈んでいくのを見ていた。
隣の近衛兵は「馬鹿なことを考えるなよ、エドワード」と僕に忠告した。
「俺たちは持ち場を離れてはいけないんだ」
近衛兵の先輩の言うとおりだった。
僕の仕事は侵入者を阻止すること。それ以外は無反応。
だけど――
「すみません。僕、それはできないです!」
鎧を脱ぎ捨てながら、先輩の制止する声を無視して――水路に飛び込んだ僕。
溺れる男の子の両脇を掴んで、背泳ぎの要領で水路の壁までたどり着く。
「もう安心だ。君、僕の背に掴まれる?」
「え、あ、うん……」
「絶対に放すなよ? 堀をよじ登るから」
このくらいの堀なら岩を掴んで登れる。
幼年学校だと崖を登ったっけ。
男の子を母親に引き渡すと、二人とも抱き合って喜んでいた。
ああ、良かったと思ったとき「貴様、何をしている」と威厳のある声をかけられた。
近衛兵の兵長である。しかも僕の直属の上司だ。蒼白な顔で「立派な行ないだと思うか?」と問う。
「はい。良くはありませんでした。任務を放棄したと認めます」
「よろしい。覚悟はできているようだ」
近衛兵に両脇を固められた僕は大人しく処分を受けようと歩き出す。
「ぐ、軍人さん!」
助けた男の子が僕の右膝に抱きつく。
近衛兵の一人が引きはがそうとするのを、兵長が「やめろ」と止める。
「ごめんなさい、俺のせいで……」
泣きじゃくって、鼻水も垂れている。
僕はため息をついて「君が無事でよかった」と頭を撫でた。
「放してくれ。僕は処分を受けるのだから」
「でも、でも……」
「君を助けられたこと、誇りに思うよ」
男の子は渋ったけど、離れてくれた。
僕は近衛兵たちに「ご迷惑をおかけしました」と謝った。
ゆっくりと門の中へ入っていく。後ろを振り返らない。きっと未練を残すから。
ルシル、僕は立派な軍人さんになれなかった――
「ひひひひ、面白れえ。久々に愉快な野郎を見つけたぜ」
門の中で巷の悪ガキみたいな口調の、十代前半の男の子が値踏みするように僕を見ていた。
高級な布でできた服。頭には小さな王冠をあみだに被っている。美少年だけど目つきが相当悪く、生まれながらの問題児という容貌。
「お、皇子! 何故ここに――」
「何故って、決まってんだろ?」
皇子? この子が?
「こいつの処分に待ったをかけるためさ。この軍人は俺がもらっておく」
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