火種

 涼やかな風に手首を晒しながら、私は目の前の選択に思考を回し続ける。

 

 別に考えることではない。

 私には関係なくとも、他者の財布でどれを選べばいいかなを他者に問えば、間違いなく答えは二つに絞られるはずだから。


 ──だがそれでも。人には譲れない一線が存在している。

 

 私にとっての譲れない線、それは抗えぬ欲という本能の塊。

 それは例え理性を放棄してでも、より自らに幸福に、より価値のある選択を取りたくなる獣の疼きに他ならない。


 ──そうすなわち。これは今日を締めくくる上で一番大事な決断。

 一度妥協してしまえば、当分残り続けるしこりとなるであろう、間違えられぬ運命の分岐点。


「牛、豚、鳥……! どの肉に、どれにしたらいい……!?」


 お姉さんの作る至高の夕食グルメ。カレーに入る肉を、この私が選ぶのだから──!!






「……ふう。結局買っちゃったなぁ、牛」


 片手に重みのあるビニール袋をぶら下げ、自らの選択に酔いしれながら街中を歩いていく。

 お姉さんから頼まれたおつかい。その答えとして、結局私が選んだのは牛肉だ。

 十分ほど悩んだ末、一番値段の張ったちょっとリッチな美味しいお肉をカゴの中へと放り入れてしまった。


 流石に罪悪感があるし、値段シールを剝がして自腹で購入したけど後悔はない。

 胸を占めるのはこの上なくすっきりとした達成感。そして、これからこの高価な素材でお姉さんが作ってくれるうまうまなご飯への待ち遠しさがほとんどだ。


 今日はお姉さんも襲われなかったし、最近で一番幸せかもしれない。

 つい鼻歌なんて奏でちゃったりスキップしちゃったりしてしまう。一般的な高校一年生でも、ここまではしゃぐことはほとんどないと思うが、まあ抑えきれないものは仕方ない。


 カレーなんて自分で作らないし、店で頼むことも滅多にないから、食べるのは本当に久しぶり。

 だからすごい楽しみ。

 まるで心に羽が生えたかのよう、今ならあのいけすかない狐女フォックズにだって、にっこにこの笑顔で接することが出来そうだ。

 

「んふふー。ふー……ん?」


 だが、そんなご機嫌なメンタルに水を差してくる波長の乱れ。

 既に日常と化してしまった信号の受信。──お姉さんの救援要請、また襲われたんだね。


「まったく、しょうがないなぁ……。変身トランス


 結局今日も駄目だったと、また泣いているであろうお姉さんに苦笑いしてしまう。

 いけないいけない、とっとと向かって助けなきゃね。

 余計な思考を捨てながら荷物を自らの内に消し、一瞬で変身してふわりと空高く飛翔する。


 ……ん? なんか近い、感じからして多分路地裏……あれ、魔力が複数?


 感知した瞬間に抱いた疑問が、瞬く間に不安へ変わっていく。

 廃棄物ダスト特有の腐った汚物みたいな魔力じゃない。感覚に違いなければ、これは生気に溢れた命の輝き──魔法少女の魔力だ。


『なんでもそいつら、東旧を縄張りにするために戦力を集めてたんだと』

 

 つい先日会った箒女──赤箒レッドスイーパーの言葉を思い出してしまう。

 

 力を蓄え、一般人に手を出す魔法少女の組織。

 ……まさか本当に? いつかは出会うと思っていたが、こんなにいきなり遭遇するのか?


「お姉さん、だいじょう──」


 不安からか地面を砕くつもりで着地し──そして、目の前の光景に眼を奪われる。

 

 苦悶で顔を染めながら、茶髪の魔法少女に首を掴まれているお姉さん。

 見覚えがある、写真に載っていた顔の一つ。

 泥みたいに濁った目のゴミ屑。他の区ですらお尋ね者とされた愚か者が、嘲笑と興奮を浮かべながら一般人に手を上げている姿だった。


「ん? んだてめえ? 煩く不時着してんじゃねえよ」


 お姉さんを使う手を緩めることなく、こちらに怪訝な目を向けてくるゴミ屑。

 急速に思考が冷めていく。警備から戦闘へ、守ることから殺すことへ切り替えていく。

 

 一、三、四……こいつを含めて五人か。

 一人は見張りなのか、屋上から不思議そうなな顔でこちらを眺めているね。


「……一つ聞く。なに、してるの?」

「嗚呼? 何ってお仕置きだよ。こいつ、私たちに説教垂れやがってよ、だからしつけてやってんだよ」


 自分でも驚くほど平坦な声色に、目の前の女は気怠そうな笑みで応えながら、お姉さんを持つ手にスこしだけ力を加える。

 どうせ何を言っても潰すけど、それでも一度だけ与えた弁明の余地。

 そんな私の慈悲を、こいつは今呆気なく捨て去った。自ら生存を放棄したのだ。


「──ぇ、ぇ」


 声にもならず、こちらにも気付かず苦しみ続けるお姉さん。

 脳に溢れる何かで血管が千切れそう。

 こんなにも、こんなにも思考が吹き飛びそうになったのは久しぶりだ。


「一度だけ言う。放せ、その人を」

「はっ、やなこった! ったくみどりめ、うざったるい良いちゃんを通しや──」



 ──もうこれ以上、下らない戯れ言を聞いてやる気も時間もなかった。



 彼女の言葉が紡がれるより速く、茶髪の魔法少女の背後に周って首を掴んで持ち上げる。

 驚愕すら追いつかない嗚咽を漏らすゴミ屑は首が千切れない程度に締め上げる。

 緩む手から零れ落ち、重力に従い落下しかけるお姉さん。浮遊を魔法を掛けながら、優しく地面へ寝かせてあげていく。


 原因から離したからか、苦痛に歪みはしているが先ほどよりは落ち着いた呼吸に戻ったお姉さん。

 綺麗な白い首には似合わない跡。それを見て歯と手に掛かる力を更に増しながら、開いている片方の手から白色の光──治癒と睡眠が籠もった魔力を零し、お姉さんの体を包み込む。

 

 ……ごめん、けどちょっと待ってて。

 こんな辛さで起きちゃうよりも早く片付けて、痛みも恐怖も全部消してあげるから。


「──がっ、ぐえっ」

「ねえ、わかる? お姉さんはもっと苦しかったんだよ? お前如きのせいで、すっごく辛かったんだよ? わかってる?」


 骨を折らないよう、尚且つ意識を飛ばさないよう調整しながら力を強めていく。

 どれだけ啼こうが関係ない。泡を吐こうが涙を流そうが、気持ちの悪い汁を顔から噴き出そうが知ったことか。

 どうせ壊そうとしなきゃ死なないのだし、こんな便所の虫以下の生命体如きにそこまで気を遣ってやる必要はなかった。


「で、でめぇ……」

「煩い。耳障りだ、黙って苦しんでろよ」


 それでも、こんな奴でも普通の人よりは頑強な魔法少女。

 足掻こうと無駄だというのに、私の手を振り解こうと、僅かに首を藻掻かせ抵抗を示してくる。


 ……そんなに逃げたいなら、今放してやるよ。


 腕に少しの魔力を込め、ゴミ女を野球ボールみたいにお似合いの場所ごみだめへぶん投げる。

 大きな破裂音を鳴らしながら弾けて転がるゴミ女。

 それを見てようやくなのか、絶望的にとろい取り巻き共もようやく動き出し、私に攻撃を仕掛けてくる。


「遅いし邪魔。どうせ逃がさないけど、大人しく怯えてればいいものを」


 杖を振り落としてきた女を肘打ちで落とし、勢い任せに殴りかかってきた女の頭を掴んで地面に叩き付けてから、空で矢を番える黄色髪の女の背後へと回る。


「え──」

「ほら、仲良く堕ちなよ」


 認識させる間も与えず横腹を蹴り飛ばし、屋根上からこちらに視線を向ける女にぶつけてやる。

 骨でも砕けたのか、所々を変な方向に曲がらせて倒れ伏す二人。

 ゆっくりと側に着地し、首根っこを掴んで引き摺り下へ放り捨て、後に続いて私も飛び降りる。


 汚らしい路地裏に転がる五つの汚物、内四つは写真で見た他区の下手人に間違いない。

 吹けば飛ぶくらい僅かな魔力で生存しているゴミ共。

 ……弱すぎる、これじゃあ小手調べにすらなってない。群れてイキってこの程度かよ。


 邪魔なカス四人を蹴って端に寄せ、魔力で白い手袋を生成しながら、残り一人の元に近づいていく。

 最初の一人、お姉さんの首を絞めた張本人。こいつだけは意識を残してやった。

 聞きたいことは当然ある。だが何より、こんな簡単にくたばられてしまったら、今の私の気が収まる気がしないから。


 ほとんど袋は破裂し、飛び散ってしまった大量のゴミ袋の中身。

 不快な臭いが鼻を届きながらも、汚物の山からから辛うじて出ている手を見つけ、手首を掴んで引っこ抜く。


「……が、ぁ」

「くさっ。ま、お前にはお似合いじゃない?」


 掴んでいる部分から魔力を流し、強引に意識を覚醒させて叩き起こす。

 女は赤と透明の混じった液体を口から零しながら、性根と同じくらい腐った目がこちらを見つめてくる。


 ……へえ、意外としぶとい女。ま、他の奴より手を抜いてやったんだから当たり前だけど。


「それにしても情けない。どうせ骨なんて治るんだし、殺意があるなら腕くらい捨ててみなよ」

 

 ぎちぎちと、彼女の耳でも聞き取れるよう大きく骨を軋ませながら、彼女に話しかける。

 

「で、どういう気分? 大好きな弱いものいじめは楽しかった?」

「……っぁ、ぁ」

「ほら、何か言ったらどう? どうせ死ぬにしても、聞きたいことは一杯あるんだからさ」


 気さくに話しかけても、返ってくるのは呻きと嗚咽だけ。

 魔法少女の戦い方をわかっていない愚かな少女。力に溺れ、力に負けた新人以下ばかにはお似合いの情けなさだね。


 ……とはいえ、これじゃあ呻くだけのけだもの

 心は畜生なれど、私は未だ人。理性すら放棄した獣の言葉なんぞ、くみ取ってやる労力も惜しい。


 ……だけど仕方ない、ましな脳みそになるくらいまで戻してやるか。


 ほんの僅か──砂粒以下の小さな白光を与え、死にかけからその手前にまで引き戻す。

 

 据わっていた濁り目は多少の光を戻し、目の前にいるわたしを睨み付けてくる女。

 まったく世話の焼ける。……ま、これでようやくまともに話が出来るね。


「じゃ、話をしようか?」


 何とも醜い女を見上げながら、私は心の泥を吐き出すように言葉を発した。

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ニセモノに恋した最強少女 わさび醤油 @sa98

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