心地好い

 月日が経つのは案外早いもので、コスプレのお姉さん──透空明すわあかりと契約を果たしてから、なんだかんだ一週間が経過した。


 お姉さんが襲われたのはやはり偶然ではなく、廃棄物ダストの襲来が起きない日はなかった。

 

 多いときには一日に二回、最高では三回起きた日すらある。

 普通の魔法少女でもここまで襲われることはそうないと思う。このままでは、遠くないうちに日常生活へ影響を及ぼしてしまう、それくらいの頻度だ。


「もうすぐ出来るよー。かなえちゃんお皿並べてくれるー?」

「うーい」


 そんなわけで必然的に今日もご飯を預かる身である私は、ソファの上を我が物顔で転がりながら彼女に返事をする。

 七日連続お世話になっているお姉さんの家。気付けば最初の余所感も失せ、すっかり自分の家と同然に寛いでしまっている。


 いけないとはわかっている。自分でも呆れるほど絆されている気がしなくもない。

 けれど、もう抗う気力はどこにも残っちゃいない。自分の家よりも居心地の好いこの快楽空間に、私の心は猛烈夢中というものだ。


 皿を並べ、今日の晩ご飯を食卓に並べていく。

 今日は美味しそうなハンバーグ。うーん、良い感じのソースの匂いが食欲を刺激してくるね。


 全部運び終えて、自分の席でお姉さんが来るのを今か今かと待ち続ける。

 水道を止め、手を拭いたお姉さんが席に着き、二人のいただきますで食事という娯楽が始まった。


 黒に近い褐色の液体に埋もれた肉の塊に箸を入れ、小さく分けてから一つを口へと運んでいく。

 舌に乗せて咀嚼した瞬間、広がるのは熱と肉汁。旨みの詰まった液体が喉を一気に通り抜け、体の内に染み渡る感覚が、私に幸福を与えてくれる。


「……うーん美味しい。流石お姉さん、お金取れるね。うまうま」

「商売出来る腕はないかなぁ。ってほら、お米零してるよ。ちゃんと拾ってね」

「はーい」


 お姉さんが近づけてくれたティッシュ箱から一枚抜き、机に零れた米粒を拾っていく。

 危ない危ない、美味しすぎてついマナーの疎かにしてしまう。

 家ではこうはならないのに。……やっぱりお姉さんの料理は凄いものだったりするのでは?


「ごちそうさま。今日も美味だった。満足」

「はいお粗末様ー。いつもいい食べっぷりでこっちも嬉しいよー」


 お腹をさすりながらお礼を言うと、お姉さんは笑顔で喜んでくれる。

 相変わらず、お姉さんの料理は食という欲を掴んで離さない。今日だって二杯目に突入してしまった。

 

 気付けば食べる必要がないはずなのに、夕食は取るのが当然みたいになっている。

 良くない良くない、これじゃあ素人パンピーと同じだ。

 私は最強なのだから、もっと欲を抑制していくべき。……なんか寒いこと考えちゃったな。


「はいデザート。今日はシュークリームだよ!」

「ありがとう。……はむっ」


 礼を言いながら手渡されたシュークリームを受け取り、ビニールを破って食べていく。

 濃厚なカスタードの暴力は、まさに食事の後味を掻き消す甘味の濁流。この甘みが脳みそを揺らしてようやく、食事という娯楽は終わりを迎えるのだ。


「最近お姉さんに胃を支配されてる気がする。このままじゃ、いずれお姉さんなしじゃいられなくなりそう」

「何それ? ふふっ、妹みたいなこと言うね?」


 お姉さんは私を見て微笑みながら、可愛らしい小さな口にシュークリームを含む。

 可愛いなぁ。……っていうか妹いたんだ、初耳だな。


「妹いたんだ。いくつくらい?」

「今年で十五。叶ちゃんの一個下かな?」


 お姉さんの話を聞き、脳内に見たこともない十五才を想像してみる。

 それにしても、妹さんは一個下かぁ。

 お姉さんの妹なんだから、きっとお姉さんを一回り小さくしたみたいな感じの可愛らしい少女なんだろうなぁ。


「それにしても、もう一週間かぁ。なんか早く感じたなぁ」

「……毎日襲われてるからじゃない? 流石の頻度に私もすこしびっくりだもん」

「そうかなぁ? ……そうかも」


 ころころと変わるお姉さんの表情は、正直ずっと見ていても飽きないだろう多彩さだ。

 

「……けど、やっぱ楽しいからかなぁ。大学が始まって、誰かと一緒にご飯が食べれてる。引っ越してからの一ヶ月も楽しかったけど、やっぱり一人が向いてなくて寂しかったんだ」

「……寂しかったの?」

「うん。いろんなところで絵を描いて、ちょっとおしゃれなお店に入ったりしたりして。都会の学生っぽいことをやってみたけど、最初だけで飽きちゃった」


 ……成程。変な場所で襲われていたのは絵を描いていたからか。

 けど意外だな。趣味を持っている人は人に飢えないってイメージがあるし、お姉さんもそんな感じだと思ってたよ。


「だからありがとうね。叶ちゃんのおかげで、私はすっごく楽しいよ」

「……そう」


 お姉さんの真っ直ぐなお礼に、私は思わず目を逸らしてしまう。

 まったく、心臓に悪いことは言わないで欲しい。

 助けるのはあくまで取引。互いに利があるからこそで、仲良しこよしでやっているわけじゃないのだから、そんな風に感謝される筋合いはないのだ。


 ──だから揺らぐな。私が最強わたしであるために、余計な私情を挟まないように。


「……ま、お姉さんの料理は美味しいから。守り甲斐があって助かるよ」

「ふふっ、じゃあこれからも腕によりを掛けて作らなきゃね?」


 互いの視線が重なり、私とお姉さんは同じタイミングで笑い合う。

 きっと端から見れば姉妹のよう。少なくとも、これが依頼で結ばれたビジネス的な関係だと思う人間はいないはずだ。


 そう、どこまで行こうと変わらない。私は彼女を警護し、その対価に食事をもらうだけ。

 それ以上でもそれ以下でもない。役目を終えれば別れるだけの、か細い糸の繋がりだ。


 ──だけど、ああ、それでも。

 悪くない。今この瞬間だけは浸っていたいと、そう考えてしまうことは悪いことだろうか。


「……そういえば、今週末に部活の締め切りがあるんだけどさ」

「えー、何部入るのー? 私は高校は家が遠くて、部活入れなかったんだよねー。だから──」


 会話は今日の別れのそのときまで、お姉さんの笑顔を途切らすことなく続いていく。

 結局お姉さんの家を出たのは、時計の短針が九を刻んだ後のことだった。

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