ご飯
空の色も変わりだし、すっかり夕暮れに染まった頃。
私は彼女に導かれるがまま足を進め、気付けば目的地らしいマンションの一室まで到着していた。
「適当に座って待っててねー。んー、冷蔵庫には何があったかなー」
私をソファへと案内すると、わちゃわちゃと家を駆けずり回る彼女。
まだまだ時間は掛かりそうだが別に気にしない。どうせ誰かが待っているわけでもなし、別段やりたいことすらないのだから。
……まあ、退屈に飽きたら帰れば良い。別に毒を盛られてようが関係なんてないんだし。
「うおりやああー!! この際
やかましい、別に遅くても構わないから静かにして欲しい。
自らの生活には縁のない、思わず耳を塞ぎたくなる生活音に嫌気が差すが、座っているだけの身なので言葉にするのは止めておくことにする。
……けどやっぱり煩い。普段聞き慣れていないからか、他人の音は酷く違和感だ。
意識を逸らすため、整頓されたテーブルからリモコンを取ってテレビをつけ、頬杖を突きながらぼんやりと眺める。
『本日早朝にて発見されました神鳴区の変死体ですが、検査の結果身元が明らかになりました──』
ご飯の前には聞きたくない、何とも辛気くさい事件が耳と目に入ってくる。
胸と頭に穴を開け、右手が近くに切り捨てられていた死体ねぇ。
人には予想の付かない
世知辛さと報われなさを感じながらも、薄情な我が心が揺れることはない。
例えこの人がどんなに善人だったとしても、結局のところはニュースの文字列程度の関係しかない他人同士。私の縄張りでなければ、よっぽどのことじゃない限り対処してやる義理はないのだ。
「わーやっば! これじゃあ質素オブ質素にしかならないよぉー!」
背後に響く女性の嘆きをBGMに、横になってテレビを見ながら待ち続ける。
この分じゃ期待出来る物は出てこなさそうだ。
そのまま帰った方が良かったことになりそうだと。内に若干の後悔を募らせ始めながら、それでもぐでんと転がり続ける。
──ぐるぐる、ぐるぐるー。ぐー……。
「……ふわぁ」
鼻を擽る香ばしい匂いに目を覚ます。
体を伸ばし、瞼を擦りながら、久しくなかった心地好さに腹の虫が空腹を訴えてきた。
あんまりにもやることがないので寝ていたらしい。他人の敷居で眠るとか久々だ。
空の色は茜から黒へと移り変わっており、時計を見ればもう七時を迎えそう。すっかり夜になってしまっていた。
「あ、起きたー? 今からよそっちゃうから、もうちょっと待っててねー?」
ふわっふわな頭で寝惚け眼を擦り、掛けられた声の咆哮に首を回せば、てきぱきと動く女性が目に入る。
先ほどの愛くるしい
長い黒髪は後ろで纏められ、見るも無惨に崩れた顔はすっかりと綺麗な人の顔へと戻っている。
……ふむ、中々に整っている。これですっぴんなら一級品の素材だな。
「出来たよお待たせー! さあ食べよっか!」
「んー」
雑に返事をして、亀くらいの速度でソファから離れて、大きなテーブルの席に着く。
綺麗に盛られたいくつもの品々。
白米と味噌汁、何枚かの肉からは湯気が立ち、添えられたサラダは色彩豊かで美すら感じてしまう。
まさに絵に描いたような一般的な食事。
多くの人が食事とはこのようにあれと思うも、中々完成しない平均にして理想の黄金比に他ならない。
多くの外食に慣れた私には、特別高いご飯屋よりもこっちの方が新鮮で興味を惹かれるものだ。
「ご、ごめんね……。あんまり冷蔵庫に物が残ってなくてね……」
「……別にいいよ。美味しそうじゃん」
「そ、そう? なら良かった~」
彼女は大げさに胸を撫で下ろしながら、召し上がれと優しい口調で言ってくる。
言葉に甘えて箸を持ち、少し悩んで味噌汁の入った赤いお椀を持ち上げると、温かさと匂いが体をほぐしてきた。
ごくりと唾を飲み込み、まずは味だと一口目を口に含む。
瞬間、口内から一気に広がり、胃や脳が味の波に染め上げられていく。──うん、旨い。
特別美味しいわけではない。きっと料理が上手いとか、特殊な調理法があるとかではないと思う。
当たり前の幸せ──誰もが求める日常の暖かさを魅せてくれる、体と心に優しい家庭の味だ。
「ど、どうかなぁ……? お、美味しいかなぁ?」
「……美味しい。うん、美味しい」
「本当!? い、いやー良かった。口に合わなかったらどうしようかと──」
彼女はこちらに安堵の笑みを浮かべるが、今はそっちに意識を割く余裕はない。
箸が止まることはなく、目の前の彼女を忘れ、ただ無心で食事に没頭してしまう。こんなに真面目にご飯を食べるのは、随分と久しぶりな気がした。
「あら、おかわりする? ご飯ならまだあるよ?」
「……する」
「うん、じゃあ待っててね!」
こちらを見ていたのだろうかと、そう思えるくらいタイミング良く二杯目について聞かれたので、小さく頷いてお茶碗を彼女に渡す。
いつもなら一杯で充分。そもそも食べなくても問題ないのに、今日はどうしてかお腹も心も我が儘に求めてくる。
結局二杯目も勢いを変わらず食べ進み、気付けば食卓に置かれたお皿のほとんどは空になっていた。
「……ごちそうさま。美味しかった」
「はい、お粗末様でした。こんなに美味しそうに食べてもらったの初めてだよ」
彼女はティッシュを持った手を伸ばし、私の顔を優しく擦りながら微笑んでいる。
ご飯粒でも付いていたか。いつもなら触れた瞬間に掴んでへし折るけど、今日はそんな気分になれず、ただ身を任せるのみだ。
……不思議だ。この私が、たかが一食提供されただけで絆されてしまうなんて。
私はこんなにチョロい人間だったか。
いいや、違うはず。少なくとも、これしきのことでは波すら立たずに終わる、それが私であるはず。
何よりいちばんまずいのは、こんな醜態を悪くないとすら思ってしまっていることだ。
一過性の感情に惑わされるなんて、それこそ新人くらいしかやらかしはしない。幻覚も誘惑も効きやしない私なら、そんな愚行は起こりえないはずなのだ。
──ありえないありえない、メンタルがバグっている。こんなことは初めてだ。
「ど、どうしたの? なんか百面相だよ?」
「……何でもない。ノープロブレムだから」
心配そうに見てくる彼女に簡素に返答しながら、刹那でいつもの表情へと戻す。
彼女の目はまだ心配を滲ませていたが、それでも納得したように席を立ち、お皿を片し始めた。
「……手伝う」
「だ、大丈夫だから! お茶持っていくまでゆっくり──」
「いい。二人でやる方が効率的」
「……ありがとう。じゃあお願いするね!」
彼女の静止を押し切り、てきぱきと皿を流しへと運んでいく。
奢ってもらって何もしないのは流石に気が引ける。いくら私が薄情だといっても、良くしてもらった人に仇で返す奇特な趣味は持ち合わせていないのだ。
私が運び、彼女が洗う。単調でありきたりな作業だが、その音はどうにも心地好く胸を包んでくる。
一度に熟せてしまうのに、何度も何度も小分けにしてしまっているのがその証拠。まるでいつまでも続けていたいと、体が無意味な作業に意味を持たせようとしているみたいだ。
……そういえば、母が家から消える前まではこんな風に食器を運んでいたっけな。
「これで最後? ありがとー! 今お茶持っていくから寛いでて!」
最後のお皿を持っていくと、彼女は笑顔で休んでいてと言ってくる。
流石にこれ以上やることはない。周りを見た結果そう判断し、私はさっきまで寝ていたソファへと足を運び、どさりと腰を下ろした。
「……ふうっ」
がちゃがちゃと聞こえてくる、水と食器が置かれる音に耳を傾けながら彼女を待つ。
テレビも携帯も見る気にはならず、今はこの音に浸りながら、楽な姿勢でまっm服に酔いしれる。
──美味しかった。こんなに食事で満足したのは久しぶりだな。
「お待たせー! 緑茶とコーヒーsどっちがいい?」
「……緑茶」
「はーい、ならこっちをどうぞー。熱いからちょっと冷ましてねー?」
ことり、と目の前のテーブルに置かれた二つのコップ。
そのうちの一つ──私の近くに置かれた鮮やかな緑色の液体が入った方を手に取り、ゆっくりと口を付ける。
確かに熱いがそんなことより早く飲みたい衝動の方が強い。どうせ私が火傷するわけないし、火傷しようが痛覚を消せば問題ないからね。
「あ、熱くない……?」
「平気。あったかくて美味しい」
心配そうに問いかけてくる彼女を尻目に、お茶で舌を濡らし味を感じていく。
やっぱり食後はお茶が一番。そもそも紅茶は苦手だし、コーヒーはおやつの時以外飲む気はない。
……いや、そんなことはどうでもいい。
すっごい遠回りをしてしまったが、明日も学校だしそろそろ本題に入らなきゃね。
とはいっても何から説明すればいいか。私は先輩と違って折り紙付きな説明下手だ。
ま、あちらの疑問から解消していく形でいいか。その都度補足していけば、一応ましな説明になるだろう。
「……さて、そろそろ話そう。知りたいことは何? 聞かれたものから答えていくよ」
思考の合間にもう二口ほど含で舌鼓を打ってから、静かにコップを置いて話を切り出していく。
彼女は少し悩んだ素振りを見せた後、掌に拳を乗せて何かを思いついたように口を開いた。
「……とりあえず自己紹介からしよう? 貴女のお名前も聞いてないし」
……そういえば言ってなかった。
どうすぐ別れると思ってたし、いちいち名乗るのも面倒だったからね。
「私は
彼女はにこにこと笑みを浮かべながら、楽しそうに自らの名と歳を明かしてきた。
へー。私よりは上だと思ってたけど、歳は十九で大学生かぁ。……ってはあっ!? 二十!?
「嘘でしょ……?」
「う、嘘じゃないよー! ぴちぴちの若者だよー!」
悔い気味に反論してくる彼女……じゃなくてお姉さん。
だが、今はそんなことを気にしてはいられない。何故ならお姉さんの明かした事実は、思わず声を出してしまうほどおかしいものだったのだから。
「お姉さん嘘ついてない? ほんとのほんとに二十なの?」
「え、う、うん……。一応一応免許証見る?」
「……いい。信じる」
騙そうとしているわけではないのはわかる。隠している素振りはないし、人が嘘をつくときに出す特有の黒さもないから。
けど、だからこそ解せない。今言われたことに嘘がないのなら、それこそ私の知識にないことが起きているのだから。
……まあいい。どうせ触れなくちゃいけないんだし、まずは名を名乗ってからだ。
「それで名前だっけ? 名前は
「……魔法少女?」
「そう、貴女と同じね?」
まるで自分は違うとでも言いたげなお姉さんに、私は彼女に淡々とそう告げた。
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