路地裏での出会い

 桃色の花弁が空から落ちる春日和。肌寒くも心地好い風の中。

 制服の少女──白夢叶しらゆめ かなえは湧いて出てきた欲に抗わうことなく、口元を押さえながら欠伸を漏らした。

 

 ……家を出てからもう五回目くらいか。

 ちゃんと数えていないから曖昧だが、まあそんなものだろう。

 

 寝付きが悪いとはいえ、やはり夜更かしは体に毒だ。

 撲滅活動のおかげで最近はペースは落ちたが、やはりまともに寝られる日は多くない。

 

 元中学生現高校生の私はその数が増える度、やはり睡眠は必要だと実感してしまう。

 別に睡眠が嫌いなわけではない。むしろ好き、意識を落とせば余計なことを考えずに済むからね。

 

 けれど、その好意と同じくらい嫌いでもある。

 ふと目を閉じてしまえばいつも、瞼の裏に映るのは嫌なものばかりだから。


 入学式の時も危なくて、つい声を出してしまいそうになったのを思い出してしまう。

 うたた寝はせめて馴染んだ後の授業中だけにするべきだと、心底肝を冷やしてしまった。


「……ま、どうせぼっちだし関係ないんだけどね」


 まるで何もなければ友達が出来るなどと、抱いてしまったお気楽な考えを小さく嗤う。

 

 ……友達、友達なんて出来ない方が楽でいい。 

 どうせどこまでいったって、クラスで一緒に話したり互いの家に泊まり合うくらい。その程度の関係でしかない、いざとなれば簡単に捨てられる存在だ。

 

 持たなければ裏切られることもない。

 最初からいなければ傷つくことはない。


 まさに平穏。

 人類はみな孤高であること。それこそが平和への近道なのだと、十五年の生の末に至ったのだから。


 今友達を望んだのは、強い私に残っている情けなくて弱い部分だ。

 このしこりを捨てられれば私はより完璧になる。最強で無敵、誰にも乱されぬ理想の私へと変わることが出来る。

 だから高校など、勉学と帰り道の繰り返しで充分。友情やら青春など、今から買いたいと思っている史上最悪の激甘クレープなるものにも劣るくそな愚物。


 よしっ、今日も確認おっけい。

 憂鬱だった気持ちは安定し直したし、後は目的の物が販売している例の店を見つけるのみ。

 

 歩きながら懐から携帯を取りだし、ぽちぽちタップを繰り返す。

 ……ふむふむ。ここから直進数百メートル、後は真っ直ぐいけば馬鹿でも見つけられるって感じ。


 ならば善は急げと携帯を仕舞い、亀のようにと鈍間だった足を速めようとした。──その時だった。


『──ギギアラーンッッ!!!』


 耳を劈いたのは、ドリルで金属に穴を開けるのと同じような突き刺さる音だった。

 

「……はあっ」


 遙か遠く、常人なら聞こえるはずのない騒音が、多少弾んでいた心を冷ましていく。

 感じてしまう害獣の気配に心が沈むで仕方ない。

 魔法少女わたしたちとは違う、ヘドロを固めたような汚らしい魔力の塊。もしも放置すれば、最終的には世界ごと崩れ落ちてしまう異物。


 ……異物、か。見下してるみたいで嫌になる表現だ。

 結局の所根本は同じなのに。元を正してしまえば、あいつらと私たちに差はないのにね。

 


「──変身トランス



 せっかくの憩いを邪魔されたいらつきのまま、いつものように静かに唱える。

 瞬間、体に包む白い光。背負っていた鞄は消え、皺のない制服は愛らしいドレスへと変わっていく。


 往来での露出はなく、されどそれ以上の不可思議に満ちた少女の変化。

 誰に注目されることもなく、まるでその場には誰もいないかのように、興味も疑問も驚愕すらも抱かれない。世界から弾かれる最中、言うなればそんなところか。

 

「さあて、とっとと終わらせよう」


 片足が地面を軽く叩き、私の体は無尽に空へと駆けだしていく。

 欠片も力を入れず。それでも三歩も空を歩けば、先ほどいた場所など豆粒程度。

 

 音を越え、空気の壁すら突き進み、目的地まで一直線。

 三秒にも満たず到着した目的地。暗い路地裏、瞬時に状況を確認……あれは、人?


「ひえええぇッッーー!!」


 目に大量の雫を浮かべ、鼓膜が千切れそうなくらい泣き叫ぶ女性。

 徐々に迫る怪物──廃棄物ダストを認識している点。そして甘ったるいほどの可愛さファンシーを詰め込んだ、幼い少女の夢にでも出てきそうな服。

 

 ……成程、多分同業者。それも何も知らない新人ルーキーか。


「お、おたすけーこんなところで死にたくなーい!! ……って、えっ??」

「煩いから口を閉じて。あと、良いって言うまで動かないで」

「え、は、はいっ!」


 必死に喚く女性と怪物の間に立ち、彼女に小さく苦言を呈しながら拳を握る。

 形も曖昧、魔力も少なめ。こんな低級一匹に、わざわざ武器ステッキを出す意味もない。

 

 しっかり構えることはなく、特に気負うこともなく。

 少しの魔力と共に拳を前に突き出す。他の奴ならいざ知らず、私であればそれで充分だ。


 ──びしゃりと弾け飛ぶヘドロの怪物。飛び散った滓は、壁に当たる前に私の魔力で消失した。

 

「……汚いなぁ」

「──ぅへえ?」

「ああ、もういいよ。うるさくしなきゃ好きに泣いても」


 汚れた左手ききてをぶらぶらと振りながら、呆けていた彼女へ声を掛ける。

 手に残るのは気色悪い感触。質の悪い脂の塊を殴りつけたような不快さと、ゴミ箱に手を突っ込んだときと大差ない拒否感がどうにも残って仕方ない。

 

 面倒でも杖を出せば良かったと、密かに後悔しながら変身を解き、使わなかった方の手を彼女に伸ばす。

 きょとんとしながらも、釣られたのか掴んで立ち上がる彼女。

 見る限り、魔力は使い切ったのか空っ穴からっけつ。化粧は落ちて顔はぐしょぐしょ、所々が黒ずんだドレスが、更にくたびれ具合を助長している。


 ……にしても変身トランスのままなんだ。

 ってことはついさっき発現したばっかりで、まだ解除方法も知らないって塩梅かな。


「あ、あのぅ……。助けてもらった……んですよね? あ、ありがとうございますぅ」

「……怪我はない?」

「あ、はい。ちょっと擦り剥いちゃったけど平気平気! なんたって生きてるからねっ!」


 彼女は慌てて擦り剥いた右肘を手で隠しながら、へっちゃらですと言わんばかりの元気で笑みを作る。

 泣き喚いてる姿を見せといていまさら変な気遣いだ。下手に誤魔化すなら、素直に痛いと言えばいいのにね。


「──あ、ちょっと!!」

「煩い。いいから動くな」

 

 偽りの笑みを貼り付けた彼女の言葉など無視し、乱雑に腕を掴んで傷に手を近づける。

 さっきよりは多いけど、それでも私からすれば少しの魔力で彼女を治癒していく。


「あったかい……」


 治癒の快楽に当てられたか、随分とだらしない顔を晒している彼女。

 人によっては襲われているときよりも惨状なのだろうが、これも恵まれている新人あるあるではある。孤独……孤高な魔法少女わたしたちにとって他人の治癒は温もりも同然。当然個人差はあるが、人の繋がりを刻みつけられる治癒は、そこいらの薬よりも快感を得られることもあるのだから。


「ほら、終わった。痛む?」

「ぜ、全然……。すごぉ……」


 餌を求める鯉みたいに口を開けながら、治った腕をぶらぶらと動かす彼女。

 ……うん、平気そう。心体共に完全完璧、私の助けた人間にいらん後遺症なんて必要ないからね。


「どうせ知らないと思うけど、ここは私の区域だからもう入ってこないでね。後は新原会館にいはらかいかん轟味とどろみゲームセンターにでも行くといいよ。んじゃ」

「え、ちょっと──!!」


 必要なことを伝えて義理を果たし、とっととこの場を離れるために歩き出す。

 質問なんて受け付ける気はない。これ以上は時間の無駄だ。

 どうせここで別れれば他人でしかない彼女。そんな人が生きようが死のうがどうでもいいし、わざわざ世話してやる理由もどこにもない。


 私は白夢叶しらゆめかなえ。闇すら震える最強無敵の魔法少女。

 前にも横にも後ろにも人はいらない。たった一人で生きて死ぬ、それが理想の生き方なのだから。



「──待って!!」



 ……だというのに、そうあるのが正しいのに。

 彼女は私の腕を掴み、ぐしゃぐしゃに崩れた顔のまま私を止める。決して逃がさないと、これ以上ない力でがっしりと。


「……何?」

「──お、お礼! 助けてもらってそのままじゃ、私の気が収まらないから!」


 彼女に向き直すことすらなく、覚めた心が鬱陶しく思ってしまう。

 この腕だってとっさに出したのだろう。誰が聞いたってとっさに考えたって分かる理由、訳も分からないから私に縋ったってところかな。


 情けないとは言うまいが、私にとっては余計な重みでしかない。

 寄りかかる柱は選んだ方が良い。歳がいくつか知らないが、この業界の先輩として教えてやろうと振り放そうとした──。


「お、お願い話だけでも! このままじゃなんもわかんないよぉ!!」

「…………はあっー」


 放置するのすら憐れに思ってしまうな声色でまくしたててくる彼女。

 流石に放置できないか。……はあ、めんどっ。


 滅入ったやる気が更に減るの感じながら、家に帰るのを諦め顔を上げる。

 化粧の崩れた無惨な顔。早朝の道端に転がっている酔いつぶれたダサ女だって、ここまで羞恥心を捨てたりしていないってくらいぐちゃぐちゃ具合だ。


 けれど偽りはない。その必死なだけの顔の裏には、泥みたいな思惑や悪意もないのだろう。

 

「……お腹減ったからご飯ちょうだい。貴女の家でいいから、どんなに飯下手でも構わないから」

「──っ、うんっ! 奢る奢る! もう腕によりをかけて、満漢全席くらいすっごいの振る舞っちゃうからから!!」


 彼女は顔に笑顔の花を咲かせ、私の手を握ってぶんぶんと振りまくる。

 まるで愛嬌溢れる犬のよう。ほっぽり捨てたくなるくらい鬱陶しくも、どこか捨て置けない愛らしさが帰る気にしてくれない。


 矛盾しながらも調和した、柔らかな陽だまりのような暖かさ。

 まるであののよう。私の出来ない笑顔が素敵だった、あの愚かな少女のような人。


「ほら行こっ! 善は急げ! こんな暗い裏道からはおさらば、だよっ!」

「……わかったから。だから引っ張らないで」


 光と人の気配がする先へ。彼女の力に身を任せ、自分でも驚けるほど素直に付いていく。

 

 後になってから考えれば、このとき既に惹かれていたんだと思う。

 伸ばすことのない私の手を掴んで引っ張った、まぶしく真っ直ぐな笑顔を見せた情けない彼女に。

 

 

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