ニセモノに恋した最強少女

わさび醤油

少女にとって日常

 下に広がる人工の光すら届かない、月の光にのみ照らされたビルの上。

 人の立ち入りを許されていない都会の禁足地。──けれどその縁に、一人の少女が座っていた。


「……疲れた」


 ぶらぶらと足を垂らしながら、少女は言葉を漏らす。

 たった一息に込められたのは、少女には似合わない、心の底に貯まり尽くした鬱憤の塊。

 

 フリルの付いた可愛らしい服を纏い、手の中でくるくると回る先端のハートの付いたステッキ。

 端麗な容姿も相まって、まるで朝のアニメから飛び出してきたような風貌。社会の闇に疲れ切った大人が吐きそうな憂いなど、本来彼女には似合わないものだ。


 ……そう、本来は。彼女の持つステッキと服に、濁った赤い何かがこびり付いてなければだが。


「……疲れたなぁ」


 少女は冷めた目で空──黒に浮かんだ夜の太陽を見上げながら、また一つ息を漏らす。

 雲一つ掛からない丸い月。汚れきった自分とは異なり、いつも変わりなく輝く金色の星を、ぼんやりと力なく眺め続けながら、少女は感傷に浸り続ける。


『──魔法少女は手足の付いた歯車、替えの効く世界の部品なのさ』


 誰かが口にした残酷な言葉。

 ……確かそう言ったのは、優しかったあの先輩だったか。

 

 月を見ていると思い出す。

 初めて出会ったあのときを、そしてあの人が死んだ瞬間も。


 目の前で友が喰われ、恐怖に侵された私を助けた命の恩人。

 何も知らない新人カモであった私に、理由もないのに知識と与えてくれた同業者お人好し。そして──。


「……くそだな、全部」


 ゆっくりと首を横に振り、ありったけの憎悪を吐き捨て立ち上がる少女。

 くるんとステッキを回転させると濁った赤は消え去り、彼女は汚れ一つない清廉潔白へと回帰する。


 どれだけ手を汚そうとも、どんなに自らで汚れを拭っても。

 全ては一度で失われる。少女の罪は見かけに残らず、いくら漏らそうと心の中で呻き続けるのだ。


 ステッキを消し、少女はふわりと軽く跳ね、躊躇いなく空へ身を投げる。

 誰もが自殺だと思う愚行。それでも少女は当たり前の気安さで、流れるままに空を落ちていく。

 

 無理だと分かっている。けれど思わずにはいられない。

 このまま死ねればいいのにと。

 意識を失い地面に叩き付けられて、潰れた柘榴ザクロみたいに無惨に散れれば良いのにと。心底愚かだと、愚かな自分を嘲りながら、それでも変わらず墜ち続ける。

  

 目まぐるしいほどの速さで近づく地面。このまま行けば数秒の後、体と地面はぶつかるだろう。

 

 けれど少女は目を瞑らない。気を失うこともなければ、死を恐れることもない。

 ただ淡々と。悲しむことも喜ぶこともなく、何一つない空虚な表情のまま、その定めを受け入れる。


 

 ──ぐしゃり。鈍く重い、不快にしか思えない音が鳴り響く。



 凄惨な末路は必至。

 無人の道路に咲く赤黒の肉花。人も車も存在せず、あるのは人の成れの果てが一つ──そのはずだった。


 少女は頭を押さえながら、ゆらゆらと力なく立ち上がる。

 足下に血溜まりもなく、地面も少し罅が入った程度。一人の少女が上から墜ちてきたとは到底想像の付かないであろう、日常の範囲内の景色でしかない。

 

 そして少女の方にも異常は見られない。

 外傷もなければ服に乱れもなく、清潔さを保っている。飛び降りたなどとは、例え見ていても信じられず、多少酔ったが故のふらつきだと思われるだろう。

 

「……あーごみ」

 

 気怠そうに首を押さえ、こきこきと音を鳴らしながら独り言つ少女。

 一瞬、体が淡い光に包まれ、可憐なドレスは平凡な日常な服装──学生服へと姿が変わる。


 軽く埃を払い、誰かいることすら気にすることなく地面に手を当てる。

 掌に灯る光。そのまま軽く一撫ですれば、割れた跡は影も形も綺麗に消えてしまっている。

「……コンビニ寄って帰ろうっと」


 風にも負けるくらい小さく呟き、どこからか突如現れた鞄を肩に掛けながら、少女は歩き出す。

 少女──白夢叶しらゆめかなえが過ぎ去った後、もうそこには何も残されていなかった。

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