第5話 「父の訪れ」(第5筆者:富喜 ちひろ)
一階に降りると、菊乃が食堂でローザの父に紅茶を用意している所だった。
父の隣には啓太がおり、父へしきりに話しかけている。
啓太のマシンガントークに圧倒された様子の父は、二階から降りてきたローザの姿を見つけるなり、啓太との会話を急いで断ち切るように右手を挙げ、ローザに声をかける。
「おう」
父は、ワイシャツに黒のジャケット、ベージュのチノパンという恰好で食堂の椅子に腰かけていた。
「お父さん、どうしたの?」
ローザは頭の中をフル回転させながら父に話しかける。
何かあったのだろうか。
まさか、家に引き戻されやしないかと思うと胃の辺りが急に重くなる。
「どうしたって、見に来たんだろ。家から出て行ったお前がどういうところで暮らしてるか」
ローザは平凡な答えに一瞬安堵し、答えを探す間に少しの沈黙が流れる。
(ここの人たちをいったいなんて言って説明しよう……)
ローザが答えに迷っていると、啓太がすかさず説明を挟む。
「ここはシェアハウスの大切な花です。理念として『シェアハウスの住人それぞれの大切なものを同じように大切にする』があります。シェアハウスの理念に反した場合は退去をお願いする場合もあると、入居の手引きに書いてあります。今ここにいるのは不健康な美大生の佐々木蓮さん。田舎から上京してきた大学生ローザさん、大家の菊野さんです。もし分からないことがあれば、入居の手引きを一読されるのが良いと思います。あ、梅太郎がきましたね。彼もここの住人です。ですね?」
「ナ、ナーオ……」
啓太の勢いに一瞬驚いた様子の梅太郎は、鳴き声を出すとそそくさと廊下へ走って行ってしまった。
父は呆然と啓太を眺めている。
「僕は佐内啓太と申します。このシェアハウスには1年半ほど前から住んでいて近くのコンビニで早朝から昼まで働いています。今日も仕事です。勉強を頑張って大学へ行きー…」
「はい。啓太さん、ご説明ありがとうございます。そこまでで結構ですよ。お父様、お紅茶をどうぞ。坂道を登ってここまで来られるのは大変だったでしょう?」
菊乃が笑顔で父に紅茶を差し出す。ソーサ―に乗せられた紅茶からはハーブと柑橘系が混ざったような不思議な香りがしていた。
「ローザさんのお父様、改めまして私がこの家の大家の菊乃と申します」
「ああ、これはこれは。いつもお世話になっております。ローザの父です」
椅子から立ち上がり深々と頭を下げる父。
「まあ、そんなご丁寧に」
菊乃は口元に手をやりながら微笑んで父に座るよう勧めた。
「ローザさん、とても真面目でね。大学にもきちんと通われていますよ。うちのユニークな住人さん達とも親しくなられていますしね」
「はあ、ユニーク……」
「そうそう。こんな変人ばっかのシェアハウスなんてないもんね。ローザ」
食堂に入ってきた蓮が会話に割り込み、冷蔵庫から麦茶を取り出しながらニヤリとローザの顔を見る。
「変人だなんて言っていませんよ」
菊乃がピシャリと蓮をたしなめるが、蓮はお構いなしに鼻歌を歌いながら麦茶をコップにそそいでいた。
会話よりも、まじまじと蓮の姿を見つめる父の様子をローザは気にしていた。
うちの町には金髪の人すら滅多にいない。父の頭の中が金髪モヒカンとクエスチョンマークで埋め尽くされているのが、ローザには手に取るように良く分かった。
「ローザちゃんのお父様はお仕事は何をされてるんですか?」
蓮が興味津々に父に話しかける。
「私は、床屋をやっています。理髪師です」
「へーうそ!ローザの家って床屋さんなんだ。いつか私も切ってもらいたいな!あ、ジャンル違いますかね」
ケラケラと笑いながら蓮は自分の髪を触って見せる。
父は気持ちばかりの愛想笑いをし、蓮との会話から逃げ出すようにローザに話しかける。
「お前にもいろいろあるんだろうが、妹たちや母さんも心配しているぞ。ほら、これ」
父は持っていた紙袋からガサゴソと大判のハンカチに包まれた四角い箱を取り出し、ローザの前に置いた。
「母さんと、妹たちからだ」
「これ……」
ハンカチの結び目をほどくと、それは星野家特製の屋台船弁当であった。
お決まりの牛乳パックで出来た弁当箱を開けると、稲荷ずしに加え玉子焼きと唐揚げも入っている。この品目を見ればいかに母が応援してくれているか、理解するのに容易かった。
「え、待って待って。なにこれ面白い。こういうお弁当箱見たこと無い、おしゃれ!ってかおいしそーなんですけど」
蓮がキラキラとした大きな目で弁当に近づいている。
美大生というのは変なものに美的感覚をくすぐられるもんだとローザは半分あっけに取られながらも、これが牛乳パックで出来ていることをお願いだからばれないでくれと願うのであった。
「もう18時ですし、せっかくならお父様も一緒にお夕飯にしましょうか」
☆
菊乃が手早く夕食の準備をし、食堂に米の炊ける香りと醤油と出汁のいい匂いが立ち込め出した。
本来夕食を食べられるのは住人に限った話だが、今日は菊乃の計らいで父の分まで夕食が用意され5人で食卓を囲んだ。
案の定、ローザが食べたのは星野家特製の屋台船弁当だったが、ふと一口頬張ると心のどこかでずっと張りつめていた部分がゆるみ、涙がこぼれそうになった。
新たな土地で、その時には想像も出来なかった人たちに囲まれ、生まれて初めて自分の力で居場所を作り上げつつあることをローザは感じていた。
父は隣でもくもくと菊乃の手料理を食べ、ローザに弁当の感想を聞きもしない。ローザもそれに応戦するように、黙々と大きな弁当を頬張っていた。
食事を終えると住人たちは示し合わせたように皆それぞれ自室に戻って行き、食卓にはローザと父の二人だけになった。
暮らしぶりを見に来たという割に父は、大して他の住人とも会話をせず、ローザに様子を聞いてくることもなかった。
ローザも会話の糸口を探し出せず、父との間には食後の沈黙が流れていた。
すると父は弁当を包んでいた大判のハンカチをカバンにしまいはじめ、
「じゃあ、父さんはもう帰るぞ」
と帰りの支度をそそくさと始めだしていた。
「え?あ、そう……」
ここへ来るまで電車、バス、船を乗り継ぎ何時間もかかっただろうに、父とローザが交わした言葉は二言三言である。
一瞬「まだ早いんじゃない?」と言いかけたローザだったが、それを言ったところで、沈黙を突き通した関係性である父との間に会話が生まれる訳もなく、すぐに言葉を引っ込めスマホへ視線を移す。
「私、帰りの電車の時間見てあげるよ。……ってあれ、山王線[運転を見合わせています]ってなってる。なんでだろ」
twitterを開くとそこには[山王線 火災][帰宅難民]といったキーワードが羅列されていた。見ず知らずの人のツイートからネットニュースのリンクに飛ぶと、線路付近での火災に伴い運転再開は未定である旨が記載されていた。
「お父さん、山王線運転止まってるよ。再開未定だって」
カバンを持った父が呆然とローザを眺める。
ただでさえ自宅へ帰るにはいくつも電車を乗り継ぎ、バスや船にも乗らなければならず一本の電車に乗れないだけで、大きく到着時間が遅れてしまう。どちらにせよ、今日中の帰宅は到底不可能となった。
「母さんにも相談してみる」
父はジャケットの胸ポケットから携帯電話を取り出し、実家に電話をかける。
「……うん、分かった。ローザに代わる」
ほら、と何の説明もなく携帯電話をローザに突き出す。
「え、なに。もう」
いつも父はこうだ。
「もしもし、お母さん?」
『わあ、ローザ久しぶりだねえ。元気?電車止まっちゃったみたいね』
久しぶりに聞く母の声。電話の後ろからはまだ幼い末っ子の妹がぐずっている声が聞こえる。
『それでね、タクシー使うにも高いからさ今日はお父さんそこに泊めてあげてよ』
「え、お母さん本気で言ってる?」
『そりゃ、ローザの言いたいことも分かる。けど、今日はどうしようもないでしょう』
「でも……」
『多分、山王線動き出すの待ってたらお父さん途中で終電終わって野宿だよ』
母の言うとおりだった。さすがに父を野宿させる訳にはいかない。
始発には電車も動き出すだろう。
「お父さん、分かったよ。今日ここに泊まって行ったら良いよ。」
「……わるい」
父の宿泊が決まり、ローザは急いで菊乃の元に宿泊の可否を聞きにいった。
本来宿泊は禁止とされているが、「それは、ローザさん泊めてあげなさい」と逆に菊乃から諭されてしまった。
「ただね、男風呂は使ってもらうの難しいかもしれないわ」と、菊乃からの話があった。
男風呂は啓太によって毎日清掃されているが、物の配置への強いこだわりがあり全て同じ位置に戻さなければ途端に啓太は不機嫌になってしまうというのだ。
「そうだったんですね、ごめんなさい。何も知らず」
「いいのよ、他人同士が一緒に住むってそういう事もあるのよね」
菊乃はニコニコと穏やかな笑みを変えずに話していた。
自分が何も知らないだけで、みんなそれぞれにもっともっと様々な事情があるのかもしれない。
「父には銭湯に行ってもらいます」
ローザは菊乃と話した後、父に最寄りの銭湯を教え、そこに行ってもらうことにした。
父が銭湯へ行っている間、菊野から布団一組を借り、自分の部屋で父の寝床の準備をしていた。
六畳ほどのローザの部屋には引っ越してきてから加速度的に物が増えていた。小さな折り畳み式の机、大学の教科書・ノート。僅かばかりの化粧品、星座の本……。それら一つ一つ、自分だけのお気に入りの物を大切にそろえてきたのだった。
そんなことを考えながらぼんやりしていると、後ろから声がかかった。
「今日は父上がいらしたようだね」
振り向くとそこには、近所の居酒屋から帰ってきた作務衣姿の諸星あたれが部屋の入り口に寄りかかっていた。
「ずいぶん情報が早いですね」
苦笑するローザ。
「実は、父が乗る予定だった帰りの電車が止まってしまって始発までここで過ごすことになって。あ、もちろん菊野さんには許可を頂いています!」
「許可、ねえ。ここは会社じゃないんだから。俺にそんなこと言わなくても平気だよ。関係ねえからな。」
「あ、すみません」
「けど、父親と同じ部屋で寝るなんてきっとこの先もう無いぜ。ある意味一生のうち、最後の事だと思うな」
諸星は寄りかかっていた身体を起こし、ローザの部屋の窓に映る月を見ながら言った。
「一生で最後の出来事って、大体は知らないうちにあっけなく流れていってしまうもんだぜ。それが貴重な瞬間だって気が付かずに。ま、そうやって大切なものをどんどん手のひらから溢していくのは俺だな」
あはは!と突拍子の無い笑い声でローザが驚くと、諸星あたるは嵐のように自分の部屋に戻っていった。
「なんだったんだ……」
父の寝床の準備を再開しながらローザが一人ごちていると、ガラガラと玄関が開く音が聞こえた。父が銭湯から戻ったようだ。
一階に父を迎えに行き、二人で階段を上り自分の部屋に案内する。
「ここだよ」
「おう」
父は特段部屋の感想も言わず、天井からぶら下がる照明の紐を手で除けながら、ローザが用意した布団の上に座り明朝のアラームを携帯電話でセットし始めていた。
「父さんは、寝るぞ」
ふと、ローザが自分のスマホに視線をやると時刻はもう23時を過ぎていた。
ローザも明日は学校であるため、照明の紐に手を伸ばし灯りを消した。
暗くなった部屋には蓮の部屋から聞こえる音楽と、誰かが廊下をドタドタと歩く音が響いている。
ローザはベットに横になり真っ暗な宙を見つめていた。
「お父さん、今日大変だったね」
「おう」
「お母さんとか、妹元気なの」
「うん」
「そっか……」
諸星の言葉をローザは思い出していた。
父と同じ部屋で寝るなんて、もう一生ないだろう。そして恐らく、その最後の瞬間が今だ。
「お父さんさ、私ずっと家から出たかったんだ。あの狭い町に無いものを見たかったし、いろんな人を見たかった。それで、自由になりたかった。私が、大切にしたいものを見つけたかったんだ。だから無理やりこっちに来た」
「そうか」
「怒ってる?」
「どうだろうな」
蓮の部屋から聞こえていた音楽が止まり、部屋がしんと静まり返る。
「まあ、長女であるお前が店を継いでくれるもんだと思ってたからな」
ローザの家は祖父の代から街の床屋を営んでおり、父は十八歳から理髪師として働いていた。
ローザが大学へ行くことを決めた時、父は沈黙を貫いていた。大学進学を選択する時点で、店を継がないと暗黙の態度で示したからだ。
「そうだよね。ごめん」
「お前が大切にしたいものは見つかったのか」
少しの沈黙が流れ、父は話し続ける。
「ローザ、お前は自分の信じるものを大切にしなさい。時間をかけてゆっくり大切にしなさい」
「どうして?」
「信じるものを大切に思う時間そのものが、自分の中の大切なものを形作っていくからだ」
父は分かり切った問いへ答えるようにローザに伝える。
「私にそんなのが分かる日がくるかな。まだよくわかんないよ」
ローザはそういいながらも、父がどうしてあんなに時間をかけここまで来たのか、すこし分かったような気がしていた。
「分かる日がくるさ」
父に返す言葉を探していた。
沈黙が続き、次第に父の寝息が聞こえてくる。
少しだけ開いている部屋の窓からは春の大三角形が煌々と光り輝いているのが見えた。
見知らぬ土地で、見知らぬ人と一緒に住んでいる今の不思議。
これからどこにたどり着くかもわからない不安。
初めて自分で探しだした最初のこの場所には、大切な花が蕾となってまだ若い香りを放っていた。
ローザは目をつむり、春の夜風を胸一杯に吸い込んだ。
☆
ピピピピピピ……
けたたましいアラームの音でローザは目を覚ます。
ふと、隣を見ると綺麗に畳まれた布団だけが残っている。
「あ、そっか。お父さん始発でもう出ちゃったんだ」
父らしい、とローザは思った。
何のメモも残されておらず、部屋には燦燦とした朝日が差し込み新緑が影を落としていた。
父を見送ろうといつもよりずいぶん早く起きてしまったが、大学へ行くまでにはまだ時間がある。
ローザは飲み物を取りに、一階へ降りて行った。
「あ、菊乃さん。おはようございます」
菊乃は朝早くというのに、食堂でノートを広げ帳簿を付けているようだった。
「おはよう。お父様無事出発されたわよ。朝お会いして‘ローザを宜しくお願いします’って深々と頭を下げられちゃったわ」
白髪の混じったグレーの髪は丹念に結い上げられ、クリーム色の滑らかなブラウスを着て微笑む姿は同性ながらはっとさせられる美しさだった。
「すみませんでした、急に泊めてもらったりして」
「いいのよ、こういう事も時にはあるものね」
「あの、菊乃さん」
「なあに?ローザさん」
「菊乃さんはどうして、この『シェアハウス 大切な花』の大家さんになったんですか。私、菊乃さんの話を聞きたいです」
ローザは食堂の椅子を引き、菊乃の前に腰かける。
菊乃は一瞬きょとんとした表情でローザを見つめる。
「そうね……。」
俯き加減となり片手で頬杖をつく。
「まだ、誰も起きてこないでしょうから。ローザさんにお話してみましょうかね」
困ったように菊乃は笑い、ゆっくりと話し始めた。
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