第二章 記憶
1. 彼ら
彼らは,狂っていた。── と,言うよりも,僕と言う存在が彼らを狂わせていた。
彼らは僕に,僕と言う存在に怯え,狂い,そして── 僕を一人残して,死んだ。
僕を作ったのは,彼らだというのに。
彼らはよく,僕に言った。「優しい人間になりなさい」「人を傷つけては絶対に駄目」
僕は彼らの喜んでいる顔を見るのが好きだった。だから僕は,彼らの言う "優しい" 人間に,なろうとした。
そうして気がつけば僕は喋らなくなり,笑うことをやめた。喋らなければ,笑わなければ,人を傷つけることはないと,僕は本気でそう思っていて。そして彼らもきっと喜んでくれると,信じていた。
彼らは喜んではくれなかった。喋らなくなった僕を見る眼差しには不安と,怯えが表れるようになって。僕は彼らのそんな目が嫌で,彼らから目を逸らした。
ある朝起きると,そこには静寂だけがあった。僕の家ではないかのように,しんと静まり返っていた。そこに,彼らの姿はなかった。僕は何が起ころうとしているのか分からず,
机の上には一枚の薄っぺらなメモが置かれていて,ただ一言,『ごめんね。』とだけ書かれていた。その文字は震えているようにも,そうでないように見えた。
僕はそれを見て,子供心ながらに悟った。彼らは死ぬつもりなのだと。
焦り,泣きそうになりながら,それでも何かの間違いだと願い,言い聞かせながら,そして涙を必死に堪えながら,僕はあの海に向かった。
海には人一人おらず,波の音だけがやけに大きく辺りに響いていた。まるで,ただ一人,一点を見つめながら立ち尽くす僕を,
彼らの靴が,そこにはあった。持ち主を待っているかのように,二組とも場違いな程,綺麗に海の方を向いていた。
その二組の靴を見て,僕の中で何かが音もなく,しかしはっきりと,切れた。
僕は光を無くした目で,彼らの靴を手に取り,そして海に投げた。
どぷっ,という濁った音を立てながら,二組の靴は海へと消えた。その光景は僕の目に,海が靴を呑み込んだように,恐ろしく映った。
彼らは死んだのだという事実を,僕はやけに冷静に受け入れていた。
僕は知らぬ間に微笑みを浮かべていた。穴ぼこのような目をしたまま。
涙は,出なかった。
そして僕はその日,感情というものを,心の中の固く分厚い扉の中に,静かにしまった。
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